2014年02月22日

怒りの機序と処理

色というのは思いの外その人に大きな影響を与えるもので身に着けるものや使う小物などからもそれが覗える。

もちろんオーラソーマなど、自然の鉱物やハーブから出来たカラーボトルを身体に塗り込めるというのは非常に積極的な方法なのだけど、何もオーラソーマをやらずとも日常にカラーは満ち溢れていて私たちは自然にそれに触れている。

いつぞやKちゃんがオープンセサミ的カラーの取り合わせのマフラーをして来てそれが非常に美しくて目をひいたのだけど、今日はペンちゃんの上着とバッグがその取り合わせになっていた。

もっともこのオープンセサミ。(向かって左)201401191.JPG

私もオーラソーマに携わる前は信じられないコンビネーションだった。何せ人生で調和とは人でも物事でも服装でも景色でも同系色で統一されているものだと思っていたから。

しかしそれでは新しい可能性は開けない。

過去人に嫌なことを言ったりやったりする友人とか、あるいは当時重度の鬱の人なども選ぶのは必ず同系色で、よく見られる傾向としては四本ともほとんど同じ色、しかも上下同じ色しか選ばない人も居た。

それはそれで美しいし何かの途上、プロセスを通過中なのだとしたらOKだろう。

でも、動こうとしない人、自分を変えようとしない人は、違う色の人間にしょっちゅう激怒したり不満いっぱいの人生を送っていることが多い。奥深いところで怒ってしまいには枯渇する。

人間という存在も色という光の存在なのだ。(特に夫婦関係などは補色関係だということも多い。)

それはともかく、新しいカラーにOKを出して行ったりそれを感じて行く人生、そのプロセスは何て美しいのだろうと、訪れる人にそれを目の当たりにしては日々感じ入る。

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今日もお化粧品のおみやげをいただいて狂喜するコスメフリーク。でも、色々と深い話が聴けて感謝。

人の人生というのは、必ず利点と弱点がある。

無理なく少しづつ、そして楽しみながらあなたの人生が色鮮やかになって行きますね。既に今が素晴らしい光線だけど。

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例えば公共の場で困ったことをしている輩がいたとして。ええ、これ、先月聴いたエピソードなのだけど。

私の場合はその輩に直接近づいて行って「ごらああ!」って闘っちゃうタイプで、お話してくれた方はどうにかしてくれるはずと信じている人の元へ走って「何とかして下さい。」と言うタイプだった。

怒りの出し方も人それぞれなのよね。一長一短。

「ごらああ!」のタイプの方は自らが危険な思いをするという短所があり、後者は自分が期待した通りに依頼者がやってくれないと「こうしてくれれば良いのに!ああしてくれれば良いのに!信じられない!」と困った輩以外の相手にも怒りを広げ、続いて他の人のところへ行って同じことを訴える。ここでまた自分の思い通りにならなかったとしたらまた怒り倍増。

しかし、後者の方はより大人で少なくとも身の安全は確保されるという利点があるのよね。

このアンガーマネージメント関係で、先日また面白い話を聴いた。

私は知らなかったのだけど世の中では子育てのエキスパートということで有名らしい某先生が私の知人に酷いことを言った。

それを聴いたとき私は「殴り込みに行ったろか?!」と思うタイプ。

しかし、それを聴いていたBちゃんは、「その人、何て名前?!」と涙を浮かべて某お母さんのために怒るというところまでは私と同じ。

でも、その後Bちゃんは「本屋に行ってその人の本の背表紙を全部反対にして来てやる!」と言ったので大爆笑した。

何て可愛いんだ。そんなこと考えつきもしなかった私は色んな意味で感心しつつ爆笑していた。

で、これもさほどの実害はない。要するに両者とも可愛い出し方だと思う。

けれども人は人、自分は自分なのよね。

人それぞれの解消の仕方があって、他人にはなれない。

だから、そんな自分の性質を理解した上で色んな方法をとって解消している人々のエッセンスを取り入れるというのも良いと思う。

要は自分の感情に責任を取ろうとすること。そしてそのやり方を考えて行くこと。

感情を抑え付けるばかりでない人生はきっと前より豊かで色鮮やかになる。

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2013年12月09日

浅瀬でも溺れることを選ぶという頑固もある

もう何年もの昔の話になるのだけど、今でも忘れられない場面がある。

同じ目標に向かってお付き合いを続けたクライアントさんとは、その目標が達成した頃になると、全員ではないが友達関係が生まれることがある。この場合で言う友達関係というのは双方が双方の立場を理解し合っていたり、例え違う立場であっても最低限の思いやりを持てるいう場合に限るのだけど。201312081.JPG

そう、どちらか一方だけに気を使わせることがあたりまえだったり、一つ何か心尽くしを貰ったらもっともっと蟒蛇状態になるような人だと普通の関係すら築けない。

腰を痛めて四つん這いになっている人の上に向かって走って来ては飛び乗って、全体重を乗せて「まるごと自分を受け入れろ。」ってなことをやられると誰でも「痛い。やめて。」と訴えるか怒るかすると思うのだけど、そこで「自分は幼い頃から苦労して来て今は病気なのに痛いだなんて冷たいじゃないか。」ってなことをやる人も多いわけで。

この飛び乗られる側を体験した方がカウンセリングへお越しになることも多々ある。

要は心のダイエットしろよって言ってやれ とでも言いたくなる。無駄な心の贅肉を抱えるのも個人の自由なのだと思うのだけど、そのまま他人にもたれ掛って来るなという話。そして、原則として体裁のために人に格好つけたり良い顔し過ぎるなということ。
自分の持てる分だけを持っていれば他人に依存する必要もないし、自分と同じ犠牲者を探して不幸比べをする必要もない。

はたまた歪んだ自分の色眼鏡で見て自分より幸せそうだと勝手に判断した赤の他人様にやつあたりする必要もなくなる。

心の贅肉が落ちると本当のことが見えて来る。そして自分のすべきことが見えて来る。

でも、多分若い時分には人を思いやる気持ちが持てなかったり、それが分からなかったりすることもあるのでそんな底なしの蟒蛇状態も多々あり得ることかも知れない。

それがこの人生を生きて他者と交流するうちに段々発達&成長を遂げて大人になり、やがては対等な付き合いを覚えて行く。

「辛いです。辛いです。助けて。助けて。」と言うのは得意だけれど何故辛いのか?ということを責任を持って考えられるようになる。

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ビックリした出来事というのは、とあるクライアントさんと懇意になって同じ目標に向かって順調に進んでいることのことだった。

その女性のお兄さんにあたる人が「あいつばかりずるい。僕のカウンセラーにもなって欲しい。」と仰った。

しかし、本人の抱える問題の中にこのお兄さんのことも関連していたので「家族カウンセリングだったらともかく、個人カウンセリングならば他のカウンセラーを選んだ方が良いと思う。」という趣旨とその理由をお話した。

特にこのお兄さんから彼女が受けたトラウマを思うと、私では不適任だと思ったからだ。

ところが彼は激しい嫉妬を示し、「僕の病気の方があいつの病気より重いのに酷い!」と怒っていた。あと「あんたのクライアントさんは主にどんな人がいるんだ?」ということも訊かれた。

たった数年前のことだったのだけど、やっぱり現在よりも尚一層カウンセリングという概念に対しての誤解が多かったので良い機会とも思い、「大半は仕事も家庭も第一線で頑張っている普通の人々ですよ。いや、むしろ自分の問題点に気が付いてやって来る方々だから、一般よりも知的な人が多かったりもします。」と答えた。

すると彼は心底度胆を抜かれたような顔をして「ええっ?!病気じゃないのっ?!病気じゃないやつが何でカウンセリングを受けることが出来たり、優しくしてもらえる権利があるわけ?」と声を荒げた。

これも大分誤解が垣間見られる突っ込みどころ満載の台詞だったのだけど、今のこの状態ではにわかに理解できることではなさそうだったから、それは横に置いておいて「病気じゃない人だって、悩んだり苦しんだりするんですよ。そう。病気じゃない人だって物凄く傷つくこともある。」とだけ告げたのだが

その時彼が言ったことは「ずるい。それじゃあ、何のために僕は病気をやっているんだ。」ということだった。

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人の心も身体も、無駄なことは一切していない。

何かの辛い症状でも幸せな状況であっても、困難であろうがラッキーな出来事であろうが、そこには、潜在意識が、何らかの目的のためにそれを維持させようという力が働いている。

要するに自分がやっていることだというのに、そこを見ようとしないから懸命に努力して笑って生きている人を叩きにかかる。

不思議なのは何もしていないのに、何かをやって来た人と同じものが自分の手元にないと怒り狂うケース。

一万人居たら一万ケース。

人それぞれ皆違う。

でも、一つ言えることは、どっしりと思い被害妄想を抱えたまま怒りのダイナマイトを背負って人に避けられる人はどこまで行っても避けられるということで。

そのトンネルを抜け出す人というのは、やはり「他の人はどうなんだろう?」ということを傾聴して色んな人の人生へと視野を広げて行く人のことだ。

ある時期、自己肯定感が低い人がトンネルから出ようとしないのか?ということを学んだことがある。

でも、これも千差万別。

妙な意味で特別な人でいたいという心理が、世界や他者を馬鹿にしたり舐めたりしている故、誰にも相手にされなくなってしまうというケースもある。

今日は、そんなダークな世界や無意識の悪意も知らず、一生懸命他者を背負っては弱ってしまった人の背中や腰にレイキを流すというケースが3件続いた日だった。

優しさやお人よし度が双方を悪化させてしまうことがある。寄りかかられて潰れてしまう側の人にもまた変容が必要な時期がある。

自分を大事に出来る人が他者をある程度までサポート出来るということは起こり得るのだけど、立つ気のないを背負うのは不可能なんだよ。

背負うのではなくていい加減にしろ!って言うことが必要な場合もある。

でも、人に好かれるためだけに生きている人にはそれが出来ない。

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201312082.JPG北風にブンブン揺らされながらも逞しく咲いている桜科の花を見た。

あらゆる枝という枝にこのピンクと白の可愛らしい花をつけていた。

こんなに冷たい強風にブンブン揺らされているというのに。

可愛い。でも、潔い。

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2013年10月24日

脳の旅

日が短くなって来たので夜のとばりが早く訪れる。

で、先日の日曜日、自ずと夫の仕事が休みで、比較的早くから台所で夕飯を作っていたのだが、TVで始まった番組を観て「おー!懐かしい!ダーゥインが来た!が観れるなんて!」と感激。

日曜日のこの時間に家に居るというのがここ数年滅多に無くて必然的に好きだった大河ドラマも何年も観ていないことを思い出した。

で、ご飯を作ったり一緒に食べたりしつつダーゥインを堪能。哺乳類の章が好きなんだけど昆虫がいっぱい出て来る回だったので多少引いてしまう場面もあったが、やっぱり命の神秘を垣間見る。

で、大河ドラマの方は今更観てもさっぱり分からないというか、観るなら全部観ないと嫌だという妙な気質故、無視しようとしたが、その前のCMでこのドラマの後にうつ病についての番組が放送されるというのを観たので慌ててお風呂に入り9時から観た。

丁度同じ頃、うちのカウンセラーさんのお一人も同じ番組を観ていたということが翌日あたりの教育分析で発覚して、ダーゥインの方のわずか一日足らずの寿命の虫たちが懸命に使命を全うして死んで行く様がせつなかったというような感想をお聴きすることが出来た。「いったい何のために。」

確かに。

でも、彼らや彼女らは寿命が短い上に使命が特化されている。イチジクの受粉と自身の産卵、オスはそれを助けては死に、メスは先述した使命を全うして死ぬ。

もう死ぬまでにそれだけやるので必死なのだろう。

でもって、たったそれだけとは決して言えない。そのたった一つや二つの本願を果たすことさえなく、鳥や他の虫に食べられてしまう確率の方が高いので、そりゃあもう必死。

何万年も続いるであろう虫や植物の契約というのは実にシンプルで合理的に出来ていて驚かされる。

例えば、いちじくの実の中に産卵すれば安全に我が子が孵化してくれるということで、必死でそのイチジクの実の中に入って行くお母さんは、その入り口があまりに狭い故に自分の身体がぺったんこに潰れるようにして、体液まで出てしまう。

こちら側から見ると「ひーーっ!痛そう、辛そう、可哀そう!」なんて感情を持ってしまうのだが、その世界では”それで良し。だって、産卵真近なんだから。そして、産み付けたらもう死ぬんだから、身体が長持ちする必要ないの。”ってなノリである。

そして使命を全うした途端、力尽きて死んで行く。

もう本当に本能と使命が合致していて一切無駄がなく、そこに辿り着ければ本懐を遂げたってことになっている。

どうしても人間として観てしまうのでせつなくなってしまったのだが、そのたった一匹の小さな命の、わずか一つの使命が、多くのイチジクを受粉させ実らせ、そしてそのイチジクを食べる鳥や動物たちを生かしている。

完全に自然の中に調和している大仕事ということ。

何となく、この番組とその一時間半後に始まった番組が続き物のような感覚を覚えた。

どこでも語られている鬱の原因についてなのだけど。

起源を遡って、私たちが魚類だった頃からの脳の発達から語り出されていた。

この手のものって残酷な実験が伴っていて、どうしてもそちらの方に目が向いてしまうのだが、それは横に置いておいて。

天敵が現れて食べられそうになるとき、逃げるか戦うか(まあ原始の時代はほとんど逃げる専門だったけど)のどちらを選ぶにしてもストレスホルモンが多量に分泌される。

そのおかげで力とスピードを発揮してピンチを潜り抜けて来たので今日の我々があるのだが、常に危険にさらされていると、やがてその火事場の馬鹿力も出なくなってしまう。

気の毒だが、ゼブラフィッシュという魚で実験されていたのだが、いくら逃げても常に同じ水槽内に天敵である捕食者が存在するため、あきらめるかのように底の方に沈み、そこから解放された後も動かなくなってしまう。

「こちらは普通のゼブラフィッシュでこちらはうつ病のゼブラフィッシュです。」とこともなげに紹介されていたのだが(うううう。)。

要するに魚の時代からでさえ鬱になる要素を持っていて、さらに哺乳類や霊長類に進化していくごとに記憶などの機能を持つ脳に発達して行くので、鬱の要素は進化と共に広範囲になって行く。

で、その日、某カウンセラーさんが仰っていたこと。

「じゃあ、あのケースのように、皆が昔の生活をすれば治るのか?というのとそうじゃないよね。」と。

私もそう思う。

どんな環境であっても、自分でストレスを作る記憶を繰り返し思い出したりネガティブな脚本に浸っている場合は、ストレスホルモンを自ら浴び続けるという状態になるので。

そして、脳の発達を暗澹とするつもりもない。

それは何故かというと、自らの知や学びによって、自らを救って来た人々を沢山見て来たから。

その勇ましい方々というのは、皆ごく普通の方々でもある。

長く患ってしまう人の一部には、(あくまで傾向ではあるのだけど)理想の自分像というのが高くて、自分でイメージしている普通の方々を軽視したり馬鹿にしたりする傾向がある。

それで”あんな人たちに出来ることが自分には出来ないのだから。”という理論で自分を落ち込ませたりする人も居て、要するに間違った知の使い方をしてしまう場合があるということ。

一方でニュートラルに謙虚に人生を学んでいる最中に「あれ?何だかこの考え方おかしいな。」と、そちら側に叡智を使えるかどうかの差なのだけど、真逆に他人の考え方をおかしいおかしいと連呼している人の場合だと自分を正当化することで頭を使い過ぎて疲れてしまう。

どの時代でどの環境でも良い。

自分に心地良い生き方を実行したり楽に考える方法を模索するというのは大切なことなのだろうってなことを感じていた。


はたまた別のラジオ番組で、ある先生をお迎えした司会者の人が「幸せでいるにはどうしたら良いですか?」という質問をしていて、その先生が「心配するのを止めることです。」と答えていた。

思わず吹き出してしまう。

多分、それ、ある状況にある人ならば『止めたくても止められないから困っているんだよ!』と返って来る台詞だろう。

はたまた恐ろしく使い古された表現で「コップに水が半分しかないと考えるより、まだ半分残っていると考えることです。」とも答えておられた。

これにもやっぱり現場では「それが出来ないから・・・云々」という答えが返って来るだろうなあ。

でもね。

ほんとに簡略化するとこの先生の言う通りなんだよなあ。ただ表現がきっぱりし過ぎているというだけで。

出来ないと言っている人のほとんどは、やろうとしていない人で、やって貰いたいと思っている人。

あるいは、ネガティブトレーニングをコツコツと続けて来て、先のトレーニングは少しのチャレンジで止めてしまう人か一切やらない人だったいする。

自分の考え方を人に変えろと思ってもそれは到底無理な話で。

ヒントは至るところで貰えるチャンスがあるし、好きなだけ時間を費やす自由はあるものの、自分を変えるのはやっぱり自分だけなんだよね。

脳という巨大な格納庫。

人はそこに大きな図書館を持っている。

それをどんな本の格納庫にするか?というのは、実は自分がやっている作業なので、最後の最後は誰のせいでもない。

そして、怖いこと、不安なこと、ネガティブなことを考え続けると脳の萎縮するのでとかく同じことばかり偏執的にこだわってしまいがちだったり人に会いたくなかったり。

でも、ある時期が過ぎたとき、それを回避して行けるのは人との関わりにおいてでしかない。

余談だけど脳が萎縮して来ると”自分以外の人は辛くないんだ。”とか”病気じゃない人はしんどくないんだ。”という勘違いまで出て来るのでこの関わりにおいてもついつい失敗をおかしがちになるのだけど、それでもやっぱり少しづつ開いて行った方が良い。

まずは窓をそっと開けて景色をそのまんまに観るあたりから。

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2013年10月02日

献花の中の一本に笑う / もっと細かく見ていかなければならないことも・・・

午後からインタバール抜きで出ずっぱり。

でも、特に夕方以降のセッションは、近頃相変わらずの悲しみに暮れる中でも楽しい一時となった。

教育分析にいらしたとあるカウンセラーさんも仰っていたのだが、何をして良いのか分からなくなるほどだし、実は何もしないでずっと一つのことを考えていたいくらいの時期なのだけど、果たして、実のところ、それは余計に耐えられないことでもあるので、やはり何かを依頼して貰ったり携わらせていただくと嬉しい時期でもあるというこの複雑感。

そんな中でも進んでいるクライアントさんやカウンセラーさんたちのことを、きっと白ちゃんはゴロゴロ喉を鳴らしながら、そして耳をこちらにピッ!と傾けながら聴いたり見たりしているに違いない。あたかもこれまでの日々と変わらず。

白ちゃんは、特に心理学の授業中などには「むむむむっ」と自分特有の課題に生徒さんが苦しんでいる最中に応援しようとしてくれた。

問題は、その応援の仕方。

ええ、いくら賢くても猫なので、気持ちが先行して、テーブルの上でドンドン生徒さんとの距離を縮め、何とか「頑張れ、頑張れ」というのを伝えたいばかりに、ついつい顔すれすれのところまで接近してしまう。

しかも、生徒さんの真正面、テキストの上にどっかり腰を降ろして「頑張れ、頑張れ、大丈夫か?ん?大丈夫か?」ってのをやるので当然肝心のテキストが見えないという事態を何度見たことか。

関係ないけど、時々生徒さんと一緒にピザを注文しようと思ってちらしを眺めていると、これにも混ざりたがり、ちらしの上にどっかりと箱座りをして下さる。

邪魔なんだけど、いつも笑いが絶えなかったな。

そして、今日も白ちゃんのためにお花を持って来て下さった方がいらしたときに「しまったーっ、失敗した。今日のブログ、ここに来る途中で読んだもんだから、花瓶がないって情報がわかんなくて。ああ、どうしよう。噂にたがわず花ばかり!私、コンビニにでも行ってペットボトルでも買って来ます!」と言う彼女。

