2013年12月01日

尾崎文庫 / リフレ / 万歳 / そしてまた癒された

テラフォーマーズ 7 (ヤングジャンプコミックス) [コミック] / 橘 賢一 (著); 貴家 悠 (原著); 集英社 (刊)我が事務所には尾崎文庫と呼ばれている小さな本棚がある。

尾崎文庫と呼ばれてはいるものの、その三分の二くらいは私の本じゃなくてここを出入りしているカウンセラーさんやクライアントさんが持ち寄ったお薦めの本。小説もあれば漫画もあり絵本や写真集もある。DVDも置いてある。ちなみに心理学書は奥の方に埋もれてしまっている。(笑)

しまいには棚に入り切れずその真ん前にバッグや袋に入れて置いて行かれたものもある故、そのうちもう少し大きな本棚を買おうと思っている。

カウンセリングや授業やヒーリングの帰り際に、借りていった本を戻しては「どれどれ、何か借りて行こうかな。」とそこで中腰になっている光景がよく見受けられる。

遠方から来ている方も電車の中で読めて便利だし、はたまた同じ本を読んだ人同士で感じ方が違ったり共感し合ったりと色々と面白い。

それで先日もM公ちゃんが「あ!最新刊だ。これ、誰の?借りてって良いですか?」と。

うんうん、私の。持ってって大丈夫だよ。

カッコ良かったよ。裏切り者たちに対して艦長が「武器を持ったままで良いからそこに一列に並べ。」って言うの。

「ははは。かおるさんみたい。」

・・・・・・・・・・。私がいつそんなことしましたか。そんなトレーニングしてませんし。

それはさておき、その一週間後、「かおるさん、この間最新刊借りて行ったのは良いけど、前の巻を読んでなかったああああ!あります?」と。

誰か借りてってないかな?あ!あったよ。飛ばして読んじゃったのね。

「そうそう電気の人、どうなったの?死んじゃったの?」

ああ、電気ウナギね!カッコ良かったよ!カバーに着いてた帯、邪魔ですぐにはずしちゃうんだけど、確かそこに”雷神にしびれろ!”っていうキャッチが書いてあった。しびれたよ。

「で、死んだの?」

カッコよかったよ。

あくまでネタばれさせじ。

それにしてもデイリーな社会生活の中で働きつつ日々色んな課題にぶつかり真剣なセッションをやった後でのこの一時が面白いなあと思う。(笑)

***************

身体ががったがたなのだけど、精一杯命を燃やしている今日この頃。あいかわらず自分の仕事をする満身創痍。

で、今日はHさんが出張マッサージに来て下さる日だった。

ここのところ彼女はうちの近所の心因性の鬱に苦しむ人のところへも出張してサポートして下さっている。

わずかな距離も酷い苦労して歩かなければならない人によっては神だと思う。

で、このしょっちゅう女神と呼ばれている人も私自身も、このクライアントさんに似た経験があった。

これまた満身創痍になるわけだ。

でも、それはご本人がガチで治そうとしているからでこその話。そういう人には誰もが自分の時間や知恵を精一杯使いたくなるものだ。自分を応援している人のことを人は尚更応援したくなる。

で、私、リフレをやって貰うと案の定身体がったがたなもんでいつものごとく爆睡。でも、大分楽になった。

明日あたり浮き上がって来て好転反応出るかも知れないが、疲れを固めたままにしているよりは良いこと。

そこへ先の話題のAさんご来訪。

私がトイレに入っている間にHさんが「はーい。」と出て下さっているのが聴こえる。

どうでしたっ?!(昨日から今日までの様子)

すると「食べれましたあ。」というのを聴いて三人で万歳したいくらいだった。

昨日、このあたりのことについて実に不思議なことがあったのだけど、この話はまた後日。

それにしても、出会ってから一か月、ほとんど毎日のようにカウンセリングとレイキをし続けて、昨日、やっとお薬について了承して飲んで下さった。

薬というものは、元々偏見がある代物なのだが、”薬なんか飲んじゃいけない”って本が出れば、たちまち鵜呑みにされてしまう。そりゃあ誰だって出来れば飲みたくないもんなのだから鵜呑みにするさ。

でも、そういった極端な意見や偏見を持っている人ほどあまり詳しいことを知らないというのも事実。毒だろうが栄養だろうが摂り過ぎたら毒でしかなくなるだろうが。

でも、彼女ほど重度になったら、気合いだの根性では決して治せないの。これくらいになったらスーパーマンだろうがどこぞの医学の権威であろうが総理大臣でも無理。

だから薬が出来たんだよ。

さっき不思議なことが起こったというのは、食材に関することだったのだけど、その不思議な出来事があった昨日、深夜まで色々と調べものもしたのだが、要するに何だったら食べれるか?という視点だった。

でも、結果は千差万別。あたりまえだよね。分かってはいたのだけど、色々探してしまった。

ただ、一つ、単純なことに気が付いた。私が居る時に目の前で飲んで下さったドグマチールとソラナックス。

内服治療を始めると食欲が増進するという効果があるのを忘れていた。特にドグマチールの方でそのエピソードを数多く目撃して来た。

まあ、効果というよりは副作用なのだけど、これはずーーっと栄養と睡眠が取れていないほどこじらせている方にとっては良い意味での副作用だと思う。

道のりは長いかも知れないが、よし、また一歩進んだぞ。

**************

Hさんにマッサージして貰って物凄く身体が楽になって嬉しかった日の夕方。

お久しぶりのSちゃんが2時間カウンセリングへお越し下さった。20131130.JPG

大分前に心理学の基礎コースを終わらせているのだけど、自分の心に何が起こっているか?というのを図式化するのが上手よね。

色んな経過を辿って今や引きのカメラで見つめることが出来るようになったのだ。

で、ポイントとしては、セラピストの傍にいるときに一緒に考えながら書くというところもみそだよなあ。

一人ぼっちでびーーっしり自己会話を書く方法もあるけれど、人によってはそれ出口が無いし、ましてや葛藤型の人だとどんどん閉鎖的なカルチャーから抜け出せなくなってしまう。何たって自分だけに問いかけても自分しかいないんだから決まった答えしか出ないものね。

そういうタイプの人には、やるのは勝手だけど家でやれよ。人前にノートの中に入って行って対人として向き合えないんだったら一人でやれと思う。

それはともかく基礎が終了したあたりからの彼女のカウンセリングは、一時間では短すぎるが二時間ではちょいと余ってしまうというようなスピードで終わる。

で、その時彼女が夜の事務所で「かおるさん、今日、これで終わり?」と仰るので「ええ、何とか。」と答えたところ、「じゃあ、レイキをあてさせて貰えませんか?」と仰る。

出たーーーっ。

自分のために買った時間なのに。

「いや、私、しばらく他人にレイキ流していないんでやらせて貰いたいんですよね。」

いつぞやもTさんという人がポロポロ涙を流しながら「やらせて下さいよ。何かお返ししたいんですよ。」と言って流して下さったのだけど、これもあれも衝撃よね。

かくして今日の彼女は本当に一時間びっちりレイキを流してくれた。

久しぶりでも全然大丈夫だったよ。だって、あの数年間、しょっちゅう使っていたもんね。実践して身体で覚えた感覚というのは一度身に着いたら生涯の財産になるものだ。

それにしても今日はリフレしていただいたり、レイキを流していただけたりと、誠申し訳ないやらありがたいやら。

でも、やっぱり感謝なのだった。

「年内にもう一回来れるかなあ。来たいんですけどねえ。」と仰った帰り際。

うん。休日は皆無になったものの、まだ時間帯によっては空いているところがあるよ。

そんなわけでまだ年末のあいさつはしなかった次第。

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2013年11月30日

色んな人と色んな道が交差し合う中 また一つの旅の始まり

色んな職種や立場の方が利用して下さっている我が事務所なのだけど、元気に働きつつも人生の課題や成長に取り組んでいる方も居れば、その課題の形がご病状として表れている方もいる。

鬱やパニックを患っていらっしゃる方も何パーセントかいらっしゃる故、時折見かけられる光景がある。

それはどなたが休憩して寝ている傍らでカウンセリングや授業が進行しているという光景。

事情によってはそんなパターンがあるのだけど、皆さんほんとに優しい方々で、そしてご自身もそんな経験をしたことがあるという方が多いのでわずかな説明の始まりの頃、既にうんうん頷いて「はいはい。大丈夫ですよ。」了承して下さる。

話しにくかろう、休みにくかろうと思うのだけど、何だかどこか皆さん助け合っていらして、見知らぬ人同士ですら仲間関係が築かれている気がする。で、素晴らしいのはその凄い集中力。

過去辛い体験をしたり色んなことを乗り越えて来たことを俗に苦労と呼ぶこともあるのだけど、その経験値が歪みを作ることばかりだとは限らない。

優しさに変換して即座に事情を理解したり思いやったりして下さる方々を観る度に、それを苦労というよりは”実り”として感じる。

ほんとに感謝だなあと思う。

ほんとに一人でやっているわけではないのだなあ。

**************

そんなわけで今日は、一名の方が臥せっている傍らで、とある方の心理学の旅がスタートした。

数年前に出会ったときから凄く印象的な方だったのだけど、今年の夏の頃「今年中に心理学を始めたいと思っています。」と仰っていたのを聴いた。

子育てってのは子供が幼い頃にも大変なのだけど、とても大きく成長した後にも色々と心をすり減らす心配や苦労が多い。

加えてこの方の諸事情の一部を聴かせていただいて来たのできっと今何かを始めるって難しいかも知れないとか、はたまた焦らないでゆっくり待っていよう等思っていたのだけど、有言実行なのだね。ほんとに年内に今日という日を迎えることが出来た。

動機の一部に「子供や家族のことを心配し続けるよりも、私が自分自身のことをもっと知って行った方が子供のためにも良いんだと思いました。」というのがあった。

仰る通りなんだよね。ほんとにその通り。

授業を進めていると、ある人は『全部初めて聴いた!』と言うようなケースもあるけれど、やってみようと思う人のほとんどは、皆心の一部に既に心理学を持っている。

で、歴代の継続して極めて行っている方々同様、この方も一部分どころか既に沢山のものを持っていらっしゃる。

おそらくは少なくとも半分以上は既に潜在意識が知っていて、その知識と経験に言語と理論を与えていく作業が中心になって行くと思う。

で、言語や表現力を得た人間の感情や感性というのはこの先物凄い強みとなる。

中には心理学というものを右脳を抑え付ける理屈に換えようとする作業に使う人も居る。(うちには居ないし、もしくは長続きしない。)

しかし、自分の感性を抑え付けようとする人は全ての他人にも同じことをするので自他共に楽しくないし幸せでない。人生の限りある時間を言い訳に費やそうとするし、あたりまえのように他人にそれを付き合わせようとするから。

一般のクライアントさんにも時々自己の狭い世界観を押し付けて来て丸ごと受け入れろ、おまえもこの不幸な気分を味わえ!ってなコミュニケーションをふっかけて来る人も居るのだけど、私はそこはお手伝い出来ない。いや、手伝おうと思えば出来るし、いくらでも耳障りの良い言葉を吐くことも出来るのだけど、そんなおためごかしなことに費やして自分本位なモンスター度を高めるお手伝いしてどうするんだよってな話。

皆一人一人違って良い。

でも、その意味をはき違えている人も居る。

それはあきらかに他人に嫌がられるし自分をも嫌いになる思考パターンや生き方ってものが確かに存在するということ。

つまり、どう転んでも世の中という現実にはイエスとノーが必ずあるということ。少なくとも万人がそれを選ぶ権利がある。
嫌なことをノーという権利があるのだ。

なので健全な人は”嫌われるのは何故だろう?”とか”認められないのは何故だろう?”と考えてそこを改善して行くのだけど、その辺りが不真面目だと生涯自分のやり方を変えぬまま認められないことに激怒して生きることになる。

頑固と真面目は間違えられやすい。本来、頑固とは世の中に対する甘えに過ぎないのだから。

そこに寝ている人も、その傍らで新しい心の旅を始めた人もその辺りのことをよくよく知っている人。

人それぞれのプロセスの色んな通過地点で、人は出会い、色んな景色を分かち合っている。Dr.HOUSE/ドクター・ハウス:シーズン7 DVD BOX / ヒュー・ローリー, リサ・エデルシュタイン, ロバート・ショーン・レナード, オマー・エップス, ジェシー・スペンサー (出演)
ネットで借りて♪自宅へ届きー♪ぽーすとーへ返却♪ってのを使っているので、確か今やっとシーズン6くらいを通過していると思うのだけど、いつか全巻揃えたいとさえ思っている。DVDはあまり購入しない私でさえそう思う。

まあ、ほんとに極端な登場人物ばかり出て来るのだけど、どの人も天才度と信じられないほどの不器用さが同居していて面白い。で、リアル。

患者さんが亡くなる場面はそんなに沢山はないが、やはりあるので、どうしてもどうしても色んなことを思い出しては泣いてしまうこともあるのだけど、爆笑することも頻回。

極端な登場人物の中でも、ハウスは特に嫌なやつだ。でも、凄い。

こんなに治してくれるんだったら、いっそのこと体裁や性格はどうでも良いとさえ思ってしまうよ。

さっきリアルと書いたのだけど、色んな意味で本当にリアル。病気というものだけにスポットを当てているわけではないし、医療ものによくありがちな綺麗ごとや美談は一切無し。ヒーローらしきヒーローも居ない。勧善懲悪的な分かりやすい嘘もない。

愛の話であったり経済の話であったりトラウマの話であったり、心理学的なテーマも数多く取り扱われているように思う。

そんな話とは別に、当初、天才ハウスとがん専門医のウィルソンを観ていて「何たる共依存。」と思ってドン引きしてしまったのだけど。

これだけ長いこと観ていると、「ああ、違うな。これは相互成長だ。」と気が付く。

ただ、分かりやすい親切とお人よし度を丸だしにしているウィルソンに比べて、ハウスの彼に対するサポートは非常に分かりにくいのだ。一見意地悪をしているようにしか見えない。

でも、よくよく見てみると実はハウスの方がウィルソンに課題を与えていたりする。でもって、ありがとうと言われるのが大好きなウィルソンと相反して、ハウスの方はありがとうと言われることが大嫌いなのだ。

リアルな人間同様、登場人物の皆、どこかが壊れていたり傷を負ったりしている。しかし、それを補完し合っている。

誰もが必死に働いて必死に生きているので怒号し合ったり怒鳴り合ったりもしているが、おそらくは皆唾を飛ばし合ってまで患者を救おうとしている。

この人たちは自らを救い、他者を救う者。

***************達人伝−9万里を風に乗り− 3|王欣太|双葉社|送料無料

一方、荘子の孫である人物から始まったこの物語は第三巻まで来た。

そしてどの人物もなにやらこれまた極端なのだけど、どこかに書かれてあったように、歴史の真実というのは、大半は無名のものが創っていて、知られていないヒーローが沢山いるのだろうなあと想像する。

ええ、今の世の中みたいね。

で、今回は有名どころの白起登場。

冷淡な殺戮ぶり故に既にその生涯で40万人は殺したか?とこれまた別の達人に訊かれるシーンがある。←訊いているのは弁の達人。

対して白起は「私はそれに答える者ではない。」とキッパリ言い切る。

要するに、小説読んでも漫画読んでも映画観ても、皆登場人物が「私はこれをやるものだ。」とか「私はそれに答えるものではない。」とキッパリ答えられるほど自己一致しているということ。

さて、あなたは何者であり何をする人なのであろうか。

心理学ではこれが分かっている状態の人のことを自己一致出来ている人と呼ぶ。

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2013年11月29日

人生はニャンとかなる!

訪問入浴を利用なさる患者様やその介護者様はそれぞれ全く違う世界の全く違う事情とルールの中で生活なさっている。

なので、当然要望が多種多様だということはあたりまえのことで。

決まった曜日の決まった時間に訪問するお宅の中には、訪問する日の”この時間に一度確認の電話を入れてくれ。”と仰る方が居たり、はたまた”電話なんか決してかけてくれるな。忙しいんだから。”と言う人もあり。

後者の方がありがたいかも?と思いきや、前者の方があまり良くない例で功を奏することもあり。

何故ならば、こちらから電話がかかって来ない故に「ちょっと、何でかけて来ないのよ。」と先方からお電話が来たことがあり、この日も工程漏れが発覚した。

工程を作ったわけではない電話を受けた青年が咄嗟に「すみません!お電話を忘れてました!」と受け答えしていたのだが、先方のママさんが「また来ないことになってたんじゃないの?!ミスったんじゃないのっ?」と。

「いえいえ、お電話を忘れてしまっだけです。誠にすみません。」

と電話を切ったようだが、一瞬しーーんとなった車内。

そのまま静寂が続くかと思われたのだけど、ある瞬間即座に私の方を振り返り「すみませんっ!ほんとーーーにすみません!」と謝る彼。

やっぱり。電話を忘れたんじゃなくて工程に入ってなかったわけね。

でも、この人のせいじゃないのに。

工程を作った張本人がその日はお休みで、しかも、この休んでいる張本人が性懲りもなく何度もやっているミス。

やつが悪いんでしょ。なんで謝るの。しかも私に。

「いやあ、もう絶対かおるさんにはばれてると思って!」

いや、だから、あなたのミスじゃないじゃないですか。

もう、この彼とは初対面のときから謝られっぱなしで、初めての挨拶が「はじめまして。本社から来ましたKと言います。昨日はすみませんでした。」というわけの分からないスタートだった。

思えばこの”はじめまして”なのに”すみません”と彼が言うことになったのも、その出会いの前の夜に先の張本人が突き付けて来た指示を聴いた私が少々キレてこの会社と絶縁しようと即決したことが元だった。あれ、書いていて思ったけど、何か、張本人が悪いというよりも私のせいか。

と、そんなことはさておき。(← おいちゃうのかよ。)心配なのは、私にはばれるだろってことじゃなくて、先ほどの肝っ玉母さんにすっかりばれているということだと思うよ。

「そうですかね?」

そうだよ。あの人はこういうの鋭いんだよ。訪問したらすぐにお詫びしようよ。

「そっかなー。」

そうなんだってば。伊達に何十年もかーちゃんやってるわけじゃないんだから。

そして、その夜のラスト、こちらが詫びるのよりも先に訪問するなり言われたことは「またあいつだろ!Gだろ?!」と本人が不在な上にK青年もまだ何も言っていないうちからの怒号。

K青年は「ははーーっ!すみません!先日この姐さんがぶん殴ったばかりなんですがっ!」。

ああっ!何て余計なことをっ!

すると地声からしてドスの利いているこの母さんが「ええっ?あなたが殴ったのっ?あなた、そんなタイプ?」。

そんな、まさか!殴ってませんよ!ちょっとらりあーとしただけでちゅよ。

「そ、そっか・・。うう、あなたみたいな静かそうな人がそんなことすんのもビックリだけど、それやられてもダメか。変わらないのか。どうしてあげたら良いんだ。」

・・・・・・・・・・・・・・。

しかし、妙ーーなことなのだけど、変なところで感動した。

あいつは幸せなやつだ。

スタッフもお客様もなんやかんや言って結局は何とかしてやろうと思っているのだと言うことに気が付いたのだった。

た、た、単に疲れているだけってのもあると思うけど・・・とふと口をついて出たのは肝っ玉母さんの本気で心配している顔が目に沁みたから。

しかし、その時、K青年が本来の素を出し「疲れてるってのが言い訳になるんだったら皆疲れとるわっ!明日会ったらぶっ殺すっっっ!!」と叫んだので、このお母さんと一緒にドッと爆笑してしまった。

本当は一番怒ってるんじゃん。で、あなた本当は謝男みたいなキャラじゃなくて本来暴れん坊の悪ガキなわけじゃん。よくいつも我慢しているなあ。あなたが一番強い。

「俺たちは完璧を求められるもんなんだよっ!!!」

あ、それ、あなたの先輩上司も仰っていた。あらゆる天候であろうと体力も限界のところで尚もマックスの頭のキレを求められる商売なんだと。

それは多分、本人の意識が決めさえすればどんな仕事でも同じなんだろうなあ。

しかし、我に返った後、「あ。すみません。」と再び礼を尽くし出す謝男も面白い。

*************

その日の仕事が終わった後、やっとのことで着替えての帰り際、営業所の裏の喫煙所でタバコを吸っていたら知らない男性がやって来てタバコに火をつけた。

この後会議だとか言っていたので色んなところから偉い人が集まって来るらしい。なので彼もそのうちの一人なのだろう。

知らない人なので、”お疲れさまです”とだけ言おうと思ったら「O営業所のSと申します。」と深々と頭をさげられたのでビックリして「T営業所のただのアルバイトのOと申します。」と頭を下げ返したら「知ってます。」と言われて沈黙。

何で?と訊こうと思ったら「K市にお住まいなんですよね?僕はOに住んでいます。」と話を続けられてしまった。

「O駅は猿が出ます。凄く山奥です。」とドヤ顔で仰るので「嘘つき!」と言って吹き出してしまった。

だって、友達がそこに住んでいますし私も行ったことあるけど猿なんて見ませんでしたよ。モスバーガーだってあるじゃないですか。

「はっはっはっ。まあ、とにかくいつか応援に来て下さい。O営業所のSです。」と二回も名乗っていらっしゃる。

あの、ところで、どうして私をご存じなのですか?と訊こうと思ったその時、K青年がやって来てタバコに火をつけるなり「俺、明日、まじでぶっ殺します!」とフーフー言っている。あ、猫化でもあるんだ。

私、またしばらく来れないから、私の分の飛び蹴りもしておいて。
ほら、次来た時には忘れちゃうんだわ。

いや、待てよ。ぶっ殺すんだよね?ぶっ殺した後に飛び蹴りしてもしょうがないか。

「あ。じゃ、飛び蹴りしてからぶっ殺しときます。」

ああ、じゃあ、お手数でがよろしくお願いします。何せすぐ忘れちゃうんで。

そんな会話をKさんと真剣に取り交わしている最中に先ほどからいた第三の男の存在を思い出した。

あ・・・。何で知ってるの?って訊くの愚問かも知れないと気が付いた。

おそるおそる視線を向けると「O営業所のSです。」と言っていた。

・・・・・・・・。つくづく変わった会社だ。←おまえもな。

*************

カウンセリングの日にも訪問入浴の日にも、はたまたある時は一人でお風呂に入っているときにも突然思い出す。

あれはまだうちの事務所に小さな狭いソファーベッドがあった頃のこと。

もう帰ろうと思ったところ、突然ブレスのデザインが降りて来てしまったので、仕方なくそのソファーにうつ伏せになり肘をついてブレスのデザイントレーに天然石のビーズを並べては作り出した。

そこに白ちゃんが近づいて来た。

まだまだそんなにべったりしていない頃で、いつもこの部屋のどこかに居てこちらをじっと見ていたなあ。

高さ20センチにも満たないソファーに登って来て、グルグルグルグル言いながら、よりにもよって両肘をついている私の両前腕の上に乗っかって来て、そこで長くなってどっしり寝そべってしまった。

むろんビーズは見えないし、目の前は真っ白。

しかし、甘えたときの匂いを放ちながらグルグル、グルグル、ゴロゴロゴロゴロ、ぶしゅるるるっ!と嬉しそうにこの腕の上に居た。

頭の重さを全部載せて潰してしまわないように、そっとそこに頬を寄せた夜のことを。

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人生はニャンとかなる! ―明日に幸福をまねく68の方法 [単行本(ソフトカバー)] / 水野 敬也, 長沼 直樹 (著); 文響社 (刊)

”もし道に迷ったら、
 一番いいのは猫についていくことだ。
 猫は道に迷わない。”

− チャールズ・モンロー・シュルツ −


確かに。

白ちゃんは、いつも導いてくれていた。

そして今も。

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2013年11月23日

愛する故の ママたちのあれこれ

既婚未婚に関わらず女性というのはご家族を親身に心配する人というのが多くて。

先日もまた、数人のお子さんを育てている最中のお母さんからフラワーエッセンスをお子さんに処方して欲しいとのことで、彼女による家族の代理コンサルを施行した。

皆さん最初はご自身が飲んでみるのだけど、効果を実感するとお子さんや配偶者の方のコンサルテーションなどを行いいそいそと持って帰っていらっしゃるのだが、これまたそんなに経たないうちに「夫がこんな嬉しいことを言うようになりました。」とか「○○ちゃんが落ち着いたみたい。」などと嬉しいご報告を下さる。

そしてまた別の日に、他の方がこれまたご自身に効果があったせいか、最初はお子さんのうちのお一人のコンサルをして、その数か月後には第一子であるお子さんの代理コンサルを申し込んで下さった。

それで私自身にとっても物凄く勉強になる機会をいただたなあと感じたことがある。

ご家族が5〜6人くらいいらっしゃるとして、そのうちの三人か四人の人員をそれぞれコンサルテーションして行くと、その方が生まれた時期によってある程度決まるパーソナリティーから色んなことが見えて来る。

お母さんがこの時期でこんな影響を与える人物で、そのお子さんは生まれつきこういう傾向があるのでそれをこういうふうに受け取り、さらにその下の子はお兄ちゃんやお姉ちゃんやお母さんの影響を、やはり生まれつきの気質を持ってこんなふうに受け取る・・・。

