2009年11月08日

果てしなく続くレッドのチャレンジ / 個+サークル

お爺ちゃん、つまりはお舅さんは北海道にお友達が沢山居てしょっちゅう北海道へ行く。

前回はお婆ちゃんを連れて行ったが、今回はいつもの通り一人で行くとのことだった。多分、お婆ちゃんの風邪が治ったばかりだからというのもあるのかも知れない。

それはともかく、「土曜日におみやげのホタテと蟹が郵送されて来るから食べろ。」と聞いたのがつい数日前だったので「・・・・・・・・。」。

え、えーと。旅行はいつから行くのですか?

「土曜日からだ。」

珍しいおみやげのやり方だ。もう行く前から北海道の友人に頼んで送って貰うらしい。

でもって、私はホタテだの蟹だのエビだのタコだのと聞くと少し憂鬱になる。

生きたまま送られて来るものを通常喜ぶはずなのだろうが、私、ずるいの。自分で殺したくないの。食べるくせにね。

茹でるときにギャーー!ごめん!本当にごめん!こうして生きて来ました!すみません!って感じ。・・・・・・・・・・・。でも、美味しい。

かくして土曜日はやって来た。

幸いにもお婆ちゃんの得意技でホタテをこじ開け、綺麗に身だけを渡してくれたので、私はそれを受取ってバター焼きにするだけだったので一安心。

と思ったら。

手のひらいっぱいのホタテの身を一つ軽く握ってフライパンに入れようとしたら、そいつがグニュー!と伸縮した。

わーん!まだ生きてる!想定外だ!だから嫌なんだ!

と騒いでいたところ、お婆ちゃん曰く「そやで。こうして貝の殻をこじ開けるときにもな、貝のやつが『絶対ひらかへんで!』って物凄い抵抗してんのや。で、毎回、あたしの勝ち。」。

そう言いつつ「ほれ、次。」とまた生身のそれを渡されて手のひらでまたグニュグニュ!&「ぎゃーーー!」。← でも、焼く。

刺身やらバター焼きが出来あがる頃には、ハアハアゼイゼイ言ってしまい、あまり美味しいとは感じなかった。

のだけど、普段は誰かがいつもこれをやってくれて、スーパーで買ったりレストランで食べたり、修羅場も意識せずに「美味しい。」とぱくついているわけだ。

でも、食べる。

私は、第一チャクラのカラーであるレッドの、サバイバルの意味を、克服し切れていない。

でも、食べる。

そこにはいつも罪悪感のようなものがつきまとう。

でも、食べる。

野菜だって水だってサプリメントだって薬だって同じこと。

動かないからとか、声を出さないからとか、自分とは違った形態で共感しにくい命だって同じこと。

色んな命を沢山いただき、あるいは、色んな人々の沢山の費やされた時間や労力をいただいて生きている。

そして、同じく色んな人々の手が携わった建物に住み、作られた道を歩き・・・・この物質世界で生きている。

詳しく見て行くと、レッドは苦手だ。

でも、少しづつ少しづつ両手を広げ、受けとめ続けている。

それは少し苦しくて時々胸がドキドキするし、その意味も分からず受け止めようともしないずうずうしさや甘さを持った人を見ると投影を起したりもする。

が、受けとめている。

この人生の全ての過程を。

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今日のセカンドDは、これもまたよくあることなのだが、偶然同じ職業の方、しかも同じ年齢の方が巡り合う。

テーブル向こうは保育士さんペアでこちら側は看護師ペアという状態になっていた。

いつもあたりまえに思うことがある。

それは”個”の素晴らしさ。

個の欠点を見るのでは無いし、元々そんなものは無い。

あるのは果てしない可能性と、協力し合うことによって伸びるさらなる可能性だけ。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2009年11月07日

二人きり / 尽くされる人事と猫事

あれは、まだ冷房が必要な夏の終わりだったと思う。

その時期の白ちゃんは、一階のフロアの涼しい場所で私を待っていた。

私が来るとすぐに一緒にあがって来ようとしていたが「30分くらいしてからが良いよ。その頃冷房が効いてると思うから。」と言うと、またアンティークのイスの上で眠り出し、言われた通り、30分くらいすると3階の事務所にあがって来ていた。