あ、大丈夫、大丈夫。コーヒーの保存用のビンが今空いているから!と引き留めつつ見たそのバラの花束の美しさに息を飲む。201310011.JPG

「白ちゃん、お花好きでしたもんねえ。」

うん、好きだった。何か生けるといつもその花瓶の傍に居て時々匂いを嗅いでいた。

そんなこんなで今日も白ちゃんのためのお花をいただけて、本当に花だらけで・・・。2013093.JPG

ええ、ええ、そう。

一昨日も昨日も今日も花だらけで。。。。201209301.JPG

花・・・・・・・・・。

は、花。そう、献花されたありがたい花ばかりのはずで・・・・・・・・・・・・201310012.JPG

・・・・・・・・・・。Nさん、いったいどうして。

でも、嬉しい。さすがに白ちゃんは呑兵衛ではなかったので私が飲んで良いですか。飲んじゃいますよ。やけ酒になりそうだけど。

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人間というのは長い人生を歩んでいるうちに、誰しも大なり小なり何かの依存症を持っている。(私はこういった生き癖をこう表現しても過言ではないと思っている。)

それが致命的なものもあれば、ごくごく軽い楽しみの範疇である場合もある。

そして、その中間あたりに、物凄く自己破壊的ではないし、一回や二回ならさほど実害の無い依存的な行為も存在する。

でも、もしも、長年やっていたその行為が、実は少しも自分を癒していなくて、人間関係に支障を来したり、相手に自分を低く扱われる原因となるようなものだとしたら。

それは即効性のある毒でないにしろ、じわじわとその人の心を孤独にして蝕んで行く。

実際にはほとんどの依存行為は、しなくても良いもので人間というのは存外に強い生き物でもあるのだけど、幼少時からの何らかのトラウマなどでセルフイメージが低いと、その行為がないとダメだ、自分は生きていけないと無意識が間違った判断をしてしまう。

で、先述したように、誰しも持っているレベルの軽症のもので別段悪質なものでもないが、その行為自体でますます自分を嫌いになってしまうという状況の方がいらした。

が、ほんのここ1週間くらいの間に「やめて見たら案外大丈夫だった。」というエピソードをお聴きすることが出来た。

ただ、ここで危惧するのは、「え?急にぷっつり止めちゃった?」ということで、実際にも慌ててそう訊きかえしてしまった。

彼女の答えは「いえ、急に全部じゃないけど、ちょっと意識したり衝動的にやるってことを減らしただけ。」というお返事だったので理想的なペースだと思い、ほっとした。

何故ならば、一つの依存をばっさりと禁止してしまうと、今度はもっと重篤な症状が出てしまう場合があるからだった。

重ね重ね致命的なパターンや悪質で自己破壊的なものならば急を要して断ち切らなければならない場合もあるが、それ以外ならば、焦らずゆっくり手放して行く方が良い。

そして、願わくば、そこに新しい・・・いや、元々のその人らしい習慣が入っていけば尚更良いなと思う。


そんなことで思い出したのが、以前、とあるカラーセラピー部門のセミナーに勉強すべく出向いたとき、そこの講師さんが一人の生徒さんのパターンについて、「今すぐ止めなさい!」と仰っていたので驚いたこと。

いや、それはまずいと思い、滅多に発言しない口を開いたのだが。

講師の方は「それより大きいものが出てくるんならさっさと出しちゃった方が良いじゃない!」と仰ったのでぶったまげた。

この手の分野の方には心理学はやっていらっしゃらない方も多いので仕方がない場合も多いのだけど、この時ばかりは引っ込めなかった。

例えば、パチンコ依存症やアルコール依存症の人がそれを禁じたとき、自殺願望が出て来て何度も未遂を繰り返し、最悪の事態になることだってあり得るのだ。

何事も急にというのは良くなくて、その癖に至ったその人の歴史をその人自身が理解してあげて愛を持って自分に取り組んで行くことをサポートするのが基本。

余談だけど、その講師さんは社会人経験というものがなく、しまいには「じゃあ、行くところまで行っちゃえば良いじゃない。どうせ浄化しなきゃならないんだから。」と、ご自身のセラピーに文句を言われたとでも思ったのか、かなりむきになるばかりで通じなかった。

”心理学は固そうだから”とか”私は軽症の人対象で行くから”とか言う理由で、この世界には全く心理学には触れないままセッションしている業界の人々も多い。

けれども、例えそれがカラーセラピーであろうと占いであろうとマッサージあろうと・・・そういった分野でも人殺しになってしまうよと思う。

似たような例なのだけど、一時期、とあるヒーリングショップとお付き合いがあったのだが、鬱病で何年も引きこもっていたクライアントさんがいて、やっと少しお出かけ出来るようになった際にそのクライアントさんをそのお店に紹介したのだけど。

初対面で彼女の病状も知らぬまま「内服を全部中止してこの健康食品を買いなさい。薬は毒です。」と言われたという話を聴いたときにもその危険さと無知さにビックリして髪の毛が逆立った。

おっそろしいことに天使のお話をしてたりお香などを売っているだけのお店でも人一人が死んでしまうかも知れないというのが現状でもある。

どのケースもすぐに話して貰えたので修正も早く大事に至らなかったのが何よりの救いだった。

フジィカル体に届いてしまった病変はあくまで医療が必要。

そして、その前段階でオーラやチャクラなどに支障がある場合はエネルギーワークや代替医療。

そして最も良いのは、その両方を使うこと。

さらに言うと心理学はそのどちらにも存在していて不可欠な世界でもある。セラピスト側にもクライアントさんにも心があるからね。

どちらの世界も必要で、私たちはたった一人しかいない唯一無二の存在で。

そんなことが早く浸透して行けば良いなあ。

そんな意味で今日聴けた彼女の歩みのペースはとても理想的な感じがした。

同時に感謝すら覚えた。

伝わっているんだなあ、良かったなあ、ありがとう、大事にしてねと、心からそう思う。

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2013年10月01日

献花

皆それぞれの問題を抱えてこの事務所にお越し下さる。

それなのに昨日から皆さんの手にブーケ。

皆過渡期で悩みもいっぱいなのに。

それぞれ全然違う種の花なのだけど、なるほど、皆、どこか白ちゃんと似ている。201309302.JPG

お花を挿す花瓶がもうなくなってしまったよ。

そして「何となく白ちゃんみたいだったから。」と泣いているような笑っているような顔で言って、その後、はっ!と口を噤む人もあり、

私はこのブログ、あまり読み手のことは考えないで書きたいことや気持ちをそのまんまに書いているので、多分号泣しちゃいけないって思ってしまわれたのだろう。悪いことをした。

それでも、皆、一生懸命本題を話してくれた。でも、どうしても一回や二回はむせび泣いてしまう。いつもそこに居てあたりまえのようだったけど過ぎてみれば皆色んなことを思い出す。

「しろやんは、あのとき、泣いている私の指をぺろりと舐めえくれた!」と抑えていた気持ちが湧きあがる人あり。

「もう、私、家庭のこともこんな状況だからセラピストなんて止めてしまおうと思うことが多くて。」と仰る人もあれば、背後で白ちゃんが応援している。

後者の件については、太古の昔からの家系図で人を殺したり犯罪をおかなさかった人が身内にいなかったはずもない。(ましてや可愛い坊やはそこまでのことはしていない。)

だからこそ、今この時代の中で出来ることをやって行くのだと今の私はそうもう。

それにしても重ね重ね、皆のお気持ちが嬉しい。

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で、仕事が終わると会変わらずへたれになってしまう私。

これがねえ。もう頭では分かっていることだし、整理がついていることのはずだというのに、どうしても理屈が間に合わない。201209301.JPG

ここに居ることは分かっているよ。

でもね、白ちゃん、前みたいに腕枕するために身体の間に無理やり入り込んで、私の肩に顎を載せて寝て欲しいんだよ。抱っこをせがんでくれたり、あるときは私を待ち伏せ来している間に居眠りぶっこいて外で待っていた白ちゃんが0コンマ何秒かとしゅたっ!起き上がっていた姿を観たいんだよ。

抱っこしたいんだよ。

そんなわけで夜は、やはり廃人になる。

身体が動かなくて、全てのスイッチがオフになって動けなくなる。

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そんなときにも幾つかのメール。

「急がないからご都合の良いとき、フラワーエッセンスを二本郵送しても貰えますか?」とか「私、三本郵送して下さい。」とか、

ただ無意識に「私に何が出来る。」とか「どうしよう。」なんて言葉が浮かんで来て止められない。

だから、依頼して下さることのありがたさを思う。

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そして、これは些細なことけど、Uさんのさりげない依頼メールでは

”かおるさん

こんばんは。
フラワーエッセンスをまた2本お願いします。かおるさんの良い時に、いつでも構いません。

どうか必要なだけご自分に時間をかけてください。

かおるさんが見てくださっているのは知っているので、返事はいりません。”

とても心に沁みる優しさだった、

人の心の痛みを知る人の。

さて。無気力になったり、がんばっているというアップダウンの激しい時期ではあるものの、やはり頑張って行ってみよう。

いやあ、どうしても到底本調子とは縁遠いのだけど。

進んで行こう。
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2013年09月11日

妻という肩書を持つ人々の中には、よく夫についての愚痴を言う人が多いものだけど。

プライベートで知っている人もカウンセリングでお会いする人も、それが愚痴どころか呪いの域に達しているのを観て取ると、そりゃ何かを見直す必要があるでしょうと思う。

で、もはや呪いのようにドロドロになっている感情の持ち主が仰ることに共通点があることに気が付いた。

もう、あまりにも”あれしてくれないこれしてくれない”と言うので素朴な疑問が湧いて来る。これ、多分他の周囲の人にも言われていることだと思うのだけど「何で結婚したの?」。あるいは「何で今、一緒に居るの?」ということ。

で、何が共通点なのか?というと「同情で結婚したの。」と仰る人が多いのでぶったまげる。

それって、出だしからして相手のことをなめてるってことだよね・・・。

あるいは自己肯定感が何らかのトラウマによって低い場合、自分より下だと見なす人としか友達になれなかったりあるいは結婚出来なかったりとか。

中には自分より下だと思う人と一緒になれば大事にされると思ったというようなことを仰る人も居た。

これ、避けようのない引き寄せの法則なのだけど、元々相手をなめているからなめられちゃうのよね。

馬鹿にしているから馬鹿にされる。

夫婦間、友人間でサバイバルするとなるとそれは人生の広大な砂漠が広がるばかりだなあと思う。

人にはそれぞれ交流の癖というものがあって、エリックバーンはそれを交流分析という学問において唱えたのだけど、何百年、何千年経ってもこのシンプルな法則は変わらないのだと思う。

何も知らない頃、プライベートの私は馬鹿正直だったので、言葉ばかりを鵜呑みにしてしまっていたのだけど、よくよく聴いていると、ああ・・・、この人がDV受けるのも分かるような気がすると全体像が見えること少なくない。

妙に人をイライラさせる人、怒らせてしまう人の交流パターンってのは確かに存在する。

おいそれと言葉では表現し難いエネルギーの種類なのだけど、ただ一つ言えることは、自分の魂の欲するものを満たして行く責任。

それを避けるばかりか、他人に自分のそれを託しちゃっている人のことなのだと思う。

相手は変えられない。

変えられるのは自分だけ。

愛そうともしないのに愛されることばかりに執着するインナーチャイルドのすれ違い。

そういった人というのは、暇さえあれば人に絡んでいたり、はたまた怒り続けていたり。

でも、例え愛されていたとしても愛したことのない魂にはそれが愛だと分からないので、永遠に受け取れないのだと思う。

人にはそれぞれ人生の課題がある。

多分それはモノやお金をいっぱい貰うことでもないし、幸せごっこを見せ合うことでもないはずだけど。

多分、気が付かなければ延々と心にも身体にも余分なものばかりがくっついて増えて、ずっしりと重くなって行く。

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2013年08月20日

人生の脚本は誰が創っているのか?ってこと

日々色んな人のエピソードを耳にしていると、抑え難いくらいに胸がじんとして来ることがある。

職場を離れて家に帰ってからも一人一人の表情が連続して浮かんで来る。

それが数年も経過すると、本当にそれは長い長いフィルムで連続して流れている。

最初は無表情で小さな声で話していた人が熱く何かを語るようになったり、心の中で冷えて固まっていたものが熱い涙で流れたその後、本当の可愛らしいその人が姿を見せたり。

怒りに歪んでいた唇の口角が段々上がって行って素敵な笑顔に変わったり。

エピソードと並行してその人がどんどん古い殻を脱ぎ捨てて生き生きと美しくなって行く。

皆、頑張っているなあ〜・・・と胸が熱くなって来る。

まあ、固い鎧や刃物を振りかざしたままでぶつかって来られる人は痛いのでこちらにも交わす権利はあるんだけどね。

カウンセリングでは遅かれ早かれ普段の交流パターンが出る。出るならなるべく早期の方が良いのだけど、重い衣を脱ぐタイミングは本人の自由。

何だけど、真夏にエスキモーみたいな恰好をしているような心はあっついし、臆病な素肌に甲冑着て人にぶつかって行くと自分もいったいぞーと思うことも多々あり。

とにかく、あたかも甲虫のような状態の時代には何にも心が通い合わない。それもその人の交流パターン。

甲虫状態の人は、トランクを持ってせっせと通って来た次のクライアントさんのことをすれ違い様に鼻で笑うこともある。自分が何をしに来ているのかすら見つめようとしないから、自分の方が余程可笑しい状態だということが分からない。

まあ、とにかくカチカチ、カチカチあちらこちらにぶちあたっては、どんな集団に入ってもどんなにお友達ごっこをしても、どこまでも独りで、それが自分で作った殻のせいだとは気が付かない。

最後にはやけになって遠い他人の生活に突っ込んで行くかも知れないが、どうしてもどうしても本当に欲しいものに突き当たることが出来ない。

安全だと思ってこさえた殻や壁が何もかもを見えなくしている。

そんなフィルムからは、やつあたりの声は聞こえど、映像は真っ暗でいくら時を回しても何にも見えない。

自分の心を動かせない人は人の心を動かすことは決してない。

自分ではなくて周りを動かそうとする人のゲームは同じ暗闇の繰り返しなので、誰もが途中で興味を失ってしまう。

********************

ある日、色んなこと仕事や作業をして煮詰まっていたとき、そのフィルムはさりげなく回り出した。

そこには生身の人々の姿があった。

境遇とか幸不幸はこの際関係ない。

人それぞれ、何をどう感じるのかなど分からないのだから。

でも、そのフィルムに映っていた人は、初期の頃もその後もずっとやぶれかぶれかと言わんばかりに生きていた。

戦って戦って、笑って、泣いて、怒って、そしてまた笑って。

そして少しづつ、本当に自分の欲しいものを見つけ、天に向かって両手を広げ出して行った。

色んな声が聴こえる。

そして、色んな顔が見える。

皆、一生懸命生きている。

そんなとき、私はまた勇気を貰って歩き出す。

********************

フラワーエッセンスやレイキやカウンセリングをしている人々からメールが届いていた。

皆、嬉しい近況を知らせて下さった。

頑張っているのだなあとつくづくまた感じた。

何のツールを使うか?ということよりも、皆誰かを愛していて、そして、本当に成長したいと願っている人お声を映像がまた再生されていた。

そして私は疲れた身体をよいしょとあげて風呂に入る。

また自分のフィルムの続きを紡いだり、多くの人のドラマに関わらせていただけるというその喜びと感謝を感じながら。

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2013年08月18日

夏休み第三弾 大好きなゴロゴロ でも、大事なゴロゴロ

昨日はセッションとセッションの合間にHさんが出張マッサージにお越し下さった。

もう一か月経ったのだなあと思いつつも、色んなことがあったので、物凄くお久しぶりな感じがした。

インターバルが前後にあったのでベッドなど広げて用意していれば良かったのに、何となくバタバタしていたりボーっとしていたり。

色々なことがあったのはHさんにも同様のことだったよう。

いつも疲れもあいまって、ぐわーっと眠ってしまうのだけど、開始前から施術中も終わってからのティータイムでも色んな話が出来た。

もっと聴きたいな〜と思うこともあったのだけど、互いに大丈夫。

なるようになっていく。

完璧な人間なんて居ないけれど、間違えばそれに見合った分だけの教えがご親切にも何度も丁寧に降って来る。

ってことは、相当横暴な間違いを行って、さらにそれを正しいと信じている人には、またそれはそれで相当なことが降りかかるわけで。

人の生活を邪魔したり無自覚に多くの人に悲しい思いをさせた人は身を持って学ぶ機会がやって来る。

人の中には、同じ境遇に置かれてみたり同じことをされないと、決して理解できない人というのが存在するもので、それはそれで仕方がない。

色んなことを話し合い、またそれを再確認した。

そういった優しいんだか厳しいんだか分からない世の理は、やはり無くならない方が良いなあと思う。

世の中は結構平等に出来ていて、現状が全ての結果を表している。

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ところで、長めのワンピースを着てマッサージ用の短パンを履いて施術を受けていたのだけど、終わって立ち上がったところ、その短パンを履いているという存在を忘れてしまい、「あれ?なんか、暑いな?」と思っていたのだが、気が付いたのが夜だった。

アホですわー。

マッサージ後、一日短パン履いてカウンセリングしていたわけですね。

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今日は夏休み第三弾を取るべく朝寝坊をした。

ゆっくり疲れをとろうとよく眠ったのだが。

本当はまた阿豆佐味天神社と高幡不動尊へ行ってお礼参りに行きたかったのよね。

この時間では既に遅いので、家事やって、そして、ゴロゴロして、純粋に自分のためにレイキなどあてて過ごそうかと思う。

7月8月は非常に調子が良いというようなことを某占いで言っていたのだけど「どこがじゃいっ!」と思っていた。悲しいことや腹が立つことばかりじゃないかと。

が、くさらずに、自分のやるべきことをたゆみなく続けている日々の中で、段々その意味が分かって来た。

自分をレイキで浄化しておくということは、自分が誰かに流すときのためにもなる。流れ方が全然違うのだ。

なので、自分のためにメンテをしておこう。

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2013年07月28日

道が照らされるとき

配偶者でも親兄弟でも友人関係でも相手の成功や成長を喜び合える関係だったら良いなと思う。

喜びが倍になるし、ついていないことがあっても悲しみや辛さが半減する。201306101.JPG

でも、自分を見つめることを避ける人は良くも悪くも他人ばかり見ているせいで自分の努力を怠るので、妬みや嫉みや怒りばかりを増幅させている間にますます自分を貶めてしまうのだなあと思う。

逆に上手く行っていない人や不幸話を聴くと喜々として目が輝いている人を目にすると、出来る限りお近づきになりたくないものだと思う。

あるいは、普通のエピソードの中にわざわざネガティブな部分を探してケチをつける人も。

それは残念ながらよくあることなのだけど、人の不幸を願う気持ちという矢もそのまま自分に返って来て突き刺さる。

自分が放ったものしか返って来ない。

要するに、人には、その人の波動にふさわしくないことは起こらないので良いことを引き寄せる人と禍々しい結果を引き寄せる人とに分かれてしまう。

シンプルに言うと、うまく行っていないときというのは何かやり方が間違っているというだけのことだから、やっぱり自分が変わるしかない。

とあるクライアントさんが何年もかけて大変貌を遂げた。

起き上がれない状態から今や無遅刻無欠勤でイキイキと働いているところまでやって来た。

これは単純にメンタルトレーニングをして成功体験を増やして行った結果、セルフイメージが変わったというだけの話。

自らの可能性を引き出した努力。

でも、ここで彼女の周辺では様々な変化が起こる。

それを一緒に喜んでくれる人と、逆に怒り狂う人とに別れてしまうということ。

もう後者の人々にとっては都合の良い彼女ではなくなったから。

そういうとき、人は色んな真実を観る。

嘘でも良いから生温かくてべったりとした「同じ場所にいようよ。あなたはダメなんだよ。」という人の傍で安心していたい心理とか

あるいは、どうせ自分はダメだからこのままで良いとか。

そんな虚空の安心感の世界に居続けようとするのも人生だと思う。(でも、出来れば一人でやって欲しい。人様を巻き込まずに。)

しかし、彼女曰く「20代後半の頃にも”もう歳だから”と思って、30代になってからも”今からじゃ何をするにも遅い”と寝込んでいて・・・・でも、今は何歳からでも好きなことが出来る。やりたいことをやりたい!って思えるんです。」と、大きな目から涙をポロポロ流して語った。

