2014年01月24日

誰にコミットするのか?

今から数えるとすると、おそらくは十数年前のこと。

私はそのずっと前からも病院という企業に勤める1ナースだった。

特に新人の頃から数えると、ショックなこと、感動したこと、泣いたり怒ったりしたこと。色んな体験を与えられて来た。20140123.JPG

そんなある日、あれは多分30代になったばかりの頃、ネットで日記を書き始めた。

要するに裏も表もない、ただその日自分が感じたことを綴る場所として機能していた。実は言うとその根本は今でも変わらない。

当時の私には、誰かに分かって貰うために描くとか、聴いて貰うために描くという認識はほとんど無くて、ただ自分の”本当”を吐き出す場所。そしてさらに言うとその姿勢と言うのは今も根本的には変わっていない。

共感を覚える人も居れば批判や拒絶を覚える人も居るのは当然のこと。

そして私はどちらのコメントにも、その人自身の体験が私の体験談に投影されているということを知った。

要するに人には幼い頃から培って来た道徳観念とか、人生脚本というのを無意識の中に持っていて、そこにあてはまっていないものを見ると心がざわざわしたり、時には怒ってみたりする。

はたまた肯定派の人々が心地良いのか?というと、全部が全部そういうわけではない。特に極端な例だと自分と私の区別がつかなくなっておかしな状況になっている人もいた。

例えれば今日は若き日のある日、まだブログなるものがなかった時代に「そうだ。書こう。」と自分ひとりで勝手に決めて書き出したこの場所のおかげで色んなことを体験させて貰った。色んなことを学んだ。

それは、誰かに許可を貰ってやったことではない。

この例に関わらず、私は「これをやってみよう。」自分の頭の中で決定を下して納得した上で行動するタイプ。

ところが世の中にはそうでない人も圧倒的に多く、とある見習いカウンセラーの頃、一人の同級生(と言っても10個くらい年上だったかしらね。)に声をかけられて『一緒にやろうよ。』と言われた日のことを覚えている。

私が使う言葉をパクっているだけということにも気づかず、当時は”きっとカウンセリングに対して同じ思念や目的があって行おうとしているのだろう。”と勘違いした。ほら、当時の私、今よりもっと馬鹿正直だったから。

特に『俺も勉強して尾崎さんみたいにセッションやるんだ。』という言葉も決定打だったのだが、蓋をあけてみると、私のHPの画像も文章もコピーして広げるし、人との会話でも表面的な言葉だけを真似しているだけなので一向に成長しない。要するに勉強しない。

言っていることとやっていることとが違うってのは立派な病気でもある。それもそのはず、初めからこういうふうに言えば一緒にやってくれると思っていたという確信犯だったよね。

後に「えーとね、世の中ではそういうの、詐欺って言うんだよ。」と言ったこともあるのだけど、『いや、違うんだ。これは違うんだ。』と次の言葉を探しているようなのだけど、ええ、立派な詐欺なのよ。

極め付け、その場所をオープンする前に彼が血走った眼で何度も言っていたのは『仲間をつくらなきゃ。とにかく仲間を集めなきゃ。尾崎さん、知り合いを連れて来てよ。』ということばかり。

依存的な人の一番やっかいなところというのは、実は自分の依存的なお願いが叶えられないと分かる否や烈火のごとくお門違いの怒りをぶつけるというところ。

ああしてくれない。こうしてくれればよいのにってフレーズが多いともうかなりやばい。

例えば昔の自称鬱の友人などは、全ての家事を旦那様が引き受けていたのだが感謝するどころか『ちょっと!ちゃんとかけたの!?ここが汚いわよ!』と怒鳴りつけていた。いやあ、それを怒鳴る元気があれば自分で出来るだろう。

『私は引きこもりなのに、どうしてタバコ買って来てくれないのーーー!きー!』ってのも一緒。その元気があるんだから行けるはずだし、ましてや買って来てくれるのはあたりまえのことじゃない。

空っぽでそこには何もない。

しかも彼の場合は盛んに「7掛けにする?8掛けにする?」と何度も訊いていたなあ。要するにそれが目的だったいのはずぅっとあとのことだったが。
色んな美味しい話を振りまいて頭数を揃えれば、その30パーセントを自分の取り分として貰って生きていけるという感覚だったらしい。

仕事に限らず人の努力の上前だけはねて生きて行こうとする人は沢山いるのだけど、そのまま50代60代になってしまうと、こんな悲惨で訳のわからないことになってしまうのだなあ。

もちろん、その方とはほどなく袂を分かつことにした。

おそらくは唾を飛ばして得意の口上で自分が如何にかわいそうで私が如何に酷かったか?という美談だか吹聴に忙しかったと思うが、まあ、それは知らん。分かる人は分かるし、分からん人は分からんし、何より、やることがあったから。

少なくともこの世界では、自分で立とうという意志が持てるようになってから、あるいは自分に一本芯が通ってからってのが先。(もちろん一人ではできないのだけど鼻っから人を利用しようと思うのは論外で。)

たまたま心の世界を扱うとして、ではいったいそれを何のためにやるのか?ということが、その人と自分とでは大きくずれていたのだ(最後まで話しても分かんなかったんだけどね。)


昨今出会う人々でも良く何か夢を持ったとき、『まずは仲間をつくらなければ!』という人も居る。

でも、私の考えからするとそれは違うんだよね。

一人一人が違う人間で、でも何かを自分の考えで始めると自然と仲間が出来て来る。

この場合で言う仲間というのは決して自分と同じ人とか似ている人ということではない。

それぞれ色んな世界を持っていて、色んな性質を持っている。

例えば、私の場合は自分の足で立とうとしている人々のことを仲間と呼ぶ。方法とか立場とか職種とか全てが違っていても、その一つが共通している。

最初に自分ありき。

そんな人々が出会うとき、そこに大きなパワーが生まれる。

そんな話を『仲間が欲しいから、そう、仲の良い友達が欲しいからサロン開きたいのー。』と仰る方に『うーん、それは違うと思うなー。(もっとも、それが分かるともっと強い結びつきになるんだけどね。)』上記のようなことを伝えると『?なんか、それ、冷たい関係じゃない?助け合わないの?』と言われるのだけど、そりゃ助け合うよ。ただし、相手の立場や気持ちを大切にしつつね。

で、『助け合わないの?』という人に限って、実はいつも助けられる側で相手をゴミ箱にしていたり、依存関係のことを仲間関係だと思っている人が多い。

と言っても『誰に許可貰ったり、誰に宣伝すれば良いのかな?』という口上が続くこともあるのだけど。

その相手とはまず自分自身のことなんだよなあ。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日が あなたにとって良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | カウンセリング/ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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