そんなある日、仕事で傍を通りかかった夫が「ちょっと寄って良い?」と電話でアポを取って訪ねて来たのだが。

三階にあがって来るなり「ちょっと。あいつ、下で寝てたよ。」と言う。

動物が苦手というより嫌いの域なのだが、非常に興味を持ち始めた昨今、白ちゃんの表情や動向が不思議で仕方がないらしい。

そんなこたぁ知ってるよ。これこれこう言うわけなんだよ と話したのだが「またまたそんな。」と言われて終わりだった。

そして今日の午前中、まだ私が家に居て」家事をやっている時間帯に寄って良い?と電話が。

まだ家だっちゅうの。

「何?まだ家?もう9時だよ。俺なんかもうふた仕事くらい終わってるよ。」と言われるのだが、あのなあ、この生活の中で家のことやれるのって午前中しかないだろ。カルテ書きだってあるんだからさ。全く何で女ばかりこう仕事が多いのか。

うーん、じゃあ、あともう少ししたら行くよ。と事務所で待ち合わせしたのだ。朝もまだ暗いうちから弁当持たせて出て行った人ともう待ち合わせである。銀座や渋谷へ行って帰って来た後だと言うから驚きなのだけど。

ところが、私の方が着くのが遅かった。

まだ駅に居る頃再び電話がかかって来て「は、早く来て。猫畜生と二人きりなんて耐えられない。」とのこと。

良いから私が着くまで昼寝でもしてれば?と言いつつ、寝ている隙に夫に忍び寄る白ちゃんを想像しては笑いが漏れた。

「む、無理に決まってんだろ。こんなのが居るところで寝れるか。」

寝れるって。

でもって着くと、案の定、どこででも瞬時に寝れてしまう夫はソファーでグーグー。そのすぐ横で白ちゃんも寝ていたらしい。

コーヒーを入れる間も睨み合っていて非常に面白い光景だった。

「猫畜生め。」と彼が言うと白ちゃんも「にゃんにゃんにゃ。(熊畜生め。」と言い返しているようだった。

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今日、Sさんとセッションしているときに、辛いことを思い出すような話題が続いてしまったので、自ずとSさんの全身から悲しみや不安や色んな感情のオーラが立ち上っていた。

出来事としてはもう遠い昔に過ぎ去ったことなのだけど、今、Sさんは振り返り、整理し、学んでいる。時には立ち向かっている。

何としてでも前に進もうとしているのだ。

すると、白ちゃんが何度もSさんのところへテーブルを横断して抱っこされに行く。

いつもだったら私の隣のイスで寝に入るところを、何度も伸びあがってはSさんを見て、抱っこされて穏やかになるとまたイスに戻って来て寝ようするのだが。

再びSさんの顔色が優れないとテーブルを横断して抱っこされに行く。

何度も何度も慰めようとしているようだ。

白ちゃんなりに考えて、今度は私の方へ抱っこされに来る。「おい、おまえ、もう悲しくなるような質問をするなにゃん!」と言っている。そうそう。よくあることなのだが、クライアントさんが涙を流すと私がいじめていると判断するのよね。

何回目かのとき、私に抱きついて来ながらも、柔らかい肉球で私の頭をポカポカ!と叩いたときには、Sさんと二人で大笑いした。「いい加減にしろにゃん。」と言っているのだろう。