出来ればそんなふうに変わった自分のことを一番身近な人に認めて貰いたいよね。

でも、喜んでくれる人と足を引っ張ろうとする人、その両者が居るという真実も、ある意味色んなことが明晰になるということかも知れない。

ちょいと辛い思いもする代わり、その世界には嘘がない。

地面に足をつけて天と繋がっていれば、良い意味で学び、もはや足を引っ張る人の言葉すら気にならなくなる。

それは思って言ってくれている人の言葉とは全く違う響きだと気付くから。

人は目覚めると、今まで聴こえなかったことを聴き、見えなかったものを見るようになる。

手放しの後に、また新しいものが入って来る。

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2013年06月27日

ですよね

昨日、カウンセラーのトレーニングの会で、とあるカウンセラーさんに皆さんの前でデモをやっていただいた。彼女がカウンセラー役で私がクライアント役。

ごく何でもない日常の何でもない話。でも、本人が聴いて貰いたいと感じている話。

普通ーーーに聴いてくれているかのようにしか見えないので、多分知らない人が見るとその凄さが分からない。

デモなのでほんの短い時間内で終了したが、その短い間に新しく出席して下さった方に見て貰いたい技法が全部入っていた。

  ので、あんなに短い時間の間にさらりと全ての技法をさらりと披露して下さったそのカウンセラーさんに「はい、ありがとうございました。」と感謝を述べて終了して「こんな感じです。」というだけで済むわけで。

百聞は一見にしかず。一見どころか、見れば見るほど、どんな理論や専門書より有益で貴重なシーンだし、それを提供してくれるまでの過去の背景の一コマ一コマも全て感じるので非常にありがたかったのだが。

彼女が「ああ、やっちゃった。」と両手で顔を覆った。

あのまま一時間くらい続けると私が何気なく話していた出来事のその奥に自分の問題点が自然に出てくるのだけど、デモであり全部披露してくれたものだから早く終わらせることが出来たわけなのだけど。

ごくごくライトな課題の取り上げ行為をしたことについて「ああ。」と言っている彼女だったので、また凄いことだな、こりゃと思った。

その辺をもっと詳しく説明しようとすると会の時間内に全てが終わらないので割愛してしまったのだけど、そのことに敏感に気づく彼女の自分見つめの長い積み重ねを垣間見た。

特に致命的でもなく差し障りのない程度のものだったのだけど、それに気づくというのはやはり凄いなあと思う。

もちろん才能とか感性という資質とも関わりはあるのだけど、それを開花させることがどんなに大変なことだったか分かるから。

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取り上げるで思い出したのだけど、先日の夜、飲んでいるときに友達から電話がかかって来て、とある一つのことが出来なくて「うがーーっ」となっている気持ちを話してくれた。

で、カウンセリング中ってわけでもなく、ほとんどいつも素でカウンセリングしてはいるものの、酒なんて飲んじゃっているもんだから、さらに限りなく素だったわけである。

同時に具合が悪くて友達が苦しんでいるのに酒なんぞ飲んでいる自分が恥ずかしくなったりとか色々で、店の外に出てしばらく話したのだけど。

その友達が自分でやりたがっているけれどやれなくて「うがーーっ」となっていることを、「じゃあ、私がやって見る!」と訳の分からないことを言っている酔っ払いなのだった。

で、それから数日経って、本日彼女に電話して「うがー、出来ないよ。私も。」ということを話したところ、笑うてくれた。

やってみないと分からないほんとに難しいことだったから。

あるいは、何も考えないでどうでも良い仕上がりでも良いなら誰にでも出来ることで。

「ははは。ごめんねえ。でも、かおるさんが出来ないじゃやっぱ難しいことだったんだね。安心した。」と言ってくれた。

ううう、確かに難しかった。

まあ、不幸中の幸いにて、取り上げようにも取り上げられないくらい難しいことだったわけである。

でも、多分彼女はこの作業が難しいのはご自身の調子が悪いからとか、もっと具合が悪ければ自分が悪いから出来ないと思ってしまうコンディションに陥ることもあるのだろう。

さらにもっと可能性が高いと考えられる理由をあげるとしたら、おそらく私と彼女が同じくらい硬いルールを持っているからとも考えられる。(笑)

そういう考え過ぎる私と考え過ぎる友達とが一緒に話していると、何だか非常におかしくなって笑えて来る。私も一人だと自分のルール通りに行かないことがあると半泣きするくらいに許せなくなるんだけどね。

それにしても、本人が自分でやりたいって言っていることを取り上げて代わりにやろうなんて・・・私、何考えてるんだろうね?(まあ酔っ払ってたけど。)

そんな疑問文を真剣に投げかけたら、笑ってくれて、互いに「ごめんね。」ばかり言いながら、やっぱり笑っていた。

結論として、この作業を遊びとしてやって良いか?というような流れになり、何となくルールを飛び出した。

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娘たちによく言われる言葉が「お母さんは・・・・ストイックだね。」ということ。


そう言われる度に私は「どこかだよ。こんなダメ主婦は居ないし、仕事もまだまだ半端だわ。それに見よ!この散らかった部屋を!」とそんなことばかり言ってしまっていたのだが。


仕事中にもしばしば言われる度に「違うよ。ほんとはああでこうでどうのこうの・・・が正しいのに、出来ていないんだよ。」といちいち逆らったり。


でも、何度も何度も言われる度に「なるほど。」と意味が分かって来た。真面目を通り越してストイックなのか。

うざいわあ。(友達がそうなっていると可愛いなあ愛しいなあと思えるんだけど、自分だとうざいんだわ。)

ええ、フラワーエッセンスのパーソナリティーにも出て来たのが決め手だった。

なので一つ何かがうまく行かないだけで世界の終わりのような気持ちになってしまうような気持ちがよく分かる。

で、おそらく先の友達は私よりももっとストイックなだけで、自分をぼっこぼこにやっつけてしまうのだ。

ただ、その”考え過ぎる”というパーソナリティー故に得て来たこともある。

あきらめること、受け入れること。もちろんそれもあるのだけど、同時にそこに新しい可能性を見ている。

彼女に言いたい。

あなた、最高に面白い人だよ。

でも、苦しくない方が良い。ただ、それだけ。

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2013年06月04日

育み 生かす ということ

何よりまず心の内側にあるつっかえを”話す”ということがデトックスになる。

話すということは放すということだから。

けれども、この話す=放すという行為が誰彼構わず&所構わずだと単純に人をゴミ箱扱いしてしまっていたりトラブルも起きやすく、遅かれ早かれその責任転嫁の見返りというものが人生に襲って来る。

人格の無い単なるゴミ箱になることも、はたまた自分以外の他人をゴミ箱にすることも双方しっぺ返しがやって来る。その時はまあ一番楽な方法に感じるのだろうけど。

そういった意味でカウンセリングというツールはとても有効だと言える。

そして次に何かしらのツールが補助的にあったら使えるものを使って悪いことは無し。

レイキでも良いしアロマでも良いしオーラソーマでも。

どのツールを使うにしても手前にカウンセリングがある程度必要になって来るとは思うものの、そんな中でフラワーエッセンスというツールは非常に具体的で細やかな問題に対応出来るツールの一つだなと感じる今日この頃。

それでは良いことばかりか?と言うと、近頃少し難関に感じるのが自分自身のためのチョイスについて。

例えば、何か色や香りを直感で選ぶタイプのヒーリングなら、本当にそのまま感覚で選べば良い。ああ〜、良い香り!とか、ああ〜、綺麗な色!とか。

その代り、症状が緩和して行ったり良くなって行ったときに、何がいつどこにどう効いたか?ってのが分からない。(まあ、良くなったり楽になりゃそれで良いのだけどね。)

そのためにいちおうどのツールにも解説ってものがついているのだけど、その解説ってのも”地球のグリッドが・・・”とか、”大天使が・・・”ってのがやたらと出て来ても、いずれ何となくは分かるものの、現実的に具体的にどういうことか?というのを理解するのに時間がかかったりとか。

その点、物凄く現実の場面に即した解説が載っているフラワーエッセンスというものは、私のような”知りたがり”な人間にとってはとても便利だと思う。

じゃあ、何が難関だったのか?というと、自分がどれを飲もうか?と百種類以上ものレメディの解説を参考にしようとすると、まあ、そりゃ親切で具体的過ぎて、酷いときには全部飲みたくなるわけで。

ので、自分のものを選ぶとなると、いちおう生年月日などから選ぶガイダンスはあるものの、その他の気質にもあてはまる気がしてならないものがいくらでも出て来る。

そして、フラワーエッセンスも他のツールと同じように花そのもののイラストや写真を見て選ぶという直感に頼った方法があるので、もちろんそれでもOKなのだけど。

いかんせん、直感よりもより具体的な解説に惹かれてしまうのも人情で。

本日、一緒にセッションをやっていたKちゃんとも話していたのだけど、セラピストにとっても、一番やっかいで不可解な、しかも一番手前に居るクライアントさんというのが自分自身なのだった。

そんなことを思っていた今日この頃、私はまた一つ謎が解けた。

自分の生年月日や星座から割り出された3本のレメディは間違いなく自分の気質に合致する。

そこに記された性質は、どこで何をしていても言われて来たこと。

しかし、自分自身はちっともそれを受け入れようとはしない部分がまだ残っている。

例えば完璧主義とか潔癖とかいうキーワードを聴いても「いいや、私ほどルーズな人間はいない。もっとちゃんとやっている人や努力している人が沢山居る。まだまだ、まだまだ。あー。ほんとにつくづくまだまだだ。」という自動思考が湧いて来るとか。

実は、自分の生まれ月とは全然関係無いレメディにばかり目が行くのはこのせい。

だから1番、2番、3番、4番、・・・etc。特に疲れ切っている人に効くという13番のカヌカや未来を観すぎて今のことがおろそかになってしまう人に効くという14番のレンガレンガが飲みたくなってしまう。

でも、それは、先の生まれ月に現れている自分の元々の気質に対応するエッセンスをしっかり飲んだり受け入れたりしていないからとも言える。

逆に言えば、先の三本を飲んでいれば他のものは必要なくなるかも知れない。

それは大きな発見だった。

人間だから色んな気質の人々がいて面白いのだけど、この自分自身のクライアント体験によってつくづく感じたことは後々使える気付きだなあと思った。

そして、ここも非常にこのツールの気に入っているところなのだけど、先の三本の気質を充分に癒していないから気になっているのが13番と14番だったとしても、飲んでしまって良いのだ!というところ。

外側の気質と元々の気質、両方から、あるいはどこからでも今すぐアクセスして行って良いんだ♪というところが短気な私にはとても合う。(笑)

ちなみに、「動物にはすぐ効いたけど人間にそんなに早く効くわけがない。」と思い込んでいた部分もあったのだけど、先の5種類を飲んでから、放置していたことに徐々に自然に手をつけられるようになっていたり、それと同時に、徐々にどころか、徹底的に敬遠していたことにガツンと手をつけて1日でやり遂げたという出来事もあった。

それに向き合っている時には、レメディのことなど忘れていたのだけど、後から考えると「出来てしまった、何でだろ??」となって、その後「あ。」と思い出したくらいの気軽さで。

それは、レメディを自分のために選んでいるという時点で、その箇所に意識が向くからだろうなあ・・・と思い、もちろんそれもあるのだろうけど。

こんなことをごちゃごちゃ考えない動物や子供に効くというところが本物の証だなあと思う。


今日、Kちゃんが、身近に起こったエピソードをお話しして下さって「ねー?私って面倒臭いでしょー?」と仰ったのだけど、いやー、私はもっと面倒臭いやつだよーってな自己開示をして。

そして今日のブログがある。

ほら、ほらほら。見て、これ。

直感的なことと理論的なこと、そしてその結果。全てが備わっていないと物事やツールを信じない人間。見て、これ。こんなことをいつもあれこれ考えたり検証したりしているんだよ。こんなに面倒臭い人間もそうそう居ないと思う。

天使様が救ってくれるとか、誰が創ったどの石でも良いから着ければ幸せになれるーとか、「感謝していれば全て良くなる。」とかじゃダメな人間なわけ。

なのだけど。

今日もKちゃんと話していたように”この世界が一品の筑前煮だとしたら!”という話である。

・・・・・・・・・・・・・。ええ、大抵こういう場合、”宇宙”って例えが多いのだけど、まあ、とりあえずここは筑前煮が出てくる。

醤油な人が居て、砂糖な人が居て、出汁の人が居たりして。鷹の爪とか塩とかetc。

もっと言えば筍に鶏肉にこんにゃくに・・・元を辿ればその材料を育んでいた大地とか。

一品の筑前煮は無数の要素、一人一人によって作られている。

調味料単体では美味しくないし、各材料は生では食べられない。この世の中全員が鷹の爪でも困るし、全員醤油でも鶏肉でいらしても困るわけで。

そういったことを話しつつ、Kちゃんも私もカウンセリングの終盤では笑ってしまうのだ。「自分っておかしいよね。」と。

まあ、笑えるって時点で許せているってわけなんだけど、それが出来ないといちいち「醤油が嫌い。」とか「辛いのはダメ。」とケースバイケースの他人の評価に振り回されたり、砂糖の自分に「辛さを出せ。」と自責したり、はたまた鶏肉の立場では「主役だ。」と人に味付けされなきゃ美味しくならないということを忘れて偉そうになっちゃったりとかね。

本当は皆そのままで良い。

ただ、自分というものが何を担当しているモノなのか?ということや、その扱い方や保存の仕方や、いつが出番か?ということを知っておくと人生はもっと楽しくて楽になるんじゃないかな?と思う。

例えばとある職業が醤油に似ている。

醤油なんてどこにでも沢山ある。いっぱい居る。

だから「醤油だろ?出来るよ。なれるよ。」と多くの人が思う。まあ、それも醤油というものの製造過程を知っていれば当たっていることだ。

でも、醤油ってのは物凄く多くの人の手がかかり、多くの時間をかけて熟成されている。

そんなことを思う今日この頃、日常の一つ一つを今日もこなせたことに大きな喜びを感じている。

暑かった。

しんどかった。

猫も人間もバテ気味だけれど、皆しっかり食べなくちゃ。

今晩は青椒肉絲とか。

あ、ここにも醤油が使われているのね。

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2013年05月11日

浄化

カウンセリングをしていると夢中になって感じられなかったのだけど、休憩すると「うおっ。予想通り疲れが取れてないな。」と気がつく。

何たって昨日の訪問入浴で疲弊しているはずの夜に色々と頑張っちゃったもんだから。

しかも、あの後、いよいよお風呂に入って、寝る前のひと時を楽しんだら寝ーーよう♪と思っていたその時、廊下のつっぱり棒が、ぐわっしゃん!と落下した。

そこは、階段を上がってすぐのところで、元々はちょいとしたものを簡易的にかけて置こうと思って10数年前に設置した横棒だったのだが。

夫が日々そこにYシャツやらスーツやらをかけて行く。

いくら仕事や付き合いとは言え、飲み過ぎて帰って来た際には、私に怒られることを恐れ、部屋に入って来る前のその場所でスーツを脱いてまたその棒へかけてから入って来る。

部屋で着替えると私が起きるからだと思ってのことだろうが、いかんせん、私も大抵は仕事で遅くまで起きているから意味ないんだけどね。

そんなわけで、日々ツッパリ棒にかけられている衣服の重量が増えてとうとう落ちてしまったのだ。

中には太っている頃に来ていたスーツで着れないものまであった。

で、その廊下の狭い場所に一瞬で衣服が散らばったため、誰もそこを通れないという状態。

・・・・・・・・・。

そんなわけで、「何で今夜か?」と悪態をつきつつその場所を片付けた。いやあ、おかげで綺麗になったけど。

いやあ、昨日はよく磨き、よく捨てた。

で、今日は今日で疲れが残る上に老体に鞭打って働いていたところ、非常に事務所が気になる。

ああ、もうあのヒーリング、しばし中断しようかなと思ったくらいだった。

のだけど。

今日はカウンセリングをこなすだけでよしとしよう。

まあ、仕事のことからプライベートのことまで、進めなければならないことは山ほどあるが、少しづつ行こう。

****************

とても素晴らしい視点によって作られているフラワーエッセンスがあったので感動し、使っているうちに色んなことに気づき、「ああ、あっち方面にも取り組もう。ああ、こちらもアクセスしてケアしておこう。」と思って注文をする。

その先生の講座を受講したことがあるので、ある一定期間(全部で一ヶ月くらい)20パーセントオフで購入出来るそうなのだが、先生の方で「ネットショップの方から購入すると割引にならないので私に直接メールをして注文して下さい。」とご親切な提案を下さった。

のだけど、メール注文って非常に恐縮してしまうのよね。

まさか、品名とか番号だけ書いて送るわけに行かないし、かと言って挨拶文やら近況などを添えるとお返事を下さるのでそれも大変だろうと。

私自身、長いメールをいただくと返信できなくて非常に困っている日々だから。

この先生も物凄く多忙な日々を送っていらっしゃることが伺えるので、悪いなあと思ってしまう。

いっそ全然定価でも良いのでショップから注文させていただきたいくらいで。

でも、そうすると親切かつ丁寧で優しい先生のこと、再びメールを下さることだろう。

なんてことをごちゃごちゃ思いつつ、結局メールで注文させていただいたところ、「今月末、あちらへ行かなければならないので、その時に仕入れて来ますね。」という趣旨のやはり丁寧な返信が来た。

ぐわー、某国、遠いぞー。行くだけで大変ー。なのに、業務や学びの他に仕事増やして申し訳ないないなーと思いつつ、結局恩恵に預かっている。

で、先日、また性懲りもなく、あるカテゴリーを見て「ああ、結局このカテゴリーのものは全部欲しい。」と思ってまたしても注文メールを送ってしまった。

こちらも某国への出張の後で大丈夫ですというような趣旨と、もう一つ、自分と親しい猫さんに思わぬ効果が出たので驚いているところですということも添えて。

すると、本日、そのメールにも返信下さっていて、そこに先生のペットに対する想いと、如何に自分を大切にすることが大切か?ということが窺える文章があった。

決して「こうしなさい。」ということは書いていない。

多分、何かを意図的に教えようとなさるつもりもない。

が、素晴らしい自己開示だった。

ただただ愛するだけ。

そんなことの素晴らしさを教えて下さるメールで、思わず眼頭が熱くなった。

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夕方まで姿を見せなかった白さんが、ある瞬間、するりと部屋へ入って来る。

グルグルと喉を鳴らして、スリスリと抱っこを求め、その間「うん!うん!うん!」と何かを言っている。

そうして落ち着いた後、ご飯を食べて、それからさらに落ち着くと、テーブルの下で箱座りをしている。

ただそれだけの光景に涙が出そうになる今日この頃。

どこかが洗われれば洗われるほど、どんどん奇跡を感じている日々。

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2013年01月12日

独特の隠語誕生 / 白せんせいの電話カウンセリング / 思考力が無いときほど感じて見るべき

今日は風が冷たい一日だった。

室内で一日中カウンセリングやっているのもそれはそれで疲れるのだけど、訪問入浴の方々、今日みたいな日は一際辛かっただろうなあ。

三人一組で回る入浴チームのひたすら繰り返される湯冷め地獄も辛かっただろうけど、介護チームのヘルパーさんは一日中自転車で各チーム一人でこなして来られる。これもしんどかっただろうなあ。

同じ現場を回る入浴チームの人とはどこかの部分ですぐに意気投合するけど、近年、介護の方々ともお話する機会が増えたので、その内情を知ってつくづくお疲れさまです・・・と思う。

しかし、介護の人々にも面白い方々が沢山居るもので、昨日は昼休みに帰って来てランチしていたところ、爆笑の渦。

私は時々しか来ないので、来る度に誰かが異動になっていたり、はたまた新しい人が入って来たていたりする。

それで昨日初めて顔を観た人が居たのだが、その人がずーーっと九州弁で喋っていて、あと古株である中高年の我らがアイドルNさんも鹿児島なので似たような方言で盛り上がっている。

それが聴こえて来る度に笑いをこらえていたところ、Nさんが「尾崎さんも九州出身だったよね?」と。

聴くところによるとNさんは鹿児島で、その新しくて陽気な青年が大分で私が熊本だった。

皆似ているのだけど、微妙に違う。

「疲れたっていうのは、うちの方では”よだきー。”です。」

本当に疲れたーというジェスチャーを交えて説明してくれる。

へえー、うちの方では「きつかー。」と言います。

その流れで各自、色んな方言を出して来るのだけど、一人が言うと他の二人が「何、それ?日本じゃない!」と騒いで盛り上がっている。

極めつけ私が「稼ぐっていうことを”がまだす”と言うんですよ。だから、午後もがまだして来る!」と言うと、NさんとW君が「え?!何て言った?」と訊き返して来るので「がまだしてくる!」ともう一度言ったのだが。

