遠方故、面談はおよそ3年ぶりだけど(考えてみれば、あちら方面から毎月いらっしゃる方なんてまさに偉業としか思えない!)、メールカウンセリングのやり取りはよくよく頑張られていた。
レイキをうちで取得なさるのは初めてだけど、一度余所でサードまで取得なさっていたとのこと。
まあ、レイキのスクールなんて今や全国各地にあるので近場で受けるのが得策だと思う。(それを言えばカウンセリングも同じか。)
でも、カウンセリングやレイキなどもしかり、余所でさんざん体験したことがある方が同じお題、同じ分野の名前がついているものをうちで再び受けて下さることが多いのも確か。
出会った頃はナースをなさっていて途中で保育を学んで、まあ何かと勉強熱心な方だというのは分かっていたのだけど、いつのまにかレイキまで取得なさっていたというのにも驚いた。
「でも、実感出来なかったし理解出来なかったですよねえ。」というのが今回の旅の目的だと話して下さって。
というわけでお題はレイキだったのだけど、まあ、この方も良い意味で変わられていた。いや、いつも言うけど変わったというよりは本来の自分に戻って来ているのだろう。
ヒーリングというものも心理学というものも何かを足し算するためのものじゃない。
荷物でしかない情報の山や人の言葉、囚われていたルールを一つ一つ取っていく引き算のようなもの。
数年前から断舎利なるものが流行っていたけれど、元々あれもヨガをルーツとする考えで、引き算と手放しを実行するうちに本当の自分に戻るというワークの一つ。
言うなればレイキとはエネルギーの透析だとか、気の漢方みたいなもの。
人が輝くときというのは、何かのツールや資格を上乗せしたときじゃない。はたまた沢山の知り合いを作ったときでもない。
要らないものを取り除いて行ったあとにその人の本質が見えて来るときだ。
それはその人本来の色の原石。
はたまた昨今、浄化浄化というのだけど、浄化だけで終わるのだったらそれもまた意味がない。
何故なら同じ生活習慣、同じ考え方や同じ思い込みを持った日常生活に戻ってはまた同じ荷物をくっつけてしまうからだ。
浄化の後は原石の研磨が待ってる。
こう書くと、人が輝くまでってそんなに大変なのか?と思いきや、実際にはシンプル。
講座の途中、「前のところではそんなこと教えてくれなかった。」という言葉もよく色んな方に聴くのだけど、もしかしてそれはレイキという分野が果てしない分野なので、どの人にどの部分を教えて良いのか?どこが必要なのか?というのがティーチャーさん側にも分からなくなることがあるからなのかも知れない。
皆同じなんてあり得ないのにマニュアル化されることも疑問。
それはともかく、面談にまさるセッションは無いなあ〜、こんだけのやり取りをメールにしたら本一冊分くらいになってただろうなあ〜なんてことを思いつつ、目の前の人が笑う度にパーーッとオーラが光る様子を観ていた。
そして、心から嬉しいなあと感じた。
遠かったね。
もう一日あるけれど、遥々いらして下さってありがとう。
お会い出来て本当に嬉しかった。
あなたの本質、あなたのパワーが発揮され、多くの事、多くの人を照らしますように。
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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日が あなたにとって良い一日でありますように。

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