人間にもこういう人が居るなあと思う。

事情の全てが分からなくても、慰めたいとか守りたい、だから行動する。笑顔に変わるまで何度も確認する。

白ちゃんの場合は、自分が抱っこされると抱っこする人が笑顔になるのだな、癒されるのだなということを学習した。
だから、ひたすらこの方法をとっているのだろう。

心配症の猫、白ちゃんは、今日もフワフワで真っ白だった。

それはまるで今日のSさんとの話題でも出て来た、親を守ろうとする幼い子供のようだった。

また、ある瞬間には、白ちゃんの表情が母親のようなまなざしを放ち、Sさんがあどけない子供のようだった。

そんな光景や人間や猫や、全てのことが優しくて、一生懸命で、愛しいと思う。

ありがとう。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2009年11月06日

信頼 / 幸いな原因不明

先日、いつもの予約とは別途お電話がかかって来てちょっとした確認をなさった方がいた。

かかりつけの病院での先生とのやり取りの様子を聴かせて下さったのだ。

大分考え方が進んで来た今の時代でさえ、患者さんにとってはドクターは権威の象徴なので、アドバイスや質問に逆らってしまうとどうしても不安になる。

ところが、そのアドバイスを発信するドクターの方も実はアドバイスしている相手の方のことをよく知らなかったりする。診察時間がどうしても短くなるので知る由もないことが多いのだろう。
もしくは、患者さんのエピソードより自分の経験や知識に頼るタイプの人とか。

そして、患者さんを知るにはあまりに忙し過ぎるってのもあるかも知れない。。

まあ、だから「こういうのどう?」と訊いたりもするのだけど、こう言った諸々の事情を患者という立場の彼女は充分理解出来ていた。

でも、それでも、「それは嫌です。」と拒否するのには勇気が要る。

精神科ですらそうなのだから一般の病院となるともっと症状のみの情報になってしまうのだろうなあ。(だからこそ、ドラマ『ドクター・ハウス』の診方は凄い!)

でもって、彼女はその様子をわざわざ私に電話して話して下さったのだが、私としては「ナイス!」と思った。

ころころと主治医が代わる病院ってのも手伝って、この場合、彼女の心の状態を一番知っているのは彼女自身なのだ。

ので、「偉いなあ。」と思った。

しかし「そういうのにいちいち逆らっている私がいけないんですかね?」という確認も兼ねた電話だったのだ。

確かに全てを拒否するのなら病院へ行く意味が無いのだけど、彼女のように一本自分を持っているけれど、尚且つ他の考えも取り入れて見るという姿勢を忘れない人ならば大丈夫だと思った。


人にはその人なりのやり方がある。
スピードすらその人がコントロールしている。
数々の事情がある。

そんな中で折衷案を出して行くのが理想ではあるけれど、身を任せている相手が自分の話を把握していないと思ったその時は交渉に乗らないってのもありではないかと。

もしも今がうまく行っていなかったら、それは自分の考え方ややり方を変えた方が良い。

でも、そのペースを考えたり主導権を握っているのはあくまで本人なのだと思う。

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先日のセミナーの初日に左側の喉が腫れてしまい、「ああ、やばいなあ。」と思っていた。

子供のころ、「扁桃腺が大きいから切った方が良い。」と先生や大人たちに言われて「ぜってぇ、嫌だ!」と逃げ回った。

そんな頑固者だったので、それから大人になってからも喉を腫らしやすく、その度に高熱を出していたのを思い出す。

喉が腫れたら熱を出すか、さもなくば、抗生物質が無ければ無理!というジンクスが出来あがっていた。ジンクスというより普通のことかと。

今回久々に腫れちゃった朝も、「ああ、久々にやっちゃったなあ・・・。」と思って、一瞬自分の病院のフロアが脳裏に浮かんだ。

セミナーに遅刻して抗生剤貰って来た方が良いかなあ・・・。

が、思い浮かべたそのフロアーは相当混んでいた。← こういうときは本当に実際に混んでいる。

ので、結局のところ直でセミナーへ向かい、代わりと言っては何だけど、とあるレメディを買って飲んだ。
昨年風邪をひきかけたときに数時間で楽になったことを思い出したためだった。