二人同時に「マダガスカル?!」と叫んでいる。

おかげで、午後出発の際には、営業所の人々が「んなら、行って来るけん!マダガスカル!」とか、「おう!マダガスカル!」と掛け声を掛け合って出発していた。

大分違うんだけどなあ。何か、勢いがついたので良いことにしよう。

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おかしいなあ。昨日と比べてぬくぬくと室内で仕事していたのに、何で冷えてんだろうな。

どうでも良いけど、K野さんとの電話カウンセリング中に、白ちゃんが受話器と私のほっぺの間に鼻先を突っ込んで来る。

よく聴こえるように、そして雰囲気やニュアンスを掴み取るためにピッタリくっつけて聴こうとしているのに、今日は一際グリグリ間に入って来ようとする。

ちなみに電話カウンセリングのときにこういうことをして来るのはK野さん相手のときだけである。

もう、私の肩に両手を置いて、体を長ーーくして上って来てはこんなことをするので、しばしば抵抗するのだが、どうしても聴きたいらしい。20130111.JPG

そうねえ。

K野さん、今年は初めてだもんねえ。どうしてたか知りたいのね。

いつも電話カウンセリングだからK野さんと白ちゃんは面識がないのだが、何年も聴いているうちに大好きになっちゃったのかしら。

先方がしんどくないときだったら「何?白ちゃん、喋って良いよ。」と言うと「にゃん。にゃんにゃんにゃんにゃん。」と何やら言っているときもあるのだが、今日は真剣な話をしていたので、一時間を過ぎてそのまま電話を切ってしまったところ、あらぬ方向を向いて「うっにゃおおおおんっ!」と叫んだ。まるで犬の遠吠えみたい。

おそらくは、K野さんのおうちがあちらの方向で、それでエールを送るべく叫んだのかも知れない。

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レイキを始めてから自分で癒す方法を覚えて、格段に体調が良くなった私だと自覚するのだけど、それでも、やっぱりあんまり強くはないなあ。

疲れやすかったり頭痛持ちな部分も以前の10分の1くらいになっているものの、やっぱり忙しいときには辛い。

そういうのをやっかいに思っている部分もあるのだが、もしもこれで疲れ知らずでバリバリ元気なばかりだったとしたら、おそらく体調不良で悩む人の気持ちなんて分からなかったかも知れないと思う今日この頃。

痛みなんて分からなかったかも知れない。

はたまた一般的にそういった方々が「鬱なんてナマケモノの言い訳だ。」とか「だから、三食きちんと食べて早寝早起きをして規則正しい生活をしないからだ。」とか「気の持ちようだ。」などという古くて歪んだ認知を本気で振りかざしたりするのだろうなあ。

以前、鬱になった友人の一人に看護師さんだった人が居て、その方が自分がかかっているセラピストに鬱だと訴えたところ、海外旅行を薦められたというからビックリした。

で、もっと残念だったのはナースであり知識があるのにも関わらず「先生の言うことだから。ありがたい。」と言って行ってしまったところ。

似たような体質であったりドクターがつけた病名が例え同じであっても、結局のところ、自分の痛みや苦しみを自覚できるのは自分自身だけ。

医療やヒーリングなどのサポートは使うにしても、その自分の痛みや苦しみの塩梅を看て調節して行くのは結局のところ、本人なのだと思う。

でも、いかんせん、そんなときほど自分で考えるのが嫌で丸投げしたくなるものなのだろう。

ただ、その相手が丸投げして良い相手なのか?知識や経験を持っているのか?自分のことを本当に考えてくれているのか?

「天使のお告げによると。。。」とか「今年は太陽に黒点が多いので鬱になっても仕方ない。」なんてことをのたまっていないか?

それくらいは具合が悪くても判断が付くはずなので、そこのところは本当に注意すべきところだと思う。

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2013年01月03日

不毛なゲーム

俗にいうお節料理というものを自分らが子供の頃には飛びついて食べていたものの。

自分の子供の世代になると一向に減らなかった。

そして、親戚縁者さんが集う中で案外喜ばれるのが普通のおかず。20121026.JPG

毛蟹だとか牡蠣だとか馬刺しだとかウニだとか、お節以外のご馳走が尽きて来たあたりで一番人気なのが、普通の唐揚げとか。

あとは普通のサラダとか、パスタを三種類くらいドンドンドンとテーブルに置くと体は大きくなったものの、まだまだ若い子たちがワーーっ!と集まって来る。その後方に熊のような影を子供たちに落として、旦那やお義弟さんが後方に混じっているのが面白い。

いつ出すのか?というと、延々と続く宴会の最中、茶碗やコップを洗いながら居間の風景を一望していると、「うわ〜、もうダメだ。腹いっぱい。」と言って横になったり寝入ったりTVを観たりしていた集団のうち、一人や二人が再び起き上がり、テーブルに目を向けて何か探し出す頃。20121006.JPG

それでもこれだけの人数が居るとパスタを茹でている最中に「あたし、ラーメン食べたいなー。」という抜き打ち&予測不可能な呟きが聞こえて来る。なぬっ?そう来たか!

声の主は長女くんだったのだが、それを次女くんだったか姪っ子ちゃんだっか、どちらかが「今、お母さんがパスタ茹でているところだから。」と諌める声も聞こえて来る。

「ああ、じゃあ、パスタで良いわ!」と答えているものの、聴こえちゃったもんね。

どでかいパスタの鍋のお湯が沸くよりもラーメン一人分もやし入りの方が、例え後から隣のコンロでスタートしてもあっという間に出来上がる。

そんで、シンクの上のスペースに「はーい!ラーメンって言った人ー?出来ましたよー。」と言って置くと、「げー、すげー、嬉しい!」と長女くんが駆け寄って来る。

もう私なんかより10センチ以上大きくなっているのに、その姿があの頃、丁度小学生くらいの姿とダブる。

昔から長女くんは特別が大好き。そして、情熱的。&努力家。

社会に出るとその想いが叶わない場面も多々あると知った後に多分何度も挫折して、そしてその度に「いや、やっぱり頑張ろう。認めてくれない人間が居ても頑張ろう。」と決意し直したに違いない。

『皆、私のことが一番好きなんだよね?』と、公園のブランコに揺られながら言っていた子。

そうだよ。

そうには違いない。

ただ、順番なんて付けられないものがこの世にあるってことを学んだ大きな大きな心を持った今の君の基礎が、あの時代にある。

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正月の二日目になり、お義姉さんやお義弟さん一家がお帰りになると言う。

以前は延々とこの正月が続いていたが、昨年も今年も引きが早いのよね。

いくら私のような嫁が家事だのを奮闘したところで、お婆ちゃんも結構一人の時間がないとダメな人なので、孫は可愛いものの、二日三日と経つと若干ヨロヨロされて来るのを危惧してのことか。

駅伝を観終わった頃、皆さんお帰りになると言うので、最後の洗い物を終えた後、今日は一人で事務所へ行こうと思っていた。

そこへ旧友からのメールあり。

”どこに居るの?”と。

・・・・・・・・・・・・。時々こういう人がいるのだけど、用件を言わずにいきなり所在を尋ねて来る。

例えば、ナースやっていた頃も今も、具体的な日時の希望も無しに「会いたいので、向こう一か月の予定を教えてくれる?」という尋ね方だったりとか。

勤務表のコピーをくれと言う人も居て微妙に重くてドン引くのだけど、自分のそんなやり方と他の人のそれがどう違うのか?ということが一切分からないらしい。ちなみに何月何日のスケジュールを教えろ!という要望もちょいと違う。

いちいち全部を報告させないで、何時はどうだ?と訊いてくれよーん。

何故に他人があなたに自分の予定を報告せねばならないのか。しかも、そちらの希望を一切明かさないまま。

で、仮に人のスケジュールを素直に教えていた時代にも、空いているところは全部自分と会えるところと解釈していたなあ。

そんなもんで、正月明けの準備&白ちゃんに会いに行くためにもうすぐ出るところだったのだけど「正月なんで、おうち。」と返信したのだが。

電車に乗って事務所の自室まで登って来たところ、何と、その友人が居て、まさに今うちのドアノブに手をかけているところだったので、そりゃあ、ギョッとするわ。

さっきメールで”おうち”って返信したのに、ここでこんなことしてんだから、相変わらず不気味なことするわ〜。

こういうところは嫌なんだけど、良いところがあるし好きなところがあるから友達やってられるのだけどやっぱ、正直考えるなー。

「やっぱり来るんだったんだ?」と言われて、いやあ、ここには来る予定だったけど誰かに会うための時間じゃなかったんだけどなあ。不在時に来んなよってなことを言うと「てへっ。」と笑いを取ろうとするところが不気味。やっぱ、もう嫌だ。

茶を飲みながら、何が嫌か?ってことを話したのだけど、何か、ハイテンションで何にも通じてないなあーという手ごたえ。

そこに玄関のチャイム。

また別の友人で先の友人と一回か二回面識があった。

どうしたの?と訊くと「田舎のおみやげをドアにかけて帰ろうと思ったら中から声がしたから居るのかな?」と思って。

若干嬉しいのだけど、やっぱり若干嫌。どう言ったら良いのやら。

でも、久しぶりに会えたので嬉しい気持ちもあるので、やりたかったことはさておき、その子にもあがって貰う。

で、三人で茶する運びとなったものの、これも先の友人の特徴なのだけど、二人きりのときには普通に楽しく会話が出来るのだけど、第三者やら第四者が加わると、突然様相が変わる。

ある時はその辺のものを開けて触り出したり、私のプライベートや昔の話をして「こうだったんだよ、ああだったんだよ。(知らないでしょ?)」と嫌なこと半分面白おかしく話し出す。心なしか、体を叩いて来る回数も段々増えて来る。

何かをアピールしたいのだろうなあ。けなしている笑顔に眉間の皺が怖い。ちょっとした狂気なんだけど、幾度も目にして来た。(歳とると、この皺がそのまま定着して来るんだわ。)

これは無意識レベルで恨みながら近づいて来る人のゲームで、非常に面倒臭いのだけど、二人でいるときには神妙で非礼がないし、はたまた心理学をやっているわけでないので放置している。

一番の理由としては、特にそのまま生きてていて支障がないようだし、はたまた依頼されてもいないから触らない。

本人が求めてもいないタイミングで人を変えようなんてことは思わないし、無謀にも自分がやっていることを分かろうとか自分を知ろうなんて気が無い人に、いくらこちら側だけ頑張ってもろくなことがないということも知っている。

はたまた、気にしなければ、まずはこちらも支障はないのだが、一つのゲームを無視すると、余計に嫌なゲームを仕掛けて来て、終いの方には爆弾レベルになってしまうという法則も知っている。

基本、余計なおせっかいは焼かないのだが、こちらも好き好んで気分の悪い思いをすると分かっている人とは会おうとは思わないのよね。

なので、時々、ゲームで唾飛ばしている最中にストップをかけることもある。

例えば、後から来た友人とせっかく楽しく喋っている最中に、いきなり話題を変えて「この人、忌野清志郎と竜馬が好きなんだよ!でも、あたしは嫌い!」と叫んでいる。

後から来た方の友人と私は異常さを感じて、会話が止まってしまい、彼女の方をじっと見るはめになる。

まあ、ゲームは、”こんなことを言ったり、こんなことをしたりすれば激しく注目しているくれるだろう。”という無意識が原動力なので、その孤独さや歪んだ認知の分だけ不自然で狂気の表情になる。

あの・・・、今、清志郎の話も竜馬の話もしてなかったよね?しかも、清志郎と竜馬も全然関連性ないよね?それ、どっから出て来た?
あと、人が好きなものを嫌いでも全然構わないんだけど、わざわざ好きな人間の前で言うのは楽しい気持ちになるはずないので止めてね。いや、例えば今私が、竜馬の話とかしていたとか、はたまた好きになれと言ったってなら分かるけど、明らかに唐突だっただろう。(まあ、これもゲームの特徴だけどね。)

短いスパンとしては、例えあきれた目であっても、不気味に思う目を向けられても、彼女と私が異常なエネルギーの発信元を観たので、ここで小さなゲームオーバーだ。

彼女は、無意識の「私だけを観て」を達成して、いっぺんに二人の友人を無くした。

「いやあ、全然、連絡くれないよね。」

そりゃあ、理由あってのことなんだよ。

今日は結構頑張ってそれとなく表現した。これ以上のところは、学ぼうとしていない人には無理。

生涯ゲームと強い癖にまみれて尖っていたとしても。

「たまにはお茶しようね。」

いや。違う。時間作って茶してまで得たいストロークの交換。それは、素直な心と素直な心の触れ合いだったり、あるいは毒舌大会かも知れない。

でも、あなたは変わらない。

だから、会う度にゲームの巣窟になり、ゴミ箱扱いされるだけというのは二度も三度も体験すれば察しが付くだろう。

どうして、不在なのを知って入ろうとしていたの?どうしてYちゃんが来てから以降、不穏になり”おまえの好きなものはNO。おまえもNO。”が始まったの?

そして、おそらく、もう会いたくもないのだけど、もしも会ったら、本日ここに居る私と仲の良かった彼女の悪口が始まること必須だよね。(いつも私とちょいと親しいと認識した人をこき下ろしたり、はたまたその相手にもゲームをしかけていくパターン。)

それで良いんっすか?

幾つかの質問をしてお帰り願った。

分からなければそれまでのこと。

小さなことから大きなゲームに至るまで、とうとう、許容量を超えたので手放した。


人の言動というのは目的がある。

でも、それを自分でもわかっていない人が果たして考えるかどうかは不明だけれど、それは彼女の方の問題なので、考えても考えなくても任せるわ。

ただ、私は気分の悪い付き合いは嫌。

テーブル上で誉めそやしながら、あたかもテーブルの下で蹴ったり抓ったりしているような、嘘つきの体裁好きのお付き合いが、もう、ほんとに要らない。

帰れ。


おおよそ7〜8年くらい前だったか。

あの頃は、まだまだ、いつも何が起こっているのか分からなくて、失礼なことばかり言う人をじーっと観ていたんだよな。

そして、その頃はまだ「そういうのは気持ちが悪いし、あなたの顔も人生も全てをゆがめている。」とは言えなかった。

でも、今はもう帰れって言えるんで言わなければならない。「あなた、刃物で刺してますよ。止めて下さい。」って言うのは普通ーーーのこと。

「じゃあ、連絡してね!」

するわけないだろう。

ゲームという負の貯金は満期を過ぎました。

「皆、疎遠になっちゃって。寂しいじゃん。」

いや、”寂しい”の前に理由を考えようよ。自分のして来たことに返って来るのが現実だよ。

ゲームが多すぎる人ってのは往々にして相手の立場や気持ちを考えられない。

それを学ぶより、目先の自分の心の穴を塞ぐ余興に他人を使って、一旦満足するのだが、また次の穴を開ける。

その壊しては創り、壊しては創りの繰り返しの中、途方もない疲れとむなしさを感じることはもう分かっていることなのだが。

これも自分を見つめない人の場合には一生続く可能性がある。

そこは手伝いたくないもんだわ と思う。
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2012年12月30日

虹は虹に寄る 黒は黒に寄る

とある看護師さんがクライアントさんとしてお越しの折り、「目に見えないものも存在するんだと思うんです。皆は馬鹿にするけれど。」と仰っていた。

それ自体は何でもない言葉なのだけど何年間にも渡って何回も同じ言葉が出て来ると辟易する。

だから、そうだよって言ってんじゃん・・・と思ってしまうのだ。201212291.JPG

今更この時代に「オーラってあると思うの。」という人に出会うと、もはやビックリレベルになる。

思うとか思わないとか、信じるとか信じないではなくて、もはやあると証明されているものだから。

オーラとは肉体を取り巻くエネルギーフィールドのことを呼ぶときに使われることが多い昨今だけど、エネルギーが燃えているところならばどこにでも存在する。

光の波長の長さによって何色に見えるか?ということが違うのだけど、この世に色という可視光線が存在する。

可視光線の範囲内だけでも物凄い数の色が見えるのだけど、可視光線という光ですらエネルギーのほんの一部に過ぎない。

その逆に「目に見えるものしか信じない。」と言う人に限って視野が狭くて、下手すると普通の人が見える範囲内のものですら見えていない。201212292.JPG

でも、先述した「目に見えないものはあると思うの。」という言葉を言いつつ、俗に言う天使様の世界に現実逃避するだけの人も同じくらい見えていない。

同じくらい真っ黒で、その黒さとは自分自身が寄せ付けた垢や怠惰の色だったりする。

色は、似ている色に引き寄せられ乱反射する。

そして、黒はあたかもゴミの埋め立て地に土を被せるように運をも滞らせ、心を覆い隠したいときに身にまとう色。

そして、黒はさらに黒を引き付けて変化を拒む分厚い垢になって行く。

人間のオーラの面白いところは、気分や考え方や生き方によって、その人の”気の場”であるオーラが変化して行くところ。201212293.JPG

一時ブームになっていた某スピリチュアルカウンセラーの方が”オーラの色は本質的な人格を表している”と解説していたのは、的を射ている。

ただ、辛い出来事やトラウマや頑なな心の癖がある人は、ついつい暗闇で安心したり暗い人に惹かれて行ったりしてしまう。ついつい悲劇の人生脚本を書いて、自らがその悲劇のヒロインになるのが趣味になってしまっている。(自称 いつでも被害者で、周りは酷い人というストーリーを崩したがらない。)

古い考え方や習慣で出来た自分の心の投影を思わず赤の他人に投げつける行為は、まさに自分の垢や汚れを投げつけている行為なのだけど、ついつい黒を塗り重ねてしまう。

そういった状況になったとき、その人の本来のカラーというのはますます汚れの奥底に隠れてしまうし、もはやその重みで出て来れない状態になってしまう。

なので、こうなってしまうと、いくら精神や考え方がオーラに影響を及ぼすからと言って、おいそれと考え方や生き方を変えられないのも無理もない。

ざっくりと言うと、レイキというのは、その逆説を取り、無理やり別人のようにポジティブに考えることではなくて、先にオーラの方から磨いてしまえという考え方をする。

だから、ちょいと表面を1〜2回綺麗にしても、長年の垢の層が分厚くて顕著に変化が現れない人も確かに居る。

が、レイキで磨けば磨くほど、絶対にその垢は取れる。(そのレイキのずっと手前に風呂に入るとか、動くとか、払い落とすとか、物凄く簡単な浄化方法があるんだけどね。)

あと、一旦黒を重ねて来た人というのは、その黒さの分だけ鈍感になっているというのもまた事実。

感覚の上に分厚く黒が重なっているのだから当然と言えば当然だけど、とにかく見えにくいし聞こえにくいし、感じにくい。対 物質に対してもそうだけど、自分や人の心や道理に対しても鈍くなってしまう。

TVを大音量でつけていたり、とても良い香りがしている紅茶を飲んでも「薄い!何にも味がしない。」と言ったり、よほど濃い味付けものでなければ感じなくなっていたり、物凄い量を食べないと心も体も満たされなかったり、はたまた、他人の思いやりも劇的に献身的なものを求めたりする。でなければ感じられないからだ。

生きるということは感じるということなので、それでは「ああ、退屈だ。ああ、寂しい。」と際限なく人に依存したり要求したりするようになるのだけど、本当は、世の中がいけないのではなくて、自分の垢を落として下さると周りも自分も非常に助かるという簡単なことだったりする。

オーラとは、その人だけの神聖な小宇宙。201212294.jpg

そこに確かに存在するもの。

それがその人にとっての現実を創りだす。

このオーラの中に家族や友人、見知らぬ人、あるいは肉体を持たない存在のエネルギーが入り込んでいると、本人ではなくて、その人たちが望む現実を創り出してしまう。

でも、垢で皮膚や魂が覆われてしまっていると、侵入されていることにも気が付かないし、逆に自分が他人のオーラの中に土足で侵入して安心しようとしてしまう。要するに他人の世界を自分の望む世界に創りかえようとしてしまう支配。皮肉なことに親が子にこれやったり、やられて来た人が他人にやってしまったりする。

それはとても疲れるエネルギー交換が続く人生。

物凄く極端な例をあげたけれど、通常は黒くない人でも、「何だか、疲れやすいなあ。」という時期があったら、それは他の人のエネルギーがくっついているせいか、あるいは自分をお留守にして他人の中にエネルギーを置き忘れて来た状態にある時期かも知れない。