というようなことが見えて来ると、その家庭で起こりがちな問題というのが浮き彫りになるので、そのお母さんと一緒に二人で「へーーー・・・、なるほどねー。」と顔を突き合わせては感慨にふけっていた。

生育環境とか親御さんの問題というのは確かにそのうちの子供の心身に影響を及ぼしはするのだが、それ以前に生まれつきの気質ってのも物凄く大きいのだなあと改めて実感。

それを知りようがないものだから、ついつい親のせいにしたり子供のせいにしたりと悲劇のストーリーが意図的に作成されてしまうのだけど、中には誰も悪くないというケースがある。

それぞれ違う時期に違うブループリントを持って生まれて来た命たち。願わくば互いに尊重し高め合いたいと思うもの。

このお母さんの理解力が、もう既に全員で幸せに向かいたい!という方向へと先導してるのが見えた。

**************

これもフラワーエッセンス関連の話なのだけど、これまでご自身と旦那さんの分をちょいちょい処方依頼しては愛飲して下さっていた方が今度は娘さんのとある癖について効くエッセンスを所望された。

ああー、えーと、それ、確かに効くとうたっているいるエッセンスがあったな。どれだっけかな?どっかで読んだんだよなあ。

もうテキストが6冊にも及んでいるし、自分で書き留めたノートも膨大だし、いったいどこで見たんだか分からない状態だったので、依頼されてからの数日間、目を皿のようにして探したのだが。

あった。

やっと見つけたと思ったら、物凄く目につきやすいところに書いてあった。

このチックに近いとも言える癖に効くエッセンスは三本セットで使うことになっている。

で、よくあることだけど、お母さんにもある癖がお子さんにもあるというこの傾向。もはやこれは代々遺伝されて来た考え方や心の癖が身体にとある行動を繰り返し取らせているとしか思えない。

なので、本当のところはお子さんというよりはお母さんだけが飲んでいても遺伝的とも言える症候群の治療に繋がる。

*************

そして今度は心因性のものが身体の症状に出て、本当に辛い思いをなさっている方が「娘にも処方して欲しい。」とメールを下さった。

最近頻繁にお会いしているし、今日もお会いする予定だったのにも関わらずそれを待たずして早朝からメールを下さったいるということは何かあったのだろうなあ・・と思いつつ、その方の来訪を待ったのが今日だった。

物凄く娘さんを愛していらっしゃる。

でも、このケースではちょいと反対した。

処方するのは簡単だから娘さんのために作っても良いとは思う。

けれども、今はこのお母さんにとって人生においてとても大事な時期を過ごしておられるところ。

ただでさえままならぬ身体なのに日々「あれもしてあげたいのに、これもしてあげたいのに。」とポロポロと涙を流したり胸を痛めていらしたり。しかし、身体と心がついていけない。(ついて行ってはダメだからそうなっている。)

そこにお子さん用を作るということは、また一つ彼女の仕事が増えるということでもある。まだ小さいからね。

そして、このお母さんがご病気で辛い時期に、何ヶ月も良い子を演じて、やっと昨日今日になって子供らしくきちんとぐずったり暴れたりすることが出来たばかり。

この時期にどこから持って来たかも分からないような怪しいビンに入ったものを「今日から飲むのよ。」ってなことになれば、幼心に自分は病気なんだと誤解をしてしまうかも知れない。

しかし、フラワーエッセンスとうのは、別段おかしい人やご病気の人が使うものではないし、もっともっとポジティブなツール。

なので、Aさん。ご自身がもっと元気になってから、これがどんなものか?というのをお母さんの口から説明できるようになってからにしようか?
それに几帳面なあなたのこと、朝昼晩、「私、ちゃんとあげたかしら。飲ませたかしら?」と不安になってしまうことも考えられるのが今の状況だし。

他にもっと慎重な表現はないかな?言う通りにやってあげられなくてごめんね。でもね・・・とさらなる説明を考えている途中で「ああ、わかりました。なるほどね。うん、凄く分かりました。」という答えが返って来たので嬉しかった。

もっとも、必ずしも家族が飲まなくとも誰か一人の波動が変われば必ずその波動は他に影響を及ぼす。

原点は自分なのだと思う。

******************REAL 13 (ヤングジャンプコミックス) [コミック] / 井上 雄彦 (著); 集英社 (刊)

唐突ですが。

バガボンドもスラムダンクも良い。

でも、リアルを読んでいる方へ。

ちょいと感動の13巻。

私は30過ぎあたりまでグダグダで一人で立てない、立とうともしない人間でした。もちろん立つ気になった後も皆に支えられて立っている。

だから、最新刊、泣けてしまいます。

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2013年11月11日

清須会議

昨日、N美ちゃんの彼のバースデーパーティーに招待されたときに発覚。

N美ちゃんの彼は私と同じ歳という歳の差カップルだということは前々から聴いていたが。その彼のお誕生日がうちの夫と同じ日だった。

”へえ〜、今日じゃなくて明日だったのー?一緒だったんだねー。”と笑っていたのだけど、N美ちゃんが「全然似てない!かおるパパは素敵だけど、こいつは云々・・・etc.」と罵詈雑言。

でも、そんなこと言いつつN美ちゃんが企画した彼のためのパーティーは本当に盛大で素敵だった。尽くすタイプの可愛い女なんだなあ。


一方、私たち夫婦はと言うと、前々から誕生日には休日とって一緒に過ごすねと約束はしていたものの、特に案が浮かばなかった。

すると夫が「銀座に日本一のパエリアを出すお店あるからそこに行こうよ!」と言う。

・・・・・・。あなた、パエリア好きでしたっけ?

「いや、かおちゃんが大好きだから。」

いやいや、あなたの誕生日でしょう。何か自分が喜ぶことって無いの?

そんな押し問答したあげく結局一緒に過ごせれば何でも良いと言われ、唯一の共通点である時代劇好きのため”清須会議”という映画を観に行った。

ついでに、この映画館があるモールで何かプレゼントを一緒に選ぼうと。

ところで、この清須会議なのだけど、二谷さん、やっぱ上手いなあ。じわじわと、そしてこまめに爆笑してしまう。

その上でテーマが結構大きいんだよね。

もちろん全部が事実ではなく脚色も多いのだけど、秀吉という人物は、やはりこういうふうに普通の人の視野以上の視界を持ち、しかも、誰もが気が付かない盲点を絶妙なタイミングで発表しては度胆を抜くという天才だったのではないかと思う。

今まで誰も気が付かなかったものの、そう言われてみればそうだよね!と納得してしまう道理を胸に一つ持っている。だから、ぶれない。

憎めない策略家というキャラをうまく描いていた。

しかし、ところどころにちりばめられた各キャストの面白いところも手を抜かず、しつこいようだけど、つくづく上手いなあと思った。

”素敵な金縛り”だったっけ?

突然あの映画に出演していた西田さん扮する更科六兵衛さんまで登場したところにも驚いたわ。(笑)

余談だけど、本作が始まる前の他の映画のCMを見ていたところ、恐竜ものに興味津々。

そして、ジブリのかぐや姫のCMもやっていた。こちらはわざわざ見ようとは思わなかったものの、別の意味でやられた。

流れているBGMを聴いていたら、白ちゃんのテーマのように感じちゃって思わぬところで涙がどっと出てしまったから。

****************

フードコートってのは便利なものだよね。互いに好きなものを同じテーブルで食べることが出来る。

私はペッパーステーキで、夫はラーメンと餃子。

大きなサイズを置いて居る東京シャツなるメーカーがモール内にあったので散策したがネット上のものと違って非常に種類が少ない。

袖の丈が90なんてのが中々無いのだった。いや、デザインを問わなければあったけれど。

仕方がないのでネクタイに目を移して「こんなのどう?」と提案してみたら、思いの外喜んでくれて嬉しかった。

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それはともかく、一日一緒に歩いたり食事したり映画見たり。おまけに夜になったら飲みに行こうと言うので、さすがに1パス。

もう唯一の休みなのよね。

疲れも取っておかなければならない故、丁重にお断り。

結局は仕事をとってすまない。でも、いつもありがとう。

お誕生日おめでとう。

タフで繊細でパワフルで、でも、人一倍優しくて、こちらにとっても世界で唯一の人よ。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日が あなたにとって良い一日でありますように。

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2013年09月29日

生かし合う

夕べの夢は、今まで見たこともない巨大なスズメバチが2匹も入って来た夢。

私、よく白亜紀だのファーストダイナソーがいるような太古の時代ものの特集を観るのが好きなせいか。もっと詳しく言うなら種の起源全体に興味がある。

それは良いのだけど、もしかしたら太古にでも居たかのような巨大なスズメバチは片方は普通に黄色と黒のしましまで、もう片方は赤と黒だったので、余計にそれが気持ち悪い。

だいたい現代のやつらだって刺されてショック症状を起こすこと多々ありなのに、何なんだ、この大きさは。

なのだけど、戦わなければ家族が刺されると判断して「すまん!いざ!」と挑んで行ったのだが。

一匹を追いかけている間に背後でバリバリ&ブンブンブン!という音がする。

あまりにもリアルな音だった。夢とは思えないほど。

不気味に思って振り返ると、そこには、巨大スズメバチを両手で持ってバリバリ食っている白ちゃんが居たのでショッキング!

うわあああっ!白ちゃん!何やってんの!止めなさい!

白ちゃんが出て来た時点でもう「ああ、また夢観てるのか。」と悟る。もう毎日のように観ていたので。

その昔一緒に暮らしたエルザが何十年も夢に出て来なかったのは、生きているからだと思っていたので、つい先日まで白ちゃんが夢に出て来ると「ダメ!出て来ないで!」と心中叫んでいたが、白ちゃんは「わかんないこと言わないの。」というような表情で飯食ったり一緒に寝たり、何か重要なことを話してくれたりと、ほんと、こちらの意図とは裏腹に自由にしていた。

が、さすがに今回のこれだけは。

白ちゃん!生前に虫なんて絶対に食べなかったじゃないのよ!どうしてそういうことするのよ!(昔飼っていたシャムのピョン吉やポコは物凄いハエトリ名人だったけど。)

そんな私の叫びには応えず、今度は私の方へ飛び掛かって来たかと思ったら・・・違った。今度は私が追っていた方のスズメバチに飛びかかって行って、バリバリバリ!

うわああ、ぐろい。しかも、一匹目の方は食い残してポイしてある。

もう発狂しそうになるような夢なのだが、白ちゃんは二匹目もポイした後「仕方ないにゃん。まっずいけど、あんたが刺されるといけないから。おえーーっ。」と言ってその後懸命にグルーミングしていた。

・・・・・・・。白ちゃん、その二匹って、何なの?と夢の中でまじに質問する私。

白ちゃんは「あんたが普段、ちっとも危険だと思っていないもの。ほんとは針持ってんだよ。よく見な。このお人よし。」と。

****************

はっ!と目が覚めた直後、あまりにリアルだったのでしばらくは覚えていたが、日常が流れ出すのと共に忘れていた。

そして、カウンセリングが終わった後にまた思い出す。

そう、カウンセリングを含む仕事中以外だと、ふと気づくと、耳を澄ましていたり、道を歩けば何かを目で探したり。

そう、無意識にいつもいつも白ちゃんを探してしまう。

起きているのに、気が付けば道を歩きながらも、机についていながらも”どこ?どこ?どこ?”と。

けれども何度も思い出す。

ああ、そうだった。

ここに居るんだった。一緒に居るんだった。

両手で自分の胸をぎゅーっと抱きしめた。

一日に何度もそんなことをしている。

*******************

人は自分の狭い体験で得て来た古いパターンを変えられないと、何度も同じところで苦い思いをする。

時と場所、相手は変わるものの、行動が変わらないのは、その古いパターンを頑固に守り抜こうとしている幼さのせい。
3月のライオン 9 (ジェッツコミックス) [コミック] / 羽海野チカ (著); 白泉社 (刊)


それだけだったらまだ本人の勝手なのだけど、自分にその辛さを味合わせるだけでは孤独なので、「これは」と思う相手を見つける度に何度もその嫌なドロドロした想いを分かち合おうとする。

それは、歪んでいて奇妙で、はた迷惑なしろもので、本人も意識では「もううんざりだ」と思っているパターンなのだけど、いかんせん、無意識下では自分の大事なものとなっているので、どうしても分かち合いたがる。

気に入った人と同じ穴の中に居て欲しいと思うのを愛だと勘違いをして、その実、ヘドロを塗りつけるようなものだ。


私は将棋は知らないのだけど、様々な成長の世界全般に言えると思うことが多々ある。

もちろん将棋だって最初は勝とう勝とうと思って臨むのだろうけど、継続し続けて極めて来たとある地点から、それがサバイバルではなくて相手との共同作業だということが分かる。

この物語の中の将士同士が全身全霊をかけた対戦中に、もうここから先へは行けないという崖っぷちまで歩いて来る。

ところが、そこにすら無数のドアが見えて愕然とするシーンがある。

”まだ あんのかよ。”というこの深さ。

そう、多分、これは色んなことに共通して言えることだろう。

そして、子供の頃からその地点まで歩んで来た二人は、”これは一人では拉致があかない。今度から一緒に研究して行こう。”という結論に達する。

それまで物凄く深刻に向き合っていたのに、二人同時に笑ってしまうというシーンが印象的だった。すこん!と抜けたときに初めて出る本気の笑い。
もう、ほんと、あとは笑うしかないっていうところなのよね。

多分それが”共生”ということなのだろう。

それは同じ地点に立ったからこそ同じように見えたドアの数々。

そのずっと手前の地点で遭遇した醜いものや怖いものの場所で立ち止まっていたら決してその先は見えなかったことだろう。

無数にあるドアの中からたった一つのドアに執着して、何度も何度も自分が見たものを分かって貰おうと引き留めるか、あるいは閉じ込めるか。

多分それは共生じゃない。

生涯そこで止まり、淀むという不自然さが、ブラックホールを作って自分や相手を引きずり込む。

本当はその方がずっと恐ろしいし、怖がるに値することなのだけど。

この漫画に登場する将士さんたちは、皆、個性が鮮烈で誰一人として調和的とは言えない。(笑)

でも、彼らにとってはその状態が調和なのだろう。

自分のためというよりは、勝負している相手のために、小さな虫を取り除く登場人物は美しかった。「ぼくたちの邪魔をしないでくれ。」と。

その心の真逆にあるのが、自分自身が虫のようなことをしているのに気が付かないという状態。

べったりくっついている愛ではなく、一方的に相手の時間を奪うわけでもなく、でも、共通の何かを通して見える景色は、そのほとんどが静寂の世界であるのにも関わらず、長い長い説明や言い訳が到底及ばない何かがある。

感じること。

これがあるから人間は面白い。その視覚や視力以上の何かが見えたり、聴力以上の何かが聴こえることが出来るのだと思う。

*******************

仕事が終わってから、身体を横にして一気読みしてうたた寝。

すると、またしても白ちゃん登場。

”おまえら、そういったことの理解が遅いから長い寿命が必要なんだにゃん。”

・・・・・・・・。仰る通りで。

それは分かったから、早く帰って来て。

あ、私が毎日夢見るから次へ行けないのか。ごめん。

”いや、別に。勝手にさせて欲しいにゃん。私のペースで。”

・・・・・・・・・・・。そですよね。

ほんと、いーかげん、そうですよね。

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2013年09月23日

香り

カウンセリングの最中に涙がとめどもなく込み上げて来たTさんが、お話を一旦中断したときのこと。

泣いていて話せなくなったなら、落ち着くまで思い切り泣いて、それから話の続きをすれば良いと思っていた。

なのだけど、一生懸命伝えてくれた言葉は、それまでの本題とは全く別のことで。201309222.JPG

「今日ね、今日ね、本当はね、今日ね。」と。

「かおるさんにはいつもお世話になってるから、本当は私がかおるさんにレイキを流させて貰いたくてお願いしようと思ってたんです。それなのに、ごめんなさい、こんなんで。」と咽び泣いているのを観て衝撃。

本当はレイキの60分コースのみをお申し込みになっていらしたのだけど、出会い頭に感情が込み上げて来たので少しカウンセリングをしようとして始めたときのことだった。

あるいは、この限られた一時間で今日のところはカウンセリングだけか?と迷っていたところ、次にいらして下さる予定の方から「これこれしかじかなので30分ほど遅れます!」とメールが入った。

ほんとによく出来ている。おかげさまで30分以上はお話が聴けそうだ。

でも、衝撃だったのは、そこじゃなくて、わざわざ料金を払ってレイキヒーリングをお申し込みになっていたのに、この時間で私に施術しようとしていてくれたこと。

「ごめんなさい、ごめんなさい。こんなんじゃ出来ないですよね。」

いやいや、もうほんとにお気持ちだけで充分と言うか、それ以上に、本当にこちらにレイキが流れ込んで来ている。

「なんかしたいなあと思ってたのに!」

いやあ、ほんとに何かしてくれていますよ。レイキは心や気持ちだけでも飛ぶし、それとは別に、あの頃、寝たきりだったあなたが、今こうしてここに来れている日々のことや、働けていることや、残業まで平気でこなせるようにまでなられて。201309221.JPG

よく食べてよく笑って、よく泣いて。

とてもイキイキして無理せず頑張って人生を謳歌してくれていること。

それが何より。

「何か」どころじゃないくらいの大きな大きなギフトでした。

******************ケモノみち(1) (Be・Loveコミックス) [コミック] / 山浦 サク (著); 講談社 (刊)
先日、Aさんがお越し下さった際に、「エネルギーに匂いってあります?」という質問をなさった。

あるんですよね、これが。

感情や生き方や考え方、それらを含めたエネルギーの香りというものはある。

敏感な人だと視覚同様にそれを嗅ぎ分ける。あるいは、余程臭すぎると敏感でなくともかなり多くの人が感じているのだろうと思う。

怒りの匂い、怠惰の匂い、嫉妬の匂い、嫌いの匂い、好きの匂い。愛の匂い、偽善の匂い。

猫が甘えているときの匂い・・・etc。

もちろんエネルギーの一部だから、それが現れる頃には相手の表情や声音や自然さや不自然さにも表れているのだけど。

丁度そんな話が出ていたものだから、この”ケモノみち”を読んだ際、非常に面白いと思った。

これは多分どなたにも分かると思うけれど意識的にせよ無意識的にせよ、人を利用しようとしたり変な交流のゲームをしているとき、あるいは本人にとってもストレスが溜まっている場合は俗に言う”臭い”という状態になるし、自然だったり素直だったり愛に満ちていると、いくら悩んでいる人でさえ良い匂いがする。

かつて次女くんが「私、匂いフェチなんだ。」という出だしで話してくれたことも、凄く理解出来た。それは言葉では誤魔化せない感覚を彼女が持っているということだ。

話は戻ってこの漫画、やっぱり泣かせてくれる。

動物にも人間にも心や感情があって、その匂いがある。

色や光や匂いや体感や、全てのものがエネルギーワークのヒントになる。

********************
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2013年09月21日

寄生とか依存とか調和とか

物心ついた頃から漫画でも小説でも無差別に読んでいた。

そしてここ10年くらいは色んな心理学やヒーリングの本も読み漁っていたりして。

”本は馬鹿だ。だって、いつ見ても同じことしか書いていない。”という言葉を聴いて、その時は「なるほど。」と思ったのだけど、今は違う。

本が馬鹿なのではなくて、いつ開いても同じようにしか解釈出来ない読み手の方が成長していないだけだと今の私はそう思う。

**********

先日、Aちゃんにとある漫画の話をしているときに、ああでこうでこうだったんだよーと感想を述べていた。ヒストリエ(1) (アフタヌーンKC) [コミック] / 岩明 均 (著); 講談社 (刊)

すると、今度はAちゃんの方が全く違う漫画のタイトルを出してくれたのだが、偶然にも同じ作者の作品だったので驚いた。多分偶然ではない色んな要素が絡んでいる必然。

それでそれを機に、Aちゃんが話題に出してくれた漫画をもう一度読み返してみたくなった。

とは言っても、それを読んだのは多分90年代の半ば頃だったので思うので、とっくに手放している。

なのに、今でも本屋さんに並んでいたので驚いた。寄生獣 完全版 1|岩明均|講談社|送料無料

私が読む物、聴くもの、関心を持つ対象は、いつも必ずしも最大公約数的じゃない。

むしろ話題になっていたり人気が出ているものとは限らないので見つからないことの方が多いように思うのだけど、世代を超えてある種の人々の心に何か感じるものを残す作品だったのだなあと改めて思う。(たまたまこの作品はそうだった。)

のだけど、あまり他者とは自分の好きな人物や作品の話はしない。

特に、絵でも文章でも、何かを心で感じるタイプの人でない場合、全体性とか作者の表現しようとしていることには無関心。

それだけだったら良いのだけど、訊いてもいないのに、評論家的に批評や分析をし出すから。

「私は嫌い。」とか「好き。」ってのも訊いていないのだけど、何か一部分に固執していたり認知のずれが激しい人だとそこのところを良い悪いというスケールで力説するわけで。

作品の批評なら偏った部分に合わせるのは、感性が檻に閉じ込められたような窮屈な思いをするし、対象が人物なら「会ったことあるんすか。」と思うわけである。

好きとか嫌いでなく、そういったものを飛び越えて凄い人々や作品はやっぱり凄いと思うし、何時の間にか何かを教えて貰っている。

というわけで読み返したのだけど、大まかなストーリー以外は、覚えていない描写が多くて驚いた。ポイントしか覚えていなかったものの、そのポイントでさえ感じ方が全然違って新鮮だった。

他にも食物連鎖で、人間より一つ上の頂点に存在する生き物を描く漫画は無数にある。例えば”東京喰種”とか。

でも、どの時代に出て来るモンスター的扱いを受けている種族を遠目に眺めていると、いつも思うことがある。

彼らは人間しか食わないんだよなあ。それを考えたら人間の方がよっぽど恐ろしい生き物だよなあってこと。

私は「野蛮だわ」とか「地球のために」という大義名分のために他の生き方を批判する人々のことがあまり好きでない。

現代は単に自分で狩る必要がないのだけど、誰かに殺して貰って綺麗なお皿と安全な環境で食べているだけのこと。昔からずっとそう。

はたまた、殺さなくても済むように発展して来たはずの文明の中でも、人は常にサバイバルを続けている。割り込んだり奪ったり傷つけたり。

でも、その一方で、「現代社会はおかしいよ!」と感じるだけならば同意できることもあるのだけど、自分を正当化するために一生懸命働いている人たちを無茶苦茶に批判しつつ引き篭もっている人の暴力性も感じる。

「文明をチャラにして原始の生活に戻りたい。」とまで言う人に限って、もしも戻ったら、10秒で捕食されちゃいそう。

悪い点ばかりではなくて、好きなことが言えたり、時には引き篭もったりすることが出来る社会になったのだとも思う。

少なくとも愚痴言って殺されるなんてことはない。

でも、今やそれはあたりまえで感謝なんて到底感じにくい知覚鈍麻が蔓延しているのかも知れない。

****************

とある方から食事に誘われたとき、ふと思った。

出会った頃、いつも笑顔でニコニコしていて感じの良い人だなあと思っていたのだけど、仕事で一年二年関わると、そうではないのだなあと分かって来る。

ある時ドタキャンされたときに思ったのだが、そのドタキャンされた瞬間ではなくて、そのずっと前、「私も行きたい!」と皆のノリに合わせて言っているときから違和感を感じていた。

あ。。。。偽物の笑顔でも無いよりましってことが多々あるのだけど、そうまでして嘘つくことないのに・・・と。

「私はどこそこに行きたいからそこは行かない。」と最初から言えば良い。

案の定ダムは決壊して、最近では怒りん坊で有名になってしまった人。嘘と我慢はほどほどにと思う。

はたまた、昔からどこに行っても一人は居るタイプなのだけど、私が誰かと二人か三人で意気投合して盛り上がって居ると「ねえ!いつもそんなに固まらないで皆で平等に付き合おうよ!」というタイプの人だ。

うう、何故にそんなに怒る必要がある。しかも、常に全員と一緒にいるなんて軍隊じゃないんだから。

でも、不思議なことに、その手のことを言い出すタイプの人というのは、何故だか皆最初はニコニコして愛想が良い。

そしてある時、「男女とも親密な相手が出来ない。」と打ち明けられたのだけど、「どうしてだろう?いつもどんな交流してる?」と訊くと、大抵返って来る言葉が「本音で付き合ってないなあ。」ということ。

本音でないということは、怒っているときにニヤニヤしていたり、あるいは好きな人に好きと表現するどころかゲームをしかけたり何故か興奮するとサバイバルをしかけたりと色々と面倒臭いことになる。

そりゃあ何十人、何百人と交流しても平行線だろうなあと思う。

***************

寄生獣の話に戻るけれど、ニコニコしつつ寄生する技ばかりを磨こうとすると、自分の感性や考えがなくなって、本当に一人で生きていく力が退化して行ってしまうだろう。

嫌われたくないとか可愛いと思われたいってのも、ある一定の年齢まではありだろうけど。

そうすると宿主の奪い合いという下らない争いが起きても不思議じゃない。

**************

色んなセミナーに出席すると、いつでもそこに”調和”という言葉が出て来るのだけど。

私は最初のうち、この調和的ってことが人と争わないことやいつもニコニコしているってことなのか?と思っていた。

それは何故かと言うと、2000年代に入ってから調和やヒーリングについて語る講師の方々のほとんどがそういうタイプの人だったからだった。

ところが、しばらくすると「????」と、こちらが首を傾げたくなるような不思議なストロークを投げて来たりもの凄く不調和な裏面的な交流をしかけて来られることがある。

学んだことはとりあえず吸収して行く。

でも、最近、90年代から漠然と考えて来た調和の意味がハッキリして来た。

調和的ってのは、争わないことではない。

環境によっては、攻撃し返したりすることもあれば喧嘩することもある。

人は食べて生きている。

そして時には偏る。

でも、人間の数だけ、その人にとっての丁度良い調和の数がある。

それは、自分の本心、つまりは自分の本当に欲するところに如何に責任を持って叶えて行けるか?