さらに、講座を聴きつつ、左手を頸部のリンパ線あたりに当てて過ごした。レイキかけながら授業を聴いていたわけだ。

すると、一日で腫れがひいてしまった。

今まで「喉まで行ったら一回寝込まないとダメでっしゃろ?」というのがあったので、いたく感動して、後日、K子さんに話した。

「エキナセアって、あれ凄いねー。」と一部始終話していたのだが、途中で気がついた。

K子さんに「それ、レイキの方が効いたんじゃないの?」と言われて「あれ?うん。そうかな?」という感じ。

もっとも、よくよく考えてみれば、オーラソーマを塗ったり、夏から例の謎の薬草飲んでいるし、いったい何が良かったのか?分かんないってな状態なのだが。

それから数日後、今度はうちのお婆ちゃんが風邪をひいた。酷い咳が出て苦しそうだった。歳を取ると治るのに時間がかかるんだよね。しかも、婆ちゃんも喉のようだった。

「病院の薬はちゃんと飲んどるんやけどねえ・・、げほげほ!こんこん!」

レイキは説明不能そうだったので、エキナセアを飲んで貰った。

一日経過して訊いてみたが、同じく「げほげほ!こんこん!」。

二日目は訊かずとも分かる。「こんこん!こんこん!ずびびびび!ずばばばば!」いかん。鼻水も酷くなっている。

かと言ってレイキをあてるために直接触らせて貰うにも照れくさく、例によって説明不能。さらに言うと、喉をそんなに長い時間触らせてくれるわけがない。

普段無愛想な嫁がいきなり「肩揉みましょうか?いや、首触らせて。」とにじり寄って来たら不気味でしょう。

一瞬、変装して孫の振りをしようか?とか、陰陽師でも習って式神でも使うか?とか色々考えてしまったが、遠隔ヒーリングが一番無難だと気付く。←普通先に思いつかないか?

で、気持ち的になるべく近くでやりたかったので、同じ居間のテーブルでシンボルを切ってお婆ちゃんの名前を唱え自分の首を触り始めた。

ずっと背後の方でラジオ聴いていると思った婆ちゃんが「あんたぁ・・・。今、何やった?具合でも悪いんか?」と言う。

見てたのね。そりゃ、頭疑いますよね。でも、放っておいて下さい。

こうして気のふれた人容疑がかかったものの、その後、何と翌日には「咳が止まった。息が楽やわ。」とのこと。

この実験によって、効いたのはレイキと実証・・・・出来たと思ったその時、婆ちゃんがエキナセアを飲んでいた。

・・・・・・・・・・・・。何が治したなんてもうそんなことはどうでも良い。

要は自分でも出来ることのレパートリーが増えると何となく自立的で楽しくなる。

でもって、世の中には自分で何とか出来ることも沢山ある。誰もが知恵と手を持って生きているから。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2009年11月05日

人間だもの&猫だもの

急激に気候が変化したかと思えば、明日からはまたしばらく暖かくなるとのこと。

元々身体症状を伴っているクライアントさんが当日来れなくなったりもする。

キャンセルは困ると言えば困るのだけど、あんまり無理しないで正解だなあと思う。

頑張る人って疲れること自体や仕方のない体調不良にさえ罪悪感を感じてしまうものだ。

でも、身体という器の中に住まっている限りは、その身体を使えば疲れる。

働いても疲れるし、その仕事が好きな仕事であっても疲れる。

遊んでいても疲れるし、さらにさらにあげて行くと、実は”休む”とか”眠る”ということにすら、私たちはある程度のエネルギーが必要なのだ。


そう言えば、オーラソーマで、レッドが使われたボトルやポマンダーなどの解説に「夜は使わない方が良い」と言う解説が使われていることがある。

それは、レッドというカラー自体がエネルギーを与えるカラーなので、人によっては、夜に使うと眠れなくなってしまうことがあるという理屈だった。

ところが、私のクライアントさんのうちかなりの数の人がディープレッドやレッドを使うとかえって良く眠れると仰っていることに気がついたのが数年前。

その時に気がついたのだが、その方々は皆慢性的に疲労している人々で、鬱の人も多かった。

眠ること、休むこと、そのためのエネルギーですら枯渇するほど頑張ってしまう方々だったのだ。

その原因をカウンセリングで聴いて行くと、皆、疲れることは悪いことだと言う概念を無意識に抱えていた。

大概は幼少期の親御さんのしつけが厳しかったとか、もしくは弱ったところを見せてはならないという強迫観念を持ってしまった例だった。

でも、身体も心も疲れるのはあたりまえ。それは弱いからじゃない。

そして、疲れるのは単に鍛えて来なかったせいというわけでもない。逆に、疲れることや弱ることを微塵も許して来なかったから。

ので、疲れる自分を「ああ、疲れたのだなあ。」と許し受け止めいたわって欲しいなあと思う。人間だもの。

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仕事をしているとは言え、白ちゃんと長く一緒に過ごせて嬉しいなあと思う。