そんなときに、人は考え込む。なんたって、入り口もなく出口もなく同じところを回っているだけなので。

いずれにせよ、オーラと表現されるエネルギーの世界もこの現実の世界も繋がって比例している。

要らない情報で武装するばかりではなくて、ただ綺麗に磨いているだけで、無駄な力を使うことなく循環が良くなる。

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これはまた別の看護師さんだが、ある時期から「最近、やたらと虹を見つける♪」と言うようになられた。

レイキを受講なさってから何ヶ月も経ったある日を境にそれは始まった。

グラスの中。自転車を出すとき。石の中。車に乗り込んだとき。はたまたある時は月の周りや街頭や、大空に。

そして、その延長戦上で人の周りのそれも、その人の可視光線の範囲内に入ることもある。

人は自分の内側にあるものを世界に投影している。

虹を見つけやすくなったとき、人のまごころや思いやりを感じやすくなったとき、日増しにピカピカになって言っているその人を見た。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年12月14日

甘ったれた表現か はたまたアサーションか

とある業界の管理者の方が頭を痛めていたのでその理由を聴いたところ、幾人もの人が「あの人と同じシフトは嫌だ。」と言うので中々シフトが組めない状況があるのだと言う。

病院勤務の時にも大人なのにそういうことを言う人がどこに行っても一人や二人はいたが、それがいっぱい居るというので驚いた。

もちろん色んな人に集中してそう言われてしまう人も居るが、それ以外の大半は皆それぞれ「嫌だ」という相手が違うのだと言う。

そりゃあ、そんな人々の言い分を一人一人聴いていたら成り立たないわ。

しかし、彼は真面目な人間だったのでいちいち要望に応えようとしていたため、もちろん業務が滞り結局上司に「何やってんだ。」ときつく叱られるはめになったとのこと。

最初は「頼むね。」とお願いされて始めた業務でも、無理難題を押し付けられて終いには「何やってんだよ。」と上と下の我儘に翻弄されたところ、彼曰く「もう、やらねえ。」とのこと。

うんうんと聴いていたところ「あれ?うんうんですか?」と言うので「うんうん、そうだよ。そりゃキレなきゃいけないところだよ。」と意見を言う。

仲良しグループで馴れ合うためだけに仕事をするのだとしたら、そしてまた、それで給料貰おうとしたり、もっとひどいのになるとその給料が安いと文句を言っていたり、さらにさらに、それが看護や介護職の世界での出来事だとすると、そんな人材ばかりが集まるのって非常に危険なことに思えてならない。

仲間同士の愚痴で誰それが嫌だと言い合うのならまだ話は分かるけど、公の場でそれを堂々と通してしまおうとする異常さに気付けないのならば。

それ、要望や意見とはまた違うから。

そこ、指導するところだと思うんだよねと言うと、彼は「ああ、面倒くせえ。指導なら山ほどしましたさ。でも、何一つ傾聴出来ないんですよ。きゃつらは。」と項垂れている彼だった。

あ、そか。分かるよ。

マシンガントークばかりで傾聴が出来ないと、所詮は全てがそこでストップだ。

******************

例えば私はカウンセリングの世界で自分のインナーチャイルドをケアする人々に沢山出会う。

しかし、彼女(彼)たちはアダルトチルドレンではない。

友人が、とあるセラピストに「あなたもアダルトチルドレンだから、アダルトチルドレンのお茶会にいらっしゃいよ。」と軽く言われて、酷く傷ついたというエピソードを聴かせてくれた。

どう表現して良いのか分からないその失礼さを訴えたそうだが、そのセラピストはケロリとして「恥じることないのよ。皆、アダルトチルドレンなんだから。」と言ったそうだ。

何もかもをごっちゃにしようとする人が居たり境界線を曖昧にしようとする人が多いのだけど、インナーチャイルドをケアしている人、あるいはケアしようとする人はアダルトチルドレンではない。

本当にアダルトチルドレンだとしたら、自分を見つめようとしないので、インナーチャイルドの存在にも気が付かないし、生涯我儘を言い続けるだけ。そして、他人を見下したり優位に立つためだけに何かを得ようとする。

インナーチャイルドの存在に気が付ける人、それをケアしようとする人というのは、むしろ通常より成熟した人々だ。そこにある自分の自分史や自分の人生に責任を持とうとする意志があるのだから。

ここも勘違いされるのだけど、それはインナーチャイルドを他人に癒して貰おう、ケアして貰おうとばかり考えている人とも違う。

それは、例えば人生のある地点で孤独を感じたとき、「自分は何故今孤独なのか?」と過去の生き方を見つめ直す人と、

それとは真逆にとりあえずその孤独を埋めるがために必死で多くの他人や物質、あるいは特定の異性を求め、他人の時間や労力を犠牲にして自分の心の穴を埋めてしのごうとするその場しのぎの人との大きな大きな差だ。

30代、40代、ましてや50代の嫉妬や支配が醜いのは、公の場でそれを垂れ流してしまうほど自分の不満を募らせて来た何十年分かの怠惰さがマックスになっているから。

子供の頃だったら怒ってみせたりすねてみせたりってのも可愛いけれど、自己概念が現在の自分に合うまでに成長していないと子供の頃の心と同じ表現方法を使ってしまうわけで、本人は可愛いつもりでも周りには異様に感じられるし、少なくとも健全な人はドン引きする。

そして、不思議なことに、仕事上の場面では嫌な人と共に仕事をしたくないと言うのだけど、プライベートの人間関係では、好きでもないのに自分が欲しいものを持っているように見える人や付き合うと得をしそうな人と友達になりたがる。

中には「虫唾が走る。」と言いながらも関係を保とうとする人も居る。

そりゃ何十年生きても、何回転生を繰り返しても、そこに残るのはバラバラなパズルのピースだけだ。それも全部他人から奪って来たものなので決して形が合うことはない。何の絵柄も完成しない。

でも、支配的なので無理やり変形させてまで型にはめ込もうとするので、それをやられる他人は痛い。下手すると自分の都合で他人を切り取ってしまうので。

痛いと嫌だから普通に去られる。

仕事とプライベート。

自分の心の中の好きと嫌い。

様々なことの境界線がつけられないし、考えようともしないのが悪い意味での大人子供。

でも、大きくなっても子供をやり続けようとする人には、人の痛みは分からない。

子供っぽさを可愛さだといつまでもいつまでも勘違いしてるので。

それが結局は自分を傷つける生き方になっているということや、それに伴う自分の痛みにも無頓着。

自分を愛そうとしない人は決して他人を愛せない。


自分が辛い思いや苦労をして来て他人の痛みを想像出来るようになる人と、辛い思いをして来たから他人を恨んだり妬むという人。

人との別れに傷ついて来たから今ある関係を大切にしようとする人と、人に去られたことがあるから去られないように支配しようとする人。

その差は大きくて、年齢を重ねるごとに開いていく。

そして、自分と向き合えなくなった人というのは、いつしか誰とも一対一で対等に向き合えなくなる。

***********************

彼のエピソードを聴いていたら色んな人のことを思い出してしまったが。

私だったら歪んだ愛情表現も、歪んだ関係も、もう一つも要らないなあ。それがどんなに素敵な包装紙に包まれていてもね。

結局企業だってそういったものじゃないんだろうか。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年11月07日

時間の構造化

「ほんとはパイロットになりたかったんだ。」

「ほんとは医者になりたかったんだ。」

常日ごろ、色んな言葉を聴くし、その昔は鵜呑みにしていたのだけど、同じく本気で悔やんでいるかのように見える人でも、ああ、それは嘘だわと思う。

もしも本当にそれに成りたかったら、何としてでも対価を稼ぎ、何としてでもそのために時間を費やしているはず。謙虚にそれを学んで来たはず。

本当のところは、それよりも何か他の自分のこだわりに時間を費やしただけのこと。

意識にしろ無意識にしろ、現状はその人の本心を表す。

*******************

その昔、とある勉強をしたいと言う人がいて、「力になって欲しい。でも、金がない。」と言う人もいた。

やはり鵜呑みにして協力してしまったが、それも本心ではなかった。

そう言えば関わる種の人間が居るということを、その手の人は知っている。でも、実は自分でやりたくなない。

はたまたお金が沢山あるけれど不幸だといつも怒っている人が居た。

「心臓病で苦しいんだ。そしてスリムに痩せたいんだ。」

友達だったので一生懸命考えたのだけど、どうもその願いと行動が真逆の方向を向いていて。

それならば一緒に毎日歩こうか?と言ったとき、涙を流して喜んでくれたんだけど、それも三日と続かなかった。

自分で歩くのは嫌なのだ。やっぱりもっと楽な方法を見つけたいし、本心は人にやって貰いたい。でも、自分の体と人生、そして歩くという行為は自分にしか出来ない。

そこが分からないと「やって貰いたい」の言葉の元に相手が痩せ細り自分自身は肥えて行く。あたりまえのことだけど。

あるときは、やはり経済的に苦しい友人が居て、彼女が心の病気になったとき、毎日毎日無償でレイキをあてた。

でも、それも長くは続かなかった。

人の手を通して流れる癒しの何百倍もの力を使って彼女は自分を傷つけた。

事務所に自分が商売としているフラワーエッセンスを置いて欲しいと言ったり、自分の商売のポスターを貼って欲しいと言う人が居たり、でも、気軽に頼む人ほど、途中で他のことをやり出す。

中断して何も続かない。

「困った、困った。ああ、困った。」というゲームを沢山見て来たのだけど、本気で困っていたり、心からそれを乗り越えようとしている人というのは、全員ではない。

人に注目されることや気を惹くこと、関わるためにそんなゲームをする人も居る。

ゲームというのは無意識だから仕方がないのだが、せめて荷担はしたくないな〜と思う今日この頃。

相手のそのパターンにも病的に拍車がかかるし、周囲の人も知らぬ間に擦り切れて行くから。

長い間引きこもりだった友人に誘われて泊まりに行った際、「ヒプノセラピーをやって。」と言われた際、「???」と妙な空気を感じたものの、元気が出る暗示を使った。

すると、それが終わると「ねえねえ、もう一回かけて。すごく元気な気持ちになった。だから、もう一回やって!」と言うのを見てハッキリした違和感を感じた。

久しぶりに歩いたから足が痛いだろうと思い、つい手が伸びて足を揉んであげると、それが終わった後に「ねえ、もう一回やって。」と、やはり言われた。

その手の人は皆、共通のパターンを持っているなあと思う。

孤独だとか愛されていないと言いつつも、おそらく周りの人も沢山何かをして来たことだろう。「もっともっと。」と言われる度に。

元々は人に何か奉仕することが好きだった人すらもへとへとになるほどに貪欲に求めて来たことだろう。

結構与えられている。

でも、本人は他人を羨んだり妬んだりするばかりで、自分に与えられているものを見つめたり受け止めたりしないから、何もなかったことになって「ねえ、もう一回やって。」が永遠に続く。

そして、病的になると相手の消耗さ加減で愛され度合を測っていたりする人も居る。

実は、介護する立場の人々のカウンセリングをしていると、こういったエピソードが山ほど出て来るので思わず共感してしまう。

でも、その逆の立場の方の話を聴くと「私、人に気を使い過ぎて疲れちゃうの。」という言葉が出るのだが、「ええ?!それで気を使ってるの?!」と客観視の上では驚いてしまうこともある。

私は本当の甘え下手な人を知っている。

その方々は何が何でも自分で考え自分でやろうとして疲れ果てた人々。正真正銘気を使いすぎる人々。

自己概念という言葉があるのだけど、セルフイメージと現実のずれって、本当に恐ろしいほどの不具合を招く。

********************

人生には機会(チャンス)というものがある。タイミングもある。

そこに人の心が絡んでいる。

だから、そこを無駄にする人には周りがしらけてしまうことも多い。

でも、それを知らない人だけが、本当に自分を思っていた人のことをもゴミ箱のように扱いマシンガントークを続ける。

心理的ゲームの中には”時間を奪うゲーム”や”相手の体力を奪うゲーム”が確かに存在する。

で、ゲームはあくまでゲームでしかない。


だから、私は、幸せになってくれる人を見ていると嬉しい。

全てを受け止め無駄にせず、人と関わって来た人だから、感謝し合って生きているし、それを簡単に捨てたり忘れたりしない。たった一つの小さな出来事や人の心尽くしを何度も反芻して味わっている。

そして、それとは相反する人の隠しても隠しても、はみ出て見える嘘が面倒臭い。

色んな理由をつけて、やると言ったことをやらないのなら、やるとは言うまじ。

ましてや相手が大事にしている世界のものを利用して注意を引くという行為には、必ずそれ相応の不幸なしっぺ返しがやって来る。

ゲームに人生を費やすことはその人の自由だと思う。

が、そのやり方にノーと言って関わらない自由も同時に存在している。

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何も知らない頃に、ゲームを覚えて、その方法しか知らなかった人も居る。ましてや無意識のことだから。

でも、多くの人をゴミ箱のように扱って来て、「いったい幾つ壊したら口が止まるんだ?心が癒されるんだ?」と思われるような生き方をして来てしまったとしよう。

実はそういう人ほど幸せになる責任がある。

何故なら、その人や、その人と関わった生身の人間が本当のゴミやゴミ箱だということになってしまうから。

******************

今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。


 

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2012年11月04日

クリアリング

たまの訪問入浴でも、カウンセリングDaysでも、頑張りきった一日のその夜というのは、頭が空っぽになってぼさーーっとした状態になる。

自分としてはこの状態が気持ち良いのだか心地悪いのだか分からない時期があった。でも、今思うに、病院と言う枠組みの中で一喜一憂していた頃と比べると、やっぱり心地良い。

それは多分、思い通りにならない日や苦しい日があっても、自分の好きなことに自分の体と心を費やしているせいなのだろうと思う。

だから、同じ疲労状態と言えども同じじゃない。それは食べて眠れば取れる種の疲れだから。

そういったボーーっとした状態のときにさえ、両手からびりびりとレイキが出ていたり、謎のラメラメで光っていたりするので、やはり自分に手を添えている。

色んな不要なものがくっついてくすんでしまったり、自分が普通の人だと思い込んでいる狂気を吸い込んでしまう日もある。

でも、回路が詰まらなければ流れて出て行くし、流せば回路は詰まらない。

そういうとき、この疲労は自分を詰まらせる作業のためじゃなく、自分が成長するために使ったプロセスでの疲労だと分かる。

そうして、自分を管理して行く中で、初めて他者に対するケアへの道を歩く資格が得られるのかも知れない。もちろんそれは依頼があった方のみにだけど。

日常生活の中でも、仕事上で出会う人でも、よく見かけるのは、頼まれてもいないのに他人の人生に勝手に触る人。例えばその人やその人の友人を勝手に批評する人。

占い齧った人とか、ちょいと何かのセラピーツールに触れた人がよくこれやるよね。

勝手に人を占ったり、頼んでもいないのに分析したり。

要するにやりたくてうずうずしているのだろうし、中には「自分を試してみたいの。」と言う人も居た。

とても空虚なのだろうなあと思う。

求める人が居ないと勝手に使うしかないのかも知れないけれど、それをやるから余計にプロではなくなるわ、相手はドン引きしたり下手すると不快な気分になって、ますます求められなくなって行く。

世の中には星の数ほどの情報が溢れていて、それを全部知っていることが大切で、知っていれば他人との接点が出来ると思い込んでいる人もいるけど、その実、誰にでもその人が必要なものと、まったく持って要らないものが存在するんだよね。

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今晩で自分で考案した浄化プログラムのワンステップが終わる。

こういうのって、少なくともまずは自分で試してみて実感してからでないと決して他人様には薦められない。

はたまた私に合うからと言って誰にでも合うというわけでもない。

それでも、最低条件として少なくとも自分が体験していることが大切。

さらに言うと「これやって良かったよ。一緒にやろうよ。」と言う人々のこの「一緒に」というのも曲者で。

よくよく話を聴いてみたり、長いことそのプロセスを眺めていたりすると、本人の現状が実は良くなるどころかどんどんおかしくなっているなあと思えることもある。

でも、自分を見つめないので、自分が悪化していることにも気が付かないまま、「これが良い。」と人にアドバイスすることの何と危険なことだろう。

特にそういった方というのは、何か一つの方法やその先生やらセラピストに執着しているので、「あんまり良くなっていないよ。」なんて言おうものなら、目の色を変えてしまう。自分を否定された気になったり依存相手をけなされたような気持ちになるのだろう。

でも、そこをA(客観的)で見ることは欠かせない。どうしても欠かせない。

嘘や気のせいや「何となく」というような自己満足の範疇で、自分すら癒せていないのに人に薦めるということはとても危険なことだ。

なので、何か人様に施すようなことをを始めるということは、長くかかるよ。その前に何度も見直さなければならないことが山ほどあるから。

でも、それはどうしても必要なプロセスだ。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。


 

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2012年10月23日

目を開けて歩く

先日、とある方のカウンセリングをしている最中に、この場所で知り合った人々のことを思っては、「洗濯機が終わって止まっているのに寝ている自分はだらしないなあ〜とか思って。。。」と仰っている方がいた。

彼女に限らずこういった趣旨のことを仰る方は多い。(彼女の場合、この具体例がどこか人として可愛いんだけど。)

深く知り合うと、人の奥底の方のきらめきがドンドン見えて来て「ああ、皆、頑張っているんだなあ。凄いなあ。」と感じるのだ。それはもう星が一つ一つ煌めくかのように。201210221.JPG

でも、同じ光景、同じ人物を見てもその煌めきがまったく分からないし感じられないどころか、悪いところばかり見つけて批判する人も居るわけで。

それは分からないのだから仕方ない。

でも、少なくとも、その輝きが見えたり理解できる人というのは、自分の中にもその輝きに共鳴できる輝きを持っている人だからこそ反射して気が付くことが出来るということ。

愚痴と恨みと妬み、不満のみで満ち満ちてしまうのは、自分の中の黒い部分ばかりを使って共鳴しようとする癖があるからだ。(そうなるともうある意味興奮しちゃって人の話は聴けないしまともに考えることも出来ない。)

この方の場合はここまで酷いわけじゃないからまだ良いものの、「皆は凄いな〜。」とごく普通に捉える感性がある人特有の問題点もある。

それは自分の輝きが見えないこと。

寝ているとき、”それだけ疲れることを頑張っているんだよ。”って自分に言ってあげてくれたら良いなあと思った。

子育てとかちょっとした家事の累積とか人付き合いとか仕事のこととか、etc。。。。

それは誰も褒めてくれない普通のことのように感じられるかも知れないけれど、日々を紡いでいるだけで完璧で素晴らしいんだよって思った。

それから数日後、その時のお客様が自分に優しくしている様子を知って、凄く嬉しく思った。

自分に優しく出来るあなただから、お子さんや他の誰かにも優しい。

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オーラソーマのボトルに色んなことを語られたり問われ続けたりする中、実に色んな視点のカラーが見えて来るものだ。

そして、さらにアルテミスを使っていると、ますます色んな光景が見えて来る。

正確に言うと、最初から見えていたものばかりなのに、目を瞑って来た。

真実。

時々それは厳しく悲しいものだなあと思う。

ので、片目で見たり両目を瞑って歩いて行こうとする。時には嘘の方が優しく感じられるのだけど、それではやはり転んだり人にぶつかったりするので迷惑なわけ。

最初、どうしてレッドの入ったボトルを使っている際に真実ばかりが見えて来るのか?と不思議に思ったが、考えて見れば、レッドはグリーンの補色だった。

グリーンの意味する真実と道。

それがレッドの強烈さを持って問いかけて来る。

仕方がないので認めるしかない。

自分を虐待する生き方をしている人は、必ず動物や子供や老人、他人をも虐待するということを。

それはどんな事情があっても擁護出来ないし、少なくともその人のありのままじゃない。長期化すると立派な病気だとも思う。

それが人生の一時期だけに起こる間違いならば良いのだけど、そこで居直っている人はどこまで荷物降ろしをしても嘘ばかりが降りて来るだけ。

そして、ガリガリにとがったその嘘で傷つけられるので内心血だらけ。

そんなことは分かっていたはずなのに、今回、つくづく考えた。

自分を大切にするということがどういうことか?ということを。何故、それが大切なのか?ということを。

それは決して自分を甘やかすこととも違う。目標を落として卑下して卑屈になって安心することとも違う。

最初は、とても不思議な理屈のように感じたが今は分かる。

自分を大切にする人は、人を愛している。

そして自分を虐待する人は自分のことしか考えていないというこの理屈。

そこに作り上げられた恐怖や妄想を消せるのは自分自身しかないのだなということ。

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私はよくアメリカのドラマをDVDで借りて見ることがある

かなり長いシリーズのとある番組に科学捜査班を取り上げたものがある。

その番組に出て来る犯罪を犯してしまう人々のタイプは様々で不慮の事故から計画的なものまで色々あるが。

連続殺人などになると決まって極めて利己的な社会的精神病質の人間が出て来る。おおよそ実際の事件がモデルになっているケースが多いのでリアルにぞっとする。

で、科学捜査班の長は、犯人が体験して来たトラウマも現在に至るまでの事情も全て分かっているわけだ。何せ幾千通りも見て来ているし、多くの時間を勉強に費やして来たから尚更のことだと思う。(犯人はいっさい勉強しないけどね。自分のことなのにね。)

そして、シリーズも長くなって来て、全ての労力を費やしたり、時には待ったり、時には考えたりして働き続ける中で、色んなことがあった後、この場面での主人公が言うセリフがある。

「私はこれまで、傷ついて来た人間でもチャンスがあれば変われると思って来た。だが、今は分からない。」と。

酷く悲しそうに呟くので、一旦は共感したり投影したりもするのだが、最終的に思う。

何言ってんだよ。変われるよ と。

でも、それは本人が変わりたいと思ったときだけなんだ。その機会が開かなければサポート出来ない。

そして、犯人に同情したり感情移入したりする気持ちも分かるのだけど、その”トラウマ”と呼ばれる出来事は、案外普通と呼ばれる人々の多くが体験していることだったりする。

人の気持ちが分からないものだから、与えらえたチャンスを踏みつぶしたり、受け取るべきときに受け取らないというだけ。
案外、皆、愛されてるんだよね。

ただ、変なところに敏感で、大事なところが鈍感な自分を変えようとして来なかった蓄積が生んだ現在があるだけ。

本当のところ、人生は公平で完璧であると認めると、自分で見なければいけないこと、自分でやらなければならないことが増えるからそれを避けているだけ。

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グリーンもレッドもただただ美しい。

両目を開けて歩いて行こうと思った。201210222.JPG

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。


 

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2012年10月16日

支配をやめて超然として見ること

いつぞや、お客様にレイキをあてているときのこと。

「私が読んでいるブログを書いている人ね。凄くセレブで、毎日豪華なランチを食べているの。毎日写真がアップしてあるの。」と仰る。

へ〜、そうなんですかあ〜。と、その後続きを待っていたのだけど、そのまま黙ってしまった。

そのことをいったいどう感じているのか?ってのかが分からない。

それで「あれ?終わり?」と訊いてみた。その話の意図は?

