テーマ 依存しない愛
アフォメーション 私は呼吸のたびに愛を吸い込み、私は呼吸のたびに愛を吐き出します。
先日もこのボトルが該当する日があったので書いたけれど、私にとって鮮烈なボトルだった。
使い始めたときも、ちょっぴりビックリしたけれど、このボトルはシェイクするとコーラルになるんだな〜ということを改めて思い出す。
当時、丁度、コーラルのワークをしていた頃だったので、こうして後から思い出しても右脳って信頼に値するのだなと感心してしまう。
例えば、タロットでは、B22のボトルは「目覚めた愚者」と呼ばれている。
B0の「愚者」は、B22に向かって、自分への旅を始める。
彼が学んできたことと、彼の知識を与えることとを通して自己を高めるとき、彼は生まれ変わり、目覚める。
私の中のインナーチャイルドは当時、と言っても記憶に新しい先日、0から歩き始め、このボトルへ向かい歩き始めたのだなと思う。
そして目覚めた。
と書いていて思う。
目覚める時期というのは人が決めるものじゃない。
及びに、どんな自分でも目覚めさせられるものでもない。
必要な時期に必要な部分が必要な自分を使って目覚めるらしい。よほどでなければ放っておいても良い。
要するに流れのままで良いということ。
いつかこのボトルをまた選ぶときが楽しみでもある。
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先日、Wちゃんに一つ、二つ、三つと嬉しいことが起こった。
それは良かったね〜とお返事してその後、お会い出来たのが今日。
のだけど、彼女曰く「眠れなかった。」とのこと。
そしてその後、少し先のことを考えて、「きっとこれからはうまく行かない。こうは行かない。」と思うことで落ち込んで、それを期にぐっすり眠れたというのが昨日だと。
それを聴いていて、一生懸命に一つのことをやっている彼女が微笑ましく思えた。それだけ真剣なのだなということ。
もう一つ感じるのは、この傾向を持つ人は実に多いなということ。
嬉しいことがあったりうまく行ったり、人に褒められたりすると丹田が浮いたままで落ち着かないとか。
それを落ち着かせるために無意識は逆に不幸な予測を立てたり、人によっては予測や想像だけではなくて何かを起こしたりして落ち込んではバランスをとっている。
人が成長するとき、変化していくときというのは、こうして、意識と無意識の綱引き状態になるので、一時的に不安定になったりもする。
でも、一度歩き出したからには、その綱引きは前向きなサイドの勝利となる。
これまた、流れに任せて、好きなだけ喜んだり落ち込んだり、そんな自分と付き合いつつ、少しづつハッピーに慣れて行けば良い。
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今日はダブルK子さんの一時があった。
お名前の漢字まで同じ。
互いに「珍しいですね〜。」なんて仰っていた。
名は体を表すというけれど、どこか共通点があるような気もする。一点だけ確かなことは、二人とも荒行派だなあ・・・と感じたりもして。
で、その片方のK子さんが話して下さったエピソードで印象的だったこと。
レイキのサードDの受講が終了した後、世界がハイビジョンになって花が美しかったとか・・・、ここまではよく耳にするお話なのだけど、その後のもう一つ。
その夜にシンボルを練習がてらに自分にかけまくていたところ、かなり大きな塊が喉に詰まった!と。
ええっ?!って思うじゃないですか。
すかさず、その塊は外から入って来た感じ?それとも、内側から喉まで出て来た感じ?と質問して見ると、「中から。」と答えて下さった。
だとしたら浄化の過程だ。
でも、一番強いシンボルをかけまくって一気にやろうとした状態だったので苦しかったらしい。
そこまでの大きなものを一気に上まであげてしまうほどのパワーに、まずは驚いてしまった。
一般的に一番多いのが、少しづつ要らないものを溶かして行って、自分にすら分からないか、かすかに分かる程度の方法でやるのがレイキの浄化だったので。
あっけらかんとして「ちょっとづつにします。」と仰るのを聴いて、笑うところじゃないのに、ついこらえきれず笑ってしまった。
今日は先ほどの話にも着地する。
綱引きは少しづつ。
それで充分。
気がついてしまったからには、どんなに後戻りしようとしても、必ず前に進むから。
一回目覚めて、歩き出したからには、いつどこで欲するままに何をしてても進むのだ。
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テーブルの上に置いてある小さな包みを見つけた夫が「何、これ?」と言う。
毎度のことながら、何か新しいものが置いてあるとすぐに見つけるな。
で、それはK子さんのおみやげで、京都の黒七味だと答えたところ、長女くん現る。
実は、長女くん、昔っから七味好き。いや、七味だけでなく、一味も大好き。要するにとんがらし好きなのだ。
さらに言うと、七味や一味が好きな人と言うだけなら、山ほど居るが、長女くんのそれはもうフェチというのかマニアというのか。
時にはマイ七味を持ち歩き、社員食堂などで活躍させは周囲を驚かしているらしい。「そーーんなにかけるんっすか?」と。
なもんで、黒七味なんて聞いた暁には「わー!何それ?!京都のやつ?!凄い凄い!」となってしまった。
それは良いんだけど、
「それじゃお父さんとみーちゃん、俺らで半分こするか!小分けになっているぞ!しかも偶数だ!」と、良い歳こいた大人も一緒に騒いでいる。
・・・・・・・・・・・・・・。家で皆で使おうと思ったのに、お父さんと長女くんとで山分けにして、頭から♪マークをいくつも出している。「ぜってぇー、深くお礼言っといてね!」
は、はい・・・。
「くれぐれもだよ!何たって、これ、七味なんだからね!しかも小分けパック!」
分かった、分かった。
私も嬉しかったのだけど、K子さんからそれをいただいた瞬間の自分を引きのカメラで回想してみると、
「あら。どうもありがとう。」と、ごく素気無くいただいてしまった気がして、非常に自分が恥ずかしくなったくらい。
私も最近、小さなことで喜び、幸せになれるようになったと思っていたんだけど、まだこの方々のように絶叫して七味を喜ぶところまでは行っていない。
まだまだらしい。
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今日もありがとうございました。良い一日でありますように。
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