猫好きの方々の多くが、愛猫と接するときには実に面白いことになってしまうものだが、私も負けてない。

白ちゃんに向って、日々色んな褒め言葉を連発したくなるのだが、昨日なんぞは「よ!素晴らしいキャットウォークだね!白ちゃん!」。

だって、猫だもの。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2009年11月04日

感謝 / メンテ

通常業務に戻って早二日目。

セミナーのために少々カウンセリングをずらしていただいたりしていたので、少々詰まって忙しい。

のだけど、ありがたいなあと思う。

皆さん「行けて良かったですねえ。」と言って下さるし「どうでしたか?」なんて訊いて下さる。

私も先方を応援しているのだけど、ここのところ改めて応援していただけたり協力していただけることのありがたさを感じることが多い。

皆、それぞれに必死で自分のことに取り組んでいるからこそ、余計にそのお心使いの、中身のある重量を感じるのかも知れない。

そして、自分に取り組んでいる方々の心の使い方は何故だかちっとも重くない。いくら両手を広げて受け止めても重くない。

それどころか、同じ種類の燃料なのだろう。そのまま自分の原動力に換えさせていただけていることに気がついてさらなる感謝がつのる。

ストーブには灯油で車にはガソリンを使うように、人それぞれその時々で必要としているエネルギーがある。

そしてレイキで言うところの宇宙エネルギーってものは、尽きることなくこの世界を回っているのだなと、ただ何となく自然に腑に落ちる。

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久々にレイキをあてた友人の第3チャクラが健康だった。

気候やらその日のコンディションによって他のチャクラが固まったりすることはあるかも知れないのだが、中心が大丈夫ならば他はその時々で簡単に調整できるだろうなあ。

もう大丈夫。と、そう思った。

Mさんのマッサージで正中線が整ったのかな?と色んなことを想像するのだけど、とにかく治ればそれで良い。

でも、思うに、調子が悪い最中でも一生懸命自分と向き合って、色んなワークをしたりしていたご自身の力なのだろうなと改めて思う。

友人はその時々で「Mさんのマッサージを受けてみたい!」とか、あるときはレイキ三昧だったり、心と向き合ったり。

こうして振り返って見ればその時々で自分に必要なことを上手に取り入れていた。

そして、メンテを学んだ。

ここが偉いところなのだと思う。

通常人は弱ったときに強くなりたいと思うもの。

それは良いのだけど、人間は弱い生き物なのだ。何たって身体という乗り物の中に住まっている魂なのだから。

でも、それを理解した人間は強い。今までの何倍も強くなれる。

一度骨折した骨が強くなるように、何かを煩って抗体が出来るように、弱さを知った人間は何倍にも強く優しくなれる。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