すると彼女は「ええー?そんなの羨ましいに決まっているじゃない!」と、やっと何を感じているかを話して下さったので「ああ〜、なるほど。羨ましいと感じているのね。」と初めて分かった次第。

で、それが、もしもあなたの幸せなのだとするなら、それをやって見れば良いじゃないとも思う。

「だって、そんなお金ないもの。」

じゃあ、稼げば良いじゃない。最初から毎日とも行かなくとも”あなたの幸せ”に近づけるのでは?

そんなことを話していると彼女は「ってか、かおるさんは良いなあ!って思わないの?」と訊かれたので、正直に感じるところを言ってみると、毎日毎日いちいち自分が食べる豪華ランチの写真を撮ってアップするって傍からみると不思議な光景だなあ〜と私は思う。もちろん他の人の感覚は分からないけどね。

よく誰かとご飯食べたり飲んだりしていても、例えば二人きりとのときですら携帯を放さず終始メールや着信のチェックいている人や目の前の人の会話を中断してツィッターに書き込みしている人もいるのだけど、それも異様やのう〜と感じるのだが、少しだけそれと似ている気もする。目の前の人間の時間さいといてそりゃ異様だわ。

「いや、その40代の女性は毎日一人でランチしつつ写真撮っているの。」と聴いて、ますます「へえ〜。」となる。ますます羨ましくはないなあ。

年を取っても、もちろん美味しいものを食べたいと思うのだが、若い頃からそんな自分の些細な願いを自分で叶えて来た人というのは、やがて、食べたいというよりは食べさせたいと思う方が強くなる。

美味しいものを食べるのも幸せだけど、それを食べて貰ったり分かち合ったときの幸せへと移行していく。

もちろん個人差はあれど、器が溢れかえる時期があまりにも晩年か、はたまた下手すると一生来ないとなると、それは何だか貧しい人生のように感じて。

つい、いつぞやあった連続殺人事件の犯人である女性も毎日高級ホテルなどで食事するメニューをいちいちブログにアップしていたなあ〜と思い出してしまう。

お金ってのは大切なのだけど、それはあくまで人が使うもの。

ましてやその金のために多くの命を奪ってしまう人ならば、どんなに高級なものを食べて本人的には美味しいと感じていても、絶対何かのスパイスを忘れているかのような味になりそう。

どうしても貧しく感じてしまうのだ。

(でも、一番性質が悪いのは、富を憎む人やお金に困っていた人が突然大金を手にしたときの状態かも知れない。)


ときに、この話をしてくれた彼女は幼い時期に「弱い方が可愛いと思われる。」という刷り込みが入っちゃった人で、しかも、「痩せていれば弱弱しく見えるから可愛がって貰える。」とも学んでしまった人。

だから、例えば三人で和気藹々と話している最中にふと彼女の視線を感じて「どうしたの?」と訊くと「わー!」と号泣して見せたりとか。

はたまた、痩せていると可愛いという信仰故にガリガリになっている時期があったりする。

ところが、その顔色は青黒く、首筋が筋張って、インキな目のまま微笑んでくるので、なかなか彼女の期待する愛は得られない。

下手すると逃げ惑う人も居る。

幸せ感や強さのない不健康なガリガリ状態になると「あれ?なんでみんな私を見てくれないの?」と怒ったり泣いたり。要するにこれもレッドのエネルギーの方向性の失敗例だなあ。

”可愛いと思われると楽出来る。守って貰える。”って無意識も長年持っていると「自分では何もしたくない。」とか怠け者オーラが出て来るし、「でも褒めて貰いたい。ずっと見ていて貰いたい。」とかずうずうしいオーラも重なって来たりする。

自己概念的には”誰かが支えてあげなければならないか弱い女の子”というところなんだろうけど、現実的には痩せれば痩せるほどねずみ男風になって行くというこの悲劇。

この現実と自己概念のずれが大きな悲劇を生むのだけど、これまた本人が刷り込みを書き換えようとしなければ仕方ない。何も変わらない。

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はたまた数年前、オーラソーマのボトルを眺めつつ「あの色合わせは納得できない!同系色でないから!」と言っていた人も月の大半を寝込んで過ごしている人でもあった。

人もボトルも超然としてそこにある。

すでにある自然なものを自分の良いように捻じ曲げようとしたり、現実とは程遠い妄想に走ったりすることは人付き合いでもボトル選びでも、非常に疲れる人生なのだろうなあ。

はたまた友人に「こうすれば優位に立てる。」という言葉をいちいち口にする機会が多い人のその言葉を聴いていると、
やはりそれも寝込むわなあと思う。

だって、終始優位だとか損だとか勝ち負けだとか、そんなことばかり考えているわけだから、どれだけ時が流れても疲れたり怒り狂ったり落ち込んだりしているだけ。

時として人は自分の中の刷り込みを使って人を恨んだり嫉妬したり、勝手に具合が悪くなったりする生き物でもある。

ものすごーくシンプルに言うと、自然な流れに逆らわず、自分の観念に人や物事を閉じ込めることを止めて手放してしまえば、自然にそのサバイバルの世界は終わって次の段階へと流れて行く。

むやみやたらにネガティブだったり、はたまた異常なほどのハイテンションというのは、やはり何かどこかがおかしいのだ。どこかで何かが堰き止められて淀んでいる。

で、さらに問題なのは自分だけでなく流れている人のことまで淀ませようとすることなのかも知れない。

そんな方向に力を使っているとそりゃ間違いなく病気になるし疲れるんだわ。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。


 

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2012年09月21日

美しくもカッコ良くもない

数年前、「私はメンヘラなので離婚した30歳の女性です。メンヘラなので子供を虐待しています。誰も理解してくれないので友達になって下さい。」というメールが届いた。

一通り読んだ直後、「なので」の使い方を間違えているなあ・・・という感想。病にかかっても離婚しない人も居れば虐待しない人だって大勢いるだろう。

ちなみにメンヘラという言葉を知ったのもそのほんの少し前の話だった。

それは「メンヘラの者同士で集まって会を作っている。」という人に出会ったから。

はたまたその自称メンヘラの会の知り合いの人がこれまた自称メンヘラで「あの会は間違っている!メンヘラというのは群れない孤高な人間のことを言うのに!(私のように)」と怒っている人も居たり。

どちらもドン引きした。

流行り言葉のように自分を何かの属性にあてはめて、現状を理由付けしたり合理化して安心したいのかも知れないけれど、病んでいることや人と相入れないことをカッコ良いことかのように語るエピソードが多かったから。

その頃既にカウンセラーをしていて既に心身症や鬱、精神疾患などと闘いながらも一生懸命努力している人々のエピソードに山ほど触れて来ていたから。

病気ということをきっかけに休むことを考えたり、生き方を振り返ることは健全なことだけど、病気をあたかも自分のステイタスのように語ったり甘んじている人とは関わる理由がないなと思う。

病気は美しくない。

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そんなことを思い出したのは、カウンセラーのSさんが教育分析へとお越しになった際、とある映画の話を出して下さったからだ。

Sさんはショックを受けていた。元々穏やかで優しい性格で大きな物音とか怒鳴り声などは好きでない。ショッキングなシーンも好きでない。

それとは別にその映画に関わった登場人物も、その映画自体も、前々から色んなクライアントさんの口からエピソードとして出ていた。

それでストーリーとか場面の描写を山ほど聴いて来たし、映像も一部観た。

その映画は、沢山の賞を取って絶賛されていたのだけど、正直、金払ったり時間を割いてまで観る気がしないと思った。何故ならば、現実に成長したくて一生懸命カウンセリングへお越しになるクライアントさんや、自分の周囲の人間、自分の好きなことと関わる方が何十倍も有意義だから。

そして、もう一つは、容易く想像出来るストーリーだから。観た後、どんな感じになるのか?ということも想像出来てしまうから。

それは何故か?

そうした自虐に酔いしれた悲劇のヒロイズムに触れるのはもう飽き飽きというほど触れて来ていてもいるから。

たまたまこの映画のヒロインは美しくて魅力的で才能があった。だからもっと若い頃から続いているそのありのままを見せるという芸風に付き合ってくれたファンが沢山居る。(同じハンドルネームにして浸って居る人、沢山いたなあ。)

でも、中にはその生き方が美しいのだという錯覚を起こして真似をするファンの方も沢山居た。

のだけど、現実には、病気は美しくない。

身体の病気が美しく描写されている作りもののドラマも数多くあるけれど、現実の病気は残酷で醜くて恐ろしいもの。そして、物凄い匂いがするし容貌も恐ろしいものになって行く。生きたいのに死して行く人たちを沢山看取って来たからこそそう思う。

それと同時に心の病に甘んじることも決して美しくない。それを利用すればするほど人は偏屈で滑稽になって行くのでどんな合理化も追いつかない。

でも、その狂気というのは、多くの人の心の中に少なくともエッセンス的にあるので、人々を惹きつけてやまないのだろう。でも、今の私には何の魅力もない。

いくらその人が「いや、一緒にしないで。簡単に言わないで。私は他の人とは違う。特別なの。」と言っても、やっぱり同じなんだよね。

病んだことには必ず理由がある。

そして映画のヒロインではないので、容易くパニックになることを選んだり何年経っても暴言を吐く子供で居続けることを選んだり、普通の人がこんなことやったら、まず周りがドン引きして離れて行くのはあたりまえのこと。

やせ細った身体も、くすんだ顔色も全然美しくないし、ましてや引きこもって風呂にも入らず、それなのに不眠不休で自己主張して来る悲劇のヒロイズムも、泣いて見せることで人を注目させる方法も観る人が観たらしらけてしまう。

けれども、その状態にはまっている人に限って「本当の友達とは」とか「本当の愛とは」と訴えたりする。本当はそれ以前の話だと思うのだけど。


どこに行っても職場の仲間と相容れないという人が「皆あまりに子供っぽい話やくだらない世間話をしているので、成熟している私は入っていけない。」という見解をきっかけに延々職場の人間や周囲の人を何年も何年も、下手すると何十年も批判し続けることもあるのだけど、真に受けることは出来ない。

現実に光を照らすと、実はその話に入っていけない本人が子供なのだ。冗談の一つも言えない子供に過ぎない。

この場合で言うアダルトチルドレンとは、子供というのは自分の成長を頑固に止めた大人。

本当のところ、他の人も話したくない世間話から入っているのかも知れない。くだらない話からコミュニケーションを交わしているかも知れない。

それがきっかけで徐々に人間関係を構築して行く。

いきなり部屋の奥にずいずい入って来られたりくっつかれても嫌な感じがするだろうし、むしろ、いきなり「人間とは。」とか「愛とは」から入られたらドン引きだろう。

今回、この映画を見ている最中のSさんは、怖い気持ちになったり、投影を起こして自分にもそんな部分はゼロではないなーと思ったり。
でも、その中でも客観的だったのは「”病院へ行けよ。”と思った。」という彼女の見解だった。

そう、健全だったらそう思う。

映画は大きなスケールを使ったゲームのようなものに感じてしまった。

ゲームの無意識の目的は?と言うと、観た人がどんな気持ちになっているか?ということに答えがある。凄まじくスケールの大きい自己顕示欲。

でも、一時的にはショックを受けた人でも、現実をしっかり見て来た人だとたちまち体温が戻り血が通い出す。

「病院へ行けよ。」と普通に思う。

はたまた「何十年やっているんだろ?」と素朴な疑問を思う。

パニックを起こしてギャーギャー叫んでいる様は「うるさいなー、何が怖いの?」と思うこともあるし。時には落ち着けよ。と怒鳴りたくなる。泣いても何も変わらないんだよ、

いい加減その矛盾に気が付かなければならない。

「皆はどうしているのー???できないー!」と発狂しつつも誰かに普通に「どうしてるの?」と訊いたことがない。普通(に見える)の人を馬鹿にしている人も沢山居るから。

そして、一時的ものじゃなくて、何十年も同じ病的なスタイルを保っているのはおかしいなということで異常なことだと気が付けなかったとしたら、それはやっぱりおかしい。何度も同じパターンだとしたら周りじゃなくて自分のやり方のどこかがおかしいのだ。

身近な人に依存してやつあたりして帳尻を合わようとしたり、悲劇のヒロイズムに浸っているところも。

方法が分からないときほど広く見る。多くを聞く。

何故なら現実の世の中はその人の妄想よりもずっと優しい。

その妄想の最中ですら助けてくれたり声をかけてくれた人が沢山いたはず。

ただその貴重さも分からず暴れたり踏みつけたり、勘ぐって通り過ぎて来ただけ。

人間には生涯のうち、一時的にそんな時期があってもおかしくないと思う。

でも、それをアピールして来る人を可愛そうだと思ったり、他の人よりも大事にしようとは決して思わない。その人以外の他人も実は怖がりで、傷つく心を持っているから。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年09月20日

現実と虚無

カウンセラーという職業に関わらず、人のお話を一生懸命傾聴する機会というのは度々あるだろう。

そして、よーくお話を聴いていると、その人の歴史や成長が見える。

ただ聴くだけでも効果がある人が何10%か存在して、他の人はそのただ聴くだけという行為に何らかのアプローチをすることによって変わる。それも本人が本当に変わりたいときだけだけど。

そのアプローチの強さというのは、その人の自滅的で頑固な癖がどれくらい強いか?ということで変わって来るのかも知れない。

あくまでここまでが良いのだけど、ある種の人というのは一生懸命応援したい人のことにいつの間にか肩入れしてしまい、いつの間にか本人以上に気持ちが動いてしまう。

そして気付けば本人以上に本気で考え代わりに頑張ってしまう。

それを人は優しい人を呼ぶことも多々あるだろう。

でも、実は、単なる”都合の良い人”という定義になりさがる。

ある種の人はこの場合で言う優しい人が好きだ。何故なら容易く依存させてくれるし支配しやすいと思いこむから。

ところが、こういった共依存関係になってしまうと長くは続かない。

何故ならば依存する側の力は何にも付かないどころか、どんどん弱くなって行く。どんどん何も考えなくなって、本当の意味で考えないからこそ馬鹿で我儘になってしまうばかりだから。

そして、いずれ依存されることを喜びとしていた側は押しつぶされるか、心まで冷え切って倒れる。


幾度となく見て来ている光景だし、自分も過去の各時代において両者の立場を経験して来ている。

のだけど、うっかりすると、また同じことを繰り返してしまうのよね。双方の立場における悪い癖だ。

依存する側はいつまでも被害者を演じて自分が可愛そうだとアピールしたり怒り狂うばかりで努力しない。それをやることで人を支配出来ると人生のどこかの地点で学んで来てしまったからだ。

つまり、何らかの依存症の人の傍に、必ず”依存させる人”、つまりは優しさを装って依存症のお手伝いをする人が存在する。

双方がそんな相手を探し続けて人生が終わってしまうというパターンもあるし、仮にその不毛な需要と供給が一致しても、それは悲惨で滑稽な人生になる。

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自称”可愛そうな人”はよく「誰も分かってくれない。」と言うのだけど、実は自分が自分のことを分かっていないし、もちろん誰も愛していない。想像しようとしたことも愛そうという努力もしない。

そして、そんな時に愚痴や妬みや嫉妬が起こる。

本当のところ、自分に出来ないことがあったり未熟な自分を見つけるとき、人は謙虚に学ぶ。

ある分野で自分よりも誰かが素晴らしい点を持っていると感じたとき、自分を客観的に見るだろう。

でも、それが嫌な人は、やっぱり怒りと批判、愚痴や妬みに明け暮れてどんどん卑屈になって行く。


光を当てれば全てが見える。

”自分は恵まれていないからこんな状態なんだ”という薄暗い幻想に光を当てると、空っぽなのにプライドばかり高かったり、恵まれていないと思いきやちゃんとお金をくれている親御さんがいたり、その気になれば勤めることが出来る職場があったりするけれど、そこに文句ばかり言っている自分が見える。

五体満足だったり、勉強しようと思えば出来る環境だったり、子供に恵まれていたり、様々な現実が見えるかも知れない。

動けるのに、人の言葉を使い人と同じことをして、大きな大人になったのに抱っこされることを求めて、誰に何回ハグされてもまた忘れ、文句と屁理屈ばかり言っている姿が見えるかも知れない。


そんな状態に光をあてるのは嫌なことかも知れない。

でも、現状を受け止めて、初めて人は自分でどうにかしようと思う。

その方法を初めて考えようとする。


思えばカウンセリングを利用する人の多くは、一度自分の現実に光をあてた人たちだ。

だからこそ、自分で自分をボカボカ叩いたり、とことん責めるという残酷なことをしておきながら、「ほら、こんなに痛いです。気分を良くして下さい。」なんてことは簡単には言わない。


一度自分を大切にし始めた人はその意味と重要性を知っている。

そうでない場合は、やっぱり何かが違うのだと思う。


自分の真実はいくら無視しても自分自身が知っているので、自分で自分を傷つけておきながら、それを他人や環境のせいにすればするほど、自分が嫌いになって行くことも知っている。

一方で、その真反対の虚無に歩いて行くことに全てのエネルギーを注いでいる人に出くわすと、まるで生きながらに亡霊をやっているように感じる。

例え誰かを気に入ったり好きになったとしても、相手にとっては道を歩いていたら突然地面から足を掴まれて「私を見て。」と言われたくらいときくらいに重たく怖いかも知れない。

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今日もありがとうございました。

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2012年09月14日

エネルギーの負債

依然として色んな方々をお待たせしっぱなしなのに、またもや暖かいお言葉をいただいた。

全くもってありがたいことだなあと思う。20120810.JPG

いつか何倍にもして御恩返しをしたいと思う。

のだけど、その前に良い仕事をしたいなあと思う。

その来るべき”いつか”に辿りつくために元気で楽しくいようと思う。

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”売上を二倍にするセミナー”という類のダイレクトメールや電話が多くて困る。

しかも、電話の場合だと「今空いていますか?」という確認も取らずに長々と話し始められたりとか。

あとその類とはちょっと違うのだけど、昨日はカウンセリング中に玄関のチャイムが鳴ったので次の人がもういらしてしまったのか?!と驚いて出たところ『人類滅亡の危機!』というタイトルの小雑誌を差し出すご婦人。

「今、こういう状態にあるのですが、どうお考えですか?」と言いつつこれまた自分の話を始めようとなさる。

どれも求めていないし呼んでいない招かざる客なので困ってしまう。

もしも何かが必要な際には、自分で探すし、自分でその企業を求めるだろう。ええ、おそらく多くの人が。

”売上、売上。”と思っている人たちを対象に”セミナー、セミナー。”と宣伝している人々も、おそらくは売上売上と思ってダイレクトメールをしたり電話をかけているのだろう。

でも、求めていない人の領域に入りこんでまで宣伝しなければならなかったり仲間を増やさなければならない人々もまた、売上に困っている側なのだと思う。何故ならその行為が異常だもの。

そのやり方によって、その人やその企業の質が垣間見えてしまう。

極めつけ、ダイレクトメールの一通に「お問い合わせの回答」という件名のものがあった。

もちろん、どこにも何も問い合わせていないので開く前からどんな内容か予想が付くのだが、”いよいよ明後日から「ネットショップの売上を3倍に引き上げる戦略」WEBセミナーを開催させて頂きます。”というチグハグな文章。

こういう件名にすれば皆開封してくれるだろうと考えてのことなのだろうけど、ダイレクトメールというだけでも充分関わる可能性ゼロな上に、出だしから騙そうとしているわけだから信頼もへったくれもないんだわあ。論外。一気にゼロよりマイナスの地点。

それでもこのメールも”集客しようとしている人を集客しよう”と思っている意図だろうし、はたまたこのやり方でも行ってしまう人は行ってしまうんだろうなあ。

ちなみに、カウンセリング中に「人類滅亡の危機についてどう思いますか?」と食らいついて来られた際には、あなた方だけは滅亡して良いのではないか?と思ってしまう今日この頃。人類を救う前にまず自分を救えとか。自分と自分のオーラ体16メートルの範囲内を救えとか。恐怖のイメージを広げて、悪気もなく人類滅亡に加担していることになるのですが とか、色々思ってしまうよ。


はたまた余所のカウンセラーの方がお申込みになったので、てっきり教育分析だと思っていたら、目を充血させて鼻をてからせてお話しになった内容が「都心のクライアントをうちに回して下されば、そちらに近い地区にお住まいのクライアントさんをそちらに回してあげたいと思います。取引きしませんか?」とのこと。

・・・・・・・・・・・。クライアントさんたちの心は?