他の人々や社会と共生しながら如何に自分らしく生きていくか?ということなのだと思う。

全ての植物が太陽を目指して伸びて行き、障害物があればそれをよけるために変形するように、いつ如何なるときにも、例えば他人から見たらへんてこりんに見えたとしても。

それは生命力という調和。

その上に初めて愛の学びが乗っかって来る。

******************
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2013年06月29日

私という猫

まあ、暖かくもなって来たので、毎年これくらいの時期になるとお天気さえ良ければ白ちゃんが自由にご近所を闊歩している。

道で出くわしたり砂と草だらけになって帰って来たりするとそれだけで幸せを感じたり。201306282.JPG

ところが先日のこと、何だか胸がざわざわする日があった。

この日もお天気はそうそう悪くなかったので滞空時間が長いのはいつもと変わりない状況ではあったのに。

この時期になると白ちゃんが外に居ることが多いので、クライアントさんたちに「あれ、白ちゃん、今日も居ないんですか?」と訊かれる度に「そうなんですよ。すみませんね。自由にしているんですよ。」と謝りながらも笑ってしまう。

で、その日、出張マッサージにいらして下さったHさんにも同じことを言われて「そうなんですよ。外なんですよ。」と答えていたのだけど、何となく嫌な感じ。

「あの、今、ここに入って来る時に、女の人がキャリーを車に積んでいたのだけど、もしかして白ちゃんだったのかな?」とHさんが仰ったとき、”ああ・・・、きっとそうだ。”と感じた。

何故ならばご自身が家の中だけで飼っていらっしゃるという猫ちゃんたち四匹とも、病弱だと仰っていた割に病院へ連れて行くところを見たことがないもの。

ので、キャリーに捕獲して連れて行くとしたら白ちゃんだろうなあ・・・・。

その日の夕方、とっぷり日が暮れてカウンセリングが終わった頃、廊下の向こう側から三号さんが白ちゃんを抱きかかえてこちらへ向かって来るのを発見。

私のところへ届けに来てくれようとしているのだろうけど、それもしなくて良いんですってば・・・。お願い、好きなようにさせてあげて。

「ああ、どこへ行っているのかなーと思っていたんだけど、そちらに居たんですね。良かったあ!」と色んな危惧を払拭出来たような気持ちになっていた。多少強引でも、三号さんは優しいし、白ちゃんも彼の事が大好きなようだし。

「いえ、なんか、病院へ連れて行っていったんですって。」と三号さんが仰るのを聴いてどよーん。

それから白ちゃんは私の部屋で深い眠りに落ちていた。

2時間3時間。

細々とした仕事をしている間にそれくらいは過ぎたのだが、一向に起きない。

が、ある瞬間、目を覚ましてきょろきょろしたかと思うと私の姿を見つけて「にゃん!」と抱っこをせがんで来た。ゴロゴロ言いながら。眠り切ってスッキリしたのね。

本当はこの時期、外の空気を吸いながら眠るのが好きなのだけど、諸事情により、うかうか外で寝ていられないんだよね、きっと。
201306281.JPG

その時、15年前から白ちゃんの面倒を看て下さっているという彼女からメールが来た。

「白はそこに居ますか?元気かどうか教えて下さるだけで良いです。お願いです。」と。

元気にしていますよ。ご飯を食べ終わって水も飲んでいますよと返信したのだけど、”なんで、今日病院へ連れて行ったことを言わないんだろう?”と思うとどよーん。なーんか不気味だなあ。

「うちで飼ってあげたいんだけど、白だけは本当にうちを嫌がるものだから。」

返信のしようがなかった。

で、本日はまた朝から「白はそこにいますか?久しぶりに病院に連れて行ってあげようと思って。」というメールが来た。

私はまだ自宅だったので、「まだ職場まで行っていないのでわかりません。もし居たらご連絡しますね。」とこれまた短く返信。

でも、そのメールを打っている時点で「ああー。こりゃ、白ちゃん、今日はうちにも来てくれないだろうなあ。」と悟った。

何故ならば何でも分かるのよね。こういう連絡来ちゃった日は察知して姿を見せない。

「さっき外にいたんでキャリーを持って来たらもう居なかったんですよ。察知したんでしょうね。」とまたメールが来る。

ええ、その通りだよ。

事務所についても白ちゃんはやっぱり居なくて、そのままカウンセリング四件。

その途中で「いませんか?5時で病院が閉まっちゃうんですけど。」というメールが来た。

申し訳ないことに、ええ、多分色んな意味で言っても分かって貰えないと思うがカウンセリング中、つまりは仕事中はてんぱっている。

「いないんです。」と言う短い返信しか出来なかった。

内心「居たら連絡するっちゅうただろう。」と付け加えたいくらいだったが。

で、この仕事、物凄く集中力が要るので、結構な精神的損害。

でも、思ったのだ。

5時で閉まると書いたメールを下さったから、白ちゃん、5時過ぎにここに帰って来るんだろうなあと。

そして、その予感もぴったり当たった。

何というか、人間のようにメールを覗き見したりしなくともかなりのことが分かるのだと思う。

風の中に言葉を読むのか、それともその犬の何倍もあると言われている猫の聴力がそれ以上のものを捉えるのか。

とっぷり日が暮れてやっと帰って来た白ちゃんは、のしのし入って来て、ご飯を山盛り食べて、またしても私の膝の上でぐーぐー寝入った。

ああ、もっと一緒に居たかったなあ。

突然目を開いて人の顔を見上げながら「にゃんっ!」と怒ったような声を出したのは、もしかして「あたしもだよ!」と言ったのだろうか。

*****************私という猫 ~呼び声~ (バーズコミックス スペシャル) [コミック] / イシデ 電 (著); 幻冬舎 (刊)

この本のとあるシーンでおいおいと泣いた。

これは猫だけの物語じゃない。

猫も人も同じ生き物で、生々しく生きていて、綺麗ごとばかりじゃない。

そして後世に何かを残して行ってくれる。

猫と言う生き物への愛を感じる作品だった。

綺麗ごと抜きだから、余計に美しく潔くさえ感じる。

人間はやるべきことをやる。

でも、そこに「すまない。」って気持ちが微塵も無くなった人、欠落している人、分かろうともしない人に表現しようとする言葉が私の中には無い。

私も彼女もあの人もこの人も、様々な勘違いを抱えたまま生きているのだろう。

けれども、だからこそ考える。

何が正しいとは決めつけず。

相手のことを多分、ずっとずっと考え続ける。膨大な時間を使って考える。

奪うことが簡単で、愚鈍なままやり続けることが出来てしまう一方で、与えることや愛すること、生かすことの何と難しいことか。

そんなことを考える。

我が身を振り返りながら。

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2013年06月24日

批判家

2年くらい前から九州からお越しいただいているクライアントさんのお話をずっとずっと聴いて来た。

初対面から様々な怒りがオーラにみなぎっているのを感じていたのだけど、それを表層化して語り出してくれたのは半年後くらいだったろうか。20130623.JPG

親御さんや配偶者さんのこと、お子さんのこと、ご友人のことなど、主に身近な人に対する怒りの話題が多かったが、その中には古い怒りから新しい怒りに至るまで様々な時代の怒りがあった。

ずっとずっと怒りを出して行く作業が続いた。

考え方や自意識の置き所を変えない限り新しい怒りというのは毎日生産されて行くのでキリがないと分かっていつつも、まずはそれが第一歩だった。

身近な人に関する話題がひとしきり落ち着くと「”元気ですかー?”とか”元気があれば何でも出来る!”というあの言葉を聴くとムカムカする。ふざけるなっての!」と流行語についての怒りも次々出て来ていた。

で、最近は”いつやるか?今でしょ!”に腹を立てていらして、その他にも芸能人が口にする鬱に対する不理解な言葉を一つ一つあげてはテーブルを叩いたり涙を流したり。

でも、ある時、ふと彼女の心のスペースが空いた瞬間があったので、こう言ったのだ。

あのさ。皆、あなたに言っているわけじゃないんですよ。ということを。

身近な人の不理解に対する怒りは100歩譲って仕方ない。誰だって身近な人には分かって貰いたいと思うものね。

でも、巷に溢れている自分に向けられているわけじゃない言葉をいちいち自分で拾って、自分で自分を攻撃するから酷く悲しくなったり怒りがいつまでも消えないのではないかな。

周りの人に自分の辛さを訴える。

でも、人間というのは、互いの気持ちなんてなかなか分からない。(意外にも分かって貰えない!と怒っている人の方が誰の気持ちも分かっていなかったりもする。)

求められた方はそれなりに頭を捻って何か言おうとしたり何かしようとしたりするのだけど、それに対して「違う。そんなの欲しくない!」と逆に批判されたり心を閉ざされたりするので、やがては周りに誰も居なくなってしまう。

誰だって人を傷つけるのは嫌だから。

そうすると現代って時代はフェイスブックだのツィッター、ブログなどがあるので、今度は遠ーーい見知らぬ人物にゲームを仕掛け始めるとか。

ゲームというのはその時は白熱して、さも人と関わっているかのような感覚に陥るので一時的に孤独が癒えるような気がするのかも知れない。例えばそれが不毛なやり取りだったとしても。

ところがあくまでそれは、”気がする”というだけなので、後に残るのはますます乾いて卑屈になった心ばかり。

「あ、そか。私に言っているわけじゃないのか。私って自意識過剰だね。世の中の人間全員に分かって貰いたいと思っていたり、人が言うこと、全部自分に向かって言っているような気がしたり。そして世の中全員に自分を傷つけることを言うなって言っているんだね。」というストレートが言葉が返って来たので彼女の理解度は病の最中においても凄いと思う。

でも、普通の人は知らない人の記事を読んでも自分のことを言われていると思い込むことなんてざらにあるのおね。

辛い言葉を全部カットするというのも、それはそれで問題があるのだけど、素直な気持ちとはかけ離れたところで、見えない世の中という相手に生涯怒り続けるというも被害者の脚本だ。

そして被害者は他者にも被害者になることを求めたり、誰にどれだけのものを貰っても踏みつけるばかり。

**********************

そんなやり取りがあった彼女が一冊の本を持って来てくれた。

もう3年目にさしかかる頃のことだった。風童 ーかぜわらしー (ビッグ コミックス〔スペシャル〕) [コミック] / 小学館 (著); 小学館 (刊)
「いやあ、私、この話に出てくる寝たきりのお爺さんそっくりだ。」と笑いながら語ってくれる。

あるところにお嫁に行くことをあきらめてお歳よりの面倒を看ていた女性がいた。

しかし、その女性はある日老人を置いて出て行ってしまう。

可哀そうに思った少女が赤の他人であるのにも関わらず引き続きその老人の介護を始めたのだが、老人がどんどん我儘になって行き、少女は先の女性が出て行った理由を身に沁みて理解した。

そこへ風童が現れて教えてくれる。「嫌な事を止められたら良いね」ということと、人に何かを施したり人を愛す喜びを知らない人は、親切にされればされるほど我儘になって行ってしまうのだと言うこと。

不足なものや気に入らないことばかりを探して、面倒を看てくれている少女に辛くあたる老人に弱者を装った支配欲を見たという。

”あれしてくれない、これしてくれない。ああしてくれれば良いのに。”

そう言えば、彼女自身もずっとずっと良い人を演じて来た60代だった。

教えられた道徳に従って来て、その道徳に反発したり憎んだりしながらも今はこの世界に道徳を押し付けようとしている。

「どうしてこういうことになったのか?と言うと多分自分で考えて来なかったからだと思う。」と彼女が語ってくれた。

「怒ったり泣きついたり、その反応にまた怒ったりの60何年。自分の頭で考えて来なかったからだと思いました。」

同じ言葉でも、もしも彼女が自分で自分を責めていたのなら違うニュアンスに聴こえただろうけど、彼女はあくまで客観的に自分を語っていた。

ある意味、人ばかり見ることを止めたのだろう。

無意味な比較とか競争とか嫉妬とか。サバイバルの世界を抜けた後、そこには自分に責任を持つ世界が待っている。

それはそれで大変でないと言えば嘘になるが、少なくともそこには共生するソウルメイトが幾人も現れる。

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2013年05月04日

ジャンルを超えた音

今日は仕事の後、夫と杏ふるやさんのライブへ行った。

彼女は私たちが若い頃にブレイクしていた某バンドのドラマーさんの奥様で近所の町にお店を構えていらっしゃる。

私は田舎に居る頃、8つ上の叔父を「あんちゃん。」と呼んでいて、親と離れ祖父と祖母の元で暮らす私にとって、まさに彼がお兄ちゃん代わりだった。20130503.JPG

このお兄ちゃんはとても気が優しくて、一部の親戚や祖母が私に母のことについてあたると「かおるに言ってどうするんだよ。まだこんなに小さいのに。」と庇ってはよくよく可愛がってくれていた。

しかしこの気の優しい兄ちゃんはとんでもない不良で。(笑)

彼は5人兄弟の末っ子でたった一人の男の子だったせいか、特別可愛がられていたのだが、初めて買った車で事故を起こして、わずか18歳で他界した。私が小学校4年生の頃だった。

それが私が人生で初めて体験した愛する人の死だったのだけど。

死とうものの意味が分からなくて、それからも毎日あんちゃんの帰って来るバイクの音を夕刻になると聴きつけては毎日のように『おかえり!』と窓を開けていた。(多分本当に帰って来ていたのだと思う。)

そのあんちゃんがいつもこのバンドのレコードを聴いていたので私も自ずとファンになっていた。

それから何十年も経って、結婚してからしばらくのこと、某焼き鳥屋さんであんちゃんのスターだった人と会い、しかも自分の娘の誕生会に同席してくれたりするというこの不思議。

あんちゃんが生きていたら本当にビックリするだろうなあと今でも度々思う。

そして、多分あんちゃんも、もしも生きていたら彼の奥様の歌声やその試みを知ったらきっと感動したことだろう。

初めて聴いたのは多分もう10年くらい前になると思う。

当時から既にポップスもロックも民謡も時代も、あらゆるくくりを越えた演奏をなさっていたのだが、それは本当に不思議な世界だった。

そして今回はつい先日、夫に「今度あそこでリサイタルやるから是非奥様と一緒にいらして。」と声をかけて下さったので、久しぶりに聴きに行ったのが今夜だった。

パワーアップしていた。

もちろん普通に普通の歌を歌っても素敵なのだけど、秋田音頭やこきりこ節やソーラン節などがロック調になったりジャズになっていたりする。

ピアノやキーボードやマリンバやベースで民謡を聴くこの不思議。

メンバーのJIGENさんという方は被災地の中でもTVに映らないような小さな仮設の集落へしょっちゅう出向いては演奏活動をなさっているのだが、特注のベースは三味線にも劣らないし現代のロックにも劣らない不思議な激しさを放っていた。

はたまた2年前にブルースハープで最年少で賞を取ったという現在高校三年生の男の子が奏でる音色も素敵だった。

あれって、何でちゃんとブルースっぽい音を出せるんだろう?若いのに不思議だ。

ステージで杏さんが「苦労しているの?」と尋ねると、会場からどっという笑いが出ていた。

きっとそういう魂っていうのがあるのだろう。

そして杏さんはあのカフェバーを運営しつつあらゆる楽器の教室も開かれていて、多分ハープの彼も教え子のお一人なのかも知れないが、その他にも”奥様ーズ”というのを結成されている。(先のジャンルを超えたユニットの方は歌民というグループだそうだ。)

で、この奥様ーズの方々もそのお店に集い色んな楽器やダンスを習って来られたクチなのだろうけど、ずらりと大勢登場なさった際にはビックリした。

まずはハワイアンの恰好で全員ウクレレを持って現れた。

多分なんだけど、ほとんどの方が私と同じくらいのおばさんなのだけど、まあ、その演奏の可愛らしさとコミカルさとド迫力。

途中途中で入るアドリブにも大爆笑だった。でも、技術的に物凄く高いの。

私が特に釘付けになったのは、杏さんの隣にたっていたころんと体格の良い中年女性だった。

とっても良い笑顔だし、ダンスも上手。でも、物凄く面白い。

まあ、何てパワフルなお母様方だろうと思った。

この後、また違う幕で、今度は全員ウエスタン調の恰好で現れて、またしても素敵なダンスと歌を披露して下さった。

会場の最前列は車いすの方々で占められていたが、全員の残らず大笑いしたり涙ぐんだりして楽しんでいる様子だった。

一時間半の予定だったのだけど、二時間くらいになってしまい、会場を出るときわざわざ杏さんは気さくに挨拶して下さって手を握り「わあ、久しぶりですけど、ますますお綺麗で。」と仰って下さるのだが、この方こそ還暦を迎えようとしていらっしゃるというのに、絶対私より年下に見える。

そして私はその後、どさくさに紛れて先ほどの中年女性の群れに突っ込んで行き、先ほどのおばちゃんに握手をお願いしたらビックリしていらっしゃった。

夫もビックリしていたのだけど、わけを話したら「ああ、なるほどー。わかるわかる。」と道すがら理解してくれた。母や妻が元気で好きなことしているって本当に良いわ。

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帰り際、そのホールの近所なので再び夫とBuzzのドアをくぐる。

やあ、ママ、お久しぶり!と言うと爆笑。← 昨日も来たじゃんね。

やっぱり叶わない美味しい料理を食べて、良い時間になった頃、夫の方はまだ飲み足りなさそうにしていたので「行っておいてでよ。私はちょっとまだ仕事があるから。」と二手に分かれた。

今夜も綺麗な月だった。

あんちゃん、お別れしてからもう36年も経っちまったね。でも、覚えているよ。

今夜のあの音楽を空の上か、あるいは転生した姿でも、どこかで何らかの形で聴いていてくれたなら、きっとあんちゃんも感動していることだろう。

それにしても今年は寒いなあ。

毎年GWでも四月の末のうちに事務所のホットカーペットをはずすのだけど、今年はまだまだ白ちゃんが「取らないでくれにゃ。」と伸び伸び身体を伸ばしている。

皆さんが風邪などひかれませんように。

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今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。
今日が あなたにとって良い一日でありますように。


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2013年02月28日

ペコロスの母に会いに行く / くじけないで / マッスル白せんせ

ああ、寒い、寒い。

遠方からお越し下さるお客様も寒かったことだろうと思う。

カウンセリング後のレイキヒーリングの際、湯たんぽを入れさせていただいたら、本日同じコースをご希望だったお客様のお二方とも心地よい眠りに落ちて行かれた。

そのまま寝かせてさしあげたいし、最後の方に至ってはある程度それが可能だったというのに、不思議なことに皆さん終了と同時に目を覚まされる。

そうして、「うわあ、景色が明るくなっている。」とか「スッキリした!」と感想を下さる。

レイキの講座は受けたことがなく自己ヒーリングもなさったことがない冷え性の方に、帰り際、カイロを渡す。

皆、風邪ひきませように。

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ペコロスの母に会いに行く
昨日、Bちゃんに貸していただいた本。

病院で働いていた頃に出会ったご老人の数々を思い出す。そして、今は訪問入浴ナースとしてお邪魔する際に度々出会うタイプのお爺ちゃんやお婆ちゃんのことを。そして、そこに寄り添うこれまた高齢の娘さんや息子さんたちのことを。

まだ三分の一も読んでいないうちから本気で爆笑したり泣いたりして、思わず途中でBちゃんにメールした。

何と絶賛して良いのか言葉が見当たらなかったのだけど、とにかくありがとう!と。これ、素晴らしい!。

老いることも死ぬことも生きることも決して綺麗なことではないのよね。

漫画だけでも充分心が動くのだけど、間に挟まれている短いエッセイに涙が出る。

アル中だったお婆ちゃんの旦那様のエピソードを聴いていると、もしかしてその幻聴や幻覚や誰かに追われるという妄想は、統合失調症の症状だったのではないか?という可能性を思わせる。

でも、多分、時代背景もあいまって、その苦しい症状を抱えながらも家族を養うために会社を勤め上げたのだろう。そりゃあ必死だったろうし無理せざる得なかったのだろう。

今は亡きお爺ちゃんがトイレで下血して意識を失っていたときのことなど、漫画やエッセイなのでさらりと書いてあるのだけど、この息子さんの苦労は半端ない。親がそんな状況になっているというだけでもショッキングなのだけど、下血って物凄い匂いがするし掃除も清拭も半端なく大変。

生きることも死ぬことも病気になる人も看病する人も、色んな匂いを嗅ぎ、色んな時代をタイムスリップしては、尚且つ自分自身の人生をも生きなければならない。

ところが、この漫画にはちっとも悲壮感がない。

九州出身の方だったら、もしかしたら人の何倍もニュアンスを読み取って楽しめるかも知れない。

”さっき、お父さんが来とったよ。ねえ、ワイがボケてお父さんに会えるやんたっら、ボケるのも悪いことじゃないね。”

お婆ちゃんも息子さんも亡きお爺ちゃんもお孫さんも、皆、皆、愛し過ぎる。

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全て読み終えたとき、Bちゃんのことを考えていた。それはBちゃんが体験して来た境遇のこと。

そしてうちの場合は夫妻が逆バージョンだったけど、同じように辛い体験だったこと。

そして同時に、著者さんが背負って来たものと、今も背負っているものについて。

しかし、生き抜いて来た果てにそこには愛が溢れている。

私たちの前の世代の方々もその前の世代の方々も、皆一生懸命生きて来られたのだろう。

でも、とにかく笑う。そして、リアル。だからこそ可愛くて愛しくて切なくて。

よろしかったら、読んで観て下さい。

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この"ペコロスの母に会いに行く"を読んで思い出した。
『くじけないで』『百歳』セット 2巻セット
90 歳を過ぎて詩を書き始めた トヨさんの作品集。

表題のくじけないでって作品はもちろんのこと、全ての言葉がシンプルで、心に染み入って来る。

本当に全ての詩が温かく、そして優しく可愛らしいのでピックアップするのは難しいんだけど、私は個人的にこの詩が好き。

先生に

 

私を

おばあちゃん と

呼ばないで

「今日は何曜日?」

「9+9は幾つ?」

そんな バカな質問も

しないでほしい

 

「柴田さん

西条八十の詩は

好きですか?

小泉内閣を

どう思います?」

こんな質問なら

うれしいわ


あと、”化粧”とか”二時間あれば”って作品も素敵に可愛いです。

この2冊は、永遠の少女、少年のストーリーが濃縮されている。

いつまでもいつまでもそこに居て欲しい。

幸せでいて欲しい。

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全然関係ない話なんだけど。

昨日、カウンセラーズトレーニングの会の最中に、白ちゃんがベランダの外に出ようと思ったようだ。

お天気の良くて暖かい日には、よく網戸にしていたので、その網戸を開けてベランダに出て優雅に日向ぼっこをしていることがあった。(閉めて行かないけどね。)201302272.JPG

そして、気が済めばまた部屋に入って来るので好きにしていて貰っていた。ある時は”あれ?居ないぞ?”と思っていたら何と、玄関側から帰って来るということも度々あった。

ベランダ続きの同じ階の皆さんのところへそのまま行って「よ。」と挨拶しては好きなだけお邪魔して来るのだろう。

しかし、季節は冬。

寒いので、網戸なんてとんでもないってことで、サッシのドアをきっちり閉めていたわけである。

この会ではどの場面でも重要な話、おもしろい話が続く。短時間の間に話しきらなければならないってのもあって実に気の抜けない貴重な時間なのだ。お一人お一人が、心理的に今どこに居るのか?というのを把握するのも重要なところだし。

しかし、やはりその傍ら、白ちゃんの動向も魚眼でチェックしているので内心「お。ベランダに出たいのだな。」ということは分かっていた。

が、次の瞬間、私は話の腰をへし折って「ええっ!?」と後ろを振り返らずにはいられなかった。

だって、サッシのドアが開く音がしたのだもの。

そんなバカなと思って見ると、丁度2センチほど開けたところだった。そのドアは重いぞ。よく開けたなーと驚いて皆で見ていたところ、そこからが凄かった。

普段老猫の白ちゃん。どう見ても弱弱しそう。そりゃあ獣だから野性的な顔をしているときもあるのだけど。

その白ちゃんが全身筋肉モリモリのマッスル猫状態になっていた。

オーディオが邪魔な場所に置いてあるのをモノともせず、しかと両の足を踏ん張って「くくくっっ!くのやろうっ!」と言う感じで、とうとう開けて出て行った。

フローリングの床から立ち上がり、あれだけ踏ん張って、良く滑らなかったものだなと思う。肉球がスパイクに進化してる?にしても、凄い力だった。

そうして、しばらくして、カウンセラーの皆さんがワークのためにこぞって出かけて行く際、するっ!と玄関から帰って来たので笑った。201302271.JPG

さすが・・日々、あの小柄な身体で一階から三階まで上り下りしているだけある。それともジムでも通ってんのかな。

そして、夜がふけて二人きりになったあと、目をまん丸くして「うにゃあーーーん黒ハート」と甘えて来るのだから、もういったい何が何だか分からない。

今日は仕事の後の恒例の楽しみのために、カーペットに横になって読書を始めたのだが、腕枕で寝ていたところ、私がその本を読んで泣きだしたので、がバッと起き上がり顔面を近付けて来る。

良いから、大丈夫、これ、本だから!というのだけど、白ちゃんは頭を撫でてくれたり、涙を肉球で抑えたりと、善意の邪魔をしてくれた。

どんだけ可愛いんですか。

これからもおしっこたれ同士仲良くして下さい。
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2013年02月20日

雪の中のハチ公とか昼ワイン / 信長協奏曲 / 先祖になる

雪が降ったので「訪問入浴中ですか?」というメールが来た。(笑)

いいえ。計画的なオフをもうけていました。先月から予定してワクワクと。

BちゃんとMさんとで渋谷で待ち合わせて映画を観て遅めのランチを。

うーん、昼間から飲めるなんて幸せ。← いやいや、飲んでたのおまえだけだから。

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信長協奏曲 (1-4巻 最新刊)
例えば現代から過去の時代へタイムスリップするという設定の物語は沢山ある。そんな中でも戦国時代へ飛ぶってストーリーは多いみたい。

この漫画もそんなよくありそうな類の話なのだけど、見どころは今時の高校生の男の子が、色々としがらみが多い上にいつ命を取られるか分からない恐ろしい時代にタイムスリップするというところ。

でも、彼の立ち振る舞いがすがすがしいんだな、これが。

主人公の他にも幾人かが同じように現代から戦国時代へ飛んでしまって嘆いたり深刻になっているのだけど、彼はけろっとしている。でも、決して何も考えていないわけではない。

そんな中、彼と同じ現代からタイムスリップして来たプロ野球選手がさめざめと泣いているのは当然と言えば当然のこと。

どんな人間だって、今まで自分が居た世界がいきなり失われて、過酷な環境に放り出されたら嘆いたりパニックになるのが打倒だろう。

しかし、あまりにけろっとしている高校生に黒人プロ野球選手が泣きながら「どうしてこんなことになったんでしょう?」と言うと、彼は言う。「さあ。何かの事故に遭っちゃったようなものじゃない?」と。

「・・・・・・・・・・。あんた、何だか軽いね。」と泣きやむ大人を前にして「そんなことないでしょ。」と言いつつ、目の前の時代を生き抜くために感覚と頭を動かす高校生だった。

不思議なことに、その格式ばった時代においての型にはまらない行動が史実とマッチしてしまうので、本当にそうだったんじゃないか?とさえ思ってしまう。

ちなみにこれは『信長のシェフ』とか『女信長』でも、そう思わされたけどね。

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この漫画の話題が出たのは、先日、とあるカウンセラーさんとのセッション中のことだった。

かつての私は、子供の頃のしんどい体験を、ある日ふと「事故に遭ったようなもんだな。」と感じて軽くなったことがあった。

親子関係とかあらゆる人間関係も、病気もリストラもありとあらゆる問題の全てとは言えないだろうけど、少なくとも一部は事故のような側面がある。

大抵の人は故意に人を傷つけようとしてそうするのではないし、長いこと人生を生きて色んな人に会い色んな体験をするうちに、やがて親も一人の人間だったんだと、そんな普通のことが分かるようになる。

ただ、必死で生きていただけなんだと。

でも、それはあくまで理論。

いきなりそんなふうに感じられるわけはない。

人間は、起こった出来事や現実を真正面から受け止めて、きちんと腹を立てたりきちんと自分の頭で考えたり、時に泣いて浄化することが必要なときにはきちんと泣いて。

そうして、生身の自分の身体や感情と付き合ってから初めて、そこを乗り越えられる日が来るのだと思う。

ただ、それは急ぐ必要はない。全ては必要なプロセスだから。

でも、いつまでも綺麗事ばかりでまとめようとしていると永遠にその日が来ないのは確かで、そんな自分の抑圧された感情に気が付けない自称良い人が、どんどん他人を事故に巻き込んでいることもある。

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渋谷で”先祖になる”を観て来た。

良いドキュメントを早めに教えて貰えたおかげで念願の爺ちゃんに会えた。幸せ。

ぐっと来て慌ててハンカチを取り出そうとすると、隣のBちゃんもバタバタと同じ動きをしているので一瞬笑った。その向こうのMさんはその前からハンカチを握りしめている模様。それでいて、それぞれの世界を邪魔しないという、私にとってはとても素敵な時間に感じられた。

”家が流されたらまた建てれば良い。大昔から人はそうやってこの土地で生きて来た。”

『男の名は佐藤直志。岩手県陸前高田市で農林業を営み、仲間から“親分”と慕われている。彼の家は1000年に1度の大津波で壊され、消防団員の長男は波にのまれた。生きがいを失った男に何ができるのか? 直志はひとつの決断をくだす。元の場所に家を建て直そうというのだ。自分はきこりだ。山に入って木を伐ればいい。友人から田んぼを借り、田植えもしよう。仮設住宅には何があってもいかない――。』

丁度、うちのお義父さんくらいの年齢。頑固だ。でも、優しい。

人は強くないと優しく出来ない。それを知っている人。

厳しい時代を生き抜いて来た人独特の頑固さとユーモアさ加減に妙に落ち着いちゃって、その肉声と姿を目の当たりにしているだけで眠くなってきちゃうんだよねえ。そのくせ、涙が次々にあふれて来る。

彼は多くのことを知っている。

お役所からのお使いのお兄ちゃんに青筋立ててモノ申しながらも、その帰り際に、ガっ!と彼の手を掴んで「お疲れさん。頑張れよ。」と言った。

爺ちゃんは何でも知っている。

仕事上、立場上、これをやって来い、こう言って来い、こういうふうに丸め込んで来いというようなことを言われたかも知れないし、それを全うしなければならない相手の立場も。

流されてしまった自分の息子さんを投影したのだろうか。戦っている相手なのに『頑張ってな』と言わずにいられなかった。

そして、瞬間的にその手から逃れようとする青年(まあ、爺ちゃんから見れば皆子供。)は、本能的に逃げなければ!と思ったのかも知れない。

”自分の仕事をするには、心に触れてはいけない!”と恐れるかのように。

ほんの数秒の場面だったが、やがて両方の手を掴まれた青年は『まいった・・・』と言わんばかりに爺ちゃんの前で両膝をついた。

爺ちゃんは知っている。

本当に思って言っている人間同士の言葉と、理屈や体裁でなされる言葉との差を。

だから、機械モードに入っている相手の話は聴かない。それを頑固と言われる。

しかし、それが分かっていたから、あの大きな大きな、おそらくはとても熱い体温の手で、相手の手を握って伝えたのだろう。”こうだ。話ってのは、こうやって交わすんだぞ。”と。

それとは別に、私は”この感じ、何かに似ているなあ?”と思っていたのだけど、やがて、『ああ、そうか。いつも見ている光景だ。』と気が付く。

全員ではないけれど、多くのクライアントさんたちが、心の被災を体験して事務所を訪れる。

津波や地震と一緒にしてはいけないと言われるかも知れないが人によっては、それ以上の世界の崩壊を味わって訪れる。

中には幼い頃からずっと地面が揺れているような状態で生き抜いて来た人や、ある日突然自分の世界が崩壊してしまうような体験を抱えて。

それを自覚出来ている人は実はほとんどいないが『何かおかしい、何かが違う。何かがやばい。』と朦朧として訪れる人が、他人から見たらただの陽気で幸せな人にしか見えないことだってあるのだ。

でも、やがて本当の感情を出して、自分の頭で考えて視野が広がり、時が満ちると、多くの人が再び”自分の家”や”自分の世界”を再構築し始める。

多くの人は”破片が刺さっていますよ”とか”死にそうですよ”ってなことに気が付かないのだけど、それも過去の生きる術だった。

認めちゃったら痛くて耐えられないと思っていたから大昔からかけていた麻酔かも知れない。でも、その麻酔を解いた後、皆、今度は壊れにくい自分を再構築し始めるのだ。

多くの家が津波で崩壊してバラバラになる中で、あの爺ちゃんが創った家や、昔の宮大工が創った神社はビクともしていなかった。

あんなふうに、どんな衝撃が来ても水平さを保っていられる家、揺らがない自分を創るために、突貫工事や幼い技術で作ったかつての自分を自ら壊してしまう人も居る。

昔の、見てくれが良い家や突貫工事でも見栄で固められた家に寄って来た人とは住まわなくなるかも知れない。でも、そこにまた新しい出会いがある。

家を建てる。

それはちょっと心の世界のことと似ている。

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人は心が元気だと動ける。大抵のことは乗り越えられる。

でも、逆に心がしんどいとわずか30センチのハードルもまたげないかも知れない。

心が元気って、どういうことか?というと、あの爺ちゃんが自分で作った柱の水平さを誇っていたときのような状態かも知れない。

本当は悲しいことがいっぱいあるのだけど、一生懸命胸を張れることがあるってことなのかも知れない。そしてそれを自分が認められるということ。

素晴らしい作品の一作で、とりとめもなくいつまでも色んなことを感じ続けた。

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2013年02月10日

門出 / 些細なことシリーズ / インソムリア / アンカが入っていた

最近は突発的なご予約に対応できることが少なく、そんなわけでJさんとの電話カウンセリングもずいぶん経ってからお受けすることが出来たのだけど。

問題によっては数年間に渡って続いてしまう議題がカウンセリングにはしばしば登場するが、その問題のほとんどは、ごく初期に原因が見えてしまっているというのもまた一面の真実だったりする。

ただ、人という生き物は原因が分かっていても個人の体験や思い込みなどが原因で、変化を嫌う生き物でもある。

それでしばしば人間が対象でも職場が対象であっても、しがみつきという現象が起こってしまうのだけど、なるべく早くに手放した方が良いことも沢山ある。

例えばそれを握りしめていることによって鬱になってしまうとか、悪化してしまうようなことがあれば尚のこと。

最近ではネットを初めとする情報ツールが沢山あるので鬱などの心の不調に対しても大抵の人が一般的なマニュアルを知っている。

でも、それを鵜呑みにするのも非常に危険な部分があるのよね。

例えば、”鬱のときには大きな決断をするな。動くな。”という言葉も有名で、元々鬱を発症する人というのは聡明で素直で真面目な人が多いもんで、これまた真面目にその教えに従うのだけど。

マニュアル化出来ないことってこの世に沢山あるのよ。

例えば、自分が居る場所が大火事になっていたり、刃物を振り回す人間が居るというのに『鬱だから動くな。』っていうのはおかしいよね。私だったら、もー!良いから!何も考えないでとりあえずは逃げろ!動け!と言う。

そういうときに、「以前、急に走ったときに転んだからそれが心の傷になっていて・・・」という人は居ないと思うのだが、たくさん居るんだな、これが。

そんなわけで、今日は良いエピソードを聴けて良かったなあ〜と思った。

この春、旅立つ彼女にエールを送りたい。

********************

先日、些細なことシリーズを書いた際に、ダンボール魔の話を書いたのだが。

先日、Rさんがお越しの折りに「あれ、読んだけど、私もそういうタイプ。」というのを聴いて爆笑。

分かる分かる。真面目で几帳面だもんね。

でも、Rさんの場合は他人様にそれを強いることはないだろうし、同居しているわけじゃないから無害ですわ。

そして、それに引き続き再び些細なことシリーズ。

真夜中に、夫が寝返りを打つ際に、こちら側に向く際には潰される危険性があり、向こう側に向く際には、布団と毛布をそのまま巻き込んで取り上げられる。

おかげで私は凍えながら怒るのだが、やはり起きない。

そこで、今は使われていない隣の和室に真夜中や明け方に移動して、そこに布団を敷いて寝る作戦を試みたのだが、朝目を覚ますと、いつの間にかその狭い布団の横に熊が寝ていてぎゃああああ!
とビックリしたり、はたまたある時は、いつの間にか元のベッドに戻されて、同じく凍えて目を覚ます。

私はレイキを始めてから基礎体温が1.5度ほどあがって免疫力も良くなったせいか、流感はおろかノロもインフルにもかかったことがない。
しかし、例え1.5℃上がったとしても普通の人に比べれば低体温は低体温。さらに、入眠中には体温が下がるので、この仕打ちは殺人的だ。

聴くところによると、トイレなどに起きた際「あれ、いない。」と気付くと、その帰りに和室の方へ曲がって隣に潜り込んで来るか、あるいはベッドに抱きかかえて連れ戻しているらしい。← 私もこれだけのことをされておきながら起きないんじゃん。

そうすると、朝凍えているという同じ結果になるので猛然と怒ったところ、「どこが寒いんだよ。」と言われて愕然とする。

普通の人間は例え男性でも冬になればトレーナーやセーターを着るのに、この人は「暑い」と言って真冬でもシャツ一枚で過ごす。

しかし、人間に対して想像力のない熊とは一緒に暮らせねーと思う。

*******************
インソムニア(1) (電撃ジャパンコミックス) [コミック] / 外薗昌也 (著); アスキー・メディアワークス (刊)
”脳男”という漫画を読んで面白かったので、他のも面白いかな?と思って”犬神”という作品を読んだところ、これも気に入った。非常に切ない話ではあったが、テーマが深いなあと感銘を受ける。

じゃあ、他には何があるのかな?と、今回のこれを取り寄せて読んだ次第。

でも・・・・、やばいよ、これ。

怪談も描かれるのかと、これも初めて知ったのだけど、私は怪談自体は嫌いじゃない。

自分自身も幼い頃からあれは何だったんだろ?という体験を無数にしているのだけど、未だに分からないことも多いので、解明したくて惹かれるってのが一番の理由かも知れない。

現に、そういったことって脳が現実生活に対処するために情報処理してくれちゃうので、どんなにセンセーショナルな出来事でも「あれは夢だったのかな?」と思ったり、あるいは綺麗さっぱり忘れていたりするものだ。

で、怪談を扱った漫画や小説というのは、それがどんなに実話だとうたっていても怖いと思うことは少ない。

中には本物ののストーリーも混じっているなと分かることもあるのだけど、怖いというより、「うわー、こういう人間は生きていても、霊になっても、面倒臭いやつだなあ。」と思う程度。

今でも時々遭遇すると、話しかけられようものなら、第一段階では無視。

でも、しつこいようだと「誰が話しかけて良いって言ったあっ!」と恫喝する。

部屋に入って来ようものなら、「誰が入って来て良いと言った!働いて家賃稼いで来たら考えてやっても良いぞ!」と恫喝することも。

そんなことしているうちに、知らない人は生きていようが死んでいようが、勝手に近づくとあんまり良いことが無いと分かったせいか、あんまりちょっかいをかけて来なくなった。

そう、私、特に自殺した人間には決してやさしくしないの。しかも、人様に迷惑をかけるようなやり方で死んでおきながら、まだ何か不平や不満言っているやつとか。

話は逸れてしまったが、まあ、そんなわけで大抵の本は怖くないわけで。ええ、しかも漫画や活字の中のことですし。

ところが、このインソムリアはやばかった。

漫画としては、そんなに大した話じゃないと思って読み進めていたんだけど、何というのか、背筋が寒くなって来る。(ああ、もちろん、生きている人間相手でも、こういう人はいるけどね。)

禍々しいんだわ。

割と平気なことが多い私でも、この本は持ってちゃやばいな・・・と思って、初めて入手したその日に手放したくらいだ。

でも、それだけ本物だとも言える。

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いやあ、今日は寒いもん読んじゃったなあ、怖かったなあ、で、リアルにああいう不浄霊が出たら、絶対許さんし恫喝すべきだな。ちきしょ、こんなに寒くしやがって!と思いつつ家に辿り着いたのだが。

夫の顔を見ると、些細なことシリーズを思い出してむかっ腹が立ってきた。

しかし、仕事で疲れていたので、いつものように私は壁側に、夫はその反対側に寝たのだが。

???????

何、これ、あったかいんだけど。なんか、入っている。

「アンカを二個買って来てね。一つ湯たんぽ形式で、こちらはレンジでチンするタイプ。足のところに置いておくね。寒いんだもんね。」と夫が言う。

じーーんと来た。熊なりに人間に歩み寄ってくれた。多分暇さえできれば今日一日中考えていたのだろう。

やばい本読んだせいで余計に冷え冷えしていたのだが、ほう。。。あったかい。そして、その気持ちが嬉しい。

とっても嬉しかった。


しかし、その翌朝、布団全て床に落とされていて、そこに残されていたのは震えながら湯たんぽにしがみつく私だった。

ダメだこりゃ。

別々に寝よう。

そう言うと、白ちゃん的な目で「何で?」と訊いて来る。

寝袋ってもんは嫌いだから、ダウン着て寝るか。← 自宅なのにいったい何故。
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2013年02月08日

ボストンリーガル / Kちゃんの一歩 / 心で感じ取るということ / 来るな

ボストン・リーガル シーズン1 SEASONSコンパクト・ボックス|ジェームズ・スペイダー|20世紀フォックスホームエンターテイメン|送料無料
ここ6〜7年、アメリカのTVドラマを観るのが好きなのだけど、今はこれ。弁護士さんたちの物語は多いけど、ちょっとこれ、普通じゃない。

滅茶苦茶なところもあるのだけど、大真面目なところもあり。

主役格は伝説の弁護士と呼ばれたデニー・クレインという老弁護士と、アラン・ショアという40代の弁護士。

固い法律や固い事務所の雰囲気の中で二人だけ物凄くアウトロー。

訴訟内容も滅茶苦茶な懸案が多いのだけど、どんな弁護をするのかというのもいちいち楽しみ。

はまる理由は多々あれど、自分のことを悪者だと思っているというのに、結局はその知能を弱い人や困った人の味方をするために使っているところ。(二人は決して認めないだろうけど。)

だから、綺麗事ばかりを言っていたり良い人ぶって正義を振りかざしている側が次々と敗訴していったりする。

ついでに言うと、人を助けるために、どうしても裁判に勝とうとするデニーやアランが出して来る奥の手が奇想天外で見もの。

本当のところ、物事の善悪って決めつけられなくて、二人はそれを知っているからこそ決めつけない。

今、レンタルしてシーズン2の途中まで観ている最中なのだけど、私を含むある一部の人はゲラゲラ笑ったり感心したり涙したり、で、やっぱり、ぶぶっ!と吹き出すと思う。

自分の頭で考えるって大事。

優秀さと馬鹿さ加減。

そして、どの海外ものでそうなのだけど、長く見ていると出演者の誰もが良い味出しているなーと親しみが湧いて来る。

***************

さあ、今日はKちゃんがロールプレーの練習に励みに来る日でもあった。

私はこれを”さあ、始めるよ。”と言わずに勝手に気づかれないように始めたところ、満点だった。

純粋に相手の世界に興味を持ち、相手が何を観て何を感じているのか?ということだけを考えて聴いているので持前の好奇心や受容力や共感能力が発揮されていた

はい、OK!と言われたときにはビックリしていたのだけど、同時にKちゃんがポロポロと泣きだした。

本当に一生懸命やったことって、出来ないときには物凄く悔しいものの、本当に出来ちゃったときには、ものすごーーく嬉しいんだよね。

********************

人には感受性というものがある。

カウンセラーという商売はただ繊細なだけでは仕方ない。その繊細さをも含む自分の感性を使ってセッションに役立てなければ、それはただの不安定な人ということになる。

ところで、先述したように、一生懸命やったことって、結果がどうあれ泣くほどの喜びや悔しさを感じることもある。

そして、今日は名古屋から月に一度Tさんがお越し下さる日でもあったのだが、何と、Tさんは感情というものについて勉強した今日の章で沢山の涙を流されていた。

感情の法則の章を聴いて、ポロポロと泣いた人は初めてである。

中には何も感じずに聞き流した人もいたことだろう。「ふーん、そういうもんなんだ。」とか「それは分かっているんですけどねえ。」とか、あるいは「そんなの知っていました。」と言わんばかりの人もいた。

私はこの通過点である”感情”というものについての学びを最も大事なものだと認識しているのだが、いかんせん、相手もそう思ってくれるとは限らないわけ。

なもんで、同じコースを卒業していったカウンセラーさんやもう実際に活躍している方々でさえ、未だにわかっていない人も多い。

どこでそこが分かるのか?というと、未だに誰かのせいで自分が腹を立てていると思い込んでいたり、過度の一般化とも思える言葉を連発していることが多いから。

「生意気な女!(ああいうことを言う女は。)」とか、「男は嫌い。」とか「体育会系は嫌い。」とか「本ばかり読む人は嫌い。」とか、いずれも過度の一般化でしかない。

「こういう理由で人は結婚するんだなあ。」というときの”人は”と定義している際に危ない。

中には依存するためにパートナーを探したり寂しい寂しい心細い、ただそれだけで誰かと共に歩こうとする人もいるかも知れないが、普通に「皆、そうだ。」と思ってしまうと、もう他は何も見えない。

もとい、自分を肯定するために人を否定しなければいけない人の自己肯定感は低い。

どちらかを悪者にしなければならないと思い込んでいるので、自分を否定しないなら、周りや世の中を否定するしかないという思い込みも生じている。

何かのプロセスではあるものの、歪んだ認知にはまることなく、ただひたすら学びに触れると今日のTさんのように、通常の人が聞き流すようなところを泣きながら必死で聴くということもある。


その深く感じる感性には理屈も妄想もない。

多分これからも、そのまんまに色んなことを吸収して行かれることだろう。

*******************

余談だけど「私ってすげー。」を連発する人を目にして何も知らない人は「自己肯定感が高い。」と捉えて関違うするケースもある。

でも、本当に普通に自己肯定感が確立していたとしたら、それはわざわざ「私ってすげー。」と何度も口に出しては人に聴かせ、騒ぐ必要のないこと。

でも、同時にそれは今まで自分を認められなかったり、誰かに認められなかった人が本当の自己肯定感を獲得する際のプロセスでもある。

いずれ、騒がなくとも、”これがあるから私はこれをやる。”と自主的に、あたりまえに行動していくようになるまでの。


時に今日は、KちゃんとTさんがすれ違ったので初めてご紹介した。

これもきっと良い出会い。

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今日も少々詰まっていたので、色んなことをこなしているうちに、「あわわわっ、あうあう。」と、あたかも散歩中のパグのようになっていた私だったが、もうすぐ電話カウンセリングというところだった。

その前に、近所にお住まいのYさんがオーラソーマのボトルと取りに来ることにもなっていた。

そんなタイミングで玄関のチャイムが鳴ったので、渡すボトルを持って玄関を開けたのだが、もうーーーー、例の宗教の勧誘だったので、ぐわあああ!となる。

最初の頃は丁重にお断りしていたのだけど、最悪なときはヒプノセラピーの最中に鳴らして来たりするので「物凄く集中力が要る仕事をしているときもあるから、もうここまで上がって来ないでくれませんか?」と前回言ったのに。

にも関わらず「いえ、世界の終末がね。」と雑誌を突き出して来たので、今度こそ、目を見据えて「良いですか?ここは仕事場です。二度とあがって来ないで下さい。」と真顔でお伝えした次第。

そんなわけで色々あったが、無事にYさんにワークボトルをお渡しすることも出来たし、電話カウンセリングも無事に終了した。

ついでに言うと、あの勧誘のおばちゃんは、人を救う前に自分を救って欲しい。

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2013年02月07日

塔を再構築する人 / 再受講とか / 土台作り〜 / 犬神

一般のクライアントさんが「会話の練習の相手をして下さい。」と仰るのを聴いて名案だなあ〜と思うのと同時に感心。

ありそうで今まで無かったお申し出だったから。

一連のお話を聴いた後にこちら側からアサーショントレーニング(自分の気持ちを伝えるトレーニング)を提案することはあったけれど、純粋に会話の練習をと仰るのは初めてのことだった。

それは最初、ご自身が会話が下手だと自覚されているという理由だったのだけど、案外こういう方に限って下手じゃないんだよね。

それで、前回からごく普通に会話の練習をいていたのだけど、途中でぶっと吹き出して「あ、なんだ。これ、普段のかおるさんとのカウンセリングでの会話と同じ。」と気が付かれていらっしゃった。

実は会話が下手だと長年思い込んでいた頃、つい最近「コミュニケーションが上手だよね。」と職場の人やご友人に言われたのでやる気が出てやってみようと思ったのがきっかけだったと初めて明かして下さった。

「そんなこと今まで言われたこと、なかったもん。多分ここ一年くらいの間、ここで色んなことを表現しているうちに普通に出来るようになっていたんですね。」と嬉しそうに仰り、「そう言えば、カウンセラーの人たちも会話の練習するんですか?」と訊いて下さったので面白い。

カウンセラーの場合は、こういう普通の会話のずっと手前にある地点から、もうそりゃ馬鹿みたいに原点に戻った場所から始めるんですよ。(例えば、ひたすら相手の言葉を繰り返すとか。)

でも、基礎の基礎を真面目にやると上にどんどん積み上げることが出来る。土台が大きく広いほど未来の可能性も大きくなる。

いずれ人の言葉を一つ残らず繰り返したり、感情を一つ一つ言葉で拾ったりっていうのを、相手に分かるようにはやらなくなる。

その時にはあたかもまた普通の会話に戻ったかのように見えるのだけど、大きく違う。

相手の言葉をさえぎるほど繰り返さなくても心の中や頭の中にきちんとインプットする習慣がついている。

人間の脳というのは、通常、相手が何かを話し始めてからすぐ、あるいは、その途中で相手が何を言わんとしているか?というのを理解するように出来ている。

要するに、まだ相手が話している途中で反応したり判断したり理解している。

通常は相手の話を最後まで聴いてから判断したり、反応したりする人というのはまず居ないのだ。

でも、その判断や反応や理解の仕方に各自の歪んだ認識や思い込みによる癖があるので最後まで話が聴けないという現象が起こる。

人それぞれ今まで積み上げて来た自分というものがあるのだけど、あえてそういった思い込みを捨てて最後まで聴くという練習をする。

難しいけど簡単で、一旦出来るようになるとさらに簡単になる。

「へえー、面白そう。私も自分という塔を一回崩してやってみようかな?」という彼女はタロットが得意なので、多分今、塔のカードを思い浮かべているのだろう。目線が上に向いている。

普通の人は崩したがらないし、崩したらおしまいだとか言う怖さを持っているので、彼女のお申し出は面白いなあと思うのだけど・・・日常会話で何もそこまでやる必要はないんじゃないかな?と水をさしてしまったが。

「いやあ、ほんとに面白そうだからやらせて下さい。いつもみたいに近況を話した後、あるいは特に大きな課題や出来事がなかったなあと思うときだけでも良いんで♪」

何より楽しそうなので引き受けることにしつつ、やっぱり何だか感心してしまう。

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先日、絵本セラピーの練習をしている際に、うまく行かなかった点に気が付いたカウンセラーさんが「次回の教育分析のときにロールプレーの練習をさせて下さい。」と仰った。

というのは、箱庭だの絵本だの、オーラソーマでもカードでも何でも良いのだけど、間にどんな道具を挟んだとしても、基礎的なロールプレーが出来ないとどんな道具や技法が来ても同じだから。

彼女は、ずっと前に卒業なさった方なのだけど、この出来事以前にも「ユングのところと、発達段階のところを再受講したいんですよね。」ということも要望として仰っていた。

「元型のところがよく分かっていないのでここがぐらつくんだよね。だから、あの章を再受講したい。」等、色んな要望を聴いていて感心してしまうのは全然こちら側は促していないのに自分で考えてはプログラムして行くところ。

試験や資格や肩書きのための勉強じゃなくて自分を本気で育てているのだなあということを感じるとき、やっぱり出会った頃から今を見て、どんどん自律的になっている彼女を感じる。

詳細は割愛するのだけど、要するに、這い這いしていた人が風のように走るまでになった姿を見て、内心うるうるしてしまうのだ。

本人としては少しづつの長い時間かけての進歩だし、時々、転んでは「うがああああっーー!」と腹を立て自分の足や道を叩いたりしているような様も見かけるが、また走り出す。

知らない間に筋肉がついて来ているんだよね。そういうのを凄いなあと思っている。

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はたまた学生さんのミカエルちゃんは、これもただの一回もこちからから促したわけでもないのに、とあるコミュニケィで自主的にメールカウンセリングの練習をしている。

無料で件数をこなして、その一つ一つのケースと真剣に向き合っている。

それで色々と戸惑うことやビックリすることを味わったり壁にぶつかったりもしているのだけど、それをきっかけにまた自分で考えている。

色んな人を見て昔の自分を思い出す。今も切磋琢磨だし決して楽ではないが、そしてまだまだ勉強しなければならないことは沢山あるが。

ミカエルちゃんやKちゃんを見ていると、とある時代の自分を思い出すのだ。

私は99年に医療従事者対象に心の掲示板を開いて、その後、一般の方々にも公開した。

目標一日30レス。そしてメールも目標10レス。

そんな日々を繰り返していた。

あれが無かったら、カウンセラーを目指そうなどとは思わなかっただろうし、今は無かったことだろう。

ビックリすることや傷つくこともあった。

人の醜さと美しさとを両方を見た。感じた。

その中で育てて貰った時代があったから、自分の方針や考えが初めて一本化して揺らがなくなったのだろう。

でも、その時代には、その行為が未来に繋がるだなんていう実感は無かった。ただ闇雲に努力を積み重ねるだけで。

だから、直感的にしろ、自分なりの方法でトレーニングをしている彼女たちを見ていると、素晴らしいなあと思う。多分だけど、今の彼女たちにも、あの頃の私にも何かの導きがあったのだろう。

いつの世も、そして、どこの世界でも同じなのだけど、やる人はやるし、やらない人は何をどう促してもやらない。

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犬神  (1-14巻 全巻)
”脳男”という漫画で初めてこの作家さんを知った。

映画にもなっているらしいが、この漫画の描き方や言わんとしていることがとても面白かった

感情があれば良いというわけではなく、それがどんな感情か?ということが、その人の人生や幸せを決めるのだなあということを感じた。

これがとっても面白かったので、他にもこの人が描いている漫画はないかな?とネットで検索して購入したのがこの”犬神”だった。

色んなことが上手く行かない故、”この世界が無くなってしまえば良い!”という少年や、”自分の気に入った異性とずっと二人きりで居たい、大人になりたくない。”という人間がいた。

共依存関係になって”成長したくない。”と思う人間は、ずっと子供のままでいたがる。ずっと他者に助けられることや、常に賞賛されることを望む。

大人になりたくない人間は、愛することを覚えず愛されることだけを傲慢に求め続ける。

そういった執着は、ある意味強大なパワーを持つと思う。

でも、たった一つの意志、たった一言の言葉で、その呪いは溶ける。

”大人になりたい。”

”成長したい。”

成長も進化も、その意志の先にしかない。

”私だけを見て。”と、暗い沼のような目をして相手を見つめる人は、その沼に物凄い勢いで依存相手を引きずり込もうとするのだけど、結局は取り残される。下手すると”二度と会いたくない”とさえ思わせる。

そして、いつでも未来へ行くために歩き出す人が、光となって、何もせずとも愛し愛される人を引き寄せる。

一匹の犬と出会い、愛することを知った少年は、寄り添うことと進むこと。それら全てを受け入れた。

思いもかけず、ここでも”生命の樹”という言葉が出て来た。

私たちは皆、根っこで繋がっている。

・・・・・・・・。ってか、どの犬も、可愛いなあ。

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2013年02月06日

小さな悩みなんて無い / 点で終わる人と線を繋げる人 / 3月のライオン

よくご自身の悩みを話される際、「こんな小さな悩み」と称したり、はたまたシンプルに自分が話したかったことをお話しする際にも「こんなくだらないこと」と仰る方が居るのだけど、どこが小さくてくだらないのだろう?と思うことが度々ある。

自分にとっての大事なこと。

それなのに、それを軽いものだと見なして後回しにしてしまうから問題が大きくなってしまう。

はたまたその多くの人に聴かれる口癖っていうのは、存外恐ろしくて、自分のそれを軽んじる人は他者の大事なことも軽んじる傾向にあるから。201302063.JPG

なので、ついついご友人やご家族の話も聴けなくて「前向きに行こうよ。」とか「そんなのこうすれば良いじゃない。」と相手の言葉をさえぎってしまうのだろう。

例えば本日は、歩いて10分の距離からお越し下さるクライアントさんも居れば、遥々モザンビークなる国からいらした人も居て、でも、その色んな場所で自分だけがこんな悩みを持っていると考えている人たちのテーマが皆、同じだったりする。

特に今日みたいな日には、その繋がりは本当のところ世界中に広がっているのではないかと思う。

本当は一人ぼっちではなくて、色んな人々の言葉を傾聴出来たなら、もう二度と自分を軽んじたり他者をなめたりすることもないと思うのだけど。

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こちら側から見れば、人という光は点と点とで繋がっているのだけど、どんなに与えられても自分を一人だと思いたい人は心を開かないのでその繋がりが見えない。

例えば、もしもその方がセラピスト、あるいはセラピストを目指す人だったとしたら、心を閉じたびびりんちょのままでは何も成し得ない。

”出来る。”と思い込んでいるという事と実際に出来るという事とは違う。

それを知っている人がトレーニングに励む。201302052.JPG

出来ないところがあると知っているからやるのだ。

でも、不思議なことに、トレーニングに励む人というのは、元々結構ロールプレーが出来ていて本質的に才能がある方々が多い。

まあ、励むからうまくなるっていうのも大きいけど。

逆に出来ていない人の方には、妄想とも言える裏付けの無いプライドがあって、無意識下でやらなくても出来ると思い込んでいる。

その根拠は幾人かの友人や知人のお話をただで聴いて「向いているよ。」と言われたという出来事や、その人なりの様々なデーターがあるのだけど。

それは極めて狭い世界のデーターだったりする。

そういった方々は、一度や二度、本物のロールプレーの練習をしたとき、現実を知って愕然とするのだけど、学ぼうとはしない。学びのためのシェアリングをマイナスに受け止めてそれっきりだったりとか。

自分にも身に覚えがあるけれど、出来なかったときや指摘されたときにショックを受けるのは、出来ると言う期待があったからだよね。

でも、もしも現実に出来ていなかったとしたらそれを受け止め、改善に励むしかない。これは何でもそうだけど、やった分しか得られないというのがこの世の法則。

時々、トレーニングをしない人が「私はカウンセリングなら自信がある。」というのを聴いてビックリすることがある。

これは、カウンセリングを知っている人からは決して出ない言葉だ。人間というものの深さを知れば知るほど、勉強すればするほど、その困難さを知るはずだから。

その裏付けのない自信をキープするためにいったいどれだけのことから逃げ、その逃げのためにどれだけの時間と家族を含む他人を使うのだろうと思うと、こりゃ、やっかいだなあと思う。

落ち込んでも出来ないし、逃げても出来ないし、反発しても出来ていないものは出来ていない。

これは病院ナースをしていた頃にミーティングでワークした内容と非常によく似ている。

「あなたはどんな時に自分が良い看護をしたと思いますか?」という質問に対して、実に多くのナースが「患者さんにありがとうと言われたとき。」と答えたのだが。

その答えはおかしい。201302051.JPG

ありがとうと言われればそれが良い看護だったのか?患者に好かれればそれは良い看護だったのか?

はたまた学校の先生方が「生徒にありがとうって言って貰えることが少ないので報われない。」と言うことが多いのだけど、ありがとうと言われれば報われているのか、もとい、何で自分が報われるために教育をするのか?看護をするのか?

カウンセリングも同じである。

クライアントさんに感謝されれば良いカウンセリングだったのか?と言えば、決してそうではない。

仕事は、自分の”愛されたい”という幼い私情を満たす場所ではない。そこはプライベートで予め満たしてといて下さい、甘えるな と、そう感じる。

相手が成長しているのかどうか?

それは自らが成長をさぼっている人の目には見えないし、耳触りの良い言葉を待っている人の耳には決して感じ取れない。

私も人間だから、自分が好きな人に好かれれば嬉しいなーと思うのだけど、仕事やら勉強やらではあんまり関係ないよなあ。

昔、学生さんで「せんせい、大好き!」とか「師匠、大好き!」と言って全然トレーニングしない人が居たのだけど、嬉しいどころか、”なんなんだろ、この人。”とドン引いた。今、それ、関係ないんだよねーと。

きっとそうして依存相手を見つけて世の中を渡って来た現状が今ここにあるのだけど、それすらもとある方法で誤魔化そうとしていたりとか。

はたまた生徒さんやクライアントさん側ならば多少の転移が起こって上記のようなことも考えられるかも知れないが、もっと最悪なのは、講師側やカウンセラー側が相手に好かれるために仕事しているパターン。

そういったことは、頼むから出来るだけプライベートで満たして、

で、あと、仕事していても中には友人になる人が居たり惹かれ合う人に出会ったりすることも、もちろん多々あるのだけど、そういったことが一番の目的にに来ている人には何のためにやっているの?という自問自答が必要かも知れない。

そこがずれていると、いつまでも出来ない。そして、出来ていないということも知らないまま、他者も自分も危険にさらすことになる。

****************
3月のライオン (1) (ジェッツコミックス) [コミック] / 羽海野 チカ (著); 白泉社 (刊)

よくカウンセラーの方々が本やDVDの貸し借りをしている。あと、そのカウンセラーさんたちとも交流のあるクライアントさんたちも。

どなたも多くの作品に触れている。

カウンセラーは論理的であったり知識も求められるのだけど、何より情緒的なことや感性が同じくらいに必要だと思うので、普段から漫画や小説や映画にも触れてねー(もちろん、色んな生身の人間にもねー)ってな話をしているので、これはとても良い状況だなあと思う。

それで事務所のカラーボックスを本棚代わりにして持ち寄ったり誰かが借りて行ったりという状況になっているのだけど、それがもういっぱいになっちゃって、こりゃちゃんとした大き目の本棚にした方が良さそうだなーなんてこおを思う今日この頃。

上記は、よく書店に並んでいるのでタイトルは見かけていた。

そして、ミカエルちゃんが持って来てくれたので読み始めたところ、まあ、面白い。

軽い面白さじゃなくて、漫画なのに、小説のような重厚さがあるんだよね。

物凄く重いのだけど、それと同じくらい物凄く明るい。

一番大事な問題から目をそむけずに描いているのだけど、個人的に爆笑してしまう部分もいっぱい出て来る。出てくる人出てくる人が皆人間ーーっっっって感じなんだよなあ。愛さずにはいられないくらい。

泣いたり笑ったり、一緒に怒ったりする。そして、やっぱり、その必死な人間模様の中だからこそ垣間見えるおかしさがこみあげて来て、やっぱり笑ってしまう。

どこを取り上げて良いのか分からないので、この際、一番どうでも良くて余談な部分だけを書こう。

三姉妹の次女のあかりちゃんが泣いているとき、心配して寄って来ている三女のももちゃんや猫さんたちの表情が可愛い。上手いなあ・・・、よく描けているなあと思う。

で、将棋の世界であるここでも「やった分だけしか強くなれない。」という言葉が出て来る。

気の遠くなるような長い時間を努力に費やして来た人々にしか見れない世界がある。初戦で「自信ある。」なんて言っている人は居ないし、誰の視界にも入らないことだろう。

で、将棋のことを全く知らない人間にも”将棋って格闘技だったんだあ”なんてことを思わせる。

要するにこの漫画は格闘技あり、いじめ問題やら人生についてやら、愛やら、本当の勇気とは何か?とかいう部分も余すところなく楽しみ、考えられて、しかも、料理好きとその料理を食べるのが好きな人たちすらも楽しめる漫画。

戦いとか愛とか料理とか・・・って並ぶと、そこに”生活”という物語が出来る。

生活。それはこの世で一番壮絶なドラマだと思う。

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2013年01月07日

本物の想い

夫は朝早くからスポーツジムへ行こう♪と張り切っていたが、私の今年最初の日曜日はカウンセリングと心理学から始まる。(というか、調子悪いところから治ってもうすぐスポーツジムなのか。夫よ。)

今日お会いした方々は、三人とも少しだけ長い付き合いの方々ばかりだった。

白ちゃん、特にA子さんがお越し下さった際に真ん丸お目目。201201061.JPG

色々と不思議な表情や行動を見せて笑わせてくれた。

「しーろーさーんっ。」と言って抱き上げて下さった後、そのまんま私がお茶を入れながらA子さんに話しかけてしまったので、自ずと会話が始まってしまったのだが、二人で喋っている途中、白ちゃんの「にゃうっ!」という抗議の声があがる。

抱っこして貰い、やっとかまって貰えると思いきや二人で喋り出してしまったのではがゆかったのだろう。

一声目でその意味が分かって笑ってしまったのだけど、二度三度となく胸の中から「うにゃんっ!(ちょっと!)」と言っているので面白い。

猫の表情や感情の推移というのは、本当に本当にかすかで静かのように見えて、慣れた人が見ると実は物凄く分かりやすい。撫でられてるときや眠っているときに笑った顔まで見せてくれるようになる。

意図的に擬人化しなくとも、本当にわかりやすい。

そして、何度かお会いして下さるうちに、いつの間にか色々なお客様が、黙っている白ちゃんの非言語的コミュニケーションにすら吸引力を感じて、時折黙って見入っていらっしゃるときがある。

白ちゃんは私が出会って来た中では一番人間っぽい猫なのだけど、やっぱり人間ではないので、まだまだ分からないことは沢山ある。

とは言うものの、もしかして、もしかして・・・と思うことがある。

というのは、初めて出会った半野良ちゃん状態だった頃よりますます表情が出て来る日々を共にしていて、感じることがある。

表情や行動のパターン。201301062.JPG

人間のそれは交流から生まれて行く。

色々な人と出会い交流して行く中で習慣化されたり条件付けされることがほとんだ。

だから、人は一人の時間が長いとドンドン無表情になって行くし、思考パターンにも偏りが生じて来る。

この4年と半年の間で、白ちゃんは、色んな方々に暖かい手で撫でられて撫でられて、優しく話しかけられて、とことん褒められて。

そんな中でドンドン声を出すようになったり、とても表情が豊かになって行ったのかも知れないと。

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時の移り変わりの中、ゆっくりゆっくり気を付けながらカウンセリングを進めていくクライアントさんと接していて思う。

とある中国の映画で”この世で一番早いものは、最も遅いもの。”という言葉が出て来たことがあった。

それを今でも印象的に覚えている。

本当に速いものというのは、物凄く速いランナーでもないし、物凄く早口で喋る人でもなければ、猛スピードで仕事を片づけられる人のことでもない。

あるいは何かの勉強の修士課程があっという間に終えてしまうことでもない。

本当に速いものと言うのは、実は目に見えないほど遅いもの。

それをその映画では、季節の移り替りのことだったり、サンゴの成長に例えたりしていた。

要するに、見えないほどの遅いスピードで毎日積み重ねられているもの。

中身が伴っているそれは、ハッと気が付いたときには、大きな山を紅葉で真っ赤に染めていたり、またあるとき見上げれば白い雪で覆っている。

その変化の始まりと言うのも私たちはほとんど目にすることが出来ない。

最初は一枚の紅葉だったかも知れないし、雨粒の一つが凍って降りて来ることだったかも知れない。

でも、気が付けばそこに雪化粧された山があったり、サンゴ礁が広がっていたり。


人の成長というのは、この法則に似ている。

ゆっくりとゆっくりと進めて来た本人の意思。

それが今やこんなところまで来たんだねえ・・・とビックリする頃、その人の瞳に光が戻っている。そして、強い意志も。

******************

その夜、丁度大河ドラマが終わる頃に家路に着いたて夫とご飯を食べていた頃、9時半から”父と子 市川猿翁・香川照之”が放送されるということを初めて知った。

少し前、クライアントさんと共に彼のエピソードに触れたとき、幼い頃より彼がどんなに父を慕っていたか?ということが伝わって来て、それだけで涙が出てしまったのだが、感銘を受けたのは、そこまでするか?というくらいの想いにだった。

俳優業も凄まじかっただろうと思うものの、今度は46歳から歌舞伎???というのには驚いた。

皆4〜5歳頃から舞台を踏んでいるあの世界でそんなことが可能なのか?という驚愕もそうなのだけど、それを一から習おうとした彼の魂にはもっと驚愕した。

そして、その原動力が父とのことだったということ。

で、46から始めた稽古だというのに、成功させてしまうのだが、これは彼が長年父の舞台やVTRを来る日も来る日も憧れ求め、ずっとずっと追って来た故のこと。俳優という下地や人生経験という下地も役になっていたのだろう。

それにしても壮絶だなあと思った。

そして、彼はとうとうもう一つのことをもやって退けた。

講演の日、自分の母親を連れて来て父と引き合わせたということ。

そして、語り合わせることが出来たということ。

”キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”の実在した主人公は、詐欺や盗みやパスポートの偽造など、悪いことをすることで注目を浴びようとしたが、元はと言えば、別れようとする父と母を元に戻したいという無意識があったから。

しかし、香川さんは、その真逆のやり方。頑張って頑張って、稽古して稽古して、そうして、父に近づくために日々多くの稽古をこなし、とうとうお母さんとお父さんが何十年もの年を越えて言葉を交わすというところまで成功させたのだなあ。

多分、数年前にも”何じゃ?あの人の演技?”と驚いて取り上げたことがあったかも知れないのだけど、今では、その凄さの意味が分かるような気がする。

その背後に、やはり、季節の移り変わりやサンゴにも似た”コツコツ”が隠れていたんだと言うことが。

それは、思いの外、力強い本物となっている。

そして、実はここを訪れているクライアントさんの中にもそういったことを成し遂げている人が沢山いる。

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2012年12月25日

何故だかこんなイヴ

めりー・くりすまーす な カウンセリング3件。

メリークリスマスどころじゃない話題も多かったが、何はともあれ、今年も頑張った皆さんにメリー・クリスマス。毎年恒例の花火の音が聞こえて来て白ちゃんの目がまん丸くなる夕闇。

毎年、電話口で誰かにこのセリフを言うとき、いつもこの映画を思い出す。キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン [DVD] / レオナルド・ディカプリオ, トム・ハンクス, クリストファー・ウォーケン, マーティン・シーン, ジェニファー・ガーナー (出演); フランク・W・アバグネイル, スタン・レディング (原著); スティーブン・スピルバーグ (監督)主人公は、本当はお父さんに「メリー・クリスマス。」と言って貰いたい。そして名前を呼んで貰いたい。

そして自分もまたお父さんに「メリー・クリスマス。」と言いたい。お母さんにも言いたい。いつまでも二人に仲良くしていて貰いたい。

でも、それが叶わないので、自分を長年追いかけている一人の刑事に電話をかけてこう言う。「メリー・クリスマス。刑事さん。」

本当はお父さんに追いかけて貰いたい。

でも、いくら壮大なゲームをしかけても決して叶わないし、注意を引こうとすればするほど疎まれると既に気が付いているので、刑事さんに一本の電話をかける。

誰かにそう言いたくて。そして、誰かにそう言って貰いたくて。

世界にたった一人のかけがえのない存在の代わりには誰もなれない。

でも、いつ日か、一人の刑事の呼びかけによって目が覚めて行く。

”君には素晴らしい才能があるんだよ。時には嘘の方が楽だよね。でも、実際の世界はもっと素晴らしいんだ。”

そして、少年は、しがみつくことを止めて、自分を信じることを知る。

これが実話だと聴いたとき、つくづくアメリカって凄い国だなあと感じたのを覚えている。

どうしても叶わない願いもあるだろう。

けれども、この世には叶う願いも同時に存在する。

*******************

夫が「一緒にフィットネスクラブへ行こう。」というクリスマス。

嫌だよ。反対方向じゃないのさ。

反対方向と言うのは、何を基準にして言っているのか?と言うと、職場である立川から見てということ。

何が悲しくてクリスマスの日に自宅を通り越してフィットネスクラブへ行かねばならないんだ。

しかし、行くんだな、これが。

高校生の頃、市民体育館やらでトレーニングをしたり泳いだりしていたのだけど、あの頃も訳の分からないマシンには触れなかった。

誘われて色んなクラブのヨガへ行った際にも触れず、ヨガだけやって帰って来ていた。

しかし、今日は生まれて初めて夫の薦めるままに色んなマシンを使って見る。

腹筋とか大臀筋とか腿とか、背筋とか、ありとあらゆる部位を鍛えるマシンで遊んでいるうちにはまってしまった。

楽しい♪結構、楽しい♪

で、体の部位によってはビクとも動かないマシンがあるかと思いきや、モノを持ち上げたり引き寄せたりするマシンはスイスイ動く。

観ていた夫が「・・・・。何で、あの器械だと動かなかった人物が、この器械だと25キロをスイスイ持ち上げちゃう?」と蒼くなっている。

えーとですね、それは、あなたが背筋や腹筋などで恐るべし力を発揮するというのに、全く前屈が出来ないのと同じなのです。

人間って、日常生活で同じ筋肉しか使わないんだよね。特定の仕事していると、その仕事の筋肉しか発達しない。

ので、私は患者さんを抱えたり動かしたりしていたので、この動きはOKだけど、他のところがてんでダメ。

いやあ、色々気づきがあって面白かったなあ。

最初、「タオルは絶対持っていないと。」と言っていた夫は、汗がだーらだらなのだけど、私は汗をかかない体質なので全くタオルを使わない。

しかし、ベタなランニングマシンを使い始めて約15分後に汗の栓が取れたらしい。真夏の訪問入浴の最中のように、だーらだら汗が流れだした。

マシンで走っていても景色は変わらず、大きなガラス張りのビルの正面に大木が揺れているだけ。

だが、しかし、色んなことを思い出してしまった。

脳内モルヒネが放出。

そうだった、そうだった。今はこんなに遅いけど、昔は中距離や長距離が大好きだったんだ。

あの高校生時代、ただの不良だった一年坊主のときには、順位がずっと下位の方で、三年生になる頃には陸上部の人々をも追い抜いて学年首位になった。

秘訣は、人と競争しないことだった。

ただただ自分のペースで毎日トレーニングすること。

それがいつの間にか試合の時など、ここぞと言うときに瞬発力を発揮する。

あの頃もコツはただ一つ。

早く走るということじゃなくて”業(その日の自分に出来ること)をこなす。”というだけだった。

でも、45歳になった今日、こうしてランニングマシンで並んで走っていると、隣の男性のハイペースな歩幅に引っ張られていつの間にか同じテンポで走っていたりする。

時には他人をペースメーカーにするのも良いもんだ。(楽しめるのなら。)

どこかのマシンでトレーニングしていた夫が何度か戻って来ては横に立ち、「まだやってんのっ?」と驚いていた。

気分が良いので、何だかいつまでも走れるような錯覚を起こしたが、メーターが示していたのはたったの5キロだった。(笑)

5キロを30分もかけて走ったのだ。

汗まみれになって、ほとんど変態親父のように息を切らしているような状態で、マシンを降りてその数字を観た後、自分でおかしくなってゲラゲラ笑った。

「何十年も運動していない人が初日から飛ばすときついよ。」

そう言われて、「初日も何も。もう、来ないよ。」と即答。

しかし、その後、ジムのお風呂で備え付けのボディシャンプーやリンスインシャンプーを使用している際、「うっわー、髪の毛がきっしきしの肌ががっさがさになっちゃう!今度は自分のを持って来よう!」と悲鳴をあげたくなった。

で、思った。

今度って何?もう、来ないんでしょ?

”でも、楽しかったんでしょ?また来るかもね。”と自分のインナーに話しかけていた。

******************

そのジムのフロアーに初めて入ってすぐ、色んな数字を記録されたのだけど。

身長153センチとか体重46キロ、年齢45歳などなど・・・・・。何で、そんなもの記録するんだろ?と思いきや、”身体年齢”という項目が出て来てドキっ!とする。こ、怖いよ〜。

酒とタバコとコーヒーと不摂生。しかも、代々長生きしない虚弱体質な人が多い家系だった。その遺伝子に加えて、こんな好き勝手な生き方してたらもう終わってるだろうなーと思って恐れていたのだが。

しかし、結果、私の体は33歳だそうだ。ああ、良かったー。てっきり60歳は軽く超えているだろと思ってたもんで。
あと、筋肉の比率も標準よりずっと高かった。意外だ。自己概念のずれって怖いわー。

帰りの車の中で、お久しぶりのみかりんさんから「お久しぶりです。二日酔いで辛いです。自宅の住所、教えて下さい。」という謎のメールが来たので「お久です。私も昼ごろまで辛かった。(← 互いにあいかわらずな生活。)ところで、身体年齢がみかりんとほとんどタメ!」という、これまた訳の分からない返信を返した次第。誰かに聴いて貰いたかったのよ、ありがとう。(笑)

*********************

人がお風呂入ってすっぴん状態だと言うのに「東大和にあんたが好きそうなレストランが出来た。」と連れて行かれる。

オシャレな店だった。美味しかった。だが、しかし、てっかてかりんの顔で居るのは辛かった。

おまけに、ここ数年、クリスマスはデートに決まっているだろ!という状態の娘たち二人が「今日は家で過ごすからね。ケーキとチキン、プリーズ。」とのこと。

もう、ほんと、てっきり彼と過ごすと思ってたよ。デートは明日かよ。で、それ言うのが、当日のこんな時間かよ。

それで慌てて色んなケーキ屋さん巡りして、娘たちが好きな店のチキン買って、やっと家に着きましたという状態だった。← まあ、夫婦して遊んでて遅くなっただけなんだけどね。

スポーツクラブのお風呂でガビガビになったので、やはり自宅の風呂で好きなシャンプーと石鹸使ってゆっくり入ろうと思ったその時。

もう、かなり深夜だと言うのに、夫が「悪い。俺の年賀状、今日出来るかな?」と言うのでショック。

もう!何で?何で、今日は私をそんなに鍛えるのさ!?酷いじゃないのよ!← いや、勝手にマシンにはまってただけなんだけど。

そんなこと言いつつ、年賀状のレイアウトしてたら面白くて没頭してしまう。

そんな今年のイヴだった。

ほんとは、もっとやらなければならないことがある。

ええ、猫の手も借りたい。

でも、猫の手を借りたら・・・・・可愛いくて夢中になって、また時間が無駄に過ぎちゃいそうだけどね。

***********************

今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年12月15日

第三シンボル / らせん階段 / ライブ / クリスマスプレゼント

私が時々ながらもヨガやらランニングなんぞをマイペースでやるようになり、その影響で夫がフィットネスクラブに通うようになってから、娘たちが「良いなあ。うちらも体動かしたいなあ。でも、近くには無いからなあ。」と言っていた。

そう、夫は車での会社帰りの辺鄙な場所にオープンするフィットネスクラブを見つけたが、娘たちは職場が片や新宿、片や浦和の方なので、いかんせん自宅まで遠すぎる。

かと言って自宅近辺にある三つの駅はどれも小さな駅なので到底フィットネスクラブなど出来そうにない。

「お母さん!『フィットネスクラブが出来ました。ありがとうございます!』って言ってよ!」

え?でも、私は、勝手に走って勝手に呼吸入れ替えているだけなんで、フィットネスクラブなんて要らないし。

しかも、この辺りに出来るなんて、まずあり得ないよ。

「じゃあ、せめて隣駅でも良いからさ!レイキ、レイキ!」

・・・・・・・・・・。いやあ・・・。隣でも無理だろう。

そう思いつつも言われた通りにレイキをかけてアフォメーションをかけた先月のある日。

「せめて隣駅にフィットネスクラブが出来ました。ありがとうございます!」

そんなことも半月以上経つとすっかり忘れていたが。

昨日、次女くんがまたしても部屋を激しくノックして来て「お母さん!隣駅にフィットネスクラブが出来たよ!今日、ヨガやって来ちゃった!しかも、オープンしたてのキャンペーンで物凄く低料金!」と叫びながら入って来た。「お姉ちゃんも一緒に通うって!」

・・・・・・・・・・・。やっては見るもんだな。

っていうか、フィットネスクラブが出来るのも早いがあんたの行動の速さにビックリだ。

浦和にも新宿にも立川にもフィットネスクラブはあるだろうけど、あそこで汗かいてお風呂入って来たら確実に風邪ひくもんね。

いやあ、近くに出来て良かった、良かった。

******************

らせん階段を上るクライアントさんたち。

人は誰しも一人では自分の歴史を忘れがちになる。

でも、昨年よりも格段に目標を達成している方々に、少し自分史を思い出していただく。

長年共に歩いていていて、その歩みの様子を脳内に記録していると、表面的な「出来ていない。ダメだ。」という言葉を鵜呑みにしなくなる。言葉ばかり、そしてその人の持つ自分へのセルフイメージではなくて、現実の話が出来るようになる。

だって、ずっと見つめて来たのだもの。

昨年だって頑張っていたのだけど、今年の年始や春の過ごし方、夏の過ごし方、そしてまたやって来た冬。

今年は躍進した年だったよ。

********************

そして、カウンセリングの勉強をしている方の教育分析においても同じことを思う。

いやあ、よく頑張ったね。

そしてまた新しい世界を探しに旅に出るんだね。

そのまんまで良いよ。

全てはうまく行っている。

*********************

仕事が終わった後、少し急ぐ。

とは言っても、今夜は友人や元同僚との忘年会ではない。

夫と八神純子さんのライブへ行く約束をおよそ二か月前からしていたから。

こういった待ち合わせは、大抵私の方が遅くなってしまうのだが、今日に限って30分ほど早く着いたので、会場の隅っこに並んでいる椅子に腰かけてコーヒーを飲んでいたのだが。

夫が遅れたおかげで、そこで衝撃的な出来事に遭遇する。

八神さんというのは、私が10代くらいに聞き惚れた歌姫で確か5つばかり年上の方のはず。

そんなわけで会場は私と同じ年代くらいのおじさんやおばさんがほとんどで、そしてご老人がちらほら混じるという様相だった。

30年ほど昔の人々であり、八神さんも日本ではそんなに活動していなかったというのに、待合室での空気は非常に湧いている。皆さん非常に興奮している熱狂的なファンという感じなのである。

何十年経っても人をこんなにわくわくとして待たせている人って凄いなあーと思いつつ、大抵は二人組か三人組で来ている群れの中、独りコーヒーを飲みながら携帯を観ていた。

今朝「また誤字ですよー。」というメールが来たので「はいはい、どうもありがとう。」と自分のブログをチェックしていた。← 朝来た指摘をチェックするのが夜かい。

すると、隣の人が私の携帯を覗きこんでいる。周辺のおばさんたちより若干若めの人のように感じる。

その人をしっかり見たわけじゃないが、私は前や下など一点を見たまま人間ウォッチングが出来る訓練を受けたので、隣の人が横目でさりげなくこちらの携帯を覗きこんでいることにも気が付いてしまう。

何か、気持ち悪いなーと思ったので、コーヒーの缶を捨てに行きつつさりげなく遠く離れたベンチに座り直した。

ところが、もっと怖いことに、その女性がこちらへやって来てまた隣に座って携帯を覗きこんで来るのでドン引きした。あきらかに不自然だし意味不明だろう。

多少・・・いや、かなりむっとしてまた席を立とうとしたその時、その女性が「一人ですか?」と声をかけて来る。

その時にはもう立ち上がっていたのだけど、「いえ、待ち合わせ中です。」とぶっきらぼうに答えたところ、「今読まれていたブログ、私も読んでいるんですよ。」と言われて、多分髪の毛が逆立った。

「立川なんですよねえ。私、来年の2月あたり仕事が落ち着くんで行こうと思ってるんですけど、一緒にどうですか?」

思わず高めの声で「へ、へえー、そうなんですか。」と答えてしまった。← 既に背中を向けていたので首だけ後ろを向いて。

「あ?既に通っていらっしゃる?講座?カウンセリング?私は講座からやってみようと思うんですけど、通っていらっしゃる?」

え、ええ、あ、う。はい。しばしば通っています。

そう答えて意味もなくトイレへ走ってしまった。

どういう反射なんだろう、まったく。<自分

顔写真も載せているものの、あまりに印象が違うとよく言われる。でも、こんなの初めてだ。

いや、娘たちが学生の頃、一回あったな、確か。

ホームページは星の数ほどあるし、同じ業種の人も山ほど居るし、こんな偶然が起こるほどはアクセス数が多いページでもない。

ので、非常にビックリしてしまった。

(というわけなのでした。ので、万が一来年会ってもビックリしないで下さいね。ってか、もう既にお分かりでした?)

開演10分前に到着した夫を見つけた。でかいのですぐ分かる。

「早く来ないからだよっ!」と訳の分からないやつあたりをぶつけたのだが「いやっはっはっ。ごめん。」とその訳も訊かず席へ案内する熊さんだった。

*********************

八神さんのライブは非常にトークが多かった。歌半分&トーク半分ってな感じ。

しかし、声が昔よりパワーアップしていたので驚いた。

私はMr.ブルーが一番好きなのだけど、四つ年上の夫はそれよりもっと古い歌で涙していた。

それにしてもパワフルで色っぽい中年女性に変容なさっていた。

年齢層が高いのに、ラストの方は総立ちで、被災地での活動の様子を聴いても胸が打たれた。

今年は三日に一度は日本のどこかで歌っていらしたと言う。

何とパワフルな。

成長したお子さんたちの話もあり、曲に対する思いもあり、色んな意味でお腹いっぱい&胸いっぱいのコンサートだった。

*****************

その帰り、夫と行きつけの焼鳥屋で杯交わす。

感動のポイントは一致していたり、全く違ったりだったのだけど、結局深夜一時くらいまで一緒に飲んでいた。

その傍ら、マスターが注文もしていないイクラなんぞを出して来て下さるので日本酒が飲みたくなって楽しい深酒を。

しかも、もうすぐクリスマスだからと言って、うちの娘たちに時計を買ってあるという話を聴いてビックリした。

また、そんな!申し訳ない!

「いやいや、たまたま通りかかったら素敵なのがあったんで。お姉ちゃんは白でりーちゃんは茶色の時計ね。」

・・・・・・・。イメージ通りですね。

「うん、そう。あと、お母さんは未だに謎でよく分からないから今年も名古屋コーチンの卵一パックです!」

・・・・・・・・・・・。謎というわりには非常に嬉しいプレゼントです。

ちなみに私らはマスターに何をプレゼントして良いのか皆目分かりません。あなたこそ謎の人です。ええ、10年以上経った今でも。

だが、しかし、隣に居る伴侶も未だに謎の人であることに気が付いた今日この頃。

それでもまあ、とにかく。

素敵な夜をありがとう。

本当に素敵なライブ&美味しい焼鳥&日本酒だった。

******************

今日もありがとうございました。

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2012年12月12日

英国王のスピーチ / ソウルメイトな日 / サンタが来た / 白ちゃんもお疲れ

英国王のスピーチ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD] / コリン・ファース, ジェフリー・ラッシュ, ヘレナ・ボナム=カーター (出演); トム・フーパー (監督)

先日、Mさんにちらりとお話しを聴いていた後、現物をお借りした。

涙が出た。

良いセラピストだなあと思う。そして、素晴らしい奥さん。

そしてね、私も実はよくどもっていたの。

だから、彼が成したことに凄く感銘を受けた。

**********************

偶然のことなのだけど、そして誰も知らなかったのだけど、今日の依頼人さんは、5人中4人がカウンセラー仲間の方々だった。

面白いなあ、何で今日に集中したのかなあ?と思いつつ始まったのだけど、長丁場ながら予想通り楽しい一日となった。

一対一でセッションするのも良いのだけど、仲間同士がすれ違って嬉しそうに挨拶を交わされていたり、はたまた今の課題でぶちあたっている苦しいことの話をするとき、私と二人きりの時よりも何倍も効果倍増ね。

「ああでこうで、こういうパターンがあることに気が付いたんですよ。」と自分のことをダイレクトに先輩に話すと、ものの数秒で「ああ〜・・・。」と分かってくれるので多分嬉しいし癒される。ほっとすることだろう。

辛いことも笑って話せたり、あるいは心のままに涙を流せたり。

皆さん互いに敬意を持っていらっしゃるのだけど対等って素晴らしいなあと思う。

B先輩に「いやあ、今日もちっとも進まなかった。」と仰るAちゃんだったが、進んでますよおおおお!と横やりを入れる私だった。一番大事なテーマを逃していないし、マニュアルにはまってもいない。

ちゃんと独自の道を一歩一歩進んでいます。

ダメじゃないっ。

で、そんな真面目なすれ違い方をする面々も居れば、最終のセッションに訪れたOちゃんとその前に教育分析をしていたMさんとのすれ違い方は爆笑の嵐だった。

とある理由でMさんにOちゃんのことを「ね?大物でしょ?」と言うと、Mさん、またしても「下剋上だあ!」と。

「いやいや、Mさんだって・・・。」と突っ込み返すOちゃんだったが「いやいや、私はちゃんと前もって連絡入れているもの!」と。

で、お知り合いに同じ名前の方でも居るのか、Oちゃんの名前をいつも一文字呼び間違えるMさんだったが、Oちゃんが何度「○○です!」と言っても、しばらくすると「○○子ちゃん。」と呼ぶので大笑いする。

決して謝らない人&決して正さない人同士の突っ込み合いを見ていて、ふと思う。

Oちゃん、あなた、決してFC、低くないよ。で、Mさんは元々FCが高値のアイドル型。201212111.JPG

「いやあー、多分、FCあがったっていうか、戻って来ているんでしょうねー。」とか、そして「いやー、今年は本当に激動の年だったなあ。」と清々しい笑顔。

本当によく頑張ったねー。いやいや、まだまだ今現在頑張っている最中だけどさ。

Mさんとのセッションの終盤では二人で”さよならcolor”を聴いた。

さよならから始まることが沢山あるんだよ〜♪という、悲しくせつないのだけど、愛あるあの歌を。

とある万感の思いがあり、涙流して聴いた。201212112.JPG

余談なのだけど、昨年のこの季節にも「どりゃあああ!訪問入浴の日は寒いぞおおお!」と叫んでいる私に、昨年のMさんは「フリースにダウン、最強です!」とアドバイスを下った。

そして、今年も「どんだけじゃあああい!」と言いつつ訪問入浴をしている私にMさんがサンタになってやって来た。

サンタの袋をあけると、中からウォーマータイプのズボンや、下着やらがいっぱい出て来た。

実は仕事中はチノパンに近い生地の黒パンツと決まっているので、Mさんにいただいたこの綺麗な色のウォーマーは履けないのだけど、またいつか仕事が深夜になって事務所に泊まることになったときなどに最高。

何か、大きな袋だったのだけど、その大きな袋から何十倍も大きなお気持ちが飛び出して、一瞬泣きそうになった。

何だか、ああ、何だか、本当にありがとうって、そう思う。

*******************

最終のOちゃんがいらっしゃる頃、座ったままウトウトしていた白ちゃん。

何だか、お疲れの様子。

今日はあんまり寝ないで来る人来る人の話を聴いていたようだった。

で、夜になって疲れが出たのかな。変わったニャンコなんで黙って傾聴している。

そして、今日もありがたいことに、皆さんに愛でていただいていた。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年11月26日

先人の残してくれた世界

しばし不便な思いをすると、プリンターがあるって何て便利なんだろうーと感動する今日この頃。

が、そんな思いも束の間で溜まった仕事の嵐。

印刷物もそうなのだけど、今日は仕事の後、溜め込んだコンサルテーションのレポートを10枚書いた。

一枚で四本のボトル、そしてそれがその人お一人のカラー。

一枚書くごとにいちいちその方々と一緒のときに向き合ったボトル四本を並べてじっと眺めるなんてことをしたもんだから、要するに10人、総勢40本のボトルと対話し直した。(・・・・・・・・・・。ピー、ピー。いたたっ。)20121126.JPG

ただ書けば良いのにいちいちそんなことをした上に、さらに言うとその方のものと思わしきアルケミーボトルを三本も発見。(一本のみお持ち帰りだと当然三本残る。)

そのまま他の方が買ったとしても分からないレベルの変容だが、これはもう他の方にお渡ししてはならないように思う。

人のエネルギーの化学反応って微細だが、その微細なものの蓄積が大きな結果を生む。

ので、いつか自分がチョイスしたときに使うために持ち帰ることにした。そして新しいものを発注しよう。何で自分は平気なのか?と言うと、準備があるから。

まっさらではない。自分も過去辿ったことがある変容なので自覚して使えばおさらい出来る。

のだけど、それを知らない人に他人のエネルギーによる反応をぶつけるのはちと乱暴に思ったから。

アクセサリーの作成の際もそうだけど、何だかいちいち手間をかけて忙しくしているようだが、自分的には必要なことなので仕方がない。

******************

親しくしていらっしゃる三人組の方々からヨガレイキにグループでのお申し込みあり。

そして、あわよくばパワーストーンのアクセサリー教室も・・・というご希望だったのだけど、ヨガが終わって互いにレイキを当て合う段階になってから「こりゃ、いかん。」と皆さん騒ぎ出す。

何故ならばサードを受けてから数年経っていた故、同時に教わったはずなのに様々な手技が三者三様だったので。

私としてはちゃんと自分に手を充て浸透していれば良いと思うし、場所も相手も浄化出来ていれば良いと思うのだけど、三人とも激しく動揺。
そして、もっとも一番驚いていたのは私のやり方と違ってたところらしい。

しかし、こういったことはよくある。例え、同じ場所で同じものを見ていて聴いていたとしても、人は同じ世界に居るようでいて、それぞれ違う景色にフォーカスを当て、違うものを見、違うものを聴いている。

それは悪いことじゃない。

でも、求めて下さったので「もっと効かせたいのなら」というテーマで一個一個答えているうちに、結局レイキの再受講&トレーニングの会になってしまった。

アクセサリーまでには時間が回らなかったものの、全員が全員の手を感じて、修正すべきところは修正出来て、そして、御多分に漏れず、よく笑った。

元々仲の良い人々らしいが、やっているうちにまだ知らない相手の素顔が見えたときには突然涙する人も居た。

レイキの世界では言語ももちろん大切なのだけど、こんな非言語の一瞬の理解も起こり得る。

そんなハグもあり、そしてやっぱり暖かな手があり。

蓋を開けて見なければ分からないのがこの日々なのだけど、皆笑顔で帰って行った。それぞれの日常へと。

*****************

先日、うちに通っている依頼人さんのお一人が親族が癌になったというエピソードをお話して下さった。

当然、家族としての嘆きや悲しみや祈りがある。

でも、さらに彼女はベテランナースだったので、現場で色んなケースを見て来た分、余計に強く願うところがあった。

医療従事者が代替医療を軽んじるケースも多いが、今の世の中、逆もまたしかり。

彼女のエピソードに出て来たそのご本人は、長年信じる代替医療との付き合いが長かったために抗がん剤を拒否しているという現状があった。

薬が如何に毒なのか?とかいう論法を初めとし、西洋医学を悪だと思い込んでいるところがあった。

実は、私も病棟勤務の頃にもプライベートのときにも、そして今の仕事のときにも色んな方々にお会いするものの、この「どちらかひとつ!」という傾向が強くなってしまう人のケースは多い。

もちろん、そのケースが多いと言っても、そこには一人一人の背景があって、例え薬を使わなくともそれが本人にとっての間違いでは決してないというケースもあった。

でも、中には病室に怪しい掛け軸や壺が置いてあったり、治療は受けないけれど徹夜でそれに拝み倒しているというような方もいらした。

そして、今でも時々こういった方がいらっしゃる。「実は、目の手術を受けなければならないんですけど、夢でかおるさんのレイキを受けたら手術の必要はないって言われたので来ました!」とか。← 誰に言われたんだ、誰に。主語がないぞ。あと、何で今回が初対面なのに勝手に夢に出すんだ?

そういうときの私は「手術を受ければ治る病名なので、受けて下さい。」と言う。

「だって、怖いもん。」

はたまたある人は、「引きこもりで風呂いも入れない。レイキでがつーん!と就職出来るようにして下さい。」とか。

私は、その人の頭で真っ黒に汚れたシーツやほんの数十分で匂いの染みついた枕を片づけつつ、レイキに来る前の日には風呂に入っていて欲しいと言う。何故ならばレイキよりずっと手前に位置する大切なことだから。

怖さや、努力からの逃避のために代替医療を使おうとするのなら、それは効かないだろう。

そして、医療そのものも、きちんと説明がなされていて心が通じ合っていなければどんな治療もうまく行かないだろう。

幸い、私には思い切り伝えられる機会があった。病室に壺おいていた人も病院から逃げて来て「怖いから簡単に直して。」という人にも、何がどう違うのか?ということが説明する機会があった。

でも、今回、親族である彼女は元々感受性が強い上に色んなことを考えすぎて、はたまた現状的に思い切り伝えられない部分があった。

色々聴いているうちに「それを言うんだよ。ほんとに色々迷うんだけど、病気の人もそうでない人も今が大切なんだよ。」なんてことを彼女に伝える。

「うん。うん。」と言いつつ彼女の両の目から優しい涙がとめどもなく溢れる。

そして、彼女がとある決心をしたその時、偶然、いや、多分偶然ではないのだろう。本人からのメールが届いていた。

泣きながら、その内容を読んだとき、恐怖やパニックの中、様々な猜疑心に固まっていた心が彼女の愛でほどけて・・・、そして彼女の想いが伝わったとしか思えない文面があり、彼女は私にその画面を見せてくれた。

良かったね・・・と言う。

「今、メールを返して良いですか?」

もちろん!今すぐ!どんなに大事なのか?どうしてこうして欲しいと願うのか?ということも全部。

今、今。今伝えるんだ。

*****************

薬は悪だという類の本は、たちまちベストセラーになる。小さな命が呼ぶとき [DVD] / ブレンダン・フレイザー, ハリソン・フォード, ケリー・ラッセル, ジャレッド・ハリス (出演); トム・ヴォーン (監督)

でも、薬もフラワーエッセンスもオーラソーマも、あらゆるものが元々は一つの出発点にあった。

古代、女性が出産する小屋の周りでせっせと麻薬を燃やす親族は、少しでもその痛みを楽にするための苦肉の策としてこの方法を選んだ。

薬の進歩は、最初は道に生えていた草を食べてみたり失敗していのちを落としてしまったり、さらに言うとそんな失敗があった後にも人類はくじけなかったというところに要因する。

特に身内が不治の病になったときほど、その進歩は躍進したことだろう。

そうして多くの人が死んで行き、あるいは”このような状態になったときには確かこれで治った”というような経験も繰り返し、その知識は膨大なものとなった。

つまりは先人が残して行った知識がここにあるわけである。

もちろん現代に限らず、商的要素は絡むのだが、それは古代とても同じことだった。でも、やっぱり根本は愛だった。

オーラソーマのヴィッキーさんは、この古代の人々がやったことを、あえてやり直すようなやり方で薬草やパワーストーンのカラーや効能を駆使して新しいカラーシステムを作った。

先祖が膨大な時間をかけて作り上げて来てくれたのだからもう良いじゃないかと思う反面、体感するということはとても良いことだと思う。

ただ、薬は悪ではない。

私は医療と代替医療の中間地点に居る。それは両方とも必要なものだから。

「病院へ行ったら、薬漬けにされる。金儲けのためだ!」

いやいや、病院はわざわざ要らない薬を処方したりそんな悪意を持たなくとも経営して行けるでしょう。

ただ、伝え方が下手な人や、薬が現代ここにあるという意味を把握していないまま薬を使おうとする人も居るのがネック。

そんな折、この映画を観た。

”小さな命が呼ぶとき”。

物語の中での父親は、我が子を助けるために頭を使い体を使い、偏屈な研究者の権威とタッグを組み、新薬を開発して行く。

我が子の命を救うために、彼は奔走する。

ある日、病気の娘がそんな父に言う。

「おとうさん、帰って来てもかまってくれない!」とヒスを起こすのだが、今、何をやっているのか?ということをはっきり娘に明かすと、娘が言う。

「ピンクにしてね。」

ええっ?

「そのお薬、このお洋服と同じピンク色の薬にしてね。」

分かった と父が言う。(後に異例の短期間で新薬を開発することに成功して実際に投与されるとき、良くなって行くのにも関わらず、この娘さんが「ピンクじゃないっ!」と不満を述べるのだけど。w)


他にも製薬に携わる世界の色んな人物が登場するのだが、ここでは割愛しよう。

でも、たまたま映画になったこの奇跡のような実話の他にも、こういったドラマは人知れず古代でも現代でも世界のあらゆるところで無数に起こっていることだろう。

先人が既に辿って来た道をなぞることも良い。

それによる新たな発見もあるだろう。

ただ、この世界を私は愛している。

何かを打ち出して行くときに、何かを異常なほど批判しなければならなかったりするのはどこかが変だ。

どこかで世を憎みながらも、そのくせ世に甘えているというところも。

一つ一つ、一つ、一つ、自分の目で見て感じて行けば、実はこの世に悪いものはない。

ただ、それをトータルで観れていないというだけのこと。

そうして憎しみや怒り・恐怖や批判の中からは何も生まれない。相反して、誰かが誰かを想う気持ちはこの世界をどこまでも広くする。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。


 

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2012年11月19日

”丹波も案外アホじゃのう!”と彼は言った(笑)

kちゃんのコンサルテーション。

その直前まで、とあるご親族のエピソードを聴かせて下さっていたのだけど、一本目に諸にそのテーマが現れる。

ブレス・オブ・ラブ。愛の呼吸。

これは懐かしき昔の私の課題ボトル。

人の痛みと自分の痛みの境界線が分からなくなってしまう人がしばしば選ぶ。

彼女の場合は、これが人生全体の課題であり、大きな大きな可能性を秘めた才能だということになる。

感じやすく傷つきやすく何倍も痛いという感性の側面は、その昔、邪魔で仕方ないくらいに辛く感じていたのだけど、実はそれだからこそ出来ることが沢山ある。

人はそれぞれ持って生まれたものがあるのだけど、それをネガティブに使うか、それとも役立てるツールとして使うかで人生が大きく変わる。

そして、その人がそれに気が付き自分を知ると、その周りの人々までもが変わる。

二本目に来た課題ボトル、つまり今チャレンジ中のテーマに位置するボトルは、ジュエル・イン・ロータス。蓮の花の中の宝石。

私は、このボトルと、このボトルの上下関係が逆バージョンの”花の鎖”を見つめる度に、今でも少し泣きたくなる。

涙を流して流して、泣いて泣いて、痛みに耐えて、感じることは辛過ぎる。でも、その浄化の果てにピンクの蓮の花がポン!と咲く。

三本目。出ました、セラピスベイ。今この時、激しい浄化の時期を迎えている。順を追って向かって左へと一本一本のボトルを見ているうちに「う。もしも私からうつっていたのならごめんなさい。」と内心思ってしまうのだけど、いや、これは宇宙全体、この世界全体の連鎖だと感じ取る。

浄化したいのね。

向き合って話しているうちにも浄化されて行くので、いつもことあるごとに「それが分からない、見えない。」と言っていた彼女の視覚のブロックが取れて行き、ボトルの中に虹が観れるようになる。

浄化は癒し。

消毒されて、初めてその後につける薬が効いて来るように。


四本目。実はこの旅は、オールド・ソウルへと続く旅だった。

幾千万の痛みや悲しみの度に流し損ねて来た涙を流し、自分の魂の記憶を取り戻して行く旅。

ロイヤルブルーとレモンイエローのボトルを振ると真実の深いグリーンが現れた。

*********************

仕事の後、m子さんが「レイトショーで”のぼうの城”を観に行こう。」と言う。

あらまあ。。。観たいのよねえ。

いや、でも、実はそれ、旦那と観に行く約束をしていて、あと、今日こそプリンターを観に行こうと思っていて・・・・。

しかし、”観てぇーなー!”と思う。そりゃもう今すぐ観たい。

すると、m子さん曰く「大丈夫!」と言う。

え?何が大丈夫?

「かおちゃんなら二回観に行くから。旦那さんとは次回行くと良い。」

何でそうと決めつけるのか?と訊いたところ、「私が二回目だから。」とのことだったので笑った。

*********************

通常、気になる作品は映画→小説の順番で触れた方がガッカリする確率が少ないと思っていた。のぼうの城

文章よりも短時間で映像化された場合の方が荒いに決まっていると思い込んでいたから。

しかし、今回は小説→漫画→映画の順番で観たのにも関わらず楽しかった。

というか、映像でしか語れないこともあるのだなあと思った。

風景や人物や大地の美しさ。そして何でもない田植えのシーンですら美しかった。

そして、今回の場合、主人公の城主のキャラに野村さんを持って来るのは綺麗過ぎて失敗なのでは?と観る直前まで思っていたのだけど、観始めると流石だなあ〜。。。。と思ってしまう。

どんなに呆けても崩しても格好の良さは隠せないのだけど、小説にも漫画にも無い面白さが出ていた。考えて見ればそうでもなければわざわざ観る甲斐がないか!と新しい発見。当たり前だけど上手いなあ。

それにしても、平和でのどかな光景を愛するのと同時に自分の戦い好きには未だに呆れる。でも、ただむやみやたらに戦うわけじゃない。

とは言っても、戦は戦。

そんなわけで、「えぐいの嫌い。暴力反対。」とか「怖い、怖い。」言っている友人とは一緒に観れない映画が多い。

そして、そんなふうに「怖い、怖い。」言っている人が実は強きを助け弱きを挫く人間性だったり、その人自身がよっぽど支配的だったりすることを知っているから。

虐待は、戦わない人、向き合わない鬱屈した人々の手によって成される。

ストーリー中に”利と金に転ばぬ人”を求めたり見い出す人間の目が光る。

人が輝く時ってのは、要らない情報ばかりを垢のように身に纏ったり、出歯亀のように他人のことを知りたがる時じゃない。

でも、損得や打算にまみれて生きていると、恨みながら人に近づいたり、眉間に皺を寄せたまま高笑いするという、輝くどころか非常に不気味な状態になってしまうし、言動も不可解になる。もはや本人ですら分からなくなるほどに。

簡単に言うと面倒臭い人になってしまう。

そして人の心というのはどんなに情報が発達した時代になろうがその実単純で、失礼なことをしたり言ったりしても、あるいは面倒臭いなーと思われるほどの迷惑かけても存続する付き合いと言えば親くらいなもんだ。

そうそう、親に求めるようなことをそのまんま職場や他人にも求めてしまっているので妙なことになっている。いや、良い年こいてくると親にそれをするのもどうか?とも思って来るけど。

そういった人々とのことを複雑な人々だとは思わない。深いとも思わない。本心ではなくて単なる垢なので、むしろ、先が見えて冷めるわあ。

一方で、映像に出てくる侍たちも民百姓の方々も、一見単純なようでいて、実は、眠れないほどに考えている。

そして、私はいつの世も、命懸けの状態の中でも、逞しく握り飯食ったり、踊ったりしているような人間が好きだ。

繊細さや痛みを抱えながらも、同時に、泣いている人をも笑わせる人間の知恵と逞しさが大好きだ。


400年前の史実に基づいて作られたこの作品を見終わったとき、昼間コンサルテーションを請け負ったkちゃんのオールド・ソウルが浮かびあがって来た。

表面に出す出さないをコントロール出来るだけで、私もkちゃんと同じく泣きながらも戦う、血湧き、肉踊るという一面がある。

そうかあ、オールドソウルには色んな記憶が刻まれているのだなあ。

ということは、昔から”心が大切なんだよ”というグリーンの真実があったのだと言うこと。


ちなみに、ラストサムライや壬生義士伝以来、久しぶりに思った。このDVD、買いだわ。と。

そして、余談だけど、この城主がやろうとしたことって、真逆の立場ながら、五十嵐大介さんの作品の”魔女 第2集”に出て来た魔女がやったことと同じ意味のことだ。魔女 第2集 (IKKI COMICS) [コミック] / 五十嵐 大介 (著); 小学館 (刊)

涙出る。

*****************

今日もありがとうございました。

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2012年06月28日

これじゃないし でも、ありがとう

数か月前、元同僚が引っ越しをすると言っていて、その引っ越し先が割と近い模様だった。

「早めの時期にいつって言ってくれたら手伝えるよ。」と言っていたのだけど、結局気を使ったのか連絡があったのがつい最近。

「終わったよー。近いうちに遊びに来て。」と。

シンプルだけど美味しい手料理を作ってくれて、しかもまだ明るいうちからビールですか。

互いの近況などを話してお腹痛くなるほど笑って、そろそろ退散しようとする際に「この辺は、本屋さんある?」と訊いてみた。

「なんで?」

いや、自宅まではちょいと電車に揺られる距離なんで、何でも良いから活字か漫画見ながら帰ろうと思って。

「あ、じゃ、何か貸してあげるよ。」

あ、そう?心理学とか看護とかレイキとかよしてね。もうそりゃー、気楽に読めるようなくだらないやつほど良い。(今日は)

「疲れとるのだな。よしよし、良いもの貸してやろう。でも、かおちゃんはくだらないの渡すと『なんだ、あれ、面白くねえ!』って言って来る非常に可愛らしい性格なのよねえ。」と頬っぺたをつねられたので「いてっ!」と振り払う。憎しみこもっとるのう。

しかし、「はいよ。」と渡してくれた一冊の本は本屋さんの広告紙でカバーされていたので何か分からなかったけど、お礼を言って退散。

しかし、電車の中で読み始めて「・・・・・・・・・。どこが気楽なんだよ。」と思う。パピヨン  死と看取りへの旅 (角川文庫(学芸)) [文庫] / 田口 ランディ (著); 角川学芸出版 (刊)

諸、看護にも心理学にもスピリチュアルにも絡んでるじゃん。あいつ、まじで人の話聴いてねえー。

エリザベス・キューブラー・ロスの転載が沢山内容に盛り込まれていた。

しかし、引き込まれるように読みふけってしまう性。

何で評伝的なものが嫌いなのか?と言うと、有名な本の解釈って人それぞれ違うし、人それぞれが大切に心に留めておきたい的なデリケートな部分が多いから、全く違う解釈だったり、ましてや万が一好きなものを批判されたり誤解されていた場合、「ちがーーうっ。」と腹が立って来てしまうから。ええ、もうそりゃあ勝手に。

でも、そのズレがなかった。

そうそう。エリザベスさんは正直で頑固もの。そして『神様が甘いパイばかりくれると思ったら大間違いよ。』と豪語した人。

さらに「だから、グルを探す必要もないし、インドに行く必要もない。(グルに依存したりインド行ってもそれだろ?)」ってな調子で、受け容れるものは受け容れつつも生涯自分の頭で本当の意味で考え続けた人。

スピリチュアルボケしたり現実逃避することなく、むしろその霊的な能力を現実に生かした人。決して人々の期待するような綺麗ごとでは片付けない。

その辺のずれがなくて嬉しくて頷きながら読んでいたのだけど、途中、著者の幼少時の諸事情が描写されている個所を読んだときには非常に辛かった。

真面目で道徳観があるけれど、むしろそれ故にアル中になったお父さんがしょっちゅう前触れもなく家の中で暴れる。殴ったり包丁を振り回したり怒号したり。

こういったエピソードは、カウンセリングという場面ではしょっちゅう聴くし、その場面では心の準備が出来ているので真っ向から受け止めるのだけど、このシチュエーションでこんなに克明に描写されると辛いのよね。

私の場合は、父ではなくて、暴れたり怒号したり殴ったりするのが母だった。

が、それがある意味、余計に悲しい。

幼い頃、いつ何時弱いものを攻撃し出す親に対して子供が持つ感情は怒りと恐怖と途方もない不安と、学習性無力感。そして、悲しみ。

特に物心ついたあたりからの怒りの段階は凄まじいものがあると思う。

「おまえがちゃんとしないからうまく行かないんだろ?だったらうまく行く方法や成長出来る方法を考えろ。世間に立ち向かえないからって弱き者にぶつけるなよ。」というモノの道理が分かって来るからだ。

そして、それら様々な感情を乗り越えた後、怒りだけが残る人も居るし、恐怖のみが残る人も居るし、人それぞれの後遺症がある。

私の場合は、”悲しみ”だけだった。

親を愛したいよ。当時の親ほどに年をとり同じく子育てをし始めれば共感出来る日が来るのか?と思いきや、余計に頭に来たりしてね。

出来れば愛したいよ。

しかし、小学、中学、高校、成人と子供が大きくなるごとに、”可愛いじゃないか”と思う。

”なんで、おまえ、こんな年頃の子にあんなことをした?何で出来た?こんなに可愛いじゃないか?!”と。

若き日の私は、この輪廻を断ち切る決心をした。

ランディさんの成し遂げた描写は、乗り越えた者ならではこそ、やってのけられる描写の力技だ。

そして、彼女はさらにその先へと行った。

実兄の統合失調症の発症は、そんな家庭環境とは無関係なはずもなく、彼もまた非業の死を遂げる。

「母は父にいびりころされた。」という思いでランディさんはそれからまもなくお母様を看取った。


しかし、何がそうさせるのか?彼女のとった行動はまさに奉仕と献身だった。

憎たらしい、許せない、憎たらしい、許せない。でも、その思いを抱えたまま最後に残ったお父さんのために尽力を尽くした。

その間に、沢山の怒鳴り合いが二人にあったが、最後の方の場面で、やっと一つのホスピスに辿りつき、あの暴君だった父と手を繋いで、イベントをみているシーンがある。

私はこのとき、「ああ、・・・」と思った。まるで彼がランディさんの子供のようになっていたから。

そして、その時が一番、おそらくは生涯最後の、二人の穏やかな時間だった。

子供は大きくなって親の親になるのかも知れない。

実は子供がそこを捨てて、向き合い、親を追い越したとき、その瞬間はやって来るのかも知れない。


それから、別件で。

ランディさんは、キュブラー・ロスが収容所で見たという無数の蝶の絵を探しに行ったのだが、それが、何と見つからない。

ええええ?無いの?と私も一瞬動揺した。

そうすると、エリザベスさんの改ざんとか記憶違いが疑われて来るのだど、この場面ですら私はそうは思わなかった。

エリザベスが観た蝶は、必ずそこに存在していると思った。

果たして、収容所で人々が描いた蝶は、本当にそこにあった。

それを彼女が見つけるというプロセスに長い長い旅路の意味と貴重さを見た。

”あなたに見えているもの全てが世界だと思ったら大間違いよ。”というエリザベスの声が聴こえる。

***************

あと、晩年のエリザベスが語っていた言葉に「亡くなっている人のエネルギーは無数の雪にようにみえることもあるのよ。」と語られている際にちょいと衝撃も受けた。

訪問入浴を続けている人々一緒に仕事をしていると、よく三人同時に不思議なものを目にすることがあるのだが。

いつぞや、春先に観たあれは。

空からではなく、地面から舞いあがって来ている無数のあれは。

もしかしたらここに書かれている生命体のことだったのかもしれない。

******************

結局のところ、彼女はエリザベスが繰り返し語っていた蝶に思いもよらない方法で遭遇することになる。

*******************

何とも言えない悲しみが残る。

でも、紛れもない生の喜びも残る。

心から読んで良かったとも思える本だった。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。

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2012年04月15日

空虚と蛇

友人が事務所に持って来た漫画に”ヨルムンガンド”ってのがあった。

「面白いから読んで見て。」と言われたのだが、表紙絵と中をぱらぱらーと覗いて見ただけで『多分、読まないんじゃないかな?これ。』と思った。20120414.JPG

「絵が嫌いなんでしょ?」と言われるのだけど、それもそうかも?と思う。

でも、ほんとの理由は、映画でもドラマでも小説や漫画でも、あまりに現実離れしたものには興味が湧かないって言うのが本音。

その一方で、現実を生き抜いている人が描いたものなら、それがファンタジーでもSFでもアニメでも面白く感じる。何故ならば、そこに現実が投影されているから。

そうすると、そうか、実はジャンルや絵じゃないのだなあ〜と気がついた。

現実の何かから目を背けるために、自分の妄想に浸る人の世界には興味が湧かない。

それは人を相手にしている場合もそうで、どんなに膨大なマシンガントークにいくら時間を費やして聴いたところで、絶対に新しい展開は無いということを嫌と言うほど見て来たから。所詮は同じ話なのだ。妄想を話しても現実を話してもさして変わりない。

が、そういう人に限って多くの人の多くの時間をただで奪いたがるのも事実だった。

あるいは、その時間を奪わせてくれるかどうか?で人の愛情や自分の価値を推し量ろうとする。無謀な心の暴飲暴食だなあと思う。それはいつまで経っても、どこで誰の時間を奪っても満たされない。いつか謙虚に現実を観ようとするその日まで。

「でも、いつか他の漫画を読んだときも言ってたじゃない?『最初は絵が嫌いだったのに、読んで行くうちに色んなキャラに引き込まれて行って表情を感じるようになった。面白かった。』って。」

そう言われて数日後に読み始めてみたら、あら、彼女の言う通り、思っていたよりずっと面白い。

確かにキャラに表情が見えて来た。ただ、無駄な線が無いと言うだけで、実は深い作品だった。そのシンプルな線だけで全てが表現されている。

架空のお話であっても、この方は人や自分をよく見つめてる。嘘や綺麗事が無い。

本当の悲しさがある分、本当の喜びがある。

今や、その漫画の冒頭の言葉が気に入っている。面白いなあーと思った。

”五つの大陸を食らい尽くし
七つの海を飲み干しても
空だけはどうすることもできない。
翼も手も足も無いこの身では。

我は世界蛇。

我はヨルムンガンド”


この言葉から色んなことを連想した。

蛇は何でも食う。

動くものなら何にでも反射して食らいつくそうとする。

生きているものが見つからない場合は仕方なく死んだ餌でも食べるかも知れないが。

でも、手も足も翼も持っていないので、次の次元に伸びることがない。

ただ、動くものや光るもの次々と目を移し、ギラギラと食らうチャンスを窺っている。

でも、その蛇の一匹が胴体を持ち上げたとき、『この胴体を支える二の手が欲しい。』と思ったかも知れない。

それは自分で自分を支えようとする意思を持ったから。

そして、低次元を這いつくばるよりは、まっすぐ進む足が欲しいと思ったかも知れない。

それは自分で進もうという意思を持ったから。

蛇はある時、気がついたのかも知れない。

翼や手や足がある者を食らい続けても、妨害しても、巻きついても、自分に翼も手も足も生えやしないということを。

欲しい欲しいと羨ましがり食らうばかりでは、いつまで経ってもただの嫉妬深い蛇に過ぎないと。

そうして手足や翼を持った生き物になったとしても、実は使わないものはどんどん退化するというのが現実の進化論。

使わない手や足は退化する。

人をギラギラ見つめて模倣しているうちに、搾取することばかり考えているうちに、蛇に戻ってしまうかも知れない。
使わないもんなら要らないだろう。

蛇は、人の翼や手足を食らう衝動に時間を費やすうちに、鏡(つまりは自分)を観なくなるので、自分の姿に気づかない。

誰かに嫉妬して、その誰かを悪く言ったり、あるいは具体的に『Aさんは良いなあ。あれが出来て。』と言っているのを聴くとき、思う。

え?だって、あなた、Aさんの分野の勉強してないじゃん。何のトレーニングもしてないじゃん。手も足も時間も使ってないじゃん。ただひたすら、良いなあ、良いなあと怒っているばかりで。恨みや嫉妬に体温を奪われるばかりで。

『Aさんの全ての時間が欲しい。』『Aさんを愛する人の愛が欲しい。』『誰誰には、自分を観ていて欲しい。他の人を観ないで欲しい。』

えーと、だから、何もしてないよね?結局。

『それは仕事があったからで。』『それはお金が無いからで。』『それはほら病気だからで。』といくら理由をつけて見ても、現実的には何もしていないよね。

でも、蛇には耳もなかったかなあ。

『ああ、欲しい。ああ欲しい。ああ、憎たらしい。』と物凄い目つきと、ゴワゴワ、ザラザラした冷たい肌に退化して行くばかり。

何もしないけれど、全てが欲しい。

何もしないけれど言い訳だけは無条件に聴いて欲しい。何かにチャレンジしたり輝いている人々に費やす時間を割いてでも、じっとりとぐろを巻いている自分と一緒に居て欲しい。

それは五つの大陸を食らい尽くし七つの海を飲み干すことよりも強欲でずうずうしいことだなあと思う。

でも、思うに、現実を生き、自分を生きようとしている人々は、嘘と偽物と言い訳が嫌いなのだと思う。

例え、その感性と自由に対していくら蛇が怒っても。

自分ではなくて人にやらせるということのためにどんな手段を使っても。

振り向かせるために、どんな手段を使っても。

そこにあるのは不毛と怠惰だということを知っているから。

じゃあ、何で知っているのか?と言うと、その人もまた同じスタート地点から出発して全てを、一つ一つ体験して来たからかも知れない。

ハートのど真ん中で。

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今日もありがとうございました。

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2012年04月01日

清志郎 ナリサリ ライヴ

IさんとPuss in bootsを観に行こうと画策していたのは確か一月の末くらいからだったかも知れない。

「三月に公開されたら観に行こうね!」と。

ところが、この三月がとても忙しかったので互いのスケジュールがなかなか合わなかった。っていうか、ほとんど私のせい。

「でも、四月もまだやっているだろうから♪」と言って下さったので、つい先日、最寄りの映画館のHPにアクセスし、上映カレンダーで確かめようと思って調べていた。

そこで私的に大変なものを見つけてしまう。201203312.JPG

「何、これ!」

それはたいしたことない人にはたいしたことないが私とIさんにとっては重要なニュース。

”忌野清志郎 ナリサリ ライブ”

それは、その映画館ではたったの一日。31日の一回こっきりしか上映予定がなかった。

さっそくIさんに告げると「やばい!どうしても行かなきゃ!行けますか?行きましょう!」と予想通りの反応。

「夜20時〜22時の一回だけみたいですよ。」


当日は朝から物凄い突風が吹き荒れていたが、事務所に行く前に予めチケットを買っておいた。

大丈夫だとは思うのだけど念のため。

本当に、驚くくらいの強風だった。


そして、夜、まだ少し早い時間にIさんが事務所に到着したので、しばし二人で飲む。

こちらもつまみやビールを用意しておいたのだけど、Iさんもどっさり買い込んで来ていて、白ちゃんも参加して、さりげなくビールを舐めたりつまみを食べたりして「にゃうにゃう。」言っていた。

白ちゃん、清志郎、知っているの?

訪問入浴での仕事の話も出るのだが、時間が迫って来るごとに清志郎とその友人関係のアーティストさんたちの話にシフトして行く。

デイ・ドリーム・ビリーバー (ウルフルズ&忌野清志郎)

そして、会場へ。

かつて行われたこのライブは直接には観れなかったのだけど、内田勘太郎、木村充揮、宮藤官九郎、斉藤和義、、Chara、トータス松本、仲井戸麗市、中村獅童、間寛平、間慎太郎、ハナレグミ、矢野顕子、山崎まさよしさんらの素晴らしいコラボが聴けた。見れた。

ちょいちょい竹中さんたちも出演していた。

ライブ形式なのでワンドリンク制で、入口ではクラッカーや紙吹雪が渡される。

そのスクリーンが開くその前に、何と、バースデーケーキが運ばれて来た。

その沢山のキャンドルが灯った大きなケーキを観て既に涙が吹き出してしまうのだけど、皆で大声でハッピーバースデーを歌った。

清志郎さん生誕61thの、まさに今日がバースデーだったのだ。
201203313.JPG

そして、どの曲も懐かしくてせつなくてはじけていて。

そして清志郎さんの回りの人々もキラキラしていた。

それだけでも胸がいっぱいだったというのに、途中であることに気がついた。

私の隣の席の人が私を飛び越えるように頭を前に倒し、Iさんの方を何度も見つめているのだ。

なんだ?Iさんが美人だからナンパしようと思っているの?と思って気がつかないふりをしていたのだけど、それが三回も四回ともなると思わず「きっ!」と横を観てしまう。

が、そこには、誰も座っていなかった。

そう言えば、そうだ。割と混んでいる会場だったのに、何故だかこの2席だけがぽつんと空いていたのを思い出した。

なんでだろ?誰か居るの?

そして、それが女性であること。はたまたその向こう側にもっと小さい魂が座っている。

私は即座に「あ!そうか!」と思い、Iさんに「席を変わった方が良いみたい。隣に誰か居る。大きいのと小さいの。」と言っている途中から涙が滝のように流れたのは、聴いているIさんも同じだった。

席を変わると何だか四人でスクリーンを観て楽しんでいるような気持ちになれた。

そのお友達はちょいと強めな口調の人だったらしく「何で変わらないんだよ。気が利かねーな。」と言っていたような気がしたのだけど「うん、そういう子だったんです。」と、それきり、私たちはスクリーンを観て泣いたり、真横の、何故だか召喚されているお客様たちのエネルギーを感じ取り、そちらの意味でも号泣した。

あの震災で流されてしまったIさんの親友とそのお子さん。

いつも清志郎を聴いていたという。

そして、彼女が岩手に引っ越して行く日に、丁度清志郎さんが亡くなった。

あまりに辛い出来事だったのでその後も二人でその話に触れることはなかったそうだが。

今日、皆で大好きな曲を沢山聴くことが出来た。


会場を出る頃には互いに泣き腫らした目をしていたのだけど「来て良かったね。」と、また涙が流れた。

もしかしたら、私はIさんのご友人親子にチケットを買うように言われたのかも知れない。

たった二つポツンと空いた席には気が強くて暖かい女性とお子さんとがIさんと並んで観ているかのような、幸せで楽しいエネルギーが存在していた。

大切な人を失うと辛く悲しいのだけど、そのことと言い、ライブが始まる前に皆でハッピーバースデー清志郎〜♪と歌ったことと言い、大切な人は実は死んでいない、そのまた大切な人の心の中で生き続けているのだと言うことを感じた。

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今日もありがとうございました。

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2012年01月24日

猫好きでないと描けないアニメ / 雪

久しぶりにヘルパーさんのMさんに会ったのだけど、顔を合わすなりいきなり互いに自分の言いたいことを言う。

Mさんは「もう!餃子食べて来てお腹いっぱい!」とか「風邪で二日間寝込んでいたんです!」とか言っていて、私の方は「昨日の夜、山本五十六観て来たんだけど、予告バージョンで観た『長靴をはいた猫』が可愛かった!3月に公開だって!観に行こう!」とか。

しばらく会っていないとこういうことになるのだが、セッション内ではない場合、私の口は大抵の人に勝ってしまう。(んだからこそ、セッション中に口を閉じて聴けるというこのプライベートとのバランス。)

数分後、二人、YouTubeで長靴を履いた猫のCMを無言で観いると「あ!かっわいいー!シュレックの子か!」とMさんが言う。

そうだったんだー。

私、アニメなんてなかなか観ないけど確かシュレックは観たと思ったんだけどなー。こんな子出ていたっけ?

と思って検索して観たのだけど、出ていた。もしかしてシュレック2の方は観ていないのかも。

しかし、もう、滅茶苦茶可愛い。アニメ、恐るべし。

*****************

雨が降りしきる一日。

天気予報では雪になると言っていたけど本当かしら?

なんて思いつつ、いつもより少し早い帰り道。

すると、家に着いた直後に、あっという間に雪に変わった。

大粒の雪で、世界があっと言う間にケーキのように変わった。

休日で家に居たらしき長女くんと二人、ベランダをいつまでも開け放して「すっごいねえ、綺麗だねえ。」と言っていたのは良いが、今しがた別れて来たばかりの白ちゃんが気になる。

屋内だから大丈夫だと思うのだけど、どんな想いで過ごしているかな?と、この雪がいつにも増して想いを強くする。

てな心配をしつつ、ふと我にかえって長女くんを観ると、メイクをしている途中だったようだ。

私が窓から雪を観た瞬間、勝手に彼女の部屋へ飛び込んで言って「雪だよ!」と騒いで、それきり二人で景色を見つめていたので、すぐには気がつかなかった。

こんな夜遅くにどっこ行くのっ!?雪だよ、雪!

「あっちゃんと会うんだよー。久々に一緒にご飯食べるの。しかも22時に!」

あっちゃんと言うのは小学校からの親友の一人なのだけど、聴くところによると、彼女と会うときには、台風やら大雪やらが多いのだと聴いて爆笑。

それでも決して中止にしないなんて凄いね。

「そうなのよ、ロマンチックでしょう?」と自慢げなので、それもまた笑えてしまう。

そこへ夫から「心配でしょうから、今日は早く帰るよ。」と。いやいや、まだ誰もそんなこと言っていないんですけど。

次女くんからは連絡が来ない。彼氏のところに行くのかな。会いたくなるかも知れないね。家に帰って来るのなら、早く帰って来て。

この世界の皆が暖かいところで休んでいますように。

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今日もありがとうございました。

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2012年01月23日

娘と飲み会 / 五十六

雪の日の翌日。

雨に変わっているので気温としては前日よりは高かったのだろう。しかし、やはり寒い。

足元の悪い中をカウンセリングにお越し下さった方々をお一人お一人送りだし、夜になっても降っていた。

そこに夫から電話がかかり「今、駅まで次女くんを迎えに行って来たところ。」とのこと。

いちいち報告しなくても良いことなのだけど、笑ってしまう。娘に「お父さん、迎えに来て。」と言われて嬉しかったのねえ。

ほとんど近親憎悪で普段仲が悪い二人。そして、普段はお父さんに対して目も当てられぬほどきつい物言いをする次女くんだが、何か困ったことがあるときゃ結局お父さん。(笑)

あの震災の日にも都内から「お父さん、どうしよう?」と電話をかけて来た。

いやあ、何やかんや言っても、お父さんだね!と言うと、非常に気を良くした夫がウキウキしているのが電話ごしでも伝わって来る。

が、次女くんの声で「交通手段だけだよ。」とこれまた手酷い言葉が聴こえるので、項垂れているであろう夫の気配にまた爆笑してしまう。201201225.JPG

そして、この人、立川とは全く反対方向へと父を迎えに来させたというのに、「今からお母さんを迎えに行って三人で焼鳥でも食べようよ。」とのたもうているとのこと。

普段はこき使われると「ふざけんなよ、おまえ。調子にのんな。」と言う夫なのに、この時ばかりは「それは名案だな!」と二人で事務所へ向かっているとのこと。

「やった!ちょっとあがって久しぶりに白ちゃんとも語りたいよ!」と聴こえていた。201201226.JPG

私がそちらに帰って行った方が早いのだけど、この要望故に事務所で待つことと相成って、ほどなく次女くんが到着して入って来た。

白ちゃんもワーワー言っているのだが、次女くんの方もワーワー言っている。

その様子をほのぼのと眺めていたのだが、やがて次女くんが一点を見つめて「・・・・・・。お母さん、あれ、なあに?」と言う。

こういうときの表情は幼い頃から変わらず、何か信じがたいものが見えてしまっているときの顔だ。

うわー、何か、見たくねーなーと思いつつも怖々振り返って見ると、ずらーーっと窓辺に吊り下げているサンキャッチャーのうちの、たった一本だけが前後に激しく揺れている。

ええ、そりゃもう激しく。

「あたしが入って来てから揺れ出したんだけど・・・。何で他のは揺れないの?」

・・・・・。分かんない。

文章にするとたったこれだけの事なのだけど、実際目にすると、そりゃあもう異様な光景だった。

他のやつはピタッと静止しているのに、それだけが縦、前後にブンブン揺れているんだもん。

ペンジュラムで言うと「イエス、イエス。それで良し!」と言っている方向だ。

そのサンキャッチャーがブルーのスワロフスキーで作られていたため、「ブルーにはどんな意味があるの?」と訊いて来る次女くんだったが、よくもまあ、そんな質問が出るなあと、その着眼点に感心しつつ、色の言語について説明すると、一人で「なーるほどー。」と言っていた。201201234.JPG

あんまり不思議なんで写真か動画に撮ろうかな?と思ったのだが、何かが映っても怖いしな〜と言うと、「いや、誰かが揺らしているんじゃないよ。この中に入っている天使さん自体が揺れているんだよ。」と頷いている。

いやー、よく分からん。でも、次女くんには分かるらしいので深く考えるのは止めておこう。

結局、次女くんがこの事務所に居る間、ずっとずっと「イエス、イエス。OK,OK。」と言うかのように揺れていた。201201223.JPG

*******************

同じ携帯の機種で撮る写メでも、次女くんが撮る白ちゃんは、本当に普段の白ちゃんが素のままに映るな〜と感心していると「うん、あたし、写真うまいの。」と言うその自己肯定感。

しかも、猫までもが「にゃう。」と絶妙なタイミングで相槌を打つのでまた笑ってしまう。201201222.JPG

その後、雨の夜を少しドライブして三人で飲みに行った。

長年行っている焼鳥屋ではなくて、その近隣にあるここ数年のうちに出来たお店へ行った。

ここも美味しいところなので非常に喜んでいる仕事帰りの次女くん。

いつぞや、若くして飲ん兵衛のMさんが、酒飲んでいる最中に「うーむ、生きてて良かった!働いていて良かった!」と言うのを聴いて爆笑したのだけど、次女くんは美味い焼鳥を食べている最中に、全く持って同じセリフを言う。

「うーむ、美味い!生きてて良かった!良いこともあるもんだ!」と。201201221.JPG

それを聴いて、毎日いろーんなことと闘っているのだろうなあと思う。

長女くんにも電話してみたが、まだこの時間に横浜支店の方にいると聴いて、これまた頑張っているなーと思う。

なかなか家族が集える日は少ないのだけど、たまにこうして行きあたりばったりで杯酌み交わす夜を幸せに思う。

ゲラゲラ笑って夜がふけて行く。

*****************

夫の友人のTさんが『聯合艦隊司令長官 山本五十六』を三回も観たそうだ。

昨年の暮れにこの映画が出た頃から、この「Tさんが三回観たんだってさ。」という言葉を、こちらとしては三回以上夫から聴いている。

・・・・。要するに「観に行こうよ。」と言っているのだろうなあ。

仕事に追われてなかなか行けないので黙って頷いていたところ、とうとう「その日の最終タイムで観に行けば良いじゃない!」と言われて重い腰をあげた。

忙殺されているとか、白ちゃんと過ごしたいなどなど、諸々の理由はあるのだけど、何故に敬遠するのか?という一番の理由は・・・号泣すること間違いないからだ。

この中年夫婦は、歴史物が好きだという唯一の共通点があって、五十六さんの逸話なら、互いにいっぱい出し合って来た。

その五十六さんのお話だよ。しかも、役所公司さんや香川照之さんだよ。(たまに観たいなと思う邦画には必ずと言って良いほど出ているけどね。)

泣くでしょ、そりゃ。

ガダルカナルの兵士関連の話も出て来るだろう。みみずやカエルを食べても生きて帰ろうとしたけれど、蛆にたかられ病に苦しみ日本のために死んで行った人たちの話も。(実際観たらそんなには触れてなかったけどね。全部盛り込んでいたら語り切れないからだろう。)

翌日のことを考えると、観るのはなかなか勇気が要ることだわ。

なのだけど、せめて映画くらいは観なくてはなと余計に思う。

きっと今この時期にこんな映画が作られること自体、既に観る前から言いたいことが分かるような気がするけれど。

それで、ポップコーンやビールやコーラを持って映画館に二人入ったのは、多分もうおよそ一年ぶりくらいのことだった。

でも、冒頭でいきなりやられたわ。

役者さんってのは、それを演じるにあたって山ほどの逸話や人物像に触れて役作りするのは分かっているけれど、冒頭の、アカペラの民謡をBGMに五十六の両目がアップで映し出されただけでやられた。

もう目ぇ映した時点から、成り切っているのが想像されるのよね。


モハメド・アリもジョン・レノンも戦争をよしとしなかった。

狂気の国勢の最中でそれを公言することは大変なことだったと思う。

狂気でも、その数が多い方を、人は普通と錯覚するから。

そして、当時のこの日本で最後まで開戦に反対した男が五十六さんだった。

臆病で言っていたのではなく、日本の歩みと共に幾度となく参戦して来た彼は、誰よりも先見の明を持っていた。

戦争の悲惨さと個人個人の死の意味をリアルに想像出来る人だった。

「戦争は反対!格闘技なんて野蛮!」と言う中年の女性が、自分のペットや子供にDVをしていた。

自分の体調や保身のみが全ての感心事である人が、常日頃「心配してくれない!」と怒っていたが、夫が病に倒れると「何よ、それくらい。」と言っていた。

実は現代人の心の中で戦争は終わっていない。ただ、それを正当化する時間と余裕があるというだけなので質が悪い。

誰も愛さず自分の安全のことだけを考える人は別の意味での反戦派だけど、それは自分が怖いからだけのこと。要するに、そういった意味では無意識の参戦派なのだ。

自分より弱いモノ、あるいは人が見ていないところなら自分のために人を叩く。

その強迫観念が小さな戦争から大きな戦争を、どんなに平和な日常にでも創り上げてしまう。

そう言った意味とは全く違う位置から全てを悟っていた彼は、自分が開戦に反対しても誰にも聞き入れられないことすら分かっていたのだろう。

失望と悟りが同時に訪れる中、それでも慈愛を持って、最後まで出来ることをした。

身体と心と頭を鍛え抜いて、それを魂ごと添えて、この国にくれた。

「(自分が死んでも)50年後、100年後の日本人が担ってくれるだろう。でもなあ。同時にこの国は忘れるのが得意な民族でもあるんだよなあ。まあ、そこが長所でもあるんだけどね。」と彼は言った。よく怒りよく笑う人だったらしい。

一人一人が捨て石のように扱われて行く必死な情勢の中、彼の一言で、見捨てられたも同然だったガダルカナルへ兵士を迎えに行くことが叶い、全てではないけれど、およそ一万人の兵士が帰還出来た。

どんな思いで迎えの船を観ただろう。きっと蜃気楼のように観えたかも知れないし、その船を観た途端こと切れた人も居ただろう。

彼自身は、還らないことを選んだのに。

予想していたのだけど、予想以上に辛かった。


全く持って違うジャンルではあるけれど、”見直す”という意味では、いつぞや観た『武士の家計簿』を彷彿とさせられた。

静かななる闘い、本当の強さとは何か?を考えさせられた。

でも、思う。

こんな映画を作る人や語り継ぐ人が居るのだもの。

きっとこの国には新しい展開があるのだと思う。

彼は今も生きている。

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今日もありがとうございました。

良い一日でありますように。
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2012年01月22日

陰陽

堺さんの”チューボーですよ!”を観た後、数日以内にメニューにするという習慣があるのだけど、何やら一般家庭に無い材料が出て来ることもなく非常に日常的な素材で便利で美味しい。

仕事の都合で観れないことも多いのだけど、観れたら嬉しいこの番組。

今回はオムライス。で、先日は牛肉レタス。良いね、非常にシンプルで良いね。

シンプルなものほど誤魔化しが利かないだけにIHだと厳しいけどね。


で、余談だけど今回上川さんがゲストで出ていて、大分昔にマチャアキさんちに遊びに行ったときのエピソードを語られていた。

普通にする会話の中で「君は非常に真面目で良いけど負のパワーが足りないね。」と言われたそうだ。

「正の力があることは見るからに分かるけど、バランスが大切だ。」と言われた後、非常に俳優として伸びたという話。

この場合で言う負のパワーってのは、あり過ぎても暗くて陰気で困るのだけど、全く無くても困る。人も自分も疲れちゃうのさ。

要するに陰陽のバランスのこと。

なるほどー。深いなーと思いつつ聴いていた何気ない場面なのだけど、上川青年がマチャアキさんに対して畏怖の念を持っている表情がTVを通して見てもあきらかに分かった。

マチャアキさんは負を憎むのではなくて愛している。

”知る”と言うのは、そういうことでありたいなあ〜と思うよ。

びびって後ずさりばかりしていると、逃げたり憎んだり卑屈になってばかり。

だから、”知る”を知っている人こそ、おちゃらけられるのだなあ〜と、そんな余裕があるのだなあ〜と思う。

料理番組でそんな場面が見れるなんて、やっぱ、この番組は良い。&料理って素晴らしい。

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一ケ月ぶりのAさんがカウンセリングへお越しになって、彼女としては珍しいことではないのだけど、これまた素晴らしい花束を下さった。

たったの一ケ月ぶりなのだけど、年をまたいだこの一ケ月には色濃い歴史がある。

白ちゃんが走り寄る独特の様を観ていると、「おおー、マジで大変だったのですね。」と思うのだが、それとは別にお花を買う際のエピソードなどを話して下さって即座に感動する。

私がいつも使う駅前の花屋さんなのだけど、Aさんの感性を即座に理解して「こう?こう?これ?」と一本一本を合わせて行き、あっと言う間にその人が気に入る長さと位置に花を束ねる。

知っているお店だからその様子がよく分かる。

ただ花を束ねるだけでも、相手の目の輝きや反応を見つつ作るのでほんの数分の間に凄いことになる。

「プロの仕事って凄いなーって思いましたよー。」と仰るAさんだけど、うーん、そうねー、でも、あなたも凄いのですよーと思う。

だって、Aさんの表情の輝きその目の動き。

その指令に従って、純粋なパイプとなって実現してくれたのが店員さん。もちろん、それも凄いけれど、その花束は、あなた自身なのだから。

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しばし雑談していると、「なんて!明るい出だしになっちゃいましたけどね!実は大変だったんですよ!」と時間を有効に引き戻すAさんが素晴らしい。201201211.JPG

とある事態が襲って来たというエピソードは先月の話だったのだけど、その際、いつも前向き過ぎるほど前向きなAさんが、さらなる前向きな考え方を話されていた。

しかし、その後の一ケ月、良い方に考えようとする自分と同じくらいに辛く考える自分が浮上して来たというお話を聴いて、ある意味「良いことだなあ。」と思った。

そりゃあ辛いことを考えるのは辛いのだけど、それを無理やり正の方向だけに引っ張るのも不自然な話。

人間だから様々な感情があるし、その感情は、過去、未解決だった出来事とも関連しているのよね。

だから、きっかけを掴んだら、何度も何度も話して整理する必要がある。

そして、Aさんご本人が「両方ある!」と言って、そのどちらの感情にも向き合えているというところが素晴らしい。だって、そこにあるんだもん。

大元のテーマとしては依然として変わっていないのだけど、今回の出来事は、また切り口の違った示唆だなと思った。

そして、その人生におけるサインを受信する力が、この人には充分に備わっている。

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今日はAさんの身体言語に従って二人で床に座って話したところ、何だかおこたで話しているみたいな気分だった。

お茶したり、オーラソーマの吟遊詩人をハンドクリーム代わりに塗ったりしつつ話していると、ふとAさんが使いかけの自分のボトルを出して見せてくれた。

「そう言えば、見て下さいよ、これ。」と出して見せてくれたのは、親しみ深いトライアンフというボトル。

そのボトルを観て、私はついつい少しニヤッと笑ってしまう。

これを使った幾人もの人と同じく液体がアイテル化している。

そして、皆さんテーマが似ているのだ。中には互いを知らない人も居るし、知っていても、同じボトルを使っているということも知らない。

膿み出しの経過は苦しいのだけど、「大丈夫、大丈夫。うまく行っているよ。」と思う。201201212.JPG

トライアンフとは勝利と言う意味。

人は、ついつい自分の道を歩くとき、先人が沢山居るか?とか、道からそれていないか?とか、ついつい母を求めるような気持ちになったり、はたまた他人との違いにデリケートになったりする時期もある。

でも、自分の気持ちは自分にしか分からない。

誰もが何かの先人、パイオニアなのだ。

それを知った人が嵐の中でも微笑んでいられる。自分の真実を知り、自分を裏切っていないから。201201214.JPG

良いことが起こっている。

正しい道を歩んでいる。

大丈夫、大丈夫。

そのことを伝えられているかどうか分からないのだけど、自分が使っている吟遊詩人と共にAさんとトライアンフを並べて記念撮影を。

するとどうしたことか、充分な照明だと言うのに、吟遊詩人のグリーンが何度撮ってもディープマジェンダ色に映ってしまう。

それは、この方が一番最初に使ったボトルのカラーと酷似していた。

少しづつ皆の人生が重なり合っている。

負に感じる時期、前向きに感じる時期、全て必要だし、どの時代にある人も、一人一人が誰かにとって必要だ。

それが分かるときがすぐ来るときもあるし、ずっと先な場合もある。

でも、その時は生きてさえいれば必ず来る。

眼を開けて、耳を塞がずに生きていれば必ずに。

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今日もありがとうございました。

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2011年12月15日

導き / 可能性

天然石のアクセサリーが仕上がったら、棚の上に置くのだけど、オーダーメイドのものの場合は反対側のよく見えない場所に保管しておく。

ご本人に郵送するかもしくは取り置きしておく間のことなのだけど、たまにこちらの方までずいずいと見に来られる方が居て「これ。」と言われてはガッカリさせてしまうことがあるので、さらに奥のところへひっかけて置くことにしていた。34154081.jpg

で、先日とある主婦さんのお年頃な娘さんから受けたオーダーメイドブレスもそうして一本だけポツンとかけていたのだけど。(他のはまだ中々着手出来ない。)

セッション中に何時の間にか正面にいるママさんのところにあって「あら、これこの子が『ママに似合う』と言って持って来たんだけど、何だか良いわー。」と。

そのデザインを一目目にして”あ、それは違うんです。”と言おうとしたのだけど、彼女がそれを手首に着けたとき、「う。」と思う。

ほんとによく似合う。サイズも丁度良かったりして。さらに言うとますます華やいだ感じ。

kちゃんもママの背後でニッコニコしていて、そんな時、”ああ、もしかしたら彼女のものだったのかも知れないなあ。”と思う。

で、段々それが確信になって行く。26729893.jpg

それで今度は三日後にお約束しているTさんのカウンセリングまでに彼女の娘さんのを作らなくちゃなーと思って、朝日の中でビーズを広げた。

前回と同じのを作ろうとしたのだけど、どうも違う。ローズクォーツとインカローズは同じなのだけど、「どうしてもピンクオパールとチェリークォーツが必要だ」と感じ出すので、結局は前のと違うものが出来上がった。

同じピンク系でも前回のはその人の生命力やセクシーさを引き出す感じ出すになったが、今回のは心のショックや傷を癒すチェリークォーツ。

そして、ピンクオパールの方はほとんどニュアンス的にはローズクォーツと似たような意味なのだけど、そこに”愛され力”という種のエネルギーが加わる。

前回、Tさんの娘さんが恋愛の悩みを話されていて、しかも、ボロボロになったローズクォーツをこちらに差し出して来られたので、何時の間にか恋愛=ローズクォーツという硬い観念に縛られていたみたい。

愛にも色々なニュアンスがあるし、その弊害となるパターンも個人個人で違うのだった。

石は黙っているのだけど、時々目や感覚が曇ったとき、こうして色んなことを教えてくれる。

さらに言うと、子供という時代の人間はパワーストーンと似ている。pink.JPG

何時の間にかウキウキとはしゃぎながらママの前にあのブレスを持って来てくれた彼女に感謝する。さすがマハ・コハン。

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先日Yさんが持って来て下さった「深い河」を読み終えた。

彼はインドへ行った際、リンクする体験をして来たからこの本を貸してくれたり、はたまた「尾崎さんにはインドへ行って欲しいですよ。」と言うのだろう。

それはさておき、中島らもさんとか遠藤さんとか佐藤愛子さんのものを読むと私はお約束のように感動する。

全作品読破したいと思うものの、子供の頃から「まだあんのか!」と思ったり、はたまた買って見たら「あら、これは中学くらいで読んだやつだったわ。」というようなことも起きる。

今回も色んな場面で感銘を受けたのだけど、それを言っていると一晩かかってしまいそうなので、思いっきり横に置いてしまい、尚且つ言いたいのは。

あたりまえだけど、上手いなあ・・・・ということ。

あたりまえだけどあたりまえでない凄さ。

改めてプロフィール年表なんてものを見ていると、それもそのはずだなと思う。

生まれつきの感性や才能だけじゃなくて、もう本当に書くだけ書きまくっているのだ。色んな人の小説や漫画を読むとなると追っつかないはずなんだわ。しかも、一つ一つ流すのがもったいない!と思わせる感慨が残る。

もちろん誰にでも起こることじゃないのだけど、ある程度、努力の量と質は比例する。

もしも万が一、才能がなくて努力した人生ならば何かが残る。でも、才能があって何もしなかった人生ならば何も残らないだろうなあと言うようなことを感じる。
おそらく多くは、「向いている」とか「向いていない」の判断を決めつけるのが早過ぎる人が増えているのだろう。

私のクライアントさんには小説家志望の方も二桁ほどの人数いらっしゃるのだけど、その中の多くの人がよく仰るのは「多くの人にうけるものを書かなくちゃ。」とか「萌えキャラが決まらない。」と言うようなことだった。ここを考えてジーーーっとしている期間が長い。

はたまた、自分の応募作品を落とした審査員やその出版社や雑誌をけなすことに何年も費やしていたりというのも長い。

それはそうなんだろうけど、なーんか違和感あるなー、何かが違うくない?と思っていたのだけど、自分が感じていたことが少し分かったような気がした。

でも、その年表は、迫力があった。ここに出ている作品の10倍以上は草稿もあったことだろう。

中々こんなにあますことなく人生を燃やし尽くせる人は居ないんじゃないだろうか。と書いて初めて気がつく。そういう人のことを天才と言うのかーと。

よく、小説家に限らず何かの職につく前に、あるいは何かの学校に行く前の日に「向いてますかね?」と人は言う。

よく考えてみれば、この時点で分かるわけないじゃんね。

そこには、「向いているよ。」と言う人と「やめなよ。」という人たちが両方居るだけだ。

そして、一番大事な自分の気持ちがそこにある。

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今日もありがとうございました。

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