2009年11月03日

木枯らしに乗って / 成果 / 夢

夜。

自宅近くの駅に辿り着き、自転車で家に向って走り出したときの町はとても静かだった。

見事に凪いでいた。

最近、一雨一雨ごとに少しづつ寒くなって行くのを感じていた。

そしてまたある時は一雨一雨ごとに暖かくなって行く季節もある。

それは”そういう時期”だと言うだけでの話。

大きな季節の動き、大きな地球の動きに抗って無理に動いても仕方がないのだが、時々思う。

人って、無謀にも自分ではなく他人や季節や環境を動かそうとする生き物なのだ。

やたらめったらにバタバタする。

もちろん、そういう時期と言うのは周りを見ているようで見れていない。
自分を見れていない時期というのは、同じく周りのことも見れていないものなのだった。

そんなことを思い出しながら自転車を走らせているとき、突然静寂を破って町が騒がしくなった。

それは、私のずっとずっと背後からやって来た。

最初は遠く遠く遥か彼方からの小さな風の音だった。

が、段々迫って来て私に追いついて来る。段々大きくなって来る風の音で分かるのだ。

何だ?何だ???と、全く見当もつかずに、ペースを崩さずにゆっくり走っていたら、とうとうそれに追いつかれた。

凄い突風だった。

一瞬、台風でも来たのか?と思ったが、冷たい風で気がついた。

木枯らし一号だったのだ。

が、こんなふうに一瞬で季節が塗り変わる瞬間というのを始めて感じてビックリするのと同時に感動が。

身を任せていたら、枯れ葉や霧のような雨粒を含んだその突風は、思いきり私の背中を押してくれた。

すっごいな、これは楽だな♪と思っているうちにあっと言う間に辿り着いた。

冬の将軍は、ずいぶん長い体長をしているのね。帰り着いた後も尚しばらく風が吹き荒れていたから。

その後、しばらくして帰り付いたお爺ちゃんは、寒かったはずなのに、「うっひょおー♪いやいやいやー♪」と言いながら玄関に入って来ていた。

多分、お爺ちゃんも疲れた岐路を冬将軍に押して貰いつつ帰って来たのだろう。

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今日、Tちゃんとこの一年間の間の変化をシェアリングする機会があった。

大きく大きく変わったと思う。

不必要な学習を手放してハッピーな思考になっているというシェアで双方一致して嬉しかった。

よくぞここまでコツコツと頑張って下さったものだと嬉しくなった。

いつも逃げない、いつもあきらめないTちゃんだから、それは当然と言えば当然の結果なのだけど、今までのあれこれを思うと、やはり、あきらめないって素晴らしいと思った。

その時々では、自分が何をやっているのか分からなくなってしまうようなこともある。

が、そんなときでも、目の前の事と一つ一つ向き合い、一つ一つ何かをこなして行くということは、こんなにも大きな結果を生む。

少し夢の話が出た。

夢分析をする時間はなかったが、実に明確な夢だなという印象だった。きっと、逃避や抑圧が少ない人なのだろう。

夢は、彼女が辿り着いた地点を的確に分かりやすく、彼女に示唆してくれていた。

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夢と言えば、私も朝方面白い夢を見た。

事務所にRさんがセッションにいらしている場面で非常にリアルだった。

そしてお茶を用意している私の背後で「白ちゃん、ふえましたね。」と仰る。

ええっ?白ちゃん、太りましたねってのは良く言われるけど、”ふえましたね”ですか???

振り返ると、そこに毛の長さや目の色が少しづつ違う四匹の白ちゃんとRさんが居た。

たったこれだけなのだが、非常に分析しがいのある夢だなと思った。

夢に出てくる人物や動物や風景は全て、自分自身を表しているということを思い出せば、どうして私はRさんの姿を借りていたのだろう?とか、どうして白ちゃんが四匹?ということの答えが容易に出る。

あれは、色んな時代の自分。

そして、4という数字を数秘術で見ても面白いと思うのだ。

自分一人で分析した後、そのうち誰かセラピストさんに手伝って貰おうと思うのだが、今の時点でも充分面白い。

4というのは、何かを基礎とする4隅。建築という言葉が浮かんで来る。

色んな時期に色んなことがあって、要らないものを手放したりアレンジしたりと、少しづつ姿が変わって来たけれど、基盤は揃ったのだなと思う。

その上に何を載せて行くのか?ということは、また楽しんで考えるとしても、この4つの点を定めるその日まで、やっぱり人は動き、何かをしていた方が良いのだということを漠然と思う。

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今日もありがとうございました。

良い1日でありますように。

2009年11月02日

天国生まれ

セミナーの二日間が、瞬っ!と終わった。

と思うくらいあっという間でもあったのだけど、同時に一瞬一瞬、一コマ一コマが永遠のように感じられてもいた。

知識ではなくて、今、何かを感じているのだと思う。

その意味を言葉に変換するには多分もっと長い時間が必要なのかも知れないけれど、何か大きな意味があったのだなと思う。

自分一人だったら行かないセミナーだったかも知れない。一度間が空いたり離れたりすれば、それきりになっていたかも知れない。

日常には充分に自分の心のスペースを埋め尽くす事柄があるから。

どこへ行く必要もないし走る必要もない。

でも、ただ心に「学びたい」という気持ちがあって両手を広げてさえいれば機会は必ず与えられるのだなと改めて思った。

それを天使のせいにしても全然違和感はないのだけど、そのうーんと手前に、生身の師が存在する。

ありがたいなあと思う。苦労して、楽しんで、色んなことがあって、得て来た知識を惜しみなく分かち合っていただけることのありがたさ。

どこへ行く必要もない。

が、その気持ちで一歩踏み出すと、まだまだ沢山好きなだけ、上に何かを載せるスペースがあるのだなと言うこと。

それが学べるという喜びなのだと思った。

感謝と収穫の二日間だった。

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スムーズに移動したかったのだが、今日降り立った駅は物凄い人混みだった。

延々と続くお祭りのお店。たこ焼きや金魚すくいや小物屋さん。

こんなに近くに住んでいて、このお祭りの中を歩くのは初めてなのだと気がついた。

もっとも、たまたまセミナーで行った日がお祭りにぶち当ってしまっただけで、朝も夕も、ランチに行くときも通らざる得なかったんだけどね。

通常、私はこういうアウエイなこと嫌いなんだよね。

例えばセミナーに行くならば行くでセミナーだけで帰って来たい。

その進行を立ち止まらせたり足止めするものがあるならば、いつもそれをブロックと解釈してしまう。「ええい、邪魔するな!」と言う感じ。

でも、お祭りはお祭りなんだよね。いつも決まった時期に開かれているだけ。そして、いつものように人が集まっているだけ。ブロックじゃないし、アウエイなのは、そこに存在する私。

そんなことを思いつつ、人混みの中を歩いていたら、何だか段々楽しくなって来た。

特に昼休みのランチに向って先生を含む4人で歩いているときに。

皆笑っていたし、道端でたこ焼きを食べている親子やカップルたちも、連れられている犬さえも、皆、皆、ハッピーだった。

ブロックじゃないのよね。皆、天使だった。

出会う人々も、その場の状況も、全ての事柄が、天からのギフトだった。

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この二日間は、何だか、物凄くピュアな人々の心に触れさせて貰ったなあ〜と思う。

あたりまえなのだけど、皆、本気なんだな、マジなんだな!と感動してしまった。

あたりまえだけど、あながちあたりまえでないの。何一つ本気でやらないのに、その副産物や報酬だけを求める人々も存在するから。

例えば、オーラソーマのコンサルで四本のボトルの関連性を見るように、椅子に座っているとき、ある人とある人との間に存在するリンクが沢山見えた。

こんなとき、人って本当に面白いのだなと思う。同時に、本気でピュアで美しく豊か。色んな経験の中に一人一人、自分の花を咲かせている。

私は、色んなセミナーに行った後、割とスッと帰って来ることが多いのだけど、この日は何か大きな意味やギフトや感謝を感じて、皆で連絡先を交換して帰って来た。

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夜が更けて、白ちゃんに御飯をあげに事務所へと。

白ちゃんが色んなことをニャンニャン言いつつ駆け寄って来る。

どこかに出かけるとき、唯一これだけがストレス。

ここに来ることがストレスなのではなくて、いつも会える時間に会えないことがストレスなのよね。

でもって、余計に白ちゃんとの出会いというギフトの大きさを感じている。

感じられるって素晴らしく幸せなことだと思う。

そこに在るものに気がつけるから。


時々、思うことがある。

動物好きで猫や犬と暮らしていても何らかの理由で幸せではないという人。

お金があっても何かしらの文句を言って幸せではないという人。

職があっても幸せでない人。

結婚していてもしていなくても幸せでない人。

ご飯を普通に食べれても幸せでない人。

友達が一人いれば二人欲しい、100人いれば101人欲しいとか、皆に好かれていたいとか・・・・。

子供が欲しくて子供を持てれば、次は「良い子になって欲しい。」とか「勉強が出来る子になって欲しい。」とか。

貪欲で、業突く張りで、自分にも他人にも、要求ばかりが果てしなく、そこに終わりはない。

この調子で行っている今が幸せでないなら、この先何を得ても幸せではないだろう。

それは何故なのか?と言うと、どんなにどんなに得ても、貰っても、施されても、それを感じられないし、何より、”自分で”感じようとしないから。
今の幸せを見よう、今この瞬間を幸せにしようとしないから。

感じないものは、その人の中で、無いも同じだから。

逆に言うと、目を開けば、はじめから、そこに在る。

ひとつひとつ感じるだけで。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。