これもまたカウンセリングのお申込みと称して、内容がこんなだったもので、先の件名と内容がちぐはぐなメールと同じ感覚を覚えてしまう。

その後、しばしあきれて沈黙しつつじっと見ていたところ、「絶対損はさせない。例えば・・・etc」とお金の話ばかりなさっていた。

もちろん、売上というのは大切なものだ。

お金というのも非常に大切なものだ。

でも、例えば、同じ額の売上やお金の価値が個人個人で違うのだ。

自称お金持ちの方が毎日通って下さっていたが全然真剣じゃなくてカウンセリング以外の目的が入っていたので全然効果があがらなかったと思えば、はたまた、はたまたコツコツと働いたお金で一月に一度とか二月に一度いらっしゃり真剣に取り組んで行かれた方がどんどん成長して行かれたり、ずっと幸せになって行かれる場合もある。

気軽にお金お金と言って額ばかりを求めるけれど、お金には人それぞれの背景がある。

お金というのはエネルギーを具現化させたような不思議なものだから、”どうやって得たか?”ということで非常に価値が変わって来る。

その心が入っていない利益だけを求めて他人様に侵入して行く商法、下手すると要らないと言ってもごり押しして来る商法は、やはり、怪しいし貧しい。

個人レベルで言うと「見て見て。私を見て。友達になって。恋人になって。理解して。」というアダルトチルドレンなまま何の勉強もしないし、他人を思いやったり相手の立場を考える力や想像力を使うことを放棄した人と似ている。

それは結果的に豊かさとは真逆の状況を生む。

それまでの経緯ややり方や生き方が現状を作っているのだと言うことを人は忘れることがある。それで来ちゃったから今があるのに、とりあえず数の多さや目先の利益で全てを埋め合わせようとしてしまう。

今までと同じやり方が激しくしつこくなるだけのことだったら、結果はますます悪くなるだけなのに。

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今日もありがとうございました。

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2012年07月29日

句読点 / それぞれの花火

面談カウンセリングとメールカウンセリングの両方をご利用下さっている方の場合だと、当然口語調で直接喋っている喋り方を聴く機会と、そして文章を読ませていただく機会がある。201207271.JPG

それで気がついたのだけど、例えば、問題が数年にも渡って長期化する人の場合はある一つの傾向があるなあと言うこと。

例えば、幾つになってもお話の仕方が「それでえ〜、旦那がこれこれしかじかだったんですけどぉ〜、あとぉ〜、先日から体調が悪くてぇ〜、上司にも怒られっぱなしだしぃ〜・・・」とやたら文章を繋げ続ける人。

これはゆっくりとしたパターンだけど、それよりもマシンガントークの人の方が多いかな。

聴いて貰えないんじゃないか?という恐怖故なのか、お友達にでも誰にでも切れ目のないマシンガントークをぶちかまし続ける人。201207272.JPG

両者とも周りの人々に『あの人の話、聴いていると疲れる。』とか『また同じこと言っていた。』とか言われちゃう。人間は一方的なコミュニケーションだとどちらかが疲れるように出来ている。

なのだけど、相手のことを考えられない人の心は不満でいっぱいで話が止まらない。人の話を聴くなんて余裕はないのだ。いつか、自分で気が付くその日まで。

その方々の文章を読んでいると、何と、共通して、句読点が無い。

「、」を忘れるというのならまだしも、「。」が無い。

つまりは全てにおいて区切りとかけじめがない。

こういったことですら全ての点について表れるものなのだなあと思うところがあった。

悩みや問題を終わらせたくないという気持ちや、いつまでも聴いて欲しいという気持ちや、その他、日常でも他人との境界線をつけられないパターンというのを垣間見る。

人がやっていることをやりたくなるし、人が好きな人を好きになるし人の伴侶だからこそ興味を持ったり、法外なお願いごとをしたり、などなど。

そうなると、全体的な目的は、問題解決とか整理というよりは、いつまでもダラダラと終わらせないということになってしまう。

これは怖い無意識だなあと思う。しかも、それに他人様を付き合わせようとしているのだから。

時々、全く改行しない人の文章にも出くわすのだけど、句読点がないというのはその上を行く。

一年に四季の移り変わりがあるように、月が毎月変わるように、全ての物事には境界線と変化がある。

時折、その流れに乗ることを拒むばかりか、流れに逆らうことに力を使い過ぎて消耗している人に出くわすことがある。

「世の中は間違っている。」とか特定の人の批判を言い続けているのだけど、おそらくは、それで良い。

何故ならば、もしも一個人の思い通りになってしまったら、大変なことになってしまうことだろう。人間は皆完璧じゃないから。

思い通りにならないということは、なっちゃいけないということなのだろうと最近思う。

以前、オーラソーマの上下の色彩の合わせ方を「許せない」と仰っていた方を思い出す。「あり得ない。」と仰っていた。

要するにその方も出会う人出会う人、全てにおいて自分の思い通りに運ぼうとさせようとしているし、動物の心まで「きっとこうに違いない。」と決めつけている。致命的なのは伴侶の心の想像のし過ぎ。

何一つ質問せず、何一つ表現せぬまま、「きっとこうして欲しいに違いない。」と思うことを続けて来ている。

結果的に一ケ月の大半を寝込んで過ごす身体になってしまうのは、不思議なことではないかも知れない。

何故ならば、どうにもならないものを自分の思い通りにしようとしているのだから。

人に必要なことって、実は自分が知らないことが沢山あるのだということを知ることかも知れない。

そこから全ての会話や繋がりが始まるから。

そこには個々の個性という境界線がちゃんとある。

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夜がふけて帰る頃、街は浴衣姿の女の子たちでいっぱいだった。

訪問入浴の友人と空高くあがる花火を見つめながら帰った。

夜というのは黒じゃない。

ロイヤルブルーの夜空だからこそ色とりどりの花火が映える。

美しい、美しい、一瞬、一瞬。一日、一日。

消えてしまった後も心の中をいつまでも照らしている。

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もうー、ほんと暑いのに今日もよく頑張った。

風呂からあがったらDVDでも観ようと思い、セットだけしておこうと思ったところ。

何よ!今日、柔道やってるじゃん!

この時点で60キロ級の平岡さん、決勝進出確定。

「あ、柔道やってるよ。」という夫の声。

知ってるよ。今知ったよ。

どうすんの、風呂入れないじゃん。

しかし、さすが、落ち着いた試合だったなあ。相手に何もさせなかった。

世界中に強い選手は沢山存在するのだけど、やっぱりこの手の日本人の方の表情は違うなあ。

どっしり落ち着いていてオーラが白い。

ここまでの道で培って来た、静かな静かな、ベストを尽くす人の瞳だ。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年07月14日

相違という宝物

とある方のカウンセリングで本題とは別に「そう言えば、来月式を上げるんですよ。」という一言が出る。

何と!あなたも寿ですかっ。おめでとうございます!

「それで是非式にいらしていただきたいんですけどね!」というお話だったのだが、あまりにも急なので既にスケジュールが埋まっていて残念。

「そうですよねえ・・・。急だったもんなあ。」と仰りつつ「でも、一度うちの彼氏と飲みに行きませんか?彼も一度会いたいって!」という話も出る。

それは構わないんだけど、少し珍しいね。

今の日本ではカウンセリングというもの自体に誤解が多くて、ご家族やご友人や配偶者の反対にあう人も少なくないのよね。

”そんなことは何にもならない。そんなところ行って話すくらいならただで誰かに話せ。”と決めつける人は、周りの関係ない人に愚痴を言ったり古い怒りをぶつけたりしているし、はたまた大げさに受け止め過ぎて「何よ。そんなに頭がおかしいの?」と言う人も居る始末。いずれにせよ人間関係壊れるよなあ。

実際には来訪する方々は俗に言う普通の方々で、むしろ語彙も豊かだし知的レベルの高い人が多い。何せ、何かに気が付いて自らやって来るくらいだから。

でも、その歴史的とも言える厚い壁も少しづつ少しづつ寛解して来ているようだ。

しかし「でもって、彼にもかおるさんを好きになって貰って、かおるさんにも彼を好きになって貰って・・・。」という口上が続くと「出たーー。」と思う。

出来ればそうなったら楽しいけど、そうなるように期待し過ぎないで欲しい。

「だって、困るでしょ。」

いや、困らないよ。

カウンセリングも自分のことだし、yさんと私の関係はyさんと私の関係でしょ。


ちなみに、”人はそれぞれ違うんだ”というあたりまえのところから人間関係を構築して行くと、たった一つか二つ価値観が一致するだけで友達になれる。いや、一致するところが無くても面白いなーってことで仲良くなれるかもね。

でも、その逆の人の方が多くて、相手との相違点にばかり敏感になって「ここが許せない!」となる人は多い。

許すも何もその人はその人なんだけどね。

自分と同じ人を探し続ける人は、やたらと激しく人を嫌悪したり批判したりする。当然文化が違うので。

でもそうすると孤独になってしまうので、たまたま自分が気に入った人を見つけると、これまた、やたらと「運命の出会いだ!」とか、無理やり「あなたは私とそっくり!同じだ。類友だ!」ということにして盛り上がっている。← 傍から見ていると全然似ていないことが多い。

で、虎視眈々と相手を見つめ、違ったところが見えて来ると途端に面白くてなくなって来るのか「変わってしまったね。」とか言ってるんだけど、最初からその人はその人なんだよね。

一人一人違う世界を持った人間という生き物の中で、素敵なタイミングが合って一緒に何かが出来たり一緒に語り合ったり出来る。それはとても素晴らしいことであって、決してあたりまえのことじゃない。

でも、たまたま同じものや人、価値観を好きになれたら嬉しいね。

そして、これはあくまで想像だけど、あなたの旦那さんとなる人を私も親しく思うかも知れない。

それはあくまで可能性。

でももしもそうじゃなかったとしても、一人一人がそのままで、人は尊重され自分らしく生きられる。

「えーと、もしかして、それ、夫婦も?」

はい。そうだと思います。全く違う。

違うって素晴らしい。違うって面白い。

ただ、ごく稀にあまりにその範疇を超えた許せない相違というものがある。

その時は仕方ない。

情緒的限界の沸点が来てまで無理して付き合うのも不自然だ。

ただ、その沸点すら、自分を幸せに保ち楽しく暮らせていたら、そんなに低い温度では沸騰しない。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2012年07月01日

器とパイプ

高校を卒業して、とある医師会系列の看護学校に入学した。

とは言うものの、暮らして行くことと、学んで行くこと。その二つの学費を稼ぐために定時制を選び、昼までは病院で働き、学校が終わった夜は夜でまた他のバイトをした。

考えて見ればその一年前の夏までは一夏丸々夏休みという状況に甘んじていたので身体も頭もビックリしていた。

寝ては働き寝ては働き、その他のことは何も出来ないほど疲れていて「大丈夫かな?これ。このまま夏が終わるのかな?」と思っていたあの頃。何せ、仕事から帰って来て横になるとすぐ朝が来ることの繰り返し。

いつも眠かった。

そしてあれから何十年経ったのだろう。

考えてみれば今もあの頃くらいきついと感じてもおかしくないはずなのに。

しかも年齢も行っているのに。

疲れないと言えば嘘になるのだけど、休めば疲れが抜ける。そして、働く以外のその他諸々を受け容れるスペースが身体と心にある。

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とある方の教育分析で、その方が「大きな器になりたい。」と仰った。

気持ちは分かるし、そう言った言葉はよく聴く。

でも、その方がたまたまレイキ取得者の方だったので、”実は器になっちゃダメなんだよ”ということを明かす。

器って言うのは誰かのそれを受け止めて受け止めて、自分のこだわりも詰め込んで、そうすれば、どんなに大きな器の人でも、いつかはパンパンになって溢れてしまう。

あるいはその重みでずっしりと澱んで動けなくなってしまう。

レイキでは大きな器になることを推奨しない。

ただのパイプを目指して下さいと言う。

よく、ある種のクライアントさんには「ゴミ箱になって下さい。」と言う人もいらっしゃるが、カウンセラーもセラピストもゴミ箱なんかじゃない。

一人の人間というパイプであるということが大事。

その人にとってもう要らないものはもう既に古い澱みや歪み。それを流し出して大地か天へと返すパイプ。

それはまた他の誰かにとって必要な体験になるかも知れない。

一個人の器の中に閉じ込めておくものじゃない。

そして、その人に必要なものを自分を通して送りだすただのパイプ。

そのただのパイプになるという修行をすればするほど、不思議なことに個性的なパイプになる。

どんな個性的なパイプでも良い。

ただ、きちんと出口と入口さえあれば、それはパイプになるから。

決して、第一チャクラ、もしくは第七チャクラを閉じて、相手のものを自分の中に閉じ込めてはならない。そうした瞬間から自分が壊れ始めるから。

それがおせっかいであっても献身的な心であっても入口と出口が閉じれば、必ず心か身体を痛める。そして誰のためにもならない結果が待っている。

けれども、これまた面白いなあと思うのは、問題解決を目的としない人は、セラピストがパイプであることを塞き止めようとする人も多い。

「一緒に苦しんでね。私はこんなに可愛そうだから、忘れないでね。」

あるいは「他の人に良い顔をするために犠牲になってね。」

そんな無意識のメッセージも、また一つの不毛なゲームかも知れない。

もしもセラピスト側が同じく虚を持っていたならば、それは天にも地にも出口のない闇が広がるだけ。

ただの器では共倒れになる。

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友人が人形が展示してある記念館へ行って、「物凄く疲れた。」と言う。「人形って、空っぽだから、吸い取ろうとするのかも知れない。だから、物凄く疲れるのよね。」と。

ついでに「人形とは違ってよくマシンガントークしている生きた人間である知り合いにも、そういうことを感じることがあるの。」と。

とても分かる気がした。

本人はそのつもりはないのだけど、憎しみや嫉妬、孤独故に人ばかりを見つめ過ぎると、自分のことを見つめなくなってしまう。

自分が何を感じ、何をやりたいのか分からなくなった心は、ひたすら目につく人を模倣したり、吸い取ることばかりを考えるのだけど、周り中が酷く疲れて行く。そして、その”虚”を持った人と接する人は、何だか物凄く不安になったり落ち着かなくなったりしている。

私にもそんな知り合いがいて、その知り合いが「私は無の境地に達した。」というのを聴いていて、「そ、そうかな。無だったらそんなことは主張しないと思うけどな・・・。」と感じたことをも思い出す。

剣術などで無の境地になる際、日本人が外人さんに指導する際「ノーマインド」と言う言葉を使っていた。

それは紛れも無く”無”のことをさすのだろう。

無だからこそ全てが見えて動けるし、結果的に勝負に勝つこともある。

一方で、”虚”というのは、穴の空いた器のことだ。ただのエンプティ。

そういったニュアンスがまだ分からない頃、私はとある人の瞳を澄んだ瞳だと思い込んでいたのだが。

それが空洞だということに気がついて愕然とした。

例えば虚の人は、新しい職場に行くと『威張りくさっていて誰も教えてくれない。もっと親切にフォローしてくれても良いのに。』と怒りとくやし涙にくれていたが、それから数年も経つと、やはり自分が新しい人に同じことをする。

だから、また別のどこかで別の誰かにそれをやられて泣く。

踏みつける人が踏みつけられる。

歴史は繰り返す。

学ばずに進まないということが、”虚”なのだなあと思う。

*******************

そんなことを知るよしもない10代から30代後半のある日まで、「何で、こんなに疲れるんだろう?」といつも思っていた。

どんなに耐性がついても鍛えられても疲れる。

そりゃあそのはずだった。器には限界がある。

でも、この世界の天と地と繋がったとき「ああ、そういうことか。難しいけれど簡単なことだった。」と体感した。

そして、もちろん人間だから、今でも時々他人のあれこを吸いこみ過ぎたり、はたまた自分のこだわりに囚われたりするものの、早期に気がつき、チャクラを開く。

しがみつかず、こだわらず、そして、恐れず。

自分の中に閉じ込めず、この世界全体が器なのだと思うのか?と思ってからしばらく。

やがて「いや。」と気がつく。

この宇宙全体が器なのではなくて、何かのパイプなのだった。

それがあるがままの循環なのだと。

とある人のコンサルテーションを前に、そのボトルのアフォメーションを目にして、再び思い出す。

”私を通して 御心が 成されますように。”

***********************

今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年06月30日

放浪者

いやあ、暑い一日だったわあ。

クライアントさんの中には激しい冷え症で悩んでいる方々もいらっしゃるので御来訪の間だけ冷房つけずに我慢ししていたのだが。(まあ、このクライアントさんの極度の冷え症も心因的なものがほとんどなのだけど。)

結局手先足先もあつーーっいという状態になった。とは言うものの悪い状況でもない。

レイキをやると基礎代謝や平熱や血液を構成している成分まで変わる。つまりは免疫があがる。

その他の人生や運命的、魂的な成長についての科学的な解明はまだ謎のままだけど、ああ、とにかくエネルギーが潤滑になって流れがスムーズになるということは当然のことかも知れない。

心地良い昔ながらの夏の朝のようにだった。

ところが、例えばちょいと体型的に太目の人の汗ダラダラというのは、本来あまり良いことではないかも知れない。

表面的に暑いけれど、中は冷えているので、肝心の奥の方でのデトックスが行われていないので、結局のところは暑いだけで、芯からのデトックスは出来ていない調子。

本当のところ、人間に必要な身体の堆積や習慣や、幸せに必要なもので、そんなに沢山身体や心にくっつけるべきものではないのだろう。

でも、何か足りない、何か足りないと思うので、どんどんくっつけてその古くて重いモノに振り回されているのだろうなあと思う。

これはカウンセリングで何度も何度も聴くエピソードなのだけど、誰か特定の嫌いな人というか、むしろ憎しみを感じるというような人が居たとして。

もしろん誰しも人間だから、そういったことはあるだろう。

でも、例えば、誰かを嫌いだと言うことで寝込んでしまうほど具合が悪くなってしまう人も居れば、逆に「居ても良いんじゃん。そういう人も居るだろうよ。」で終わってとっとと次の課題に行ってしまう人も居る。

後者は自分のすべきことをやっている人だ。

レイキ的に言えば自分の業を尽くしている人。

けれども人は時として、物凄くさばきたがるし、自分と同じように同一人物を嫌いになってくれないと周りにも怒りが湧いて来る。

そして、そう言ったときというのは、大抵、自分のすべきことや考えるべきことをさぼっている状態のときだ。

「私はあの人にこういうことを言われて、心がバラバラになった。具合が悪くなった。」

正確に言うとそうじゃない。

言われて不快な思いをするところまでが健全で。

そのことをいつまでもいつまでも、下手すると、何十年も引きずって、自分のすべきことをしないほどロスタイムを作っているという状態が不健全。言いかえると我がまま。

しかし、人間、自分を見つめなければならない時期にあるときほど人が悪いってことにしたい生き物なのよね。

だから、その誰かをじっとり考えたり恨んだり。”私は、嫌な人がいるから自分をさぼる”ということじゃなくて、どんな人がいても自分で勉強したり学んだり成長して欲しいと感じるし、それが一番の近道だ。

一見気が弱くと思える人が実は狡猾に人を操ろうとしている狂気をなども観て来た。

そう言った人々というのは往々にして人と共依存関係を作りたくて、必死で弱点を探そうとするのだけど、大抵相手にとっては「そんなこと頼んでないよ。」と健全な人に言われてしまっては、再び「傷ついた!」と新しい怒りのダムを作る。

が、私はよく怒りよく毒づき、よく笑い、よく泣くが、この世に自分と違う人がいるからと言って、繰り返しその人のことを思い出しては自分をじくじくと傷つけたりはしない。

発端がその人の発言であっても、そ以前に、ちょっとしたことで揺らいだり悲劇のヒロインになるということのロスタイム。それは遠い昔から繰り返されて来たパターンのはずだ。相手のせいじゃない。

何か別にやるべきことがあるんじゃない?

