2012年04月17日

今は無き甘え

何事もなく大人になったかのように見え、何事もなく普通に仕事をしている人々。

そして、むしろ、人からは「何でも出来て良いわね。」とか「苦労知らずで幸せね。」などと言われる。「いつも楽しそうで良いわね。お気楽ね。」。

でも、Iさんは中高生の頃、母親が包丁を持って部屋に飛び込んで来て「一緒に死のう!」と叫ばれ必死に逃げた。

Tさんは、幼い頃、やはり母親に無理やり連れられて船に乗り、鳴門の渦を三回も目前に観た。

そして、私のよくよく知る子供は、結婚&離婚を繰り返す若い母親が付き合っている男性に「子供が居るから結婚しない。」と言われた後、自分の母親によって海に突き落とされた。

こう言った大人の都合や、勝手な悲劇のヒロインぶりを押しつけられ、無理やりの死に直面した人々と言うのは、もちろん、その手前の肉体的な暴力やせっかん、自尊心を傷つけられるような言葉も日常茶飯事で言われて来た人々でもある。

でも、もしも様々なことを乗り越えて大人になったのだとしたら、むしろ人から見ると穏やかに見えたり、苦労知らずに見えるのかも知れない。

ところが、そういう目にあったことのある人々同士というのは、何故だか互いに同じ匂いを感じ取るということがある。

辛い体験をしたから大きくなるというわけではない。ただ、そこから何かを学んで全てを喜びに変換して生きることを選んだ人ならば。

言語的にでも非言語的にでも親から「あなたはノー。(あなたが居なければ良かった。)」と親の都合と責任を押し付けられた後、その親の言動を鵜呑みにする依存的な時代を過ぎて親から離れたとき、自分で自分を育てて行くだろう。

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仕事中にIさんからメールが来て「クッションをプレゼントしたいから伺っても良いですか?」というメール。

そう言って夕方になって届けて下さったクッションは、当初、この事務所の物品を揃えるときに購入して愛用していたものとそっくりだった。

あれはボロボロになったので、確か3年目くらいのときに処分したのよね。

それから買おう買おうと思いつつも月日が流れたのだけど、突然のプレゼントにビックリするのと同時に嬉しい気持ちだった。

よく分かったねー。前、こういうの置いていたんですよ。ありがとう!とお礼を言うと「何だかこれ見た瞬間、尾崎さんが浮かんで来て。喜んで貰えて嬉しいです。」と。

せっかく来たからビールでも飲む?丁度仕事も終わったし。

という訳で、色んな話をしつつ乾きモノを摘まみつつビールを飲んでいた。

21日くらいまで会えないと思っていたので嬉しいサプライズ&一時。

「白ちゃんにも会いたかったー!」と何度も抱っこしてくれるIさんだったが、突然「あの、うちの母に会って貰えませんか?」と仰る。

え?なんで?

Iさんのお母さんは物産展で食料品を売るお仕事だと言う。それで、今はたまたま立川の某デパートに出向いているとのこと。普段は遠方にお住まいなのだけど。

「例の凄い母ですよ。」

何だか分からないけど、行く行く。

自転車でどこにでも行ってしまうIさんが今日はしきりに帰りは電車ですか?JR?モノレール?と訊いて来るので何でだろう?と思っていたら、お母さんに会いに行くのに付き合って欲しかったのだと。

お母さんとは色々あったそうだが、時々たずねて行ってあげると凄く喜んでくれるそうだ。

お母さんを恨んでいないIさんは凄いなあと思った。

その方は上向きに加減に顎を出し、ガニマタでちゃきちゃき歩く初老のご婦人だった。

「いつもあの三角布をつけているんですよ。」とIさんがその後ろ姿を指差す。

動きが早いなあ。元気で明るく、見ているだけで笑いが漏れる。

「お母さん、この人、凄くお世話になっている方。」と紹介してくれたところ、お母様は、寿司のパックをポンポンポン!と四つ重ねて「いつもありがとうございます!」と渡して下さる。

え?何?こんなに良いんですか?

あっという間の逢瀬で、あっという間に別れたのだけど、再び駅方向に戻りつつ、「まあ、色々あったけど、友達として見たら面白い人ですよ。」と笑いを堪えている。「今日は付き合って下さってありがとうございました。」と。

そして、Iさんは、家で待つ新しい家族の元へ帰るべく張り切っている。

何だか、良いなあと思った。

時間薬。

お母さんの旅、そして、ティーンの頃から始まったIさんの旅。

互いにそれぞれ離れ、色んなことが変わって行ったのだろうと思う。

若き日のIさんが一歩一歩踏み出すことで。

「いやあ、殺されないで良かったですよ。」とニコニコ笑うので、ブッと吹き出して、「殺されないでいてくれてありがとう。」と言い返す。

私もそういうこと良く感じるよ。

で、出来るだけ母なりに幸せでいて欲しいなあって。変えようとか、もはや無理やり分かって貰おうとか思わないし、あきらかに別の人間なのだが、やっぱり幸せでいて欲しいなあって。

皆がそれぞれ別々の家路を辿る頃、どの糸を辿っても、そこに繋がりと幸せがある。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2012年02月29日

Mother

”かおるさん、有難う

かおるさん、しろちゃんに又逢いに行きます

お母さん、福の神みたいに微笑んでいます

かおるさんに出会えて本当に良かった
たくさん有難う”


というメールを読んだのは約一ケ月前の夜の日のこと。

それから茫然自失になったり、頭では分かっている真実と光を意識しつつも、時には落ち込んでしまったり。20120228.JPG

普通に食べたり寝たり仕事に追われたり、そして普通に活動するのだけど、何かどこかが変な感じ。

そしてまた真実の光へと戻って来る。

そんな事とは別に、目で見て会話が出来て触れ合うことが出来る世界でのお別れは、切実に痛みを伴う。

ましてやご家族ならば尚更のことだろう。

YさんとMさん姉妹にお会い出来るのは、まだまだずっと先のことだと思っていた。自分ですら、まだまだ行ったり来たりしている心とぽっかり空いた穴を寒く感じる日々だったから。

でも、思ったよりも早くお会いすることが出来た。

まだまだ大変な最中だったと思うのに、お二方がいらして下さったから。

しかも、初めて姉妹が並んでいるという形のセッションで。

うまくお話をお聴き出来るかな?と危惧していたが、玄関を開けた途端、もう半ばあきらめの境地。

桃の花の蕾が沢山ついた枝を携えて、そして、あの日を境にした以前と全く同じように白ちゃんにおみやげを渡してくれて、食べさせてくれて。

涙は理論ではないので勝手に洪水になってしまうのだけど、そんな中でも私たちをゲラゲラ笑わせてくれたのは白ちゃんだった。

今まで姉妹それぞれ別々にセッションにいらしていたので、お二方を同一人物だと思い込んでいたらしくて、物凄くビックリした顔をして見比べたり、匂いを嗅ぎ分けようとしたり、はたまた考え込んだりと。

その表情がおかしくて皆で泣き笑いしていた。

姉妹でエネルギーがよく似ているというのもあるのだけど、お二方ともそれぞれのご家庭で猫を飼っていらっしゃるものだから。

ええ、そして、もちろんお二方に共通するとある人物のエネルギーが引き継がれているから。

「白ちゃん、バーバも来てる?」と尋ねたりして笑っていらした。

やがて納得した白ちゃんがまた以前のようにゴロゴロと喉を鳴らして、その手から美味しいおやつをいただいていた。

以前と同じように。

ただ、あなたが居ない。


偉大な方のお話を聴かせていただいた。

優しい方の話も聴かせていただいた。

強い女性の話も、お洒落な女性のお話も。

そして、それらは全部、一人の人の事だった。


彼女が旅立つ数日前から色々と不思議なことが起こっていたことなども三人で刷り合わせて偲んでいた。

そして、直接訃報を受け取る前に、オーラソーマの上層も下層もマジェンダのボトルを見つめているときに頭の中でアメージンググレースが流れて来たときに、別のところから先んじて知らせが来たような感覚の話も。

すると、目の前にボトルの現物が現れたのでビックリした。

「ディヴァインラヴ(神聖なる愛)/ラブ・イン・ザ・リトルシングズ(小さき者の中の愛)」

そのボトルは使いかけで、もうほんの少ししか残っていなかった。

そして、「お母さんが気に入って使っていたボトルだったから、あの日のブログを読んでビックリしていた。」というお話を聴いて、私もビックリした。

マジェンタに通じている人は本当によく物事を感じる人。

そして小さな小さな出来事の中にも大きな愛を見つけられる人。

強いのだけど、繊細だから色んなことに気がついて人より苦しむことも多いかも知れない。

そうか、使われていたのか・・・と納得するのと同時に、人は本当に自分に必要なものを選ぶ生き物なのだなと感じ入った。そして、その人の直感を信じる力にも感じ入った。

ちなみに頑張って看護していたYさんのボトル、バイオレットのキャップは大きな衝撃を受けて凹んでいる状態だった。


他にも色んなことがあったのだけど、私はお二方に釘付けで、時々きっと汚なく崩れた泣き顔になってしまったりしていたことだろう。

ただ、そんな最中にも、どうして白ちゃんは隣の椅子に居ないんだろう?とか、もしくはどうして隣の椅子を利用してテーブルにあがって来ないんだろう?と、気になっていた。

そしたら、セッションの終盤でお二人に教えて貰って初めて気がついたのだが、お母さんが私の隣に座って下さっていたのだと。

青いキラキラした光がそこにあったのだと言う。

右のわき腹が暖かくて、そして、生きているこの身ではまだまだ纏まらない心のままでありながら、こうして一緒に偲ばせていただけることに、どうして良いのか分からないほどの感謝を感じた。

それだけでもどれだけ心が救われることだろう。

”お母さん、福の神みたいに微笑んでいます”

あの日から痛みだけではなくて、ずっと救われ続けていることも感じていた。

そして、泣きながらも、そこに微笑みがあり、あんなにしんどい看護の日々だったというのに、「幸せな日々だったね。」と互いの顔を見つめ合う二人の顔も。

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今日はカウンセラーさんたちとのトレーニングの会でもあったので、入れ違いに続々と到着する人々もあり。

既に姉妹のどちらかと面識があった方もいて、Kさんなどは、いつぞやすれ違った後に「いやあ、素敵な人だね。」とMさんのことを仰っていたが、二人が揃っている様子を観て「いやあ、美人姉妹ですねえ!」とニコニコして仰る。

そして、Yさんの方がMさんのお客様でもあったので、Mさんの到着と共に全ての事情を踏まえて抱きしめ合っていた。

それを観ているとまた涙が溢れる。

私のブログは自分にしか分からない抽象的な表現が多いし、特に、あの方との別れの前後は自分の中で繋がることだけを記していたように思う。

でも、MさんはYさんと面識があったり、その頑張りを前々から知っていたり、そして起こった様々な出来事と共に色んなことを察知していたので何が起こったのか?をご存じだった。

色んなことを感じ取っているので何かしたいと思う。でも、当分会えないだろうと思っていたところの再会だったので、もうそりゃ、言葉にならないという状態。

そこに降り注ぐ青い光が見えた。

ああ〜、これかーと思う。(さっき隣にいて下さったと言う方。)

そして、ああ、あれと同じだ、やっぱり とも思う。(いつかこの部屋に居てくれた光。)

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あれから、確かに調子が今一つではあるものの、一面の真実がある。

寒い日もきつい日も、しっかりと生きていると言うこと。

ある人のことを想うと、そしてその娘さんたちのことを想うと、「これくらい、何だ。」と良い意味で自分を動かす力が湧いて来るということ。

私も自分のことは自分で選択して生きようと、強く強く思うと言うこと。

確かにまだぐしゃぐしゃになってしまう瞬間もあるけれど、どんな困難なことにあったときにもこう思う。

恥ずかしくないように生きたいと。

いつか会えるその日まで。

その時が、何百年先かも分からない。その方は素晴らしい先人だったから。

でも、いつの日も謙虚に学び、笑い、泣き、楽しみ、怒り、考え、感じて。

いつか会えるその日まで。

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夜になって、皆さんが帰った頃、昼間貰った桃の花が咲いていた。


何と言うことかしら。

昼間いただいた時には、まだまだほんのちょっぴりピンクが見える程度の蕾だったのに。


今年も花が咲いている。

その時の私は、もうこういうふうには思わなくなっていた。”でも、あなたが居ない”とは。

だって、確かに存在して下さっているのだもの。

そして、色んなことを教えて下さり、きっとその娘さんたちもその光を広げて行くのだもの。

分かち合えること、偲び合えること、そのことで心が救われること。

”共感”の意味の理解にとどめをさすかのように、皆、あなたが教えて下さった。


賑やかに人々の話声のする中、昼寝をして過ごしていた白ちゃんだったが、トン!とテーブルに登って来て、そっとピンクのお花に頬ずりしていた。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2011年08月26日

白ちゃんの攻防 / 星座の隅っこ / 母との日々

床を雑巾掛けしていると、その動きに合わせて、たったったっ!と白ちゃんがついて来る。

掃除機をかけるときには、何故だか自主的に自分の爪とぎの上に乗っかって邪魔にならないようにしてくれているのに、何故だか雑巾掛けだけは、こちらの動きに合わせて並行について来る。何故なんだ。

黒目を大きくして手元を見つめつつ走っているのだが、こちらがピタッと止まると、一緒に止まる。

面白いので、バスケットのフェイントのように、前へ行くと見せかけて右へ行くと、1メートルくらいの距離が空いてしまうわけだが、その時、「しまったぁっ!」という顔をする。・・・・・。猫なのに。

調子に乗って何回かフェイントをかけていたら、5回目くらいのときに見破られた。

右へ行くとと見せかけて左へ行ったところ、素早くターンした白ちゃんがピッタリ目の前に居たので「ええっ?!」とビックリ。

さすがだなあ!白さんは!抱きかかえながら褒めている私の息はかなりあがっていた。

全く何をやっているのだろう?とよく自分で思う今日この頃。

しかし、白ちゃんはゴロゴロと満足げである。

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一件目のカウンセリングの後、k子さんご紹介のwさんがお越し下さった。

可愛い人だなーと思っているいたところ、何とまだうちの長女くんと同じ年だった。

いや、うちの子の場合、年齢に似合わずかなりすれていますけどね。

しかし、最近のお若い人はあどけない様子にも関わらずしっかりしている人が多いなあと思う。


それとは別に、今回、初対面でいきなり大きなメニューへのお申し込みだったので少し驚いていた。

こういう例はあまり多くないけれど、例えば、既にうちで何かのメニューを継続して使っているその人が、特に強く推したという場合じゃないケース。

「絶対あそこへ行った方が良いよ。」とその人が言ったわけでは決してなくて、「私にとってはここのこういうものが良かったんだ。」と、ただそれだけ。

あるいは「良かった。」とすら言っていないけど、その人自身が何かキラリと光るものを持っている場合。

こんな窓口とかツールがあるよ、と言うだけで、後は本人に任せている。それだけ、いや、むしろその方が大ジャンプする。

kさんの雑談を聴いてポン!といらしたEさんや、mさんのところからポン!とお越し下さったsさんのように。

紹介者は多くを語らないのだけど、ただその人が輝いているだけで。

自分の意思でお越し下さる方には先がある。既に楽しい心の旅の序章が始まった。

もとい、先述した光抱く人々にはいつも感謝している。

その光が周りの人々を照らし、私もその輝きの隅っこに入れていただいている幸せを感じる。

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誕生日の日、仕事中に3時間おきくらいに夫から電話が来て出る度に「お誕生日おめでとう!」と。

前日の日付が変わった頃には喜んで「ありがとう!」と言っていたものの、段々イラついて来て「分かったってば!むかっ(怒り)」と言っている私にクライアントさんが言う。

「ああ、ほんとにあの漫画のキャラそっくりですね。」

違います。これは旦那のゲームです!むかっ(怒り)と弁解したところ「あー、そっくりだ。ほんとにそっくりだ。」と。

すると電話の向こうから「そこの人!寝起きの様子も似ているんですよ。」と。

一日のうちでこんなに無言で電話を切った回数が多い日はなかった。

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9月に妹の結婚式のために帰省することが色んな意味で複雑な気持ちだった。

でも、毎年少しづつ目覚め、少しづつ血の通う身になっていっているこの目で、故郷を観るのが楽しみになって来た。

母から誕生日にメールが届く。

「あなたが生まれた日のことを昨日のことのようにハッキリと思い出します。可愛かったよ。誕生日、おめでとう。」

・・・・・・・・・。その割にはよく殴ったよね。

私も18歳までの母との日々を昨日のことのように思い出す。

崩れかけのマロングラッセ。

夜のドライブ。

ワイン。

喧嘩。

深夜一緒に行ったスーパー。

車の中から見た夕焼け。

漫画が山ほど置いてあるカレーハウス。


おめでとうメールが来る年もある。来ない年もある。

でも、母はやっぱり母なので、いつでも、色んな意味で涙が出る。

母は不器用で、母は何でも下手くそで、嘘つきで、正直過ぎて、強がりだった。

一番美しくて、一番醜かった。

女手一つで私を育てて行く過程で、世の中の荒波にぼっこぼこに殴られて顔を腫らしても、まるで試合後のモハメド・アリみたいに言っていた。

「ほんとは、あたしの勝ちだ。」と。

でも、私が親元を離れて何年も経ったある日、母は私に謝った。

「かおる、ごめんね。苦労させてごめんね。あの頃は、あの頃は本当にごめんね。」と。

謝らないで欲しかった。

でも、謝るように仕向けたのは私だった。

強く生きることで、私は過去の母の亡霊に勝ったのだけど。

本当は勝ちたくなんかなかったのだと、その時に気がついた。

母は母だった。

ただガキんちょの私の思い通りにならなかったというだけで。

母は母なりに一生懸命私を育ててくれた。


メールの返信を返し損ねたために、今日「届いたとね!?むかっ(怒り)」と、怒り声の母から電話が来た。

私は笑った。

「何がおかしかとねっ?!むかっ(怒り)

母は、やっぱり母だった。

私は、「ありがとう。」と伝えた。

産んでくれてありがとう。

少々荒っぽかったけれど、あなたなりに大切に育ててくれてありがとう。

私はあなたのことが大嫌いで、あなたのことを物凄く愛している。

そして、今、幸せだ。真実のままに。

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今日もありがとうございました。

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2009年05月11日

老天使 / 世界で一番神々しい花 / 夫の非言語的コミュニケーション / 天使と悪魔 / マイマザー / そしてまたバラードが

母の日にお花をあげると、いつも怒ったように「もう!いらへんってば!」と言うお義母さん。「ほんとにもう気ぃ使わんといて!」。

それがもう、ほんとに怒っているかのような口ぶりなので、その昔はよくムっとしたりしたものだった。

なのに、昨日の朝、一日早く届いたお花をプレゼントしたら、物凄く可愛い笑顔で受け取ってくれた。セリフは例年通り「いらへんってば!」なのだけど。

それが物凄く嬉しかったのだけど、次の瞬間には少し心配になっちゃう。

孫たちにもよく「何でいちいち怒るの!?」と逆切れされている、そんな今のままで、いつまでも元気なお義母さんでいて欲しいから。

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二年前の母の日の数日前。

義妹のまり子さんが危篤状態だという知らせを聴いた。

まり子さんは亡くなる数日前のGWのある日、旦那さんにこう言った。
「富士山に行きたい。」と。

癌の末期で、もう痩せこけて何も食べれない状態。もちろん外出の許可も下りるはずがない状態だった。

ついこの間、同じ年のお正月まで一緒にお酒を飲んだ私たちは、それを聴いても容易には信じられなかった。いや、信じたくなかったのだ。

夫である義弟さんは、ドクターに頼みこみ、車椅子ごとまり子さんを富士山に連れて行ったそうだ。ターミナルの壮絶さを日々病院で目にして来た私は、これを思い出す度に愛の深さを思い知る。

それは並大抵のイベントではなかったと思うから。
でも、全てを知っている上で、彼女は行きたかったのだろう。
そして、全てを知った上で、彼は連れて行きたかったのだろう。

富士山から帰ってからまり子さんの意識は落ちた。

いや、その前、完全昏睡の前に、まり子さんは今度は旦那さんに、こう言ったそうだ。

「今年は私がこんなんだから、お義母さんにお花を送ってあげられない。だから、あなた、私の代わりにお義母さんに送っておいて。」

そう言い残して旅立ってしまわれた。

火葬場の待合室に飾られている富士山の絵を見て涙が止まらなかった。

そして、母の日のお花が届いたのは、彼女のセレモニーが終了して、私たちがやっと自宅に帰り着いた後だったので、お義母さんは後ずさっていた。

ダンボールの箱が、あんなに悲しく辛く神々しく見えたのは後にも先にもあれが最後だと思う。お義母さんが後ずさる気持ちが痛いほどに分かった。

彼女は自分自身がそんな状態のときでさえ、お義母さんに「お花を」と言って眠りについた人だから。
いつでも笑顔でいた人だから。苦しいときも辛いときも痛いときも。

「誰か、代わりに開けて。うちは、こういうのダメなんや。」


テーブルの上で何日も咲いていた花を見る度に何度も何度も泣いた。


あれから二年。

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まり子さんの三回忌は晴天だった。お彼岸のときも晴れさせてくれたよね。まり子さん、ありがとう。

まり子さんの親族の方々も交えて集うのは、これで四回目。

当初は挨拶以外は全く言葉を交わさない両家だった。

今回は、うちのお義父さんが、御寺の帰りに皆さんで献杯しようと言うことで、国分寺の寿司屋を予約していた。

全てをお寺で済ませてしまえば一番簡単なのだけど、これはお義父さんのイキなやり方だ。長年共に過ごせばもう分かる。

両家は混じり合い、実に色んな話をした。

よく笑いよく食べて、そして、最後にやっぱり涙して。

最後の締めでお義父さんが挨拶をして閉めた。

「次に皆さんが揃ってお会いするのは四年後です。まあ、そうすると我々もどうなっているかわかりません。」というニコニコ顔の冗談にまた皆が笑う。(そんなこと言うなよ。)

でも、お別れの際には、再びまた涙した。

そして、ディズニーが近い地へとお義弟さんが帰るとき。

一旦車に乗ったものの、再び降りて来て、お義母さんに近づいて来た彼。

手には、大きなフラワーアレンジメントがあった。

思わずまた泣きそうになる。

妻の三回忌で色々と忙しい上に気を使い、そんな最中にも悲しくてさびしくて。

そんなときでさえ、お義母さんにお花を用意なさっていたなんて。

次女くんが「かず兄!かっこいい!」とはやし立てる。

私は夫に「なして、あなたは毎年何も差し上げないの。」などと無神経なことを言うのだが、お義姉さん曰く「一緒に住んでるとやりにくいものよ。あたしらはたまに会うから良いカッコ出来るのよ。」と。

なるほど。あいかわらず弟想いの姉さんだ。

が、夕ごはんの後。

夫はいつもより長々とお義母さんの話を聴いていた。あそこに棚をつけようか?とか、膝の具合はどうなの?とか、延々と話していた。

その全然違う言葉の一語一句が、私にはこう聴こえてならない。

愛してるよ、愛してるよ。父さん、母さん、ありがとう。いつまでも長生きしてくれよ。

********************

まり子さんへの献杯が終わった後の私は、国分寺の会場を離れ、ダッシュして立川の事務所へ向かった。

昨日、いちおう白ちゃんに「明日はね、お仕事はお休みにしてあるの。大事な人の行事があるからね。でもね、遅くなっても必ず来るよ。心配しないでね。」と伝えておいたのだが。

白ちゃんは、話しかければ、ただただ、ゴロゴロ言っているだけなので、果たしてどこまで伝わっていたのか。

が、今日の様子からしてかなりのことが伝わっていた模様。

「にゃんにゃんにゃん。お疲れさまにゃん。元気だせにゃん。終わって良かったにゃん。」

何だか、そんなふうに聴こえてしまうのよね。

黒い服の私と真っ白な白ちゃん。

構わず抱きついて来るので、迎え打ってはしばし遊ぶ まるで天使と悪魔のようだった。

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夜がふけて、お風呂に入っている間に九州の母からの着信があった模様。

ひえー!なんですか?私は今日もうへとへとですよー!と激しく動揺してかけ直したのだが。

「お花、ありがとう。」と聴いてずっこけた。

そうだった。あちらにも送っていたのだった。一か月も前に注文したのですっかり忘れていた。

月を見ながら母の声を聴いていると、今すぐ飛んで行ってギューーっとしたくなる。何故なのか?

それは色んな体験をしたからだ。

若い頃には「ぶっ殺したろか?こいつ。」と思うことさえあったのに、歳をとってから産んだ私の妹のことを愚痴って悪態ついている母の声を聴いては笑い、「ママ、ママはそれで良いよ。いつまでも変わらんでね。」などと言ってしまう。

当然、母は「馬鹿か!わりゃ!」と言い返して来るのだけど、それに対しても爆笑してしまう。どこへでもドアが欲しいよ。ただし、ぎゅっとしたら速攻立ち去るけどね。

共存できないほどの激しい血なのだ、お互いにね。

気持ちが暖かい。

何故だろう?

それは色んなことがあったからだ。そして、何かを学んで来たからだ。

そして出会った真実だったから。

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TVでは、清志郎さんの特集が。

スローバラードとか。

夫も私も、今日はよく涙が出る一日だった。月さえもかすんでいる。

そうして、画面の向こうの彼が言う。

「愛しあってるか〜い?」


愛し合ってるよ。
posted by かおる at 07:00| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | Mother | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

ヒューマン(色の人)コーラル&オレンジ編

心理的なワークやセミナーに参加すると、身体が軽くて重い。相反する二つの要素。でも、確実に存在する要素。

そして、その”まだ重い”部分というのは、得た気づきというものを身体の方がまだ受け入れられていない状態なのだと思う。

が、色んなワークやセッションに取り組んで来たので、その魂と身体とのタイムラグは年々短くなってはいる。

先日、インナーチャイルドヒーリングのセミナーに自分自身のために参加した後もそうだった。

様々な気づきを持ち帰り、今度は自分自身単体のワークが始まる。一人では気づきというものは得られない。

が、成熟&変容していくときは、ある程度一人の闘い、一人の統合となる。

何だってわざわざ時間とお金と体力を使ってそんなことするのか?と問いかける私も居るが、毎回こう答える。

理由は幾つもある。

そのうち、比較的手前にある理由としては、人様の心に触れさせていただく仕事をしているからということ。

人様のインナーチャイルドヒーリングにも携わっているからということがある。

それ以外にも、沢山理由があるが、何もセラピストに限ったことではない。ここは、全てにおいての入口なのだ。

この世界の一番手前に自分が居る。

********************

その数日後、Fちゃんがふらりと事務所にやって来て、ビーズで作られたFちゃん手作りのマスコットをくれた。狐さんのお人形ね。

懐かしいなと思う。

そのビーズをしみじみ見て思った。オレンジは、今の私にとってタイムリーなカラーなのだった。

それから、コーラルもね。

この辺りは下腹部、つまりは丹田に位置する第一〜第二チャクラのカラー。

人間の成長過程そのものは生物の進化過程にも似ている。

下から順番にあがっていくのだ。

チャクラで言えば、レッドからホワイトまであがって進化して行く。厳密に言うとその上にもっとあるのだが。

とかく、オレンジまで上がって来た時代というのは、誰もが皆幼少期。

インナーチャイルドと関係の深い色。

そして、もうちょっと下に下がり、レッドよりになるとコーラルが現れる。

以前にも書いたけれど、私はコーラルが嫌いだった。

前回チャレンジしたときには、まずはエアコンディショナーにコーラルを取り入れることから始めたし、今回、セミナーから帰った後にも、手持ちのゴールドで良いんじゃないか?と思っていた。

でも、5日ほど前から、とうとう使い始めた。

物心つくかつかない頃から抱えていた色んな思いや、通称”報われない愛”のワーク、今再び再開。

まずは、何も知らないFちゃんが手作りしてくれたオレンジ色の狐さんが可愛くて目に染みた。ありがとうね。この子は本当に可愛い。

そしてその夜、母に電話をかけた。

私からかけたのは久しぶり過ぎたので、ビックリ&ドン引きしている様子が手に取るように分かった。

あいかわらず声を聴くなり悪態をついている。そして、とまどっているものだから、余計に強く見せようとしているのも分かる。

そんな中、私は、「ありがとうね。」と伝えた。

「何がや?!」

若いうちから女手一つで育ててくれて、高校や専門学校を出してくれて、ご飯を食べさせてくれて、箸の握り方を教えてくれて。えーと、あとそれから・・・。うーん、ああー、まずは紙に書いてから電話すればよかったなあ。

それを聴いて泣き笑いしている様子が伝わって来る。

「おまえが傍に居ないからママはもうすぐ死ぬばい。」

あと10年くらいは頑張って下さい。

「いや、死ぬ。」

まあ、まあ、そう言わずに、そこを何とか。

と言うと、また泣き笑いしているようだ。この辺りに来ると「おまえも変わったねえ。」と笑いの方が優勢になって来る。

そうそう。それでいつも思うことがあるのよね。今は亡き婆ちゃんや爺ちゃんたち、今なら腹の底から笑わせてやれるんだけどなー。

「ところで、あんたの娘たちは稼いどるか?」

またまたそういうことを。私のママりん、成長せんなー。

残念ながら、ママさん。

子供は、お金を稼がせるために居るのではありません。

ましてや、自分で埋められない寂しさを満たして貰うために存在するのでもありません。

所有物でもない。

本当は、欲しいとか欲しくないとか言うべきものでもない。決してモノではないのだ。何かのステイタスでもない。

尊い天からの授かりもの。
命。

時に、その電話の回線繋がっているとき、ぴんと来た。

母もまた尊い天からの授かりものであるということを。

それに気がついたとき、心からの祝福を無言で送った。

愛しい人よ。一旦のさようなら。

また新しい付き合いが始まって行くのだね。

あ、そうだ。大昔、釧路の松浦公園で、自転車に乗る練習を手伝ってくれたね!

「そやんだったか?」

あの時は、いきなり補助車はずしやがってこの野郎・・・あれ?お礼を並べていたはずなのに。

何はともあれ、愛しい人よ。憎たらしくもあり、痛くもあり、愛しい人よ。

よく怒り、よく泣き、よく笑い、共に生きて行こう。

いくつものさようなら。そして、いくつものこんにちわ。

この世に生んでくれてありがとう。

コーラルのボトルが目に染みる。

オレンジのボトルも目に染みる。

その向こう側の窓に日没が見える。

この世界のカラーは、全て美しい。

全てが、波長の異なるというだけで、全てが、光だ。

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さてさて、インナーチャイルドも良いけれど、明日からいよいよまた別のセミナーが始まる。

飛び飛びなれど怒涛の合計6日間になるだろう。

楽しみだけれど、同時に不安だ。

初めてのことっていつでもそんなだわ。

でも、それが生きるってことだ。
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2008年11月22日

レイキのパイプ/夜勤明けその後

瞑想というものには俗に言う意味での依存がない。

セミナーなどに出向いて話を聴いたり、または講師のノウハウを教わるときには、少なからずその方の言う基本を忠実に取り入れて行かなければならない。

後にそこにオリジナリティーが発揮されるのだけど、少なくとも初めは受け取ることに専念する。そこにはちょっとだけ依存性が伴う。一般に言う依存とは少し意味合いが違うけれど、自分が組み立てて来たものはとりあえず横に置いておく必要がある。

まっさらになって。

瞑想や自己催眠などその他一人で行う日常のワークと、講師が介入する講義との共通点があるのはそこだ。

あれこれ、なんじゃかんじゃと自分が持ち込んだものは一旦手放して、まっさらになること。

そんな共通点があるものの、最後は自分自身。自分が行うのだ。

でも、多くの人が講師と自分の関係性に悩んだり、出席者同士のコミュニケーションで躓いたりで、本分とは別のところに時間を取られることがある。

私はそんなとき、極端な表現をする。

人なんてどうでも良いんだよ と。

非常に極端な表現だけれど、自分を見つめている人の場合、どんなにシンプルに言っても誤解しない。瞬時に意味が通じるのだ。

一方で、常に常に、他者が自分のことをどう思っているか?とか、自分が上だとか下だとかに気を取られている人の場合はその間逆で、どんだけ丁寧に説明しても、疑惑の点だけを探し続ける。

セミナーなどに出席してそんなやり取りを傍から見ていると、実に色んなことが起こっている。

最終的に、私の友人は「人を神のように崇め奉るか、馬鹿にするかのどちらか一つ、つまりは上か下かしか選択出来ない自分」の硬さに気がついた。

一人ワークも良い。依存や混乱を避けてれば答えは早い。何故ならいつでも答えは自分の中にあるのだから。

一方で、複数のワークも良い。それは相互成長に繋がる手段の一つだろう。

と、そんなことをこれまで思う機会が多かったのだが、最近はまた一つ新しいパターンが出現。

それぞれ一人ワークをしていても、近隣の人物が影響し合って別のワークが始まるというこの事実。

その副産物として、とどのつまり、私たちは話題が尽きない。うっかりすると余裕で日が落ちて、日が昇って来てしまうほどに。

**************

事務所で過ごした夜勤明け。

少しだけ仮眠を取ったあとで白ちゃんと過ごしていたのだが、途中で彼女が出て行って帰って来たとき・・・・・、白ちゃんは黒ちゃんになっていた。

毎日頻繁に掃除機かけたり拭き掃除。まったくねー、君。

先日ビックリしたのは、白ちゃん、掃除機をかけても微動だにしないのだ。

いちおうその前に「掃除機のスイッチ入れるよー。ビックリしないでねー。」と言ったのがまさか通じてるわけではあるまい。真横やすれすれのところをガーガーやっても平静そのもの。

して、夜もふけた頃、夫から電話があり「よく眠れた?」と訊かれたのだが、これこれこういうわけで30分しか寝てませんわと答えたところ、「迎えに行ってあげるから風呂でも入ってれば?」との提案。

名案だ。

その後事務所で長湯をして、すっぴんにて夫の車で帰った。

私は家という場所が好きなのだ。帰ると非常に落ち着くし、帰れないと落ち着かない。

そうしてやっと帰宅して、さあ、もうこのまま爆睡あるのみ・・・と思ったら次女くん登場。

「はいやーっ!トレーニングね!」

・・・・・。それでも倒れない自分の丈夫さが憎いと一瞬思いきや、いや、身体よ、おまえは正直者だ。

好きなことなら何でもいくらでも出来る。(別称:わがまま)
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2008年09月26日

10年後の夜

深夜、長女くんの友人たちが来るという。

何で深夜なのか?というと、いずれも仕事が終わってから来るからだ。

名前を聴くと、三人とも小学校や中学からのお友達だった。

皆、ご飯は食べて来るのかな?と尋ねると「仕事が終わってから真っ直ぐ来るって言ってたから食べて来ないんじゃない?」とのこと。

それじゃあ、ということで、鍋にいっぱいハッシュドビーフを作る。

「何やの?その量は?」とお婆ちゃんが言うので「Tちゃんら三人が来るらしいので。」と答えたところ、お婆ちゃんはご飯を沢山焚いてくれていた。

煮込み鍋を目の前にして、長女を含む4人の顔を思い浮かべると色んなことを思い出す。

子供の頃から社会人になるまで、
いや、なってからも、皆、実に色んなことがあったからだ。

恋愛のこと、仕事のこと、人生のこと。そしてたまには四人で旅行に行ったり。

長女から話を聴いていると、時々ひやひやするような時期もたくさんあったけれど、今は皆、幸せに過ごしているのが何より。

ついでに言うと、遠い昔。

長女くんが中学にあがってから一時的にいじめに合った日々。

あの時は辛かった。

親がしゃしゃり出るものではないと思いつつも、じゃあ、誰が守るんだ?状態だった。

でも、色々あった末、彼女は自分でそれを乗り越えた。

大きくなってからは、仕事を一生懸命頑張ったからこそ結果を出したのに、その結果だけを見て「良いわよね〜。」という輩は大人になっても存在するものだ。

それはともかくとして、笑い声。

おかしな話だけど、22歳になってもやっぱり大切な子供たちなのだと思う。笑い声を聴いていると嬉しくなって来る。

よくこんなことを言う人がたくさん居た。「子育ては大変だから、自分の子供でもなければやってられないわよね。」と。

何も知らずにそう言う方々に、私は内心そうかな?と感じてた。

自分の子供さえ良ければ良いのか?本当にそうか?

あるいは余所の子よりも何か優れていて欲しいか?

よくこの世間では「親心」という言葉が使われている。

でも、所有欲と親心はまた別物だと私は思う。

世界中の子供が元気に育ちますように。

そして、誰の敷いたレールの上でもなく、自分の人生を、声高らかに笑いつつ生きて行きますように。
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2008年07月22日

真夜中のタイムスリップ

夜勤の前日だったのでたっぷり寝て行こうと思ったのだけど、メールカウンセリングを書くのに結局朝までかかってしまった。

途中、3時半頃、次女くんが登場したので「今何時だと思ってるんだ。子供がこんな時間に起きてるなんて。」と叱ったところ、「今何歳だと思っているんだ。」と逆に叱られた。

で、「はい、これ、プレゼント!」と言われてリボン付きの袋を渡された。何?まだ誕生日には早いのですけど。

「可愛かったから。ほら、開けてごらん。あなたが好きな人に似てるよ。」

それで包みを開けて見ると、白熊が寝ている絵柄のTシャツ。スリーピングベアという子だそうだ。

思わず後ろを振り返ってみると、ベッドで爆睡している人。うーん、確かにそっくりだ。

ありがとうという間もなく姉に呼ばれて去って行ってしまった。

その場面に一瞬デジャブを感じる。

幼いころから、次女くんが私の傍に来て話していると必ず長女くんが「りーたん!何やってんの?!早くこっち来て!」と呼ぶのだ。可愛いやきもち焼きさんめ。

その長女くんが後からちょこっと顔を出して「いひっ!」と笑う。

違うところは、10数年後の今が夜中の3時過ぎであることと、
昔は本気で不機嫌になっていた長女くんが今や「いひっ!」と笑って意識的にやれるようになったこと。

そして、私がおばさんになり、二人が大人になったということ。

隣の部屋から二人の大きな笑い声。早く寝ろってちゅうの。

そして背後で大きな白熊のいびき。さらに、階下からは、それとよく似たお爺ちゃんのいびき。

辛いこともたくさんあった。でも、それと同じくらい幸せなこともあった。

こんな何でもない夜には、仕事と悪戦苦闘しつつも、時の流れに感謝する。
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2007年10月03日

アンティーク

最近、アンティーク雑貨や家具が置いてあるお店にはまっていて、見て周る機会が多い。

小物などには手が出ることがあるけれど、高額なものも沢山ある。

そして、幼い頃、母と暮らしていた頃、うちにあったのと似ているな〜と思うものにも出くわす。

子供の頃は、家に家具があることなんてあたりまえだと思っていた。

住まいがあることなんてあたりまえだと思っていた。

というよりも大人になって子供を育てるようになってからもそのあたりまえ感はいつもあった。

でも、今になって、私が幼い頃、離婚後に一生懸命働いていた母の姿を思い出す。女手一人の時期はとっても大変だっただろうなと思う。

それから、今の私くらいの歳になって何度目かの再婚で妹を出産して再び子育てを始めたわけか。

電話をかけてすぐに伝えたくなった。

年々あなたへの感謝が募って来る。

電話に出なかったのでメールを打ったら大分経ってから返信が来た。

”ははは〜。そうだよ。大変だったんだよ。でも仕方なかったさ。”の後に、見えない文字がある。”大切だったんだよ。今でもそれは変わらないよ。”と言う書かれていない文字が伝わって来る。

生んでくれてありがとう。

育んでくれてありがとう。

ある年齢から、私は母を許すための一人ワークを無意識にやっていたのだけど、そこを越えて10年以上たった今、私が許すとか許さないって問題じゃないよな。すみませんでしたーーー!と思うのだ。

私こそが、もうずっとあなたに許され続けている。

ありがとう。
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2007年08月13日

怒りと涙の鬼天使

2週間くらい前からしばしば頭痛がするときがあって、何となく誰かのトレースっぽかった感じ。

あの肩こり少年か?と思いきや、時々右足がしびれるし、なんか、別の人?

そんなことを思っていたら、九州の母から電話。月始め以来だけど、あいかわらず元気な声で、良かった〜と思いきや、なんと、母の旦那さん、つまりはお父さんが2週間前に脳梗塞で入院しているとのこと。

が、今はもうリハビリ段階で座って御飯も食べているし歩く練習もしているとのこと。

「倒れる前になんかおかしいぞ!と思って救急車を呼んだから良かったよ!」とか、「今は私が食事の手伝いをしてるんだ。」とか。

スプーンを使うな!箸を使え!と手厳しくやっているらしい。

お父さんはお父さんで「おい、鬼婆、あれを取ってくれ。」とか言って笑って母を使っているらしい。

「あたしは命の恩人ぞ!」とびしばしリハをしている様子を話すのだけど、その声は涙ぐんでいる。

倒れる前に気がついたってことは如何に普段彼を見つめて暮らしているかが伺える。

爺ちゃんもばあちゃんもあっという間だったし、彼女にとって介護なんて始めてのことだ。

疲れて自分も具合が悪くなったりもした2週間でもあったらしい。

こんなに大変なニュースだというのに、おかしな話、母の成長を感じたり、二人の幸せそうな様子を感じとってしまう。

私、1回そっちに行くね。。。と言った言葉は見事に無視され、「そうそう!あの子を東京に遊びにやるって話だけど、本当に来週末で良いんだよね?」なんて話に移行したときには、さすがにこらこら!となった。

何もこんな大変な時期じゃなくて良いでしょうが!と。せめて来月かさ来月にしなさい!

「ああ、なるほど。そういう考えもあったか!」

成長しているようなしていないような。

それでもこの人の良さはどんな逆境のときでも元気だということ。冷たそーーーーに見えて実は滅茶苦茶甲斐甲斐しく逞しく暖かいこと。

だから。

お父さんは大丈夫。

確か、5年ほど前、お父さんが癌でもう駄目だ!ってニュースのときも味わった同じ感覚。

お父さんが何度も手術を乗り越え、見事再生してバリバリの仕事人に戻ったのは、母の鬼婆の皮を被った天使ぶり、叱咤激励のせいだと今でも私は思っている。

まあ、もっとも表現下手でその分かり難くややこしい優しさを嗅ぎ分けて受けとめているお父さんの懐の深さでもある。

良い人と結婚したね と改めて言ったところ、切られた。でも、かすかな笑い声を聞き逃さなかったよ。
posted by かおる at 12:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Mother | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

会いたい

昨年のこと。

母の日に何か花でも送ろうか?と画策してパンフレットを眺めていたところ、白百合の花が目に止まった。

カーネーションも飽きただろうし、少々高めだけどこれにしよう〜♪と送ったところ、非常ーーーにありがたいお礼のメールをいただいた。


「百合なんて、裏の畑にいっぱいあるのに。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ああ、そうですか。そんなにいっぱいあるのですか。

「おうよ。そりゃもう、群生しとるわ!

・・・・・・・・・・・・・・。


それから一年が経とうとしている本日、珍しくその母からのメール。

「去年さ。母の日に百合の花束を贈ってくれたのを覚えている?」

そこまで読んだときに、「おう!しっかり覚えとるわ!後の発言もな!」と思ったのだが、こらえてメールの続きを読んだ。

「それがね。かおるに貰った百合だけが生き残っているの。全部、強風とかで駄目になったのに、かおるのだけが生き生きと残って、しかもどんどん増殖しているの。綺麗だよー。ありがとうねー。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・。そか。あの百合、根っこがついていたのか。

いやいや!そういうことじゃなくてですね!
”私はですね。一年前にこれこれしかじか・・・こーんな悲しいことを言われましてね。内心傷ついておりました。でも、このメールを貰って非常に嬉しい気持ちです”ってなメールを送信したところ・・・。

「あらま!それは失礼しました。ちょ、ちょっと今、電話していい?」

ううん。忙しいから駄目。

ってのは嘘でね。

メールのやり取りをしているうちに何故だか涙が出て来たからなんよ。

昨年言われたことなんて本当は気にもしていなくて、笑い話にしようとしたくらいで。

ただ、私はあなたと話していると泣きたくなるときがあるんだよね。

なーんか、嬉しい。
なーんか、可愛い。
そして、表現べたで、失礼なこと言ってもすぐ忘れてしまって今日のようなメールを送って来る。

要するに、親が可愛く思えるような歳になったのだな。いや、もちろんそれだけではないのだけど。

長生きしてくれと願う。
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2007年01月30日

ただ それだけ

九州での3日間はこの上なく濃かった。楽しかったなあ。そして、懐かしかった。

何度も帰郷しているはずなのに、今回はしみじみ懐かしむことが出来た。のは、何故なんだろう。

やっぱり空は大きかった。

もっと沢山居ようか?もっと居たいなあ。。。とも思ったが、結局一日早く帰ることにした。

強がりと愚痴と悪口で占められている母の言葉に突っ込みを入れて笑わせることが出来るようになった。

それは、もう私がおばさんになれたからだ。

強がりと愚痴と悪口で占められている母の言葉をさえぎって、「ねえ、水前寺公園行かない?」と誘って見た。

それは、空港に送ってくれる前のことだった。

てっきり、前日の法事で疲れていて、”そんなもん行くか!”とでも言うと思ったら、黙っている彼女の口元から笑みが零れた。

公園を散歩した。思い出話をした。抹茶を飲んだ。

夫と私の分のお守りを何時の間にか買っていて、悪態つきながら渡してくれた。知ってるよ。優しいけれど照れ屋なんだ。

空港に着き、搭乗手続きが終わった後で、食事をしていたら「本当は、あたしだって優しい女なんだ。」と言うので「知ってるよ。」と大笑いした。私だけじゃなくて、今や、皆知ってるよ。

搭乗口で別れるときに手を振ろうと振り返ったら、母が泣いていた。

見てはいけないものを見てしまったような気がした。

でも、「今度はもっと沢山日にちを取って帰って来いよ!」って意味の荒っぽい方言に「うん。」と返事をした。それ以上喋ると、こちらまで泣きそうになる。

考えた。

どうして、あの頃は、うまく行かなかったのだろう。

高校生くらいまで。

その答えは思い切り集約出来る。

母は若かった。

そして、私がまだ子供だったからだ。
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2006年11月02日

普通と呼ばれる迷いと奇跡と幸福と

まだ面識の無い方々なんだけど、時々「かおるさんちは、娘さんたちに携帯をいつ頃買い与えましたか?」とか、「子供が小さい頃、よく物を買い与えましたか?」ってな質問をメールで貰う。

うちがどうだったか?ということは、さておき、この親御さんたちは、「どうしたら良いか?」と迷っているところが素晴らしいと思う。

妙な言い方になるけれど、結果、どうしたか?ってのはさて置いて、こうしてあれこれ迷われていること自体が正解だなーと感じる。

「他所は他所!うちはうち!」って考えもあるが、「皆が持っているのにうちの子だけ持っていないとかわいそう。それに仲間はずれにされるって言っているし。」って考えも、子供たちがずーーーっと幼い頃からついてまわる。(まあ、それは本当にうんと小さかった時の話だけど。)

そりゃあ、何か皆が持っているものを持っていないって言うだけで友達じゃなくなるんだったら、そんなもん、本当の友達って言えないだろう!とも言えるのだけどね、その時の現実がそういうふうになっているって言うのだったら、それはそれで仕方ないだろって、私は思った。

あー、本当に色々と細かいことで悩んだもんだ。

普段は子供の喧嘩に親が口出すべからず!なんて言っていたのに、実際には、長女が中学の頃、先輩たちに囲まれて、担任もその子たちを怖がって助けてくれなかったって話を聴いたときには、普段の理屈が間に合わないほどブチ切れて学校に乗り込んだ。

それがきっかけで長い職員会議を開かせたという大騒ぎ。全く、落ち着けよーーって自分に言い聞かせて、結局その時は、半介助(?)ってことで半分くらいは長女自身に解決させる道を選んだ。

この時も、確かに親が何でも口出すのは駄目!って思いと、だーーれも助けてくれないとしたら、話が別だろ?って思いが激しく葛藤したり。

実際にこうして振り返って見ると、子育てに正解なんて無いんだなと思う。

一番簡単なのは、一般論を固定して、「世間がこうだから、うちではこう!」って決め付けることだが、実は、これが一番危険だと思う。

認めたり叱ったり、喧嘩したり、改めたり、時には子供に「悪かった」って頭を下げることもあり。

何かというと「絶対にこう!」って一般論を人は求めたがるけれど、子供は皆一人一人違うのだ。

だから、迷いのない子育てなんてあり得ない。だから、迷うのが正解なんだってことを、あんまり上手くない表現で返信している。

これが文章が下手ってのもあるけれど、なかなか伝わらないんだなあ・・・・。

「それはおかしい!それは間違っている!うちではこうだから、かおるさんにもお薦めします!」って長文を読んだ後に、いつも思うこと一つ。

いやいやいや、それを、私とではなく、お子さんとお話しされてはどうなんでしょう?と。

子供は皆一人一人違う人間なのに、正解とか、不正解とか、共通のルールを作って固定させようとしていること自体が不正解だと私は思ったりするのだ。

そして、これは、私という一個人の色眼鏡に過ぎないことも自覚している。

そんなに立派なもんじゃないから、こうしてよく娘たちともぶつかりながら生きているのだ。

でも、これは大切な色眼鏡なんだ。

願わくば、そう、これも単なる願いに過ぎないのだけれど、出来れば、どうせなら、愛する人に投げかけ、愛する人とぶつかって欲しい。

ぶつからずに”合う”場面や瞬間があれば、それは決してあたりまえのことじゃない。それは特別に嬉しいことなのだ。

子供って肩書きがついた愛する人が、今日も生きていて、普通に朝起きて来て、夜には無事に帰って来る。

それは、とっても普通でとっても幸せな奇跡なのだ。

まあ、どうあがいても、ある一面、子育ては祟るのよ。どんなに頑張っても文句や不平不満は出るのよ。

だから、どうせなら、楽しい方がいい。

そんな気分で、私の大好きなあの絵本を今一度開く。

アイ・ラブ・ユーいつまでも 

アイ・ラブ・ユーどんなときも 

わたしが生きているかぎり あなたはずっと わたしの赤ちゃん



赤ちゃんを抱いてそう歌っていたお母さんも、やがて年老いて歌えなくなってしまう。



隣町から会いにきた息子は、母親を抱いて歌う。



アイ・ラブ・ユーいつまでも 

アイ・ラブ・ユーどんなときも 

ぼくがいきているかぎり あなたはずっと ぼくのおかあさん



その夜、自分の家に帰った息子は、生まれたばかりの女の子が眠っている寝室に入って、歌う。



アイ・ラブ・ユーいつまでも

アイ・ラブ・ユーどんなときも 

ぼくがいきているかぎり おまえはずっと ぼくの赤ちゃん

ラブ・ユー・フォーエバー/ロバート・マンチ作
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2005年09月16日

父の教え

次女が物心ついたばかりの頃、何かと言うと寝転がっている父親のところへ走り寄り言うことには、「お父さん!麦茶!」。



麦茶を注いで人に与えるってことを覚えたのだが、これが非常に楽しかったらしい。



おぼつかない足取りなので、父の元に到着するまでに麦茶が半分〜三分の一は零れてしまうので後から拭きながら追いかけた。



新聞読んでりゃ「お父さん、はい!麦茶!」。



TV観てても「お父さん!麦茶!」。



仕事から帰って玄関開けるなり「おかえり!はい!麦茶!」。



母はと言うと、「もう腹いっぱいじゃいっ!いい加減にせんかいっ!」と正直に言うのでそのような被害に合うことは無かったのだが、愛情深き父親は毎回「おお、ありがとうねいっ!」と飲み干すので楽しくて嬉しくて「お父さん、麦茶!」地獄が永遠に続くのであった。



「はい!お父さん!麦茶!」



しかし・・・。



「昔のあの可愛い次女はどこへ行ってしまったんだあああああ?」と嘆いている今日の父だった。



急に部屋に入って行ったところをマジ切れされて嘆いている図。↑



しかし、今でもその片鱗は残っているよ。



あいつ、美味しいお菓子とか絶対一人で食べない。必ず持って来て誰かと一緒に味合おうとする。面白いドラマや感動した映画もひつこいほど人に薦める。



物凄いあんたが損じゃん、それ?って思うようなことを友達や家族のためにやってのける。いつも人のために悩んでいる。人のために笑ったり怒ったりしている。



幸せか?と時々尋ねる。



幸せだと言うのを聴くとほっとする。嬉しい。



与える喜びを一番初めに教えたのは、お父さんの麦茶。



例えば、この先、おまえがもうそんなこと忘れてしまっていても。
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2005年06月03日

陽だまりの電話

夜勤明け、ふいに電話をかけて来た友人に怒られた。いきなりだった。



「まったく!留守電にメッセージを残そうと思ったら、いっぱいになっていてメッセージをお受け出来ませんってガイダンスがかかってたぞ!」とのこと。



へえ〜、そんなガイダンスあるんだ。



って、感心している場合じゃない。そう言えば留守電ってなかなか聴かないかも。



で、チェックしてみると、その中の一件に母の声が入っていた。



「母の日だってのに、今年は花も無いのかっ!そのうちママは死んじまうぞ!」との憎まれ口なのに、何故だか非常に懐かしい。



まったく何を言っているんだか。贈ったさ。でっかいフラワーアレンジメントを。



でも、宅急便屋から宛先が不明だって電話がかかって来たさ。ほんとに、まったく、勝手に引っ越しやがって。



それでも電話をかけなかったのは、前回、嫌な思いをしたので当分話はしたくないなと思っていたから。



しかし、あまりに懐かしく感じられたのでかけてみた。



「ダリが死ぬって?」



と、開口一番言って見たら、「生きてんのか!おまえ!」と怒鳴り返された。



何で連絡をしない?と、友からも親からも怒られている。



仕事してても家でも娘や夫に「どこ行ってた?」と怒られている。ほんとーーに、いつも怒られている。



それはどうでもいいんだけど、あんたが金の無心をするからうかつに電話をかけられなかったって趣旨を述べると「そんなもんじゃないんだよ。あんた。一ヶ月に一回くらい電話しないとね・・・」と、母親口調である。おいおい、聴いてんのか?金の無心をするなという話をしているのに。(しかも巨額な。)



が、そんな話の折に、ふと言って見た。言いたくなったから。



ママ、高校行かせてくれてありがとうね。看護学校受けさせてくれてありがとう。印鑑押してくれてありがとう。飯食わせてくれてありがとう。



私は夫がいるけど、それでも大変。



ママは一人だったから、この何倍も何倍も大変だったと思うんだ。最近いつもそう思うんだよ。



本当にありがとうね。



直で言ったのは初めてだ。



電話が切れた。って思うくらい静まり返っていた。



切れたから掛け直そうと思ったら「ほんとだよ。」と小さな声が返って来た。



「ほーーんと、大変だったよ。」



そう言った母の声は少し震えていた。



そして、また少しの沈黙の後、



話題を逸らして、引き続き憎まれ口を叩いているのを私は黙って聴いていた。ひたすら黙って聴いていた。



だって、物凄く照れ屋なあなたの声の震えが



いつまでも いつまでも止まらなかったから。



自分にもその震えが移らないように、こらえるので精一杯だったから。



やがて、また、声が途絶えたと思ったら、母の方からも初めての言葉を聴いたから。



「ごめん。かおる、苦労かけて、ごめん。」
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2005年05月21日

最悪と最愛

夕べ、祖母の夢を見た。



あいもかわらず愚痴ばかり言っていた。



昔からそうだったよなあ。娘たちやその婿、もうー、とにかく周りの悪口ばかり日々連ねて。



いつでも誰が一番自分に良くしてくれるか?誰が一番愛してくれてるか?ってのを測っていた。比べていた。



”自分はあいつのせいで不幸になった。”



という言葉の「あいつ」とは、その時期によって対象が変わるのだけど、自分では何の努力もせずに周りを批判して生きていたことには変わりなく。



自分の弱さや滑稽さを直視するのが怖いから、そんな自分を認めなくて済むためにずっと誰かに責任をひっ被せてののしり続け、恨み続け、愚痴り続けて生きていた。



その祖母が、夢の中で、またしても自分の娘たちの悪口を言ってヒステリーを起こしているので、「いい加減にしろよ。」と私は言っている。



「だって、おまえ、誰もあたしのことを気使ってくれない。誰も私のことを分ってくれない。こんなに肉親がたくさんいるのに!もう、あたしは死んでしまいたいよ!」



それに対して私は「またそんな罰当たりなこと言って!」と激怒している。



「父ちゃん(祖母の夫)も兄ちゃん(祖母の息子)は、生きたくても生きられなかったんだよ!」と私は興奮している。



「生きたくても生きられなかったんだよ!馬鹿!」



そう。馬鹿だった。愛されても愛されても、自分の気に入る形でないと不平不満ばかり言っていた。



幼い頃から愚痴ばかり聞かされていた私は、もういい加減にうんざりしていたのだけど、幼い頃は黙って聴いているしかなかった。



母に捨てられた私だもの。祖母に背いたらもう行くところが無くなってしまうと思って。生きる術も無くなってしまうと怯えて。ひたすら心中震えつつ大人の愚痴を聞いている幼子だった。



あれ?それにしても、今の私はどうしてこうやって祖母とメンチ切って喧嘩出来るんだろう?言いたいことが言えるんだろう?と、夢の中で不思議に思った。



あ、そうか。私がもう子供じゃないからだ。あれからもう幾年もの時が流れて、やっとおばさんになるまで生きることが出来たからなんだ。



何だ。そうか。



じゃあ、このまま言いたいことを言ってやろう。「罰あたりなことを言うな!生きたくても生きられない人もいるってのに、死にたいなんて言うな!馬鹿!罰当たりもの!」





その時、目が覚めた。



そして、祖母もまた、もうこの世にはいないのだと言うことを思い出して涙した。



喉の奥が詰まった。



祖母は、私が知る限りで、一番不幸で愚かな人間だった。



愛に対してどこまでも傲慢で謙虚になれず、愚痴と不満ばかり言い続けたままで年老いた人。





夢分析に物を言わせると、夢というものは、夢を見ている本人に対して何かメッセージを送信している。



だから、私はしばしこの印象的で胸が詰まるほど懐かしい祖母の夢が何を伝えようとしているのか?と考えて見た。



そして、ちょっと見えて来た。



私は、愚痴ばかり言って何もしないでいる人間、しかも、すべてを他者のせいにしている人間を見ると異常にイライラする。また、人の話を聴かない人間に対しても必要以上に腹を立てる一面がある。



そうか。そうかと思う。



私は多分そういう人に自分の祖母を投影させていたのかも知れない。



私の中で今でも祖母が生きていて、年齢も背景も全然違う相手なのに、投影させてしまっていたんだ。



私の立てた勝手な道筋だけど、悪いとばかりは思わないでおく。



私はきっと「そのまま年を取らないで。もったいない。もったいないよ!」と、その人をどーーにかしたくなるんだろう。



「自分で自由に自分の人生を生きていいんだよ!そっちの方が絶対楽しいんだよ。本当だよ!」と伝えたくなるのだろう。



「お願い。そのまま無為に過ごして年を取らないで。幸せになっていいんだよ。自分の幸せを人に託して勝手に不幸な人生を選んでいるのは自分だよ。」



あたかも夢の中の祖母に叫んでいたように、こんなメッセージを伝えたくてたまらなくなってしまうんだろう。だからこんなに辛く悲しく、そして必死になってしまうんだろう。



祖母は確かに、私が知る限り、愚かで不幸で馬鹿な女だった。



しかし、同時に、私が知る限りで、一番幸福な女だったとも言える。



何故なら、あんなに悪態つきながら、世を呪いながらも、娘たち、そして、ここにいる孫までもが、何故だかこよなく彼女を愛していたから。愛さずにはいられない。今でさえ愛し続けずにはいられないのだから。



私は祖母に色んな仕打ちを受けたと認識するけれど、今では、彼女の娘である母が私をあんな形でしか愛せなかった理由を深く納得出来る。



そして、世の中では、子を虐待する親や子を捨てる親を「最悪な親」と表現するけれど。



本当は、そんなのちっとも最悪な親じゃない。

そんなのまだまだ最悪とは言えない。



子供に取って本当に最悪な親というのは、実は、死んでしまった親に他ならない。



やっと、大きくなれたのに、やっとあなたのことを少しだけ理解出来るようになれたのに、今ならばあなたを笑顔にすることが出来そうな気がするってのに!今やもの言わぬ存在でしかない。



かつて信長が、その実父を亡くした時、葬儀の席で父の棺に抹香を投げつけた真意が分かるような気がする。



だけど、私は信長のように強くもなく、激しくもなく、潔くもない人間なので、情けなく涙を流すばかり。



婆ちゃんの馬鹿。



今なら笑わせてあげられたのに。



婆ちゃんの馬鹿。



でも、大好きだったよ。



最悪だ。



だから私は、うんと長生きをしようと思う。



そりゃ病気や怪我や運命が襲って来るだろうから仕方ない場合もあるけれど、そんな中で一生懸命出来る限り長生きしようと思う。



決して自由と幸せを放棄せず。
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2004年10月22日

内定

休むほどではないんだが、朝から微熱があって身体がだるい。



夕べの夜勤、寒かったからなあ。



どうしようか?どうしようか?と時間ぎりぎりまで迷ったあげく出勤した。



人員は多かった。うーん、やっぱり休ませて貰えば良かったかな。



でも、ほら、そこは病院で。



行けば薬もあるし医者もいる。



割と気分がましになったところでマスクして外来の採血に回された。



するとこれが思わぬ嬉しさに直面する。



かつて入院していた懐かしい面々に沢山お会いすることが出来たから。



涙流したり、笑ったりで、ただの採血流れ作業とは程遠い。内容の濃い午前中だった。



その後、帰りの電車の中でまたしてもだるさが襲って来る。



うー、だるい、だるい。と思いきや、携帯メールを一通開いて見ると・・・。



長女から。



就職の内定決まりました。涙が止まりません。と。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。と長い絶句のあと、電車の中で一人涙。慌ててドアの方を向く。



良かったねえ。



周りにいろーーーんなことを言われたけれど、好きな企業に入れたね。



二度の面接。第一次、二次と、終了してから今日までの日々は、これまた長かった。



良かったねえ。



って言うか、もう就職か。



ずいぶん大きくなったんだね。



大きくなってくれたんだね。



ありがとう。大きくなってくれて。



もう今夜はシャンパン開けてしまおう。



涙が止まらない。
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2004年07月29日

月夜の般若とLOVIN' YOU

あいかわらず きかん坊の次女を叱ったら、見事にふてくされやがった。1ヶ月ばかし口をきこうとしないし、つんつんしてやがる。



これって第何次反抗期なんだろ?なーんて括るつもりはさらさら無いが。



そんなことはどうでも良いけど、やるべきことはきちんとやれ!食いモノを粗末にするな!ふてくされたって駄目だ。駄目なものは駄目なんだ。



そんな中でさらに。



些細なことではあるが、使用済みの弁当箱を何日も出さないことがあった。



朝までに前日のが浸けてなかったので、さらに激怒して叱ったところ、さらに口をきかなくなった。

それでも。

さらにさらに何かが出来ていないとうるさく言う私。



「もう!皆うざいっ!お母さんだけは味方だと思っていたのに!」とがるるるるっ!と牙を剥いて来る。



だって親だもん。ほっとけないもん。あきらめな。



しかし、そのつんつんされている1ヶ月間というのは、ひじょーーーに心が重かった。



仕事していても、同僚と飲んでいても、掃除・洗濯していても、もう、とにかく何をしていても気持ちがブルーになって来るのだ。



次女は幼い頃から姉や大人たちの動向を良く見ていた。



誰かに怒られたり、誰かと気まずくなって来ると、必ず他の誰かのところに逃げてべたべたくっ付いて離れないところがあった。自分を不快にする人からも物事からも逃げて逃げて逃げまくるのだ。



学校では一転して素行は良い。優しくて思いやりがあると担任にも可愛がられる、愛される、愛される。



だけど、いつだったか、「先生なんて素直に言うこと聞いてやってればちょろいもんだ。」と言っていた。



私はその小ずるい一言を聞いて憂鬱になった。



何に関しても小ずるい一面が私をイラつかせる。



だけども、あらゆる人間と「誠」で付き合うことを恐れている次女の気持ちを想像すると、イライラよりもいじらしくて悲しかった。そんなふうになるまでには幼い頃から色んなことがあったのだ。



やがて。



怒られるのが嫌なので、次女は言うことを聞くようになった。



朝は一人でお起るようになって、弁当箱を自分で洗い部屋を片付け、風呂に入って寝て野菜も食べる。嘘をつかなくなったし門限も守る。



しかし、「これでいいんだろ?これで?」とつんつん。



そんでもって、つんつんされたって表面上は変わらない私。



心はブルーでも、じーちゃん、ばーちゃん、とーちゃん、ねーちゃんのようには、私はおまえのご機嫌をとったりしない。



駄目なもんは駄目。偉いもんは偉い。可愛いもんは可愛い。





一昨日の夜、夫がマスターと飲みに出たあとの深夜1時。



一人でうっとり『Ken's bar』を聴いていると、コンコンおまえがノックする。とっくに寝顔を確認した後だったのでちょっとビックリした。



1ヶ月ぶりに口をきいたかと思ったら、「お母さん、怖いよ。」。



え?何が?



「うちの前で男の人たちが大声で喧嘩しているみたい。」とパジャマ姿で震えている。



ヘッドフォンをはずして初めて気がついたが、なるほど、こりゃうるさくて暑苦しい男同士の怒鳴り声と野次。窓から覗いて見ると案の定、大勢の男たちが酔っ払って騒いでいる。



たっくもう!と玄関に向かう私をおまえが必死で止める。



「止めて!行かない方がいいよ!」



だったら、何でおまえは私にこの事を知らせたんだ。Ken's barを中断させてまで。知ってしまったからには止まらないんだよ、私は。



次女は、男性の怒鳴り声や人間同士の争い事に関しては著しくPTSD気味だ。これには私が彼女に出会う以前の歴史がある。



それを知っているからこそ、止めなければならない。私は、守らなければならない。



それを思うと玄関に向かう肩は怒っているのだけど、心には涙溢れる。だって、こんなことくらしか出来ないから。だって、おまえの過去には届かないから。



人んちの真ん前で喧嘩して騒いでいた酔っ払いの方々は、私の出現でしーんと水を打ったように静かになった。

多分私は玄関の灯りに照らされて般若のような顔をしていたと思うから無理もない。



般若は「子供が怖がって寝られないので、静かにして貰えませんか。」と普通に言って見た。



すると、一同「こ、これはすみません。」と急に酔いの冷めた顔になってくれたので無駄な争いはせずに済んだ。



「そちらの方は血が出ていますね?救急車を呼びましょうか?」と、これも普通に静かに訊いて見たのだが、何せ、顔がおそらく般若。



「いえいえ。連れて帰ります。ほんとに申し訳ありませんでした。」と、こちらも礼を通して去ってくれたので安心してきびすを返し家に入った。



でも、入った瞬間、どっ!という衝撃を感じたのでビックリした。



いつかやられると思ったけど、とうとう刺されたのか?!と一瞬思ってしまったのだけど、その衝撃の大きな塊は私の正面、つまり家の中から飛んで来た。



落ち付いて見てみると、パジャマ姿の次女が私に抱き付いて来たのだ。どっ!と。



「お母さん。大好き。」と。涙声で。



1ヶ月ばかし心を染めていたブルーが消えて行く。



私は膝をついて抱き付いている次女の頭を抱きしめた。



思えば、わけのわかんないあのブルーもわりと綺麗な色だった。



親って割りに合わないな。もう辞めちまいたいな、やっぱり無理だったんだって、正直言うと今でも時々思うけど。



これからも時々この色彩に染められて行くのかな。子供の動向次第でひそかに染められて振り回されて行くのかな。



少しの幸せですら泣きそうになる。だけど、おまえはこんな私の気持ちを知らない。知って欲しくもない。



私は、何事もなかったように、彼女の頭を軽くぽんぽん叩いて「早く寝なさい。また寝坊するよ。」と身体を離した。



部屋に戻ると、Ken's barは、丁度『LOVIN' YOU』を歌い始めてくれているところだった。
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2004年07月27日

夏休み

先日学校を休んだために八月の始めに補習を受けなければならない。



学校、遠いからその日の休日も潰れるだろう。



いや、しかし、それよりも先生と一対一ってのが怖い。馬鹿がどんどん暴かれる。



そんなことを考えていると色んなことが手につかなくて、おまけに娘が飛び込んで来てマシンガントーク始めた暁にはもうこの夜は終わりである。何にも出来ない。



ああ、夏休みに入った娘たちよ。君たちの膨大な時間が羨ましいよ。



もしも今学生の頃と同じように時間があったならフルで全願いが叶うのに。願いという物質を一つ一つ現実という名の状況に変えて行けるのに。



「でもさあー!」と目の前の君が素晴らしくつやつやのほっぺで何か喋っている。



「こうやってさあ、同じCD聴いて良いって思えたりするのって凄いね。嬉しいね。こんなに年が離れていてもね♪」と陽気になっている。



うん、うん。そう言えばそうだね。



人間なんて大人になっても根本はそんなに変わらないのかも知れない。だから君たちと私は元々合うのかも知れない。親子でなくとも。



夏休み。



今年もまた同じ空を見上げたり、一緒にアイス食べたり、バックにHY流しながら色んな話をしようね。
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2004年06月05日

みみっちい合戦(男同士の内側で)

昨日一緒に夜勤やってたTちゃんが「私、特に嫌いな人がいるわけじゃないけど、何故か人間関係疲れちゃうんですよねえ。」と言っていた。



あー、Tちゃんは嫌いな人いないの?と訊くと、



「はい。よく慣れないうちはむかつくことはあるけど、あー、こういう人なんだって段々分かって来ると大抵はその人らしさを愛すようになるみたいです。」と言うようなことも。



解るような気がした。



職場とか身の回りで接する人々は気がつけば皆「好き」の範疇。喧嘩することもあるけれど。



とにかく若い頃はずいぶん嫌いな人が多かったのに、最近は己が許されている事実を実感して感謝の念が勝ってしまう。



そう言えば、私は若い頃、自分の母親が大嫌いだった。



何で我が子をいつも騙すーーっ!?と不信感ばかりを持っていた。



で、何で今は好きなんだろう?あの人が。



私が変わったのか?相手が変わったのか?と考えている頃、



先日、「TVで東京には凄くよく当る宝くじのスポットがあるってのを観たからそこで50枚買って送ってくれ。」というメールがいきなり来た。



・・・・・。



向こうは俄然変わってないらしい。



東京の当るスポットで買って送れって気軽に言うな。ここからは遠いっちゅうねん。



50枚って気軽に言うな。高いっちゅうねん。(しかも、如何なるときもあなたは私に金を返したことがない。)



「早くね。早くね。」とせかすメールに「あいかわらずだなあー。」とあきれて無視していたところ、夫が「無視しちゃかわいそうじゃないか。」と勝手に宝くじを買って送ってくれていた。



しかも、今年中学生になったばかりの私の妹の分を別途一枚包んで、「Sちゃんにも一枚ね。」とメッセージつけて。



あー、余計なことを。



母は滅茶苦茶喜んだ。



「この筆跡は旦那だね。もうー、ほんとにお礼言っておいてね!うちの子も凄く喜んでいます!って言っておいてね!」



はいはい。



もうー、そんな余計なことすることないのに。



と思っていた冷たい私だったが、後日初めて母から約束通り立て替えたお金が振り込まれているのを見て呆然とした。



大丈夫?急に良い人(普通の人)にならないでよ。死ぬんじゃないの?



と慌てて電話したが「普段極悪だと、たまに普通のことすると感謝されるね!いーーっしっしっしっ!」と言っている。全然大丈夫のようだ。あと300年は生きてくれるだろう。



猜疑心は拭えないが最近そんな母が愛しくて仕方ない。きっと近くにいたらそうは行かないとは思うのだけど。



昔の思い出が消えるわけじゃないけれど。



ところで、何で夫相手だとちゃんとお金返すのよ!とクレームをつけたところ、「うちの主人がね。話聞いていて、勝手に振り込んだ。」とのこと。



うちの主人というのは母の再婚相手。血は繋がっていないが私の中では今までで一番最高のお父さんだ。



要するに、これは男同士の約束だったらしい。その枠組みの内側で女同士睨み合っていた滑稽さを思い「おい。素直になれ。」、「そっちこそ!」と私ら、この年になってもまだ喧嘩している。



でも、互いに相手らしさを愛し合っている。
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2004年05月22日

母 の 日 の

枯れかけたカーネーション。



捨てたくない。



もう一日だけ一緒にいて欲しい と 水を換える。



枯れかけたカーネーション。



やっぱりドライフラワーにすれば良かったの?



いえいえ 決して あなたを生きながら日干しになんて出来やしない。



あなたの笑顔 や その潤いを 意図的には奪いたくはない。



せめて意図的には。



枯れかけたカーネーション。



贈ってくれた小さな手。



きっと また一つ大きくなって



いつかさよならの日が来るんだね。



枯れかけたカーネーション。



大地から 別離させられた切花の悲しさに



ちょっぴり おまえたちを垣間見る不安。



母は おまえたちを好きな形に切り取っては来なかったか。



それだけが気がかりで。





枯れかけたカーネーション。





その向こう側で 贈り主たちが どこかまだ幼い笑顔を投げかけて



眩しくて 眩しくて 美しい。



だから お願い。



もう少し。



もう少しだけ。



私と一緒にいておくれ。





花びら ひらり



落ちて 微笑んだ。





娘と一緒に微笑んだ。
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2004年05月01日

夕映えの記憶

この世に存在してからの一番古い記憶は、先を行く母の背中。

いくら早足で歩いても追い付けない。しまいには置いて行かれる恐怖で必死で走る。

それでも、その時の私は、母の背中に一向に追いつけなかったのだから、おそらくよっぽど幼い頃の記憶なのだろう。

行かないで。行かないで。私を置いて行かないで。

でも、どんどん母の背中が小さくなって行く。

恐ろしくて恐ろしくて何度も夢に見た。

その朝もその夢で目が覚めて、朝から何とも憂鬱だったのを憶えている。

学生時代だった。(そうだ。かなり大きくなるまでその悲しい記憶の夢を見続けた。)

そして私はまだまだ悪餓鬼で、母の庇護の元に生きていた。

それはずいぶん手荒い庇護ではあったのだけど。

学校から貰って来たプリントを母に渡すと、一瞥をくれるなりクシャクシャに丸められた。「こんなもん!糞食らえだ!」と顔面に投げつけられた。

多分、授業参観か懇談会の案内だったのだと思う。

「だいたい、おまえがいるするせいでちっともあたしは身動きが取れないんだよ!」と頬を打たれた。

母は美しく化粧をして髪にはカーラーを巻いていた。夜の仕事や男たちとのデートに出かける前に、いそいそと支度をする母はいつも美しかった。美しく冷たかった。

一度火がついた母の怒りは治まらず、何度も頬を打つ。髪の毛を引っ張られる。

その頃は結構身体も大きくなっていたのに、私はいつも無抵抗だった。

「おまえの一番の大罪はあいつに似ているところだ!何で生まれて来たんだ!死んじまえ!」

母は私の父親のことを言っている。でも、私が生まれたばかりの頃に離婚をしているので、どんな人かも分からない。

そんな勝手なこと言われたって知るか!と私は唇を噛む。おまえが勝手に生んだんじゃないか!と。

だけど、やっぱり私は無抵抗だった。

彼女の言う通り、私はお荷物で、邪魔者で、生まれて来てはいけなかったのだと思っていた。そういうふうに洗脳されるまで繰り返し繰り返し、母は私に呪いの言葉を吐き続けた。幼い頃からずっと。

冗談じゃない!と叫んだ。生きてやる。生きてやる。意地でも生きてやる。そして大人になったらこいつを置き去りにしてやる。

ぶたれても蹴られても、その憎しみが支えだった。

母は私が思い通りにならない日も打った。他の事がうまく行かない日も私を怒鳴った。蹴った。

だけど、私は母がくれるものなら何でも貰いたかった。罵倒も暴力も母から貰えるモノの一部だった。

私は母親という存在に、この世で一番の憎しみを抱き、同時にこの世で一番愛していたようだ。今になって思えば。

母は若かった。不器用だった。

ある日、そんな母が、いつものように化粧をして着替えを済ませて新聞を読んでいた。それは単なる出掛ける前の習慣だったのだけど。

その日の母は、読み終えた新聞を静かに畳むと、化粧を落とし始めた。「出掛けるのは止めたよ。」

え?どうして?

「待ち合わせの相手が死んじまったんだ。」

後で新聞を広げて見ると、暴力団の抗争のニュースが一面に載っていた。

母は鼻歌を歌っていた。恋人が死んでも鼻歌を歌っていた。

だけど、私は、その鼻歌が不自然なほどハイテンションであることを感じ取っていた。まるでわざと私に聞かせるかのように。

新聞には小さなシミがあった。ぽつりと濡れていた。

母は恋多き女で、母は優しくて、だけど、それを被い隠して強くなければならなかった。

母の弱さでは、鬼になる勢いでも無ければ私を育てて来れなかったのだと今は思う。

でも、私の持つ憎しみが、その新聞のシミを無視した。ただの極道の女だと思い込みたかったのだ。ただ憎んでいたかった。

その方が楽だったのだ。

私も鬼にならなければ生きて来れなかったのだと思う。

18になった私は一人立ちをした。

かつて自分が生まれた横浜に飛んだ。

さようなら、お母さん。おまえなんて糞食らえ。

これでもうお互い鬼にならずに済むね。好きなように生きて好きなところでのたれ死んであげるよ。あなたの望む通り、あなたの知らない場所で。

それから、半年、一年と経って、人の愛し方を知らない私でも自由で幸せだった。寂しくて幸せな日々が続いた。でも、母を思い出す度に憎しみが沸いて来る。

増して世の中に出て見れば、女手一つでも強く明るく子育てをしているシングルマザーに山ほど出会う。その人たちの優しさや強さを見る度に、私は母を恨んだ。憎んだ。駄目じゃんか、おまえと、やっぱり駄目じゃんかと心中罵倒していた。

母は負けず嫌いで意地っ張り。口ばかり。無学で傲慢で滑稽。

いつでも世間という化け物にぼこぼこに殴られてのされた後で、ふくれっつらで呟いていた。「ほんとは、あたしの勝ちだ!」

そして離れ離れになった今は、「金を貸してくれ。儲けてるんだろ?いったい誰のおかげで今生きていられるって思っているんだ?困ってるんだよ。親を助けろ。箸の持ち方を教えたのはあたしだ。」などと言って来る。最低だ。

そんなある日、ポストに届いた1通の手紙。母の筆跡だった。

またお金の無心か。今度は手紙でか。

でも、ため息をついて開封したその手紙は、いつもの母の文面じゃなかった。

”寂しい”と言う文字が目に飛び込んで来た。

「あの頃、いつも、あたりまえのようにおまえがいた。寂しいよ。寂しいよ。かおる。手紙をおくれ。ママの新聞受けだか郵便受けだかわからない、ママの粗末なポストに手紙をおくれ。寂しいよ。」

何言ってるんだ?私は、この世で一番自分が偉いと言わんばかりの母しか知らないのに。今さら何言ってるんだ?

思わず、その手紙を放り投げた。まったく酔っ払って書いたんだな。おかしいよ、あいつ。

「ママは後悔している。ごめんね。不自由ばかりさせてごめんね。」

何言ってるんだ?今更鬼を止められても困るよ。憎しみだけが私の支えだったんだから。

だけど、気がついたら泣き声がする。どこからするんだ、この声は。

「かおる、手紙をおくれ。ママのポストに。」

泣いているのは私だった。気がついたら頬がびしょびしょに濡れていた。

鏡を覗いたら、そこに母がいた。

目を閉じると、一番最初の記憶は母の背中。

思い出した。

必死で追い付いた母の前に回り込んで見上げると、そこに涙でびしょびしょの母がいた。

母は幼い私の手を引いて夕闇の中を歩いてた。

だけど、涙が零れる度、その涙を自分で止められなくなる度に私の手を振り解いては、さっさと前を歩いた。

私に泣き顔を見せないために。

だけど、私が置いて行かないで!と叫ぶ度、さりげなく歩調を緩めて、追い付くのを待ってくれていた。びしょびしょに濡れた顔のまま。

記憶の中で、70年代のメイクは泣き濡れてボロボロに崩れている。

それでも、私は、そのボロボロで美しい母が自慢だった。

だから必死で駆けて追い付いた。

お母さん、お母さん。置いて行かないで。

私はそのスタイルが好きだったと気づく。その親子の在り方が好きだったのだと気づく。抱っこされるより、もしかしたら、べたべたくっ付かれるよりも。

ただ歩調を緩めるだけの、さりげない愛情表現を受けとめ、幼いなりに愛を返してた。

だから私は今も自分で歩くことを知っているのだ、きっと。そう思い出した。

親子揃って泣きべその意地っ張りなんだ。

その日、鏡の中に母に似ている女を見た。あの日の母とそっくりの泣き顔を見た。

それから月日が経って、母は再婚した。

相手は、今はもう老いていて決して美しいとは言えない母にはもったいないくらいの真人間だった。偉丈夫で頼り甲斐のある男だった。

母をとっても愛してくれた。

私は「いい年してよくやるよ!」と悪態をつく傍らで、その新しいお父さんに手紙を書いた。

「母をよろしくお願いします。

母は、口で言うほど強くはありません。

母は、意地っ張りで可愛げがないけれど、本当はか弱い女です。

だから、母を弱虫で泣き虫の女に戻してあげて下さい。

私が生まれる前の母に。」

おかげで今、四捨五入すると40にもなる私には、小学生の妹がいる。自分の娘よりも幼い妹が。

年齢を重ねて落ち付いた故か、新しい父が母をがっちり守ってくれている故か、多分その両方の理由で、やっと幸せになれた母。子育てをしても尚、余裕がある今の母。

その妹を愛でているときの母が実に優しい母親ぶりを発揮しているので、そんな時、何とも私は損した気分になる。

でも、苦笑しつつ思うのだ。そんな母があまりにもかわいくて。

「ま、いっか。」と。

私だけしか笑えない話でごめんなさい。

でも、聞いてくれてありがとう。
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2003年10月16日

Mother 11 キャンディ一つ分

夜勤、遅番、夜勤と続いている。夜ばっか。



夜の蝶じゃなくて夜の毒蛾と化している。



お約束のようにナースコールが鳴りっぱなし。アドレナリン(毒)出っぱなし。その上、救急車が来る来る。



今夜が山場だと言う人。元気な人。皆一様に「看護婦さん、看護婦さん。」と阿鼻叫喚。



ほんとにここは、まったくもって別の国のような気がする。時々地獄のように感じる時さえある。



ふと見ると、同僚が金縛りにでもあったかのように立ち尽くしている。しかも瞳孔が開いている。ぼーーっと立っているけど視線の先には何もない。こんなにアラームやナースコールの音が連続して鳴り響いているのに固まって動かない。



Aちゃん?Aちゃん?!どうしたの?!と声をかけると「あっ!」と我に返って、またばたばたと働き始める。



何だか今、Aちゃん、やばかったなと分かる。



あんまり短時間の間に恐ろしいほど沢山の情報が入って来ると、さらにそれが長時間繰り返されると、自分の中で処理しきれなくなって、何かがショートするような気がする。



私もAちゃんに近い状態にだったのか、予定よりも2時間も遅くなった遅番勤務の帰り道、どうやって帰って来たのか覚えていない。



気がついたら自分の部屋にいた。



そして我に帰った途端、何だか物凄い焦燥感に襲われた。何だかわからない。何かが虚しい。



その時、長女がノックをして入って来た。



「お母さん、この時計、飛行機に乗る前にキンコン!ってひっかかるかな?」



でっかい目覚まし時計を持って何を言っているのかと思ったら、そうだ、修学旅行の準備をしているんだった。



あ、あんた!そんなどでかい目覚まし時計持って行くの?!もっと小さいのがあるでしょう?



「いやいや、あたしはこのどでかくてうるさいのじゃないと絶対起きれないんだから、絶対これ持っていくの!で、キンコン!にひっかかるかな?」



きっとひっかかるよ。だって、この間お母さんが博多に行った時なんて行きも帰りも、たかがベルトの金具で鳴ってたもん。すっごいひつこい身体検査されるんだよ、あれ。



ほんと、皆がじろじろ見ている中で同じところ何回も撫でられるんだよね。恥ずかしいったらありゃしない。←サングラスかけて両手をあげて口はへの字だった。



「あんなごっついベルトしているからだよ。」とか、「人相悪いからじゃない?」とか、さんざんなことを言われたが、長女はあのビッグな時計を持っていくらしい。だったら訊きに来るなよ。



しかし、部屋を出て行く前に、おもむろに「はい。」と飴をくれた。「ミルキーのココア味。新発売だよ。」



あ、ありがとう。



その飴を手渡してくれた娘の手があまりにも大きくてビックリした。またでかくなってる。





そのあと、何かがひっかかって、手のひらの上の飴をじーーっと見つめた。



そう言えばそうだった。うちの娘たち、美味しい飴やガムがあると必ず持って来る。



それはまだ、二人の手が小さな小さなもみじのようだった時代から続いている。



「お母さん、飴あげる。」



「お母さん、これ美味しいよ。」



またある日は、悲しいことがあって泣いているんだけど、ぼたぼた涙を落としながら飴をくれた。



遊びに来た友達が飴をくれるって言えば、「お母さんのぶんも貰っていい?」と恐るべしずーずーしさでせしめていた。





結婚式の日、長女は不機嫌で、私を手こずらせてくれた。



「お父さんを盗らないで。」と言う思いがつのり、幼い知恵を働かせ、仮病を使って披露宴をぶち壊した。



後に白状して来たときに「あなたがお母さんになってくれって言ったのにどういうこと?」と激怒した私にも「ごめんなさい。好きな人同士が一緒になるのに、何だか悲しくて。寂しくて。ごめんなさい。」と飴をくれた。



あんなにちっちゃかったのに。あんなに葛藤があった。



それなのに、飴をくれた。



そういうことを思い出すと、いちいち泣けて来る。疲れてるせいかなあ?と思ったけど、それだけじゃないみたいだ。



寝言で「何かあげたい。何かあげたい。」って声を聞いた日も思った。「お母さん、これ、あげる。あげるってば。」





いいってば。と涙出る。



私は君たちがくれる飴に値するものすらあげられてないんだから。



お母さんは何もいらないんだよ。



元気で健康でいてくれるから、ほんとにもう何もいらないんだよ。



私の人差し指をぎゅっと握っていた小さな手。今は私より大きな手。



もう充分だよ。



だって、信じられない。ほんとに大きくなったんだよ。あんなにちっちゃかったのに。決してあたりまえのことじゃない。軌跡だ。奇跡だ。



いっぱい喧嘩していっぱい怒鳴りあって傷つけ合って、



でもって、これを書いているうちに、今、長女の寝息が聞えて来る。泣いてしまう。でも、次女のいびきも聞えて来るので笑ってしまう。



それで充分じゃないか。





こんなふうな夜にこそ余計に思う。



本当の焦燥感を抱く人はまだまだ沢山いる。



明日も行こう。あちらの国へ。娘たちの飴に値するようなものは何も持っていないけど。
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2003年09月24日

Mother ] 敵は誰でもなくて

とある休日の昼御飯の支度をしている時、なーんでこんなに憂鬱なんだろう?と考えた。



台所のカウンター越しの食卓に視線を移して、その原因にはたと気がついた。



テーブルについている家族の中に一人、憂鬱そうな顔の次女がいたから。



これだ、これ。ここ数日次女の機嫌が悪いから自分もいらいらしているんだ。娘の感情がすぐに転移してしまう。悪いものも良いものもじわじわ広がって、何時の間にか自分を支配されてしまう。



次女の憂鬱の原因はわからない。ぴんと来ない場合って言うのは、大抵それは外の世界から持ち込まれた憂鬱だ。



それがわかっているのに私はいつも自分の中に原因を探してしまう。



小さな不安から始まって、『ほらほら、やっぱり駄目なんだ。』ってもう一人の自分が囁き始める。



いつもへとへとに疲れていて、学校の行事がある日に限って勤務が詰まっていて行けていないとか、はたまた自分の家庭的でないところを責め始める。



この子たちが大きくなった時、きっと言われるんだろうな。「あんたには何にもして貰わなかった。あんたは何にもしてくれなかった。」



その遠い未来。まだ起ってもいない未来の言葉を想像しては心臓がばくばく言い始める。



そして勝手に「何だよ、何もわかってないくせに。」と、これも勝手に想像上の未来の娘に腹を立て始める。一人で悲しくなって『ほらほらほら。やっぱり生んでないから。本当のお母さんじゃないから。』と囁きが大きくなって来る。



脅迫神経症は一部健在。



しかし、伊達や酔狂でこいつとも付き合って来たわけじゃない。今じゃ見付けたらすぐ退治だ。



退治と言うと、さも立ち向かって戦うと言う雰囲気があるが、とんでもない。ただ寝るだけだ。



後片付けをしたあとで即行眠った。疲れているんだよな。自分も疲れているから視野が狭くなってしまう。自分おばけの頭でっかちになってしまう。寝よ、寝よ。眠ってしまえ。



何と、目を覚ますともう夕飯の買い物に行かなければならない時間だった。休日なんてこんなもんだと一瞬虚しく思うものの、心身が軽くなっていることに気がついた。やっぱ疲れていた。



晩御飯が出来たから家族を集めると、またしても次女は寝ていたので叩き起こす。何だか無気力そうにぐうたらしていて、あいかわらず不機嫌だ。



でも、今度は私が元気なので大丈夫。



夕飯の後で、何気なく次女の部屋のドアを開けて声をかける。窪塚君の映画やってるよ。お母さんもこっちで見ていい?



「ああ、いいよ。」と言って散らかった部屋のスペースを空けてくれた。思えば部屋がこんなふうに散らかっているときってのは調子が悪い時だ。



しばらく一緒に見ていると、「お母さんはいいよね。」と言われた。



どうして?



「友達がいっぱいいるじゃん。あたしは、本当の友達がいない。」



本人は気がついていないかも知れないけど、今までに10回以上は話したテーマだった。



「好かれるんだけどさ、それはあたしが皆に合わせているからなんだよね。あたし、一人の人と長時間一緒にいられないんだ。気を使って疲れちゃうんだ。」



家では傍若無人な次女だが、外ではほとんど万人からの受けがいい。友達にも学校の先生にも好かれている。まず嫌われない。だけど、それはいつでも自分が相手に合わせているからだと言っている。



それで私は、自分の好きな話をすればいいじゃんと言う。ありのままでいれば自分も楽だし、周りもこんな人だと納得してくれるよ。



「色んな人が順番にいじめられているのを見ていると怖くてそんなこと出来ない。誰か、周り中敵になってしまっても、それでもあたしの味方でいてくれる人がいないかな?っていつも思う。」



お母さんがいるよ。お姉ちゃんだってそうだよ。お婆ちゃんだってお父さんだってお爺ちゃんだってみんなそうだよ。うちでのあなたは凄く凄く我侭で毒舌だけど誰も嫌いになったりしないでしょ?



「・・・・・・。そか。」



ここで大抵落ち付く。



少しずつでいいよ。自分を出して行こうよ。周囲のために生きているわけじゃない。と話すと大抵は落ち付いて来る。



そこで始めて「あ、前にも話したことあったよね。」と彼女が気がつく。



だよね、と笑う。



力が抜ける。世界に色が戻って来る。



一しきり笑ったあとで



「いつもありがとう。」と言うその顔があまりにも大人びて見えるとき、とんでもなく悲しくなって来る。何故だろう。まだ中学生じゃないかって思うからかな。





自室に戻ってから思うんだ。



やっぱり思うんだ。



あの子は信用して話してくれる。いつでも本当のところを話してくれる。



それなのに、私は勝手に背負い込んでいる自分の都合を押しつけて我が娘を疑う。



それは自分が作り上げた不安に負けてしまうからだ。



その昔、この家に来た頃は、実際には自分が原因じゃないのに、今日のように疑ってかかってやつ当たりをして傷つけたことさえあった。



自分の弱さが罪もない相手を疑惑に陥れる。



弱さが相手を緊張させる。



弱さが相手を傷つける。



だから、強くなろう。タフになろうと思うんだ。無闇に力むこととも違う。そうそう。遥か昔、自分の我を通すことだけのために強くなりたいと願った日々とはまた違う。



タフになろう。



タフになりたいって思うとき。それはやっぱり、もっと愛したいって思うときだ。
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2003年08月07日

Mother \ 後妻

結婚して大分経ってからだった。



夫の姉が言う。



「かおるちゃん、後妻になって大変でしょ?おまけに姑たちと同居じゃねえ。何か悩みがあったら何でも言ってね。」と心底同情しきったような顔で言う。



は?五歳?私、もうすぐ30代ですが?と当時の私は本気でボケた。義姉も本気でずっこけた。



が、すぐさま立ち直って、どうしてもシリアスモードに持って行きたがる義姉。

「あの娘たちも年頃で色々と難しいでしょう?」



え?何が難しいんですか?うまく行ってますよ。



「特にお姉ちゃんは部屋に閉じこもって出て来ないけど、やっぱり思春期なのかねえ。難しいねえ。いつもああなの?」



いえいえ。あなたがこうして休日の度に子供連れて押し寄せるから部屋に引っ込んでいるんです。私もほんとは篭りたいです。とは、さすがに言えなかったが。



義姉は、弟である夫がかわいくてしょうがない。そして、幼い頃に実母を失ったその娘姉妹に関しては一際かわいい。私がこの家に入るまでの日々、不憫でしょうがないと思って、自分の子供以上に可愛がって来たようだ。



涙が出るほど優しい義姉ではあるのだが、当時の私には脅威以外の何でもなかった。



第一、盆暮れ正月はもちろんのこと、しょっちゅう家にやって来る。自分たち夫婦が商売している店が休日になる度に、うちの娘と同じ年頃の二人の子供を連れてやって来る。従兄弟が来て楽しいのはいいんだが、家は毎回ひっ散らかる。子供たちの叫び声が響き渡っている。



夜勤明けでやっとこさ家に帰って来た私は「ひー、また来てる!」と玄関で真っ二つに膝が折れると言う事が何度もあった。



初めは「心配だから。」という名目で押し寄せていたのだが、そのうち「店が休みだと暇だから。」とか「親子でごろごろしててもつまんないから。旦那はゴルフばかりしてかまってくれないし。」と本音を言うようになった。



自分が暇だからって理由で来られてもこっちは暇じゃないのよ、止めて下さいよと喉元まで出かかってもニコニコ接待していた。仲良く、仲良く、仲良くね・・・。はあ、はあ、ぜいぜい・・。



しかし、最も我慢ならなかったのは、彼女の”口出し”である。

「後妻」と言う言葉を無神経に使うのもぴくぴく来たが、何と長女に向かって「ママ母にいじめられたりしてない?もし、そんなことがあったらおばちゃんちの子になりなさいね!」と言い、山ほどモノを買い与える。



長女は「おばちゃん、最近、変。」と言って部屋に引っ込んでしまったのだが、それを見て「反抗期なのねえ。難しいでしょう?かおるさん?」と言う。いやいや、あんたが難しいんだってば。

この時わかった。概ね大人と言うのは、自分の型にはまらない子供を思春期だとか反抗期だとか難しいって言葉の枠にあてはめるのだと。



玄関でも叫ぶ義姉。「あら、かおるさん!高そうな靴!」

いえ、高くないですよ、これはどこそこでいくらいくらでしたって何でいい訳しなきゃならんのっ。



「ちょっと、ちょっと、かおるちゃんの同僚って、当然、皆看護婦さんでしょ?うちでアルバイトしているK君に紹介してくれない?いいでしょ?一人くらい。だって、K君、30歳なのにまだ独身なのよ!」



・・・・・・・・・・・。一人くらいって何やねん。何でうちの同僚をあてがわなきゃならんの。第一、そのK君だって、ずっと独身でいたいかも知れないじゃん。訊いたのか?頼まれたのか?多分どっちでもないだろう。



とにかく、こうした調子でうるさい。



おまけにこの義姉のお子さんたちがひどい悪戯魔で困った困った。一度この義姉の家に泊まりに行っている我が子を迎えに行ったら、物凄く汚かった。うちもいつも汚いが、あれは半端じゃなかった。よくTVでやっている「ゴミを捨てられない女たち」の特集に出て来る部屋そのものだった。



ああ、商売やっていて忙しいからなあ・・・と必死で仲良くしようモードが働く私。

ああ・・優しい人だからうちの娘たちや夫のことが心配なんだよねえ、見るからに悪妻である私がやって来たからねえ・・・と、ますます頑張る仲良くしようモード。



が、このモード、そろそろ煙が出て来た。オーバーヒート寸前だった。



そんな時、またしてもこの一家がやって来たので「今日は全員外食です!」と叫んだ。近くのレストランに行こう!皆あたしの奢りです!



「ええ?やだ。あたしが作るわよ、かおるちゃん。」



いやいやいや、もううるさくて叶わんのです。12人分の支度と後片付けも夜勤明けの私には無理なんです。外に食べに行きましょう!さあっ!と目が据わっていた。この頃煙は黒色だったような。



店に着くと、子供たちが食べている傍らで、ワインを飲みましょう!と言ってデカンタを注文した。



「よし!じゃあ飲むわよ!」と義姉は今までで一番楽しそうだった。



よし、いい感じだ。飲め、飲め。私も飲むぞ。



そして酔っ払った。上機嫌な義姉。いつにも増して舌が回っている。あれだけのことを普段から言っておいて、まだ言い足りないらしい。



私は夫に子供達を連れて帰るように頼んでお義姉さんとサシで飲むことにした。



やがて、べろんべろんに酔った彼女は「心配だ、あの子たちが心配だ。ママ母は喫煙するし酒も飲むし、厚化粧で派手だし、心配だーー!」と繰り返していたが、私は「うまく行ってるっちゅーねん!いったい何が心配なんじゃ!おせっかい婆!」と食って掛かった。



人の家庭の心配する前に自分ちを綺麗にせいっ!自分の子どものしつけから優先せいっ!と怒鳴ると「わーん、やっぱり本性が出た。この女が母親だなんて、そんなの無理!」と。



誰がこの女じゃ、何が無理なんじゃ。あんたの範疇に当てはまらないからって人を悪妻呼ばわりするな!とこれも怒鳴りつつワインをお酌した。



やっと互いに好きなことを言い合ったわけである。



私も精一杯言いたいことを言えて、やっとこそさ、この義姉がやっぱり心根が優しいということを心底感じることが出来たのである。今度は無理な装置を使ってないので煙が出ることもなかった。



それで、「お義姉さん?大丈夫ですから、安心して下さい。いいですね?大丈夫ですから、自分の娘のことくらい私に任せて下さい。わかったか?聞いてんのか?任せろよ。あんたは自分のことを頑張ればいいから!わかったか!えー、こら!」と繰り返し言った。もうほとんど悪魔払いの心境で呪文のように何度も義姉の耳元でつぶやいた数時間。どっちが悪魔だったんだか。ワインも飲む飲む。



その後、私たちは帰宅し、私はおもちゃの散らかった家を片付けて寝たのだが、義姉は玄関をくぐった途端倒れた。「ママーーっ!どうしたのーー!?ママーーっ!」と彼女の子供たちが揺り動かしても動けなかった。



その時のワインが、鶏の形をした陶器のデカンタに入って出されていたのだが、私たちが飲み干した鶏デカンタは分かっているだけで20本。店の人もしまいにはあきれて下げなくなったのでテーブルの上に20羽の鶏が整列していたわけである。素晴らしく異様な光景のテーブルだったと思う。



「ママー!」と子供が叫ぶ度に義姉はぶつぶつと呟いていた。



「鶏はいい。鶏はもういらない。助けて。また嫁が鶏を注文した。鶏が来る、鶏がまた来る。・・・。鶏が・・・。」と一晩中うなされていた。



熱が出るほどの二日酔いで向こう三日ばかし商売にならなかったと聞いた。



「鶏と嫁は恐ろしい。ただもんじゃない。」と自分の旦那に言って「おまえ何を言ってるんだ?」と本気で心配されたらしい。



でも、私はお義姉さんと同じ量の酒飲んでも、ほら、あの通り、きちんと家を片付けて寝ましたから。これからは安心してお任せ下さい。わかりましたね?



義姉は「よくわかりました。でも、かおるちゃん、お酒強いんだねえ。」と言うので、「いいえ。同僚たちの中では、私が一番弱いんですよ。」と言うと、



「K君の紹介の件もなかったことにして下さい。」と慌てふためいて言っておられた。



私は深々と頷いた。



御意。



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盆暮れ正月ともなると、全国のお嫁さんたちから嘆きのメールが来る、来る、来る。それで思い出したので、こんな話を。



これは悪い例で何の参考にもならんのですけど、私、やっとこさ思ったことがある。



酒など入らなくても、とにかくありのままで言いたいことを言ってお付き合いするのが一番ですな。ねえ、お義姉さん!



と言うと、今では逃げられてしまう。
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2003年07月17日

Mother [ 「カランコエ」

カランコエの元気が無い。



水を与え過ぎたんだと思う。葉っぱの色が変色している。



そんな心配をちょっとしていたら、娘が泣きながら飛び起きた。



どうした?怖い夢でも見たのか?と問いかける。



てっきり幽霊話でもするのかと思った。あるいは、友達関係の悩みでうなされでもしたのかと。



でも、娘が見た夢の内容は「デコボコした道端で転んだ。」夢だと言う。



それだけ?



「だけど、お母さんは、あたしが転んだのにも気づかずにまだちっちゃい妹を抱いて、さっさと行ってしまう。あたしは『お母さん!お母さん!』って叫ぶのに振り返ってもくれない。妹だけを大事に抱えてさっさと行ってしまうの。」



そんなことしないよ。不名誉な夢だなあ、まったく。



「そこからが怖いの。振り返った顔がお母さんの顔じゃなかったから。」と私を指差す。「知らない女の人だったから。」



・・・・・・・・・・・・・。



私は娘に飛びかかった。



そして、無理やり抱き上げた。



自分より10センチ以上もでかい娘のことを、ぐわーーっと持ち上げてぐるぐる回した。



「ぎゃあーーっ!何してんの?意味がわかんない。」



私は途中で目が回り、力尽きて娘と一緒にベッドに倒れた。どさーーっと倒れた時、娘は大爆笑していた。



「もうー、何するかわかんないよね、お母さんは!ほら!もう倒れちゃったんだから離して!」



だけど、私は泣いていた。



離さないよーだ。



何で知らない人の夢なんて見るんだよ。



私はあんたを置いて行ったりしないもの。転んだって、ほら、この通り離さないもの。明日は抱っこしたままで学校行くか?



娘は自分もぼたぼた涙を零し始めた。



そうして私の涙を拭いてくれた。



「あたし、今、自分で歩けるから。誰よりも早く走れるから。お母さん、ありがとう。」



そうだよね。



学校にはついて行かない。抱っこは心の中でしよう。欲しいものを与えるんじゃなくて、欲しいものを得る力を与えて行こう。



娘の化身のカランコエ、水やりすぎちゃ駄目だわさ。自分の中にある養分で伸びて行く。そんな時期もあるんだ、きっと。
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2003年06月21日

まだ終わらんぞう

オペ続きの朝。



疲れも取れぬまま出勤しようとしていると、鳴り響く電話は不穏な響き。



数日前には楽しくやり取り出来た相手。それは母。



なのにその日の着信のメロディーが鳴るだけで。



そう、ただ鳴るだけで、相手の不穏さを感じてしまう。



そんなマイナスのエネルギーを送って来る相手。それも母。



またしてもお金の無心。



「今回の借金を返したら今度こそ楽になれるんだ。お願いだから助けてよ。来月か再来月には返せるからさ。」



あほ!何言ってんだ!と切れない時点でその時の私はやばいんだ。気がついているんだけど、ついつい耳を傾けてしまう。そう、これがやばい状態の私だ。



「夫には言えないんだよ。明日までに振り込んでね。頼むよ。」



無い。そういう金は一銭も無い。私には私の生活がある。



「無いの?じゃあ、旦那に相談して見てよ。」



おかしいだろ、そりゃ。

何言ってるのか分かってるのか?自分は自分の夫に言えないのに何で私の夫を巻き込もうとする?



「じゃあ、どっか金融から借りて来てよ!」



がっくし。



自分の借金をチャラにするために娘に借金しろってか。本気で言ってんの?本気なんだよなあ、これが。



今更私も何をビックリしてんの。昔からこうだったじゃんか。何がっかりしてんの?



憐れな声を出されて悲しくなって、懇願された末に保証人になった過去は、まだ学生で収入もろくになかった頃だった。



今なら当然と言えば当然だけど、やはり母は返済しなかった。

何百万にも膨れ上がってこちらに回って来たのが現実で。



それから頑張って頑張って頑張って返して返して返しまくり。



お母さん、あんたはいいやつだ。ただちょっと運が悪かっただけ。大好きだよ。だから、だから、今度こそ幸せになってくれと返して。長い月日をかけて返して。



やっと立ち直った。うん、そう。私だけがね。



そして、向こうはあの年齢になってもまだこうして同じことをしている。何も変わっちゃいない。これが現実だ。



こういうことを今更くどくど考える日の私はやばいのだ。



何故なら、こういう日は完全に向こうのゲームに乗っかっているのだから。



遠いあの日々の”振り回されるしか能の無い、自己満足の優しさを振り翳す私”に逆戻りしているのだから。



そんなことしてたって何にも変わりはしないのだ。本人も状況も。





そんな一日で始まって、やっと仕事が終わった帰り道では「調子が悪いから来てくれ。」と友からの電話。



「眩暈がする。吐き気がする。死にたい。」



慌てて行く。



「私が調子が悪いのに夫が仕事に行ってしまった。私が調子が悪いのに離婚するとかまだほざいてる。」



離婚の話を嫌がる夫に執拗に切り出したのは彼女の方なのだが、相手が承諾すると途端に拒んでいる。これも調子が悪いせいだろうと納得することにしたが。



ただ、テーブルの上の薬のシートが全然減っていない。



先週同じ状況で連絡が来て一緒に病院に行って帰って来て・・・。それからその後カウンセリングにも付き合って。



あの日もどっぷり疲れた仕事帰りだった。



だが、薬は飲んでいない。カウンセリングでのアドバイスも実行していない。そして先週と同じことを言っている。



てな状況を一つ一つ頭の中で反芻する私もやばいのだ。



ほんとに今日はやばい。



気にしないようにしても気にしてしまう。もう分かっていることだから気にしなければいいのに、気になって気になって仕方がなくなって確かめてしまう。わざと落っこちたいのか。まったく。



そしてとうとう、”もしかして、治りたくない?”と素朴な疑問をぼそりと訊いてしまった。



彼女はしばらくきょとんとして「そうかも知れない。」と言った。



やっぱり。



やばい、やばい。がっかりしている。私はがっかりしている。



確かに治って現実を見つめることは怖いかも知れない。



だから治りたくないという気持ちもわかる。ああ、わかるさ、そりゃ。



だけども、治りたくないんだったら、「何かアドバイス頂戴。助けて。」って言うのは、それまたゲームだろう。



病院のからの処方もカウンセリングの療法も無視していたが、私のアドバイスも「治るため」って主旨でのことはぜーーんぶ無視されていた。



ただ自分の都合の良いところだけをはしょって覚えているだけだった。そして、ほんとに自分の好きなことだけを喋り捲っていた。



「どうにかして。何かアドバイス頂戴。」とそれでもまた同じことを言う顔を、呆然と見つめる自分の顔が、どっか違う場所から自分に見えるようだった。ああ、まぬけな顔してビックリしているんだろうなあー、笑えるよなーって。



テーブルの上。白い錠剤のシート。



前にもこんなことがあった。そのずっと前にもあったな。私もまた同じことを繰り返している。何にも変わっちゃいない。



治りたくも無いのなら、どうせ斬り捨てる言葉なのだとしたら、求めないで欲しい。



何も変わっちゃいない。ゲームに乗っかっているだけじゃ、何も変わらない。しかけて来る方も乗っかる方も変わらない。10年もこれやって。



今日はどうもいかん。私が。

だから、帰る。帰るのが今日としては一番の得策だと席を立つ目に飛び込んだ。またしても白い手つかずのシート。



その銀色の鈍い輝きが、今日、私につき付けられた現実だった。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆



一杯やりながら思った。



弱っている時、疲れている時ってのはやっぱりゲームに乗っかりやすい。それでは、かえって相手に悪い結果を招いてしまう。



そもそも、相手を変えようなんて微塵でも思った時点で駄目なのだ。



母は母でいいじゃないか。それなりに幸せに暮らして行けば。



友は友でいいじゃないか。受け入れたくないことがあってもそれでいいじゃないか。



私はあきっぽい性質も手伝って、前に進まずにはいられなく、出来ることならより良くなりたいと思う。本気で、どんどん幸せになろうと思う。



だけど、世の中にはそうでない人もいるのだ。本気で良くなりたいのなら、「こうしようよ、ああ、しようよ。いつまでもそれやっているとこれこれしかじかな状態になるよ。」てなことを真剣に受けとめる。



だけど、本人も気づかないレベルでずっとゲームだけを選び取っている人もいるのだろう。それもまたありなんだろう。



そこまで考えたとき、初めて現状とか相手のことをありのままに受け入れられるような気がした。



ただ、その前に自分がこのことに怒っているという現状を受け入れるべきだとも思う。怒っている。がっかりしている。ありのままに。



私は怒りも悲しみも笑いも抑えない。全部あって然るべき。ありのままに。
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2003年05月22日

Mother Z「要らないものなんて無い」

長女 高校二年生。



次女 中学三年生。



終わり無き道。



まだまだ続く。



でも、ここまで来るには色んな事があって、それは、ずいぶん長い道のりだった。



そんな事を思ったのは、昨日が母の日だったから。



長女が焼く甘いケーキの匂いがする。



彼女は私に白い花の鉢植えをくれた。それは、どこまでもどこまでも透き通るような白い花で、どこか儚げだ。



名前は知らない。名前や肩書きなんて重要じゃないと彼女は言った。



「そんな事より、これ、花屋さんを通る度に見つめていたんだ。葉っぱだけ見ると、まるでサボテンとかアロエみたいで、まさかこんなにかわいい花が咲くなんて思いもしなかったんだ。」



咲き誇る白い小さな花々は、まだまだ沢山の蕾をつけていて、これからも咲き続けそうな気配だった。







次女は何故だか、ちょっとふてくされていて、それは、母の日に何をあげたらいいか考えに考えて、とうとう決めかねたまま今日になったからだと言う。笑えた。何にもいらないよ、ありがとうと告げる。



でも、夜更けになって、手紙を1通持って来た。



「はいっ。」と手渡すと、耳まで赤くなって急いで自分の部屋に帰って行った。



お母さんへ



今日は5月11日の母の日だよぉ(はあと)



お母さんにあげられるものが見つからなかったけど、あたしの書いた詩を送ります。



今のあたしの事を知って貰いたくて。



あたし、お母さん、大好きで。



いつも脳天気で馬鹿みたいな事ばかり言って笑顔の君。人の話聞いてんのかって、私は毎日怒鳴らなければならなかった。



でも、今日は実感した。前から分かっていた事だけど、今日はますます実感した。



私なんかよりも、君たちの方がずっと頑張って来たって事を。



それを思うと壊れた。



壊れて涙が止まらなくなったので、鍵をかけて、いつまでも泣いていた。



だけど、それは暖かい涙で。



その温度のある涙は、自分が幼い頃には、ずっと知り得なかった事を実感させてくれた。



私は一人ぼっちじゃない。
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2003年04月20日

Mother Y 世界に一つだけの花

神父様が私に「一日も早く、お二人の本当のお子さんを産んで下さい。」と言うのを聞いていた娘たちは、幼心にもノイローゼ気味になった。



その頃の幼子たちは、自分たちのことを、前の母親に捨てられた不要な存在だと誤解していたのだ。



必死だった。



いつも自分たちは価値の無い子供だという思い込みに怯えていた。



「お母さん!お願い!本当の赤ちゃんを産まないで!でないと、私たち、ますます嘘の子供になっちゃう!」



ショックだった。



「嘘の子供」という我が子の言葉にショックを受けた。



あなた達は嘘の子供なんかじゃない!と私は必死で訴えた。抱きしめた。お母さんの本当の子供だよ、と。その思いは今でも変らない。



世の人々は良く「子供が欲しい。」と言う。ある時は「子供が邪魔だ。」と言う人もいる。



また育児がひとしきりつくと、「子供がいると自分の人生が豊かになるから、子供を産みなさい。」と人に言う。



私はずっとそれに違和感を感じていた。



子供は「欲しい」とか「いらない」とか言っていいモノじゃない。モノじゃないんだよ。



子供は自分の人生を豊かにするツールなんかじゃない。道具じゃないんだよ。



他人様に向かって軽軽しく「産んだら良かったから、おまえも産めよ。」と言うものじゃないんだよ。



命を授かって産まれて来た命で、一つの人格なんだよ。



だからこそ、「本当の子供」などという言葉に深く傷つく心を持っている。叩かれれば痛いし、酷いことを言われると悲しい。



私は、周りで度々心無い一言を言っては娘たちを傷つける大人たちを恨めしく思った。言う人は、本当にそんなつもりはないのだけど、その人たちの「自分は正しい」と信じて疑わない態度と心の鈍感さに腹が立った。



習慣とか慣わしとか、風潮と言う名の元に、娘たちの心を傷つける言葉を吐く大人たちを恨めしく思った。



そして、「子供が欲しい」などと言う言葉を超えて、こう思っていた。



あなた達を 産みたかった。

片腕に乗せて沐浴してあげるくらいちっちゃな頃から一緒にいたかった。

初めっから一緒にやりたかった。

どんだけ苦しんだら、どんだけ痛い思いをしたら

産むことの痛みに釣り合いますか?

他の誰でもない。

目の前にいるあなた達を産みたかった。



そしたら、心ない大人の一言でこんなに心を切られることもなかったんじゃないか。



そう思った。



私は神父さまが何と言っても、本物の神が現れて何と言っても、誰を敵にまわしてでも、この子たちを守ろうと決心した。



一度決意を固めてしまった女と言うものは、相手が神だろうがサタンだろうが怖くないもので、それからと言うもの、誰が何と言っても、堂々としていられるようになった。



私が強くなれたら娘たちのノイローゼも治った。





そう言えば、先日、送別会でS先生が歌っていたSMAPの「世界に一つだけの花」と言う曲。



この曲、発売当時、娘が「買って来てくれー!買って来てくれー!早く買って来てくれー!」と毎日うるさかった。どこ行っても売り切れだったので探すのに苦労したが、内心”うるさいなー、たかがCD一枚で。もう!”と思っていたのだ。



ところが、S先生がカラオケで歌っているその画面を観ていて初めて知った。



はっはあ〜、こんなにいい歌だったのか。



多分、私だけが知らなかったであろう、歌詞。↓



花屋の店先に並んだ

いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど

どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて

争うこともしないで

バケツの中誇らしげに

しゃんと胸を張っている



それなのに僕ら人間は

どうしてこうも比べたがる?

一人一人違うのにその中で

一番になりたがる?



そうさ 僕らは

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ

その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい



小さい花や大きな花

一つとして同じものはないから

NO.1にならなくてもいい

もともと特別なOnly one




うーん、あれって、いい歌だねえーと娘たちに言うと、もちろん「今ごろかいっ?!」と怒られたが、



「そうそう、お母さんがちっちゃい頃から言ってくれてたことに似てる。」と言われた。覚えているもんなんだね。



みんながみんなオンリーワンで世界に一つだけの花。



人それぞれいいんだ。



自分の目標という太陽に向かってこそ伸びる花だから、



横の花にあれこれ言っていると捻じ曲がるかも。
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2003年04月10日

Mother X 鎌倉の趣とか迷信とか

人が疲れて帰って来たというのに、深夜まで私の部屋に集合してわーわー喋くるうちの娘たちを何とかして下さい。眠いんです。



娘たちはかわいいです。しかし、最近オペの件数が多くて毎日ぐったり。飲みに行く元気もない。(←別に飲みに行かんでも。)頼むから一人でぼ〜っとさせてくれ。何と悪い親でしょうか。



******************************



最近、高2の長女は、ことあるごとに「趣」という言葉を使う。多分覚えたてなのだろう。



「マミーって趣があるね!」



何じゃ、それは。趣があるってどういうことだよ。昨日から趣、趣言いやがって。趣なんて無くていいから私を寝かせてくれ!



その時、TVから「鎌倉はそんな趣のある町です。」などと言う言葉が聞こえたのでさあ大変。



「鎌倉は趣があるんだって!マミー、鎌倉に連れて行ってくれ!」



いつ?



「明日!今日はもう遅いからね!」



ひーー、明日はほんとに久しぶりの休みなのにーー。びえーん!



「休みだってーーーっ!やったーー!」と叫び姉妹。かくして皆で鎌倉に行くことになった日曜日だった。遠いっちゅうねん。たまの休みくらい家でぐうたらしていたいっちゅうねん。





行きの電車の中で姉妹はその辺の大人たちより良いガタイをしているというのに「趣♪趣♪」と歌ってはしゃいでいる。馬鹿そうだから止めなさい。



ある時ふと次女が静かになって、何を言うのかと思ったら、「お母さん、一番好きな人とは結婚出来ないって言うけどほんと?」と不安げに私の顔を覗き込む。そう言えば良くそう言うね。



誰が言ったのそんなこと?誰が決めたのそんなこと?付き合って見ないとわかんないじゃん。生きてみないとわかんないじゃん。



「そうか。何も迷信(?)に従うことは無いんだな。」とほっとした表情になる。恋をしているのね・・・。





再び電車の揺れに身を任せてぎゃーぎゃー騒いだり爆笑しているうちに鎌倉が近づいて来た。



その時、私たちの近くにいたカップルの会話が聞こえて来た。「鎌倉に行った二人は、別れる運命にあるって言うよね。私、別れたくないわ。」うーん、これも良く聞く話だわ。



前を向き直ると、真っ青になった姉妹の顔があった。あららら、聞こえたのね、君たちにも。



「ど、どどどどどうしよう?私たち、別れちゃう。離ればなれになっちゃう。」と二人でしがみついて来る。すっかり単細胞に育ててしまったようだ。困った。そっくりだ。(汗)



そうとは限らないってばと、がっくしため息が出た。



「じゃあ、お母さんは鎌倉に一緒に行った人と別れなかった?」



そんなこと言われて見て、しみじみ回想した。



うーん、かつて、友達や恋人とかいろんな人と鎌倉には行ったけど、別れた人もいれば別れなかった人もいる。両方いるね。



でも、それは鎌倉のせいじゃない。



「鎌倉のせいじゃない?」



うん。世の中、何かのせいってことはほとんどない。お母さん的には全く無いと思うことにしてる。



「そうだよね。運命も皆自分で作るんだよね。じゃあ、好きな人と好きなところにいっぱい行っていいんだね?」とまた盛りあがっていたようだ。あー、単純でおおいに結構。





そんな話しをしているうちに満開の桜が揺れる鎌倉についた。



私たちはその日、趣のある鎌倉でお参りしたり散歩したりして過ごした。一緒においしいものをいっぱい食べた。一緒にいっぱい笑った。



長女は、いろんな場所を散策してはいろんな景色を眺め、いろんな物に触れて、趣という言葉の実態を体感して、大切に心にしまっていたようだ。彼女の心の一ページに。降り注ぐ桜の花びらと一緒に。
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