あなたは誰?

少なくとも、その憎しみを向けている相手ではないでしょう。

でも、その境界線が分からないと、いつまで経っても憎み続け、多くのチャンスを逃し、やはては悪霊のようになってしまう。

人に質問ばかりして、それに充分過ぎるほどの答えと時間を、相手は費やしているというのに、何度も何度も同じ質問をして来る人は、無意識的には問題解決を目的とはしていない。

ただ相手と、その相談に乗ってくれる人との間で長い長いゲームが繰り広げられているだけだ。


そういう方は、問題がどんどん大きくなったり症状が身体に出て来ても、自ら勉強しようという気はない。

あくまで人にどうにかして貰おうという、その無意識の中に無用な信念を固く握りしめているから。

でもって、結局のところ、私は、人に質問ばかりして、自分で立ち向かって行こうとしない人、何でこんなことになっているのか?ということを自分で勉強しようと思わない人にはあまり興味がないみたい。

ゲームはゲームにしか過ぎない。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年06月22日

夕暮れ時のカラーと話す / 逃避です

あまりお天気の良くなかった昨日今日と、特に忙殺されている日々が続いていた。

やることいっぱいあるなああああっっっ!と思うとき、うんざりすることもあるけれど、ちょっとした切り替えでドバーンっと底力が出る瞬間がある。201206211.JPG

で、一つ一つをやり終えてしまえば清々しい。

あと、その一つ一つを喜んでいただけたりすることも多いものだから、尚更カタルシス。やって来て良かったなあ、頑張って来て良かったなあと思う。

思い通りにならないことでも、それはダメだということではなく、時間がかかる事ということだなということが年をとるごとに分かって来た。

そうして、何かの流れやプロセスを信じる頃、長く粘って来たことが成されたときほどその喜びも大きいのだなということも実感。

さらに言うと、その長くかかる大きなことって、やっぱり小さなことの積み重ねであったりするということも。

一面黒や灰色の雲ばかりで覆われていたかのようでいて、昨日も今日も日没の空はビックリするくらいキレイだった。

今まで見て来たものも美しいのだけど、昨日、今日のそれは、今まで見たことの無い類の不思議な美しさだった。

これまでは無意識に夕日や朝日をオープンセサミというボトルの美しさと結びつけることが多かった。B083.jpg

でも、昨日、今日の夕暮れ時、遠く遠くずっと向こうの方の空が晴れていて、そこにある太陽が雲を大きく照らし出す様子というのは、もっと、ぐっと押さえた色彩に見えた。

モノトーンに近いのだけど、わずかに見える空の雲間と、こちらの方まで立ち込めている雲々を照らしているのは、紛れもないブルー。そして太陽が物凄く白い光に見える。

それは暗いのじゃなくて、深い。

そして決して地味でもなく派手でもないのに、キラキラ、キラキラと光っていた。

これ、なんだっけな?こういうボトルもあったなあ。今まで全然興味がなかったし、使おうとも思っていなかった色彩。

それは大天使ハニエルだと思い出した。B103.jpg

そうだそうだ。ブルーに乳白色が混じっていて、どこまでも白に近いのだけど紛れも無くブルー。そして、ラメのようにキラキラとしている。

ああ、そしてある意味このボトルもバースデーボトルの1番の変形だ。違った側面とも言えるし、初めて光があたる角度によってはこうした様相になるのかも知れない。今まで全然気が付かなかった。

忙しい上に蒸し暑くて多少てんぱっていたのだけど、ふと息をつきながらその空の様子を眺めていたら、また一つ願いが、いつの間にか叶っていたことにも気がついた。

私が昔、一番最初によく見ていたオーラソーマのサイトに載っているボトルの解説は如何にも直訳していますという感じで、読んでも何言ってんだかさっぱり分からない文章が多かった。

ハッキリ言って、今でも色んな本やサイトを見ても『で、具体的に言うと?』と呟いてしまうことが多い。

何せ得た知識ならばすぐに使いたいし、自分も人も癒したいと思い続けて来た時代だったから、当初は「具体的じゃないと意味無し。キレイごと言って何になる。大天使が居るだけなら別に感動しないの。現実の人間の役に立たないのなら。」と思っているふしもあった。

でも、それ自体が左脳的のみな考えだった。

何故なら使っているうちに、ふとボトルのテーマや解説が頭をかすめて来ることがあったり、突然「これか。こういう意味だったのか。」と気がつくことがある。

ボトルを使っている最中であったり、はたまた使い終わってからずいぶん経ってから、いつの間にか課題を達成していたことに気がついたり。

その時、頭だけじゃなくて、初めて、魂から『分かった。』という状態になる。

ふと見上げると、棚にこの大天使ハニエルがあった。

何となくランダムに発注かけて並べておいただけの一本だった。

でも、おそらくはそこに置いておくだけでエネルギーを受けていたのだろう。

空の色とハニエルを交互に見比べては、そっくりだと思う。でも、もしもそこにハニエルが無かったら、気がつかない類の美しさだったのかも知れない。

まだ塗ったこともないのに何かが起こっていた。

”ハニエルは、これまで実らなかったものを実り豊かなものにする力を持っています”

私は少し前からとあることを思いだし、「ほんとだ。実った。叶った。」と思い、同時に心の底から「なるほど。。。。」と感じ入っていた。

感動して涙が出そうなくらいだったのだけど、もう一度ハニエルを見上げると、ぎょっとする。同じラインに並べていた大天使たちがジグザグになるほど前に出て来ているから。(それぞれ出て来るスピードが違うからジグザグになる。)

先日、Eさんに「ええー?どうやって出て来るの?!」と訊かれた際、「右、左、右・・・と一歩一歩出て来てアピールするんですよ。(たまに特攻隊みたいに人の頭に落ちて来るようなこともやってくれます。)」

「ええー?」とか言っているEさんこそ、えー?なのである。妖精見ちゃう人が「ええー?」と言うレベルが違うような気がして。

それはともかく、ボトルたちを元通りに一直線に戻した。前に出て来た方々を押して。「いやいや、私が今会話していたのってハニエルさんだから!」と。

今は久々に四本リーディングやってしまったので使うとしたらずっと後になると思うけど、とりあえず用事があるのはハニエルさん。

しかし、その後、トイレに入っているときにゴトンと音がしたのでビックリした。

おそるおそるドアを開ける。

どれかが一本落ちたのかな?と思って思わず床を見たが、落ちていない。

次に上を見上げて「ぎゃっ。」と声が出た。

ハニエルさんが倒されていたから。

おそるべし。

それっていじめじゃないんですか。パワーある者同士のパワハラですか。凄まじい。

またボトル相手に講釈をたれたり一席ぶっている間に日が暮れた。

ハニエルさんもMっつさんやSさんみたいに、テコンドーやムエタイ習う? ← 習わない、習わない。

*********************

・・・・・・・・・・・。

だからさ。

忙しくて焦ってるんだからそんなことしている場合じゃないよってモードに移り変わっているんだよね、どっかで。

で、家に帰って、今度はPCの中に溜まっている沢山のやらねければならないことに手をつけようとしたその時。

Yahooニュースの見出しに”足を踏んだら そっと踏み返して来る猫”という動画あり。

・・・・・・・・・。ダメだもの。そんな見出し出しちゃったら。

マーラーさんに負けたのか、あっさりクリックしたのだが、やっぱり可愛かった。

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にしても、お待たせしている方が沢山いるのに一切反省の色とかお詫びの気持ちが込められていないと思われるこの文章。

ず、ず、ずみまぜん。。。と思っています。

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今日もほんとーーーにありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年06月13日

アサーション

一年に数回海外から滞在なさって連日のセッションを受けてお帰りになるというパターンがあるのだけど。

今の今までは、国内に入ってからのお振り込みだったり、または国内にいらっしゃるご家族を通してのお振り込みばかりだった。

ところが此度、海外から直接のお振り込みがあるにあたって大変なお手数をおかけしてしまった。201206121.JPG

っていうか、銀行からこちらへも住民票や身分証明書の提出が欲しいと要請があり「????」と首を傾げる。

いやいや、お宅の口座を作るにあたりそう言ったものって既に証明されているんじゃないの?と思うからだった。しかし、私は「ああ、そうですか。」と答えていた。

そして、その連絡が入った時がまた忙しい日だったので少々愚痴をもらしていた。← 私はよく「なんだ、それ?」と愚痴をもらしながらせかせかと仕事をしている。

それを聴いていた夫がいつの間にか銀行へ電話をしていた。「なんで、そんなことさせんの?」と。

いつ電話したのかも分からなかったのでビックリしたのだけど「って訊いてみたら、何も送らないで明日振り込まれることになったからご心配なく。」と言われる。

しかも、「面倒臭い。」とまで先方に言ったらしい。

私は色んなことを割と言う方だと思っていたのだけど、そういう話を聴くとビックリする。

”面倒臭い”って、あくまで個人的な感情だもんなあ。私にとって銀行って公的機関なのでそういうこと言って良いのか?という頭がある。

しかも、たったそれだけで先方が「かしこまりました。それでは・・・」となってしまうこともまたビックリだった。

「いやいや、無謀だったり我がままなことだったら論外だけど、おかしいなあと思うことや無駄な手間だったら面倒臭いって言っても良いんじゃない?」

しばらく黙ったあと、頷くばかりだった。御意と。

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今日はセッション中にA子さんとアサーション繋がりの話題が出た。

A子さんは「表現しないことで人を傷つけたり苦しめてしまうこともある。」という話を多くのエピソードの中に交えて下さっていた。

何を考えているのか分からないほど常識めいた言葉で彩られた言葉ほど虚しいものはない。

言えなかったという現在の自分が形成されるまでには色んな背景や理由があるけれど、それを自覚して成長させていくのか?それともそのまんまで「だって習わなかったんだもん。」で行くのか?ってのも個人の責任感を表わす一つの側面だと思う。

A子さんはチャレンジした。

そして、また少しづつ翼が大きくなって行った。

それは人の口を封じるための翼じゃないし、人を囲って閉じ込める翼でもない。

大きく広げて空へと羽ばたいていくための翼だった。

「こういうことをして見たんですよ。そしたら、それだけで心がこんなに変わったんです。」という話を聴くとき、遠くから、白ちゃんのゴロゴロ、ゴロゴロという声が響いていた。

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そう言えばその時に思い出したのだけど、私は幼い頃、従妹が「嫌だ。」と親に表現しているのを見て衝撃を受けていた。

え?嫌なことを拒否しても良いんだ?と。

そして、その境遇を心底羨ましく感じた。

その時代に自由な感情表現をやりそこなった子供は、かなり後まで表現することに不自由さを感じる。

現に私も良い年こくまで言えなかったことが沢山あった。

それが、良いことだったと思える日もあれば損したなあと思うこともある。

でも、大切なのは、今この時と未来のストーリーなんだよなと思う。

どんな背景でも、その体験が自分にどんな影響を与えていようとも、それをこれからどうして行きたいか?ということが明日を作って行くのだと、今の私はそう思う。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年06月03日

星座に必要な距離

最近、自分に使うオーラソーマのボトルはもっぱら一本チョイス。

四本チョイスが正しいというのか、ガイダンスではあるのだが、ここ数カ月の自分は急流の中に居る。

四本チョイスにした場合、例えば課題ボトルの二本目が既に使命ボトルへ移動していたり、四本目の未来ボトルが過去のボトルになっていたりするという気付きが何度もあった。現実より直感の方が早かったり、はたまた現実が直感を追い越してしまったりと言うことで、タイムラグが気になり出すというのもまた直感。

ゆっくり進むのが一番良いと思い込んでいたふしがあり、実際にもそういったケースが多いのだが、今現在のところはその場面その場面に合った好きなものを使う方がベターのようだ。

それに伴いポマンダーやクイントエッセンスも四本チョイスに則った使い方じゃなくて、今年から自分で決めた独特の順番で進行している。

年の初めにホワイトポマンダーでクリアリングした後、身体の一番下のチャクラから順番にディープレッド→コーラル→オレンジ→ゴールド→イエロー→オリーブグリーン・・・etcという具合に上がって行くという方法をとることにした。

ちなみに今はホワイトポマンダーが終わってディープレッドポマンダーへ移行したので、それに合わせてクイントエッセンスの方も赤に対応するキリストにするというのがありがちなのだけど、クイントエッセンスの方はそのままホワイト対応のセラピスベイのままにしている。

どうしてか?と訊かれるとその時には分からないほど心のままにしている。

でも、考えることが出来ないわけでもない。

で、思考の方を使って自分がやっていることを見てみると、なるほど、ポマンダーに関して言うと、基底の第一チャクラからやり直している時期である。何かを崩して強化しているらしい。

これと関連するのかも知れないが、今まで何事も決めつけずにゆらゆらと酔拳のように動きながら色んなものを取り込んで来たのだけど、その色んなものを見つめ、噛み砕き、飲み込んで来た過程で「これだけは」という確固とした信念が生まれて来た。

この時期、長年仕舞いこんでいたお気に入りのダイヤのジュエリーの数々を身につけ出した。

ダイヤという物質そのものに比例して、このストーンのエネルギーは固い。

だから、固い人がつけるとますます固くなる。

でも、何か貫きたいものが一つ生まれて来た際には部分的に良いエネルギーを貸してくれるだろう。

危険なのは、何も無い状態のときに固い観念や物質をつけてブロックを作ってしまうことだ。

表層の装飾以外、中身がすかすかになる。

話は戻って、ポマンダーのディープレッドとクイントエッセンスのペアは、よくよく考えてみれば浄化と保護セットだった。

ディープレッドのパワフルさは全ての邪気を追っ払ってしまうほどのグランディング。悪霊や自縛霊に効くという触れ込みを昔は嘘だと思っていたのだが、数年前、ある出来事があって『ほ、本当だったんだ。』と驚くのと同時に大笑いしたというエピソードを一緒に居あわせた人々と共有した。

そして、白対応のクイントエッセンスは浄化した状態を保ってくれる。

本当のところ、このディープレッドにセラピスベイに、プラス、パワーストーンのヘマタイトで完璧な浄化と保護セットが出来あがるのだけど、今この時期の私はヘマタイトではなくてダイヤらしい。

その時期その時期によってその人にとって必要なカラーやストーンがある。(まあ、オーラソーマもハーブとストーンで出来ているので同じ。)

人真似だと全く持ってずれていたり、下手すると逆効果になってしまうのは、人々の今世での使命や通過地点がその時期その時期で違っているせいだ。

だから、しばしば「違うんだよな。今はそれじゃないんだよな。」と思う所持品やカラーを目にすることもある。

本来ならば、それもその人の直感だからと放置していた私でもあった。

でも、直感というのは、本来のその人の状態で、本人が自分を大事にしているときでないと、正しい直感とは言えない。

友人が『真似して同じような水晶でブレスを作ったよ。』と言ったときも”どうしようかなあ。”と考えているうちにチャンスを逸した。

と言うより、これまでにもいくら「真似じゃ意味ないんだよ。人や私じゃなくて自分の中を見るんだよ。」ということを伝えて来たのだけど、固くてその真意が入らない状態だった。

固い時期にますます固くなったりますます黒くなったり、ますますモヤモヤするのは、自分に合ったものに沿っていないからというのもある。

「ホームページやショップを同じ背景にしてみた。」とか「サンキャッチャーを作り始めたの?どこで仕入れているのか教えて。」とか、はたまた「同じ髪型にしてみた。」とか言っていた彼女は、いつも親や姉妹を始めとするあらゆる他人を監視しているようなエネルギーが長年に渡ってある。

人の旦那さんや人の友人に顔をてからせ脂汗を流しつつ必死で近づいてみたり、人が料理の話をすれば急に料理をし始めたりってのは「きっと同じことすれば良いんだ。」という無意識なので、その歴史は長い。

その誰かと出会う前には「人形作家になる。」と言っていたり「パッチワークのプロになる。」と言っていたのも覚えているのだけど、それも誰か自分が目をつけた人がやっていた事だから、突然「あれはどうなったの?」と訊いてみると目が空洞になる。覚えていないからだ。

人の何かで固めた歴史というのは歴史として記憶に残らないので、いつも虚しさを味わい、それが余計に他人を食い入るように見つめるだけの人生になってしまう由縁かも知れない。

ところで、世の中には人真似だけでは進めない領域というものがある。

ある地点までは器用貧乏でやっていけるものでも、その地点からはありのままの自分を見つめないと進めない地点というものがある。

当然壁にぶちあたるのだが、話を逸らされたり「良いから遊ぼうよ。」的に逃避をあらわにされると私は「えーと。あれはどうなったの?」とやはり思って冷めてしまうのよね。

表面的な理由が何であれ、私は一度やると言ってやらない人には興味が無くなる。一つは全てを表わすから、遊んでも仕事しても、そんな部分が至るところに現れるからだ。

自分と同じ人を探し続ける人生ほど難航するものは無い。

一方で、違いを楽しむことが出来る人の人生は話題が尽きない。

それは多分、自分のために何かをやったことがある人だろう。自分で考え自分で何かをやったことがある人は、その苦労を知っているので、そうそう人に怒り続けたりしない。不満と不平や嫉妬にまみれたりもしていない。

何故なら、それがどんなに大変なことかを身を持って知っているから、一つ一つに感謝が出来る。

いつも、ヨガレイキの際の自己ヒーリングで皆で聴く決まったCDがある。

”十人十色”。

それは何でもない言葉なのだけど、その意味を胸のど真ん中で理解しているのとしていないのとでは、全てが大きく変わって来るものだと思う。

人は皆、違う時代を行く違う星々で、それぞれの役割があるのだけど、同じになろうなんて考えると衝突して砕け散らないとも限らない。

ついでに。

わざわざぶつからせてあげて、自分という星の住人諸とも犠牲になるよりは、交わすことも大切なのだということもある。

例え、相手のことも考えずに傍若無人に突っ込んでいる星が、正しそうなことを言っていても、やっぱりそれはおかしなことなのだ。

星は自分の責任を理解し思い出さなければ決して輝くことはない。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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posted by かおる at 06:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする