2006年07月08日

ロマンティック&リアリティ

通勤時間及び寝る前の一時しか女信長にお逢い出来ない日々だったが、今や読了して寂しい限り。

読み始めは「しまった。エロ小説だったか?」とも思いきや、ところどころで切なく、そして、時には「行け!許すな!いてまえ!」となり。

はたまた、「あーあ、これだから、女は駄目なんだよ。」と失望することもありき。

小説でもドラマでも何でもいいんだけどね、竜馬の最後と信長の最後だけには、いっつも、いっつも涙してしまうのよね。

あたりまえの話だが、何度読んでも死んでしまうんだもんなー。

どうしても他に無かったのか?もっと生きては駄目だったのか?と。

が、ついに出会ったよ。時代モノとしては、かなりのイロモノではあるが、「おりょ?!こりはもしかしてハッピーエンドというものではないか?」とも思える信長モノに。

そして、あっと驚く結末に。

光秀がどれほどの天才であったか、家康がどれほどのロマンチストであったか、はたまた天海とは何者だったのか?

最後の最後までイライラさせられつつも、感心させられ、夢を見せてくれる小説だった。

女とは何者なのか?

男とは何者なのか?

梅雨の晴れ間か、
小説の結末に書かれていたかのような青空を病院の帰りに見た。

男と女。そのどちらとて、愛しき生き物に違いない。
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2006年05月20日

鬼っ子

戦国モノを読んでいると、忠輝という人の名が度々に出て来てた。

結城秀康なる人物同様に非常に関心が湧き、惹かれてしまう人物の一人でもある。

秀康同様にかの家康の嫡男でありながら、家康に「鬼子」として疎まれ、周囲の嫌忌の中で育った捨て童子。

そりゃ出産も辛いけれど、赤ん坊だって生まれて来るときゃマックスで頑張るのよね。
それで初対面の父親にいきなり「捨てよ」と言われた当人もたまったもんじゃないだろうなあ。

でも、私、この小説を見つけることが出来て幸せ。あったんだねえー!と大喜び。

破天荒だけど、どこか優しい忠輝の物語。

ところどころ、凄く哀しく苦しい。

でも、強く生きた。尋常ではない強さで生きた。そして不遇さを誰のせいにもしていなかった。

早く中巻、下巻を読みたくてうずうずしている。

また恋をしてしまった。
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2006年02月10日

戦国自衛隊&日常

戦国自衛隊のTVドラマがやってましたね。第一部と二部に分けて放送された反町君のやつね。



いちおう時代劇が絡むので歴史好きの私ら夫婦は共々注目してしまう。



が、互いに仕事しているので、ビデオに撮りっ放しで何日も放置しているやつをやっと見ることが出来た次第。



突然の時空の歪みで戦国時代へタイムスリップしてしまった現代の自衛隊員の目線で描かれ始めるので、当然のように私たちは、彼らに感情移入してしまうわけで。

家康だの三成だの小早川だのと、次々と登場する戦国武将たちに「おお!凄い有名人!」と実際に会ってビックリしているような気持ちになる。



中でも、「三成に 過ぎたるものが 二つあり・・・・・」と歴史好きの隊員が呟く場面では「わーー!島 左近だ!」と同時に叫んでいる変な夫婦。始まって当分は静かに観るのが無理だった。



「俺らもこの時代に行って会って見たいよね。」と言われたが、そんな偉い人に簡単に会えるかいなとか、そんな時代に行ったら数十分も生きられませんわ!と答えては、夫をガッカリさせた私だった。



それはさておき、後半の方で非常に気持ちが揺さぶられる場面がいくつかあった。



一つは、このドラマの中の家康が、自分の宿敵三成を殺した男を絶対に許さなかったところ。



宿敵を殺してくれたのだから、あー、こりゃ助かった、この男に感謝し〜ようっと♪とはならないのだ。



「あの男は堅物で面白くなかったけれど、義と忠に生きた男だった。」



自分と組んで政治をやれば、1000年の平和をもたらすことが出来た貴重な男だったと惜しむ場面。



共感するところはあるけれど、最後の最後の部分で袂を分かつことになった。つまりはそれだけのことだったと言うシーンに胸が熱くなった。



同じ意味では、現代からやって来た小隊長同士が大学時代は親友だったのだが、価値観の違い故に互いを傷つけ合ってしまうところ。



「おまえは甘すぎる。生きることは殺し合いだ。」と主張する側に、片や「そうじゃない生き方もある。」と主張し、考え方の違う友を救い一緒に生きようとする男。



この二人も最終的には袂を分かつことになるのだが、死別の折りには互いの名を呼び称え合う。



考え方が違う。



言葉が通じない。



相手の言っていることは分かっているつもりなのだけど、互いに自分の中の自分がNoと言う。結局自分の生き方しか選べない。



例えば、このドラマの中で限局して言えば、家康と三成との間では天下を分けてまで盛大に殺し合うこと、タイムスリップしてやって来た小隊長同士の間では、死別の際に互いの名前を叫び合うことが自分の道をはずれずに済み、尚且つ相手に敬意を示す最小限かつ最大限の方法だった。



うーん、残念!というのはあるのだけど、ちっともジメジメした気持ちにはならない。かえって感動の涙が流れてしまうくらいだった。



ここでは、心理学の授業の一場面で聴いた例え話さえ思い出した。



とある欧米人同士の会話。



一緒に休日を過ごしたいところだが、一人は山が好きで一人は海が好き。もしもこれが日本人同士だったら、どちらかが自分の希望を抑えて相手の行きたいところに合わせたりしたかも知れないが、彼らはさんざん主張し合って一致することはない。



そして、最後に「君と僕は違うんだね。」と言うことにおいて見事一致し、握手して分かれる。それぞれが、それぞれの行きたい場所へ行く。



これは寂しいことだろうか?



そうじゃない。



今は戦国時代じゃない。



私たちは生きて続きの物語を紡ぐことが出来る。



多分二人はその後再会し、海に行った者は海で観たものを、山に登った者は山で出会ったものの話をすればいい。互いに聴けばいい。訊いて、訊いて、聴いて、語ればいい。



そうして世界が広がって行く。



******************



今日、私の話を一生懸命聴いてくれる人がいた。



同じ場面に二人でいたのに、私たちの見解が違っていた。



互いに「いやいや、こういうことだよ。」と言い合っているのだけど、なっかなか通じ合えない。



私は戦国武将のように潔くないので、この人に嫌われたくないと思った。少しでも違う意見を言いたくないとさえ思った。失わないためだったら、いっそのこと自分に嘘をついて「そうです。あなたの言う通りです。」と言ってしまいたかった。



その方が何十倍も楽だった。



でも、大事だからこそ余計にそんな失礼は出来なかった。



そのことについては、「それでいい。それがいい。」と彼女が言ってくれた。私は酷く大事にされている気持ちがして胸が暖かくなった。



甘ったれなんで、『違う』ということに関してチクチク感が残ってしまうのは否めないが、それ以上に彼女が暖かすぎて、その胸に広がった暖かさが目に登って溢れそうだった。



当初は「だから!それ、もー何回も考えて見たんだけど、私的に違うんだよ。」と主張していた私だったが、数時間がかりで話し合った最後には、「ごめん。出る結果は、もしかしたら同じかも知れないけれど、あなたの言うことなら、これから先も、あたしゃ何回でも何万回でも考えて見るよ。」と感じた。



現代っていいね。生きていれば、話したい人といくらでも話せるんだから。



自らが本気でそれを望んだ場合においては。
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2005年06月23日


いつぞや、トリビアの泉というTV番組で、日本刀VSウォーターカッターという企画をやっていた。



結果、日本刀の方が強かった。両者を戦わせても日本刀は刃こぼれ一つしなかった。



日本刀は芸術作品としては素晴らしいけれど、強度を競うのなら現代の技術を駆使したウォーターカッターの方だろうと思い込んでいた私には、日本刀の勝利は驚愕、そして何だか嬉しかった。人間の手で打った物が器械に勝ったというイメージで。



でもって、たまたま読んだ上の小説は刀無しでは語れないお話で、読めば読むほど日本刀の素晴らしさに引き込まれていく。何故なら、日本刀というのはその作者の化身のようなモノで、ほとんど人間のように魂を持った存在に感じられて来るから。



物語は巨漢の野人である鬼麿という刀工が師匠清麿の遺言を果たすために出た旅の物語。当初の師匠の事情で魂を込められず、金の為に打ってしまった刀が幾本かあるので、それを打ち折って欲しいという遺言だった。



金の為だけに打った刀では実戦の際に所持者の命を守るほどの強度が無い。たちまち圧し折れてしまう。そんな刀をこの世に残して死んで行くというのが唯一の心残りだと言うのだ。



この旅で鬼麿は色んな人々に出会い愛し合ったり時には殺し合ったりするのだけど、その間、終始、死んだはずの師匠と共にあるのだ。



師匠はその死に際に幾つかの街道の名前をあげただけで詳しい旅路も順番も分らない。しかし、その中で鬼麿は長年付き合って来た師匠という男の人間性を頭の中で辿り、その心理を追い、次々に問題の刀を見つけて行く。



中には駄作どころか、惚れた女の為に打った秀作があり、震え上がるほどの業物に出会ったりもして、その度に師匠を想い、鬼麿は涙する。



惚れていたのだろうなあと思う。



人間とその化身である刀を描いたこの物語には、もちろん男と女の愛も出てくるのだけどそれよりもでっかいテーマでセクシーに感じられるのが男同士の信頼や愛情、言葉には変換出来ない何かだった。



終始鬼麿の視界から師匠を追うはめになる一読者である私は、終盤に至っては見事師匠とその人生に惚れてしまっていた。



言葉という儚いモノに己の想いを乗せて語るには危うすぎる。胸のうちの情熱を載せられるだけの強度を持った言葉はもしかしてこの世に無いのかも知れない。



それを知っていたかのように、師匠も弟子である鬼麿も、言葉ではなく、自分という男を鋼に託して刀を打った。



それだからこそ刀というのは、その人の死後も雄弁にその人生を語るらしい。



と、考えて見れば、忘れ物をしていた自分に気が付く。



いたいた。儚い言葉なんぞに自分の想いを乗せるのは不可能だと思いきや、そんな業をやってのけた師匠も鬼麿も真っ青の現代人が。



日本刀が仕上がっていく描写をぞくぞくしながら読んでいる最中にやっと気が付いた。



それはこの作品を描いた隆慶一郎先生だった。



一番初めにある人に薦めて貰い嵌ったのは「死ぬことと見つけたり」だったっけか。



以後、次から次へと読んでしまったけど、80歳〜85歳の短期間に書き残されたそれらはいずれも沢山の人の心を掴んで離さない業物だった。
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2005年05月17日

今回読んだ本でももちろん信長は本能寺において討たれるわけで。



歴史は変えられないから仕方ないのだけど自分の感情が「残念!」と思うのであえてその残念を野放しにしておく。



私、よくくだらない夢を見るんだけど、夕べもそれ。



いきなり場面は本能寺。



小姓が駆け込んできて「明智光秀、謀反です!」と言い、信長さんが通説通り「是非に及ばず」と言っていざ抗戦に飛び出そうとする。



そこにいきなり私が立ちはだかって、「ねえ、それどういう意味?」と質問している。



この「是非に及ばず」については「光秀ほどの者に謀反を起こされたらもう助からないだろう」とあきらめたという説、「いや、光秀ごときたいしたことはない」と言う説、あるいはそのまま敦盛の「人間〜五十年〜」にひっかけて「己の生き死になんてたいしたことないわ」と言ったのだと言う説、とにかく色んな説がある。



じゃないっかなあ〜?ってな文体のものなら、すっと入って来るんだけど、あまりに言い切っている本を読むと「おめー、信長に訊いたのかよ?」と言いたくなる。(この本は幸い、「かも知れない」って文体だった。)



でもってそんな危機の場面において「ほんとはそれどういう意味で言ったの?短すぎてわかんない!」と立ちはだかる私はもちろん怒られた。



「忙しいんだからどけ!」とか「空気を読め!」という返事だった。



なるほど。空気 読め か。いい言葉だ。



昔の人はあまり多くのことを語らなかったらしい。彼もまた日々ほんの少しの休息で色んなことを考え実行していたらしいが仕える者たちも敵対する者たちもやたら質問はせず必死でその思考を想像し追いかけたことだろう。



今は言葉じりにこだわりすぎる。言葉で愛を測ったり、言葉じりでいちいち論争起こしたり。



でもって、じーーっと空気を読んで見たが分らない。



彼の(人の)気持ちが分からない私は、多分また同じ夢でも見ようものなら「読んで見たけどわかんない。おせーて。」と現れては「だから!忙しいんだってば!」と切り捨てられるだろう。← あほ。
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2005年04月27日

やんわり怒られている(ような)

某日、だらだらと愚痴を書いたり言ったりすることでエネルギーチャージした私はいちおう勉強した。



まあ、ちょっとやったから読書に戻ってもいいだろ〜と悪い癖が始まってまた本に逃げる。



ってことですみません。また信長殿の話になっちゃうんだけど。



ページはいよいよ彼が隣国美濃を攻略する場面に差し掛かった。



まあ結果とか大元のエピソードはどこにでも載っているんだけど、それとは別に細かい逸話まで載っているところが今回読んでいる本の魅力なわけです。



先日、信長様の天才と呼ばれたその影には地道な努力と愚直さがあったって話を書いたけど、やっぱ、天才は天才だ。



その天才の異名を支えるには綿密な計画や策略が事前に成されていたとは言え、大名でありつつ軍師だった彼はやっぱ天才だ。



そうなると、今度はその細かい戦略にはいったいどんなものがあったかってところを知りたくなるじゃない。



さぞかし独創性に富んだ奇想天外な闘い方をしたんだろうなあああー。(わくわく&どきどき!)



しかし。。。。この美濃攻めに関しては奇抜なアイディアは見受けられなかったとある。。。。



斎藤道三の登場後、子の代になっても尚も強国であった美濃に比べて信長率いる尾張の兵は全国でも有名な弱兵だったらしい。



要するになまじ戦略を練ったところで取り付く島もなかった。



兵を出す度に押し返されて連敗続き。とほほ。



信長27歳から34歳までの間、来る日も来る日もチャレンジしていたというのは知っていたが、まさかその長い歳月を飽きもせず馬鹿の一つ覚え戦法で押していたとは・・・・。



ええええー?何も戦略ないの?楽な方法ないの?



”最初は簡単に攻め返し、追っ払っていた美濃勢も、こう執拗に弛みなく攻め続けられてはたまったもんじゃない。何たって戦闘態勢を解いて田畑の仕事に戻ろうとするとまたしても信長勢がやって来るのだから。”ってな美濃勢の心情が描写されている。



うー、戦略も何も無い上に相手は強国だったのだけど、決して諦めなかったのだなあ・・・。愚直一本も続ければ武器になるということか。



しかし、七年間、他の諸国の大名が(例えば、この頃まだ信長の家臣ではなかった光秀とか)が「何?まだやっとんのかい?!」と驚いたというくらいだからほんとに尋常な執念ではなかったんだろう。



やっぱり地道な努力って大切なのね。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

わかったよ。



勉強するよ。(泣)
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2005年04月26日

そんな時は敦盛がラップバージョン

またまた勉強しない病が発症してしまった。



でもってまた時代小説読む。



ここ1年ばかりは、その時代の中であんまり知られていないけど影で活躍していた人にはまっていたが、最近再び最初にはまった信長モノに戻っている。



やっぱり信長モノは面白いなあ。



彼はその父信秀の死後、その時代の他の大名たちに例外なくあらゆる家臣や兄弟たちに裏切られるんだけど、運やら知恵やらが味方してことごとく勝ち抜いている。生き残っている。



謀反があたりまえの時代だった。親が子を殺したり子が親を殺したり。



自分の主に忠誠を誓う美学や常識ってのは江戸の安定期に入ってから根付いた産物であって、彼の時代にはもっと裏切ってでも生き残るがほとんどあたりまえの世情だった。(まあ、ひそかな世情だけど、確固たる真実。)



つらくなかったのかな。

そんなことがあたりまえの時代にはつらくなかったのかな。答えはもちちろんノーだと思う。



父信秀の天才教育とも言える愛情を受けて育った彼は普通の人よりずっとずっと劣等感ってものとは無縁だったのだけど、やはり孤独だったのではないかと思う。



ところで今回の信長モノにはまた新たに悲しい見解が。



父信秀の時代から守役として信長に仕えていた平手正秀。一番よく語られている通説によると、信長の素行にあまりにも問題があることを憂いて、自ら命を絶って信長を諌めたとある。



でも、本当はこうではないか?という説を読んで悲しくなった。それがあんまり説得力があるものだったから余計にね。その説の内容は割愛するけれど、しみじみ思った。ねえ、信長さん、爺すら信じてはならぬ時代だったんだねえ・・・という悲しみが。



悲しいだけのストーリーや悲劇に浸っているだけの人物なら私は興味がない。



一番肝要で心惹かれる部分はそんな状況の中で数々の敵を打ち破り生き抜いた生命力と知恵だった。



各合戦の様は語り継がれ、私も含め後世の人々は彼を天才だと思うのだけど、その天才ぶりを発揮するためには世間では「愚か者」とも言われる自分の考えにこだわったところ。



例えばおおよそ合戦では使えないような超長槍を用いての戦略。



「殿。実際の合戦ではそんなもん使っていては命取りです。」と自分の国や命がかかっている輩はそりゃ必死で諭そうとしたと思う。



しかし、彼は寝食を惜しんで長槍戦法を研究した。



結果から言うと「槍は刺すもの。」という概念を「いや、別に叩き潰すのに使ってもいいっすよ。」っていうことに広げたという一聞すると単純な世界のものだけど、



世間の常識とか慣わしとかしきたりとか思い込みの壁ってのは今の世でももっの凄ーーーく分厚いものだ。

そうそう、誰でも「安心」を得たいから成功例を真似して生きているのよね。



そんな中で「そりゃ無理だよ。」と誰もが思うことをなしえたのは、そしてその常識の壁をぶち壊せたのは、愚直なまでにしつこく同じことを繰り返し繰り返し試行錯誤してでも自分の考えを信じられたからだと思う。



こいつ、ほんとに人の話を聞かんやつだなあーと初めは思ったものだが、実は違う。



「それは無理だってば。」と言っている人間が実は自分の言葉や考えじゃなくて「通説」を語っている場合においてだけ彼は聴く耳を持たなかったのだ。

反面、後の秀吉のようにオリジナリティ溢れる家来の話なら身分を問わず彼は真剣に、そして惜しみなく耳を貸した。



話を戻す。



信長モノのストーリーの魅力の一つには、

このように、天才性の下に実は、人様に馬鹿か?と言われるほどの愚直さが隠れていたって展開がある。



さて、私は何回も彼のストーリーを読んでいるけど、以前はもっと劇的な場面で感動していたのに、今回は何故その「愚直」や地道な努力に感動してしまうのだろうか?何故そこにばかり目が引き寄せられてしまうのだろうか?



そんな理由でふと本から顔をあげて、何で?何で?と思っているところで突然脳裏に師匠の顔がばばあああーーーんっ!と浮かびあがって来たのでビックリした。



「我々は天才じゃないん。だから、コツコツ努力しないと駄目やで。」



つまり、勉強しろと・・・・。



ああ・・・。本に逃げようとしていたが、結局本読みながらも意識していたのだ。今そこにある自分自身の課題を。逃げたって結局逃亡先でも没頭し切れていなかったのだ。



だったら勉強しなきゃな・・・とブツブツ言っている暇があったら勉強しなきゃな。うむ。



ところで、試験前には思わず「敦盛」を踊りたくなる。たかが試験で「人間〜50年〜」とやりたくなるのは何故よ?試験で死ぬわきゃねーだろ!



歴史上での恋し近付きたい、少しでも真似たいと思っている人物とは思いのほか遠い。似ても似つかぬほど往生際の悪い私だった。



だって、「よし、やるぞ!」って言ってからはや半時、まだこんなもん書いているだもんね。
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2005年02月10日

三朝四朝 また朝朝

いちおう、”悩みがあるから相談”という名目で話しているはずなんだが、人はあんまり本当のことを言わない。



本当はもっと別の事を言いたがっているし、本当に理解して欲しいことは言っている事とはずいぶんかけ離れたことなのに。



でも、結果的に、心から傾聴することでその人の言わんとしていることが分って来る瞬間がある。

裏メッセージは、その人の視線とか仕草とか表情に出る。隠し切れない何か。



だから人って面白いなあ。



と、最近つくづく思うようになった。



しばしの月日が流れ、「本当は私、怒っていた。」とその時のことを回想して明かす君に私は言った。分ってたよ。って。



でも、その時は自分自身がその怒りに気が付いていなかったそうだ。



「ありのままに生きれたらいいのに。自分の感情さえ見えないなんて。」



ああ、それ。私も思ったことがある。



でも、誰にでも認めたくない事、認めたくない感情くらいあるさ。



最終的には気が付いたからいいじゃないか。





そんな話をして来たあとで、帰宅して高杉晋作の詩を読んで泣いた。



若きその生涯の晩年で彼はそれを詠んだ。



身動き取れない病床において、毎朝うぐいすが庭にやって来る。



うぐいすに「君」と呼びかけてその詩は始まっている。



君、うぐいすよ。自分は今まで君に何かしてやったわけでもないのに、何故毎朝やって来ては我が病の痛みを慰める?

自分は世間にあって容易には人を容れないところがあるから、同族・故人も我を容れない。それなのに、何故君は我に厚く、何故我を容る?



というような内容の詩。



彼の葬儀は数千人もの人々が参列したと言う。大名各は別として、通常人としては信じられない数の人が集まったというのも何となく納得出来る気がした。



自分の欠点や寂しさや弱さに至るまで、心をそのままに詠める人間は魅力的だなあと思う。自分の言葉で。



愛されもする。



敵艦の群れの中にたった一隻で飛び込んでいって大暴れするほどの度胸の持ち主が詩を詠むにあたっては隠そうともしなかった繊細さ。



悲しいのではなくて、感動して泣いたという感じだった。



まさに 撃たれて 泣いた。
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2005年01月09日

心も領土も盗り盗られ

あいもかわらず時代劇好き。



今年もあらかじめ録画しておいた正月に放送された10時間ドラマ。



暇を見てはちびちび観る始末。



時は1582年6月2日。討つは明智光秀。討たれるは織田信長。そんな冒頭から始まった今年は、そう。『国盗り物語』だった。



10時間もあるんだから観るのに一ヶ月くらいかかるんじゃないか?って思ったが、面白くてすぐ観終わっちゃったよ。(← 寝ろっちゅうんじゃ。)



若き日の斎藤道三が天下統一を夢見て見上げた北斗七星に始まり、信長を討った後、結局は孤独のうちに野ぶせりの手にかかって死んで行く光秀が見上げた北斗七星に終わった。



男たちの夢のまた夢。



そして改めて気がついてつくづく思ったこと幾つか。まあ、その幾つかは自分に対してだけ感動的なことに過ぎないのだけど。



小説やら各文献でお馴染みの名場面はさておいて。



ああ、光秀。おまえはほんとにほんとに真面目人間だったんだね。



真面目って言うのは基本的に良いことだけど、過ぎれば自分や周りを不幸にする。



道三や信長たち天性の大物が広く天下を見つめているその瞬間にも己のプライドや主君の顔色を覗うことに終始する。



言っていることは先の大物同様大きいのだけど、その心はいつしか信長だけを追いかけ信長だけを見つめ続けるだけの眼になってしまっていた。



あれはある意味恋慕に似ている。



天下統一と言う目的と己の出世とは一見同じ方向のベクトルに見えるのだけど、実は違う。大きく違う。



認められたい、認められたい。されど、これだけやっても認められないとなると、かつて信長に捨てられ追放された他の家臣同様、自分も捨てられるのではないか?という猜疑心と恐怖も強くなる。



あの暗殺劇では朝廷側の陰謀説も浮き上がっていてその辺も有名な話ではあるが、やっぱり私の勝手な見解では恋慕に見える。



もしも私があなたを殺すほど強かったら認めてくれるか?

そこまでやればやっと認めてくれるだろうか?



もはや、ぶち壊すことでしか進めない。進むことも出来なければ終わらせることも出来ない憎しみという形に化けた恋慕。



後に旧友である藤高に送った書状に書かれていた「長年に渡る信長の無礼 許すまじき」って言うあれは、あくまで表層意識。



自分や周囲に言い聞かせるための大儀名文だったようにしか感じられない。



光秀。あなたは真面目な人だったんですね。



真面目で真面目で見つめ過ぎて近付き過ぎて、煮詰まった。



そして、主君が結構あなたを愛していたことが見えなかった。あなたは信長にとって自慢の家臣だったのだ。



私は真面目な人が大好きで、その煮詰まるあまりに終には大元が見えなくなって暴挙に出てしまう人の気持ちが分かる。



そんな自分のそんな激情と愚直さを押し隠して、計画性と理知性に富んでいる人物かのように周囲には見せようとしなければならなかった。己を欺くためにも。



天才に恋焦がれ真似をしたり、一報では劣等感と優越感を絶えずアップダウンし続けることを繰り返したり。



一方では、その天才たちに憧憬の念を抱きながらも自分の才が全く違う部でこそ泳ぎきることが出来る種の才であることも知っていた。



「光秀殿は早まった。」とは関係者に思わせもしたが、おそらくは彼自身が分かっていた。



そう周りに言われても、考えて考えて思いつめて煮詰まった心では、そんなことは既に分かっていて、それでも、もう心理的には、ああするしかなかったんだろうなと。彼にとっては。



そんな勝手な見解を持ちつつ。



今回は初めて光秀という人物にも魅力を感じた。それは初めてのことだった。



それはそれでいい。あの時代、結局誰もが精一杯。



それでも蛇足ながらやっぱり思ってしまうのよね。



あの恵まれた知性と冷静さ。真面目さ。



それに加えて、もしも、もしも、ほんのちょっとだけ、笑って生きるという術を彼が知っていたなら・・・・と。



仕事は仕事。使命は使命。しかし、ほんのちょっとだけ力を抜いて生きることが出来たなら、あんな悲しい結末は迎えなかったのではなかったかと。



信長は紅蓮の炎の中で「是非にあらず」と潔く燃えて行った。



光秀は、逃げて逃げて、落ち延びた暗くて薄ら寒い林道で、「いつしか私は信長様だけを見て生きるようになっていたようです。」と気がつき死んで行く。



名も無き野ぶせりたちの竹槍で突かれ、あっけなく。



もちろん、信長はいつ何時、どのエピソードで読んでも観てもかっこいい。



しかし、今回描かれた光秀像。



私にとっては、ずいぶんと魅力的な不器用男として映った。ひどく憎めない。



画面の中に飛び込んで行って「まあーまあー、はやまるな。もうちょっと待ってご覧よ。あれで結構他人にはあなたのことを自慢してるんだよ!なんたって、あの家康に『光秀をくれ。』って言われても手放さなかったんだよ。」なんて言ったあと酒でもかっくらって力抜かせたいとか・・・・。この勝手な想像はどこまでも続くのだが。



とにかく、423年を経た今ここで。勝手にご冥福を祈る。
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2005年01月05日

時代

『花神』という小説の中で、蔵六という男が英語を学ぶために江戸・横浜間を毎日往復したというくだりがある。



この蔵六という人は、後の幕末で大村益次郎と名乗り倒幕の総司令官になってしまうくらいの大物なんだけど、この蔵六と名乗っている時代の彼を観てそれを想像出来た人は一人もいなかった。



と言っても、この頃の彼だって既に蘭学や医学に精通していて高名な医師になっていたはずなのに、彼は自分を買被ることも奢ることもしない。また腑分け(解剖)の名手でもあったが、それもまた決して何一つ他者に豪語することはなかった。



と、彼の話をあれこれしたいわけではなく・・・。いや、したいのかな?



ともかく、驚くべきは東京ー横浜間を毎日という通学である。だって、当時は電車も車もなかったわけで。いえ、それらがある今でさえ毎日となるとかったるいものがある。



凄いなあと思う。



結局、徒歩だとその往復だけで一日が潰れてしまう。やむなく彼は慣れない馬に乗って通学することと相成った。



元々武家の出ではなかったので彼は馬に乗れず、非常に無様な格好で毎日往復したが、それを目撃した人は笑いを堪えるのに必死だったらしい。奇しくもこのとき、すでに高名な医師が異常にコミカルな格好で闊歩していくのだから。



壬生義士伝に次ぐ感動があったのだけど、多分、全然凄く見えない人が、実は大事を成す天才だった(あるいは天才に成った)というストーリーにぐっと惹かれるのだと思う。あるいはそんな人物に恋をするのだと思う。



話は変わるけど、先日も書いたかも知れないけど、今月は何にも授業が無いと思ってオプション授業を沢山自主的に入れちゃったのよねえ・・・。



でも、実は知らされていなかっただけで、しっかり新学期の予定は組まれていたと言う。知っていたら、こんなに沢山オプション申し込まないで家で休んでたのに!



おかげさまで・・・14日ほど休みが無いという状況に陥ってしまったという自業自得。大丈夫かな、怖いよう。



で、急に蔵六のとっつぁんを思い出したのだ。



寒いとか 遠いとか 眠いとか 休みがないだとか、あーだらへーだら言っている自分に蔵六さんを見習えよ!ってことで。





あれは、世の中に印刷っていう技術もなく、自らの教科書を作るためにこぞって塾生が師匠の教科書を手書きで写していた時代。



ろうそくの炎で勉強し下手すると眼病を患っていた時代。しかもその眼病を治療する知識もごく一部にしか伝わっていなかった時代。皆、当時の人は命がけで勉強したのだなあ。



疲れた疲れた騒いで
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2004年07月21日

手元に残らないし

先日、やっと『壬生義士伝』のDVDを買った。もちろんTV放送版のやつ。



そのTV版の方を観たことがないMちゃんたちが「買ったら貸して〜。」と言っていたが「いやいや〜。高いから買うかどうかもわかんないよ〜。」と答えていた。←第一、このときはプレイヤー自体がなかったわけで。

あるいは、内心、”またまたこの。興味も無いくせに・・・”ってのもちょっとあった。



ところが、「購入したんだ〜。」とちょこっと私が口を滑らせた途端、「貸して!早く貸して!」と目が本気。本当に本気。



どうしたの、皆。



いつまにか周りが時代劇大好き人間になっている。



「ずいぶん昔に私的に受けた『江戸城大乱』ってのも買いたくて探しているんだ。」と、こちらは付録として述べたところ、「どんな話?それもきっと貸してね!」とのこと。いいんかい。うら若き娘たちよ。本当に面白いと思っているのかい。



さらに懲りずに、試しに「来週なんて、独眼流正宗の再放送あるらしいが。」と呟いて見たところ、「いつうーーっ?何チャンネルー?何時ー?予約録画しなきゃ!」とも。



紙袋に下げられて私の元を去って行く壬生義士伝よ。もう行ってしまうのかい?どなどなどーーな♪どーなー♪



必ず返してくれよ。

しかし、ゆっくりしっかり観てくれよ。



何だかこの界隈の若い娘さんちが風変わりになって行くのが心配な半面、共感出来る部分や話題が増えて嬉しいのだが、

ほんとにそれは構わないのだが、

気がついたら、自分の手元に何も残っていない・・・・。



****************



突然、夫が寿司を食いに行こうと誘い出す。



寿司は好きだけど、どうしても腑に落ちないことが一つ。



最近の寿司屋の板さんってのはネクタイ締め取るわけですか。



別に悪かないけど、何となく違和感。



ちょっと昔、通勤にもびしっと毎日スーツを来ているリハビリの先生がいたが、その人曰く、「いつ誰に観られても良いように。」ということと、「患者さんに失礼がないように。」とか、はたまた「この仕事に誇りを持って。」という意味があると言っていた。



寿司屋さんも気合いを入れていらっしゃるんだろうか。



うーん、少し落ち付かない気がしないでもない。





でも、カニ味噌の寿司ってのは美味しかった。



だから、スタイルなんてまっいいかあー。これ美味しいっすねえー!と思わず大きな声出したら、カウンターの向こうには、とっても親しげでかわいい満面の笑み。



あ。かわいい。とても親しみやすい。やっぱり、ネクタイなんかなくて良くない?←しつこい。
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2004年07月02日

今週のめっけもの

先週、大河ドラマで佐藤浩一扮する芹沢が死んでしまったのは残念。斬られるとわかってはいてもその時が来ると残念。ほんとにいい味出してたなあ。



どの小説読んでも、大勢で寝込みを襲うというこのシーンは「ひーーっ!やっぱ卑怯!卑怯過ぎる!」と思えてしまう。



今回のドラマのケースでは、芹沢はその時、寝入ってはいなくて彼らの到着を待ち受けていた。& 慎吾ちゃん扮する近藤が、この暗殺に乗り気じゃなかったし、新見の切腹も土方が勝手にやったことで近藤はまーーったく知らなかったという設定になっている。



この出来るだけマイルドに運ぼうという魂胆が見える設定を持ってしても尚、「ひー!、卑怯!」と、ひー!がついてしまう。

たかがドラマだが、これは何だか「言い訳(大義名分)」と、人の言動はまったく別物なのだなあと実感するちょっとした出来事だった。



しかし、特記したいのは、多勢に無勢で惨殺した芹沢の死体の傍に長州の輩のモノと思わせる品を落として行く土方。罪をひっ被せるために。



こちらがまたリアルに見えて、マイルド狙いの設定を嘘と思うのは、出来あがった私の固定観念の成せる業。同じく見てもいない出来事なのにねえ。そうそう、だーーれも見てはいないのにねえ。



NHKのドラマというのは、このリアルさと嘘臭さ加減が入り混じっているところも面白さの一つだと思う。



一方で、後日、オペが終わってくったくたで帰って来た夜には、偶然、”丹下左膳SAZEN大型時代劇スペシャル ”というのがやっていた。



こちらは創作も創作の時代劇らしかったので観るつもりはなかったのだが(リアルも嘘も想像する余地と愉しみがないので。)、何故だか面白くて引き込まれて行く。へー、こんなのあったんだなってことで。



あれ?これは結構面白いんでは?と思ったので慌てて新聞を覗いてみると



”「中村獅童が大暴れ!史上最強のチャンバラヒーローが帰ってきた右目右腕を失った剣士が百万両の壺を巡り悪人を斬りまくる」”と書かれてあって、やっぱり観るの止めようかな?と一瞬思うあまのじゃく。



しかし、この”悪人を斬りまくる”という眉唾もののサブタイトルとは裏腹で非常に人情味溢れる主人公だった。



深ーーーいトラウマと強烈な偏見抱えていて、酒浸りで、好いた女を娶って幸せにしようともせず、「俺はただ人が斬りたいだけだ。」と、そのまま受けとめると精神的な欠陥だらけ。

都合が悪くなると怒鳴るし暴れるし、現代にもしも居たら強制入院させられてしまいそうな男。



だけど、見入るうちに、なーーーんでこれがカッコ良く見えるんだろうなあ?という疑問がどんどん。こうなったらもうはまりかけ。



やがてそれは暴言吐きつつも彼が取っている行動のせいだと気づく。



彼は”悪人だから斬る”とは言わない。「俺が斬りたいだけだ。」と言う。



好きな女に優しい言葉の一つもかけてやれないし、心の奥底にあるトラウマのせいか自分にその資格がないと思うのか、堂々と恋情を告白することも出来ないが、その替わり、めそめそと言い訳はしないし、いざと言うときゃ守る。心にも身体にも大怪我抱えているが滅法強い。



ありゃりゃ、こりはカッコいい。



と思った瞬間、受け入れてしまった瞬間、白地に髑髏マークの着物やある時は全身真紅の着物や、そのあり得ない井手達が「らしい」と許せてしまうのだ。



気に入るとか好きになるとか、魅入られるとか、要するに好き嫌い纏わるあれこれ。



それは実は論理だとか正義ってものとは結構遠い。遠いどころか、全く関係ないことの方が多い。



社会的には”駄目男”だし困らせてばかりのように設定されている丹下左膳を、ともさかりえ扮するお藤(だったかな)も西田敏行扮する大岡越前も丸ごと深く愛していることがひしひしと伝わって来る。



中でもこのお藤と左膳の関係は果てしなく現代で言う共依存に近くも見えて、そこが面白い。



よくカウンセリングや人生相談の場面で、「あなたがご主人を駄目にしているんですよ!」と叱られて相談した配偶者がしくしく泣いている場面を見たり聴いたりするけれど、あのパターン、私は非常に嫌いだ。言っている方の理論は合っているけど感覚的に嫌なのだ。二人の何がわかんの?何様じゃ?と私情が騒いでしまう。



もっとも、お藤さんは「ほっとけ!んなもん!自分らが幸せならこれでいいんだ!大きなお世話!」と言い返しそうだけど。(第一そんな席にも座らないか。)



という訳で、どんどん話が広がってどこまで行ってしまうのか分からないので今日はこの辺で。



私が知っていることと言うのは大抵皆さんご存知なことばかりですが(笑)、「型の破り方」を教えてくれる時代劇、丹下左善もお薦めですってことで。(無理やりまとめている。)
posted by かおる at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時代劇とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月12日

斬られた男 (への思慕)

所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝で竜馬に関する特集をやっていた。



見出しは『新婚旅行で戦に遅刻&強い女好き。銃発砲妻&120キロ巨漢スパルタ姉に3メートルの恥手紙 』。



どの逸話も非常に馴染み深い。

まるで自分が見たかのように生き生きと竜馬の姿が浮かんで来るほどに。(見たのかよ!?と、しょっちゅう自分に突っ込んでいる私だが)



ところでトホホ人物伝というからにはその人のトホホなところをクローズアップしているのだろうけど、特に”乙女姉さんに送った一回の手紙が3メートル”というところを「それってどうよ?」と取り沙汰されていた。



「何かがっかりだね。」



えー?そうかな、そうかな?かわいいじゃないですか。



ここでこんなことがあった。誰々とこんなことを喋ったという図解入りの手紙。



私だったらそんなの貰ったら嬉しい。かわいい。ますます好きになる。



そのかわいらしさやご愛嬌の傍らで、彼が成した偉業。



何の後ろ盾も無く、一介の浪人がとてつもなくでかい事を成し遂げたってことも凄いのだけど、その後、新政府の名簿に自分の名前を載せなかったというところはもっと凄い。



「あんたの名前が無いじゃないか。」と言う西郷さんら大人物相手に「うん。無いよ。」と軽く答えてしまうとぼけた表情がこれまた浮かんで来るようだ。



てっきり、彼がこれからの日本で権力を手中に治めるに違いないと信じて疑わなかった周囲はさぞビックリしただろう。

西郷さんや高杉さんや歴史に名を連ねた方々が大驚愕する中で、彼はきっと頭の後ろで手でも組んでのほほんとしていたかも知れない。



何と言っても、先の可愛らしさとこの大物ぶりの対比が彼の魅力の一つだと思う。



彼はきっと目先の権力なんかに興味はなかった。これからもしも余生があるのなら世界中の海を飛び回って自由に暮らしたいと思っていた。



だから、その辺りのところを見ぬけていなくて竜馬を斬った人間はやはり馬鹿だと思う。

欲しいものは欲しいと言えば、きっと竜馬は「ああ、いいよ。そんなものはくれてやる。」と差し出したように思う。



わざわざ殺すことは無かったのだ。



いずれにしても正面からありのままを見れないものだけが事をこじれさせ無益な流血を招いている。



もしも余生があったならと書いた。



先の場面で竜馬は「新政府に加わらずしてこれからどうするつもりなんだ?」と問われたとき、きょとんとした顔をしてしばらく考えてから「海へ行く。」と言ったらしい。



その数秒間の空白に、ぐーーっと引き付けられ、ある一つの意味と理由を感じるのだ。

まるで何にも考えていないかのように見えたのは実は本当に何にも考えていなかった故かも知れない。



それは考える必要がなかったからかも知れない。



何故なら、何となくだけど、彼は自分が殺されることを知っていたのだという気がしてならないから。



豪傑だった。聡明だった。だけど、ややこしいことが嫌いだった。



「後で書き直すのは手間じゃき。」と、未来を予測して自分の名前を載せなかったようにも見えるのだ。



どの特番でも、どのドラマでも暗殺シーンでは涙を止めることが出来ない。



幸せだったとは分かっている。悔いもなかっただろうと予測される。



だけど、ただただ涙があふれる。



竜馬。



何故、あなたは刀を抜かなかったんだ?





それから、あなたの妻おりょうが、あなたの死後13年もの間、あなたの成した偉業が何であるか?を全く知らなかったということにも驚きだ。



新政府のメンバーが墓参りに訪れてあなたの貢献ぶりを称え、妻に礼を言ったとき、初めておりょうは知ったと言うのだから。



あなたは何一つ妻に自慢ぶっこいたりはしなかった。

おりょうの前ではほんとにただの男でいたんだろうなあ。



だから、おりょうも一人の女として一人の男であるあなたを愛せた。



その人に付いて来る付加価値。例えば、損得感情から始まる恋愛もあるこの世界でそれはとても美しくて幸せなストーリーのように思える。あなたは「あたりまえじゃき。」と言いそうだけど。





それから長い月日が流れて妻のおりょうは有名な商人と再婚をする。



しかし、晩年は酒浸りの日々が続き、墓標には最後の夫の名前ではなく「坂本竜馬の妻 おりょう」と記された。



おりょうは、どんな気持ちで酒浸りの余生を送ったのだろう。



きっと、過ぎし日に竜馬が自分の胸を打ち抜いた銃声が、いつまでもその胸に鳴り響いていたのだろうか。





それにしても。



竜馬。



あなたは何故 刀を抜かなかったのだろう。





少しだけわかるような気がするのです。



あなたは斬らせて 勝った男。享年 わずか 33歳。





これは余談だけど、現存する寺田屋さんが宿泊も可能だという情報をトリコさんに聞いてから、いつか泊ってやるぞ!と新たな楽しみを持った私だった。
posted by かおる at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時代劇とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月12日

多摩の誇り

10代の時分は自分のことを一生懸命考えて



20代では家族のことを考えて



30代で自分の国元のことを考えて



40代では日本のことを思え。



佐久間象山と言う人はそんな立派なことを言ったのか。



私は30代も後半なのに未だに自分のことしか考えていない。のは時代のせいではない。ただちゃらんぽらんだから。



しかし、迫り来る諸外国に一旦は鎖国を解いて明渡し、その後知識や技術を盗んだ後に喧嘩を売るのが誠の攘夷だとは・・・。かなり乱暴だけど異分子がやって来たからと言って己の力加減も測らず喧嘩を売って死ぬよりはまだましか。



てなことを新しく始まったNHKのドラマで思いつつ、途中で何度もあり得ねえーーーっ!と叫んでいた。



竜馬と近藤さんが相撲取ったんかい、本当に。



竜馬が怒られた時に「しょえーーっ!」なんて言ったんかい、本当に。



昔、幼い頃観ていた水戸黄門のラストシーンでバックの青空に小さな飛行機が飛んで行くのを見付けた時と同じくらいの違和感。今のは何?!



または、遠山の金さんの乱闘シーンで悪党に向かって金さんが木の墓標を引き抜いて投げ付けた時と同じくらいの衝撃。金さんの罰当たり者!



だけど、想像力が広がって創作加減が面白い。利家とまつ同様、創作されまくっていても美化されまくっていても私は見るぞ、楽しんで。



市ヶ谷だとか日野だとか馴染み深い地名が出て来る度に「うわーー!市ヶ谷だってー!」と騒いで疲れてしまったが、極め付け、次回のタイトルは『多摩の誇り』だそうだ。



「多摩の誇りだってー!」



凄いなー、ほんとにいたのね、あの辺に!



そしてとうとう「今年もうるさいな、ほんとに。」と家族に怒られた。



そう言えば看護学校の頃友達と一緒に歩いていたら、車を止めて軟派して来る男の子に向かってその友達が「ださっ!失せろ!多摩ナンバー!」と叫んでいた。



多摩ナンバーってそんなにダサいの?← 熊本から出て来たばかり。



「あー、ダサいとも。ダサイタマ。」



その友達のこんな意味不明の一言で、私は多摩のことを長いこと埼玉の略だと思い込んでいた。あー、馬鹿だとも。



その後、多摩地区にも埼玉にも住んだ私は引っ越す度にその友達に電話をかけまくった。



いやー、水は美味いし蕎麦は美味いし景色は良いし、いいところだよー。人も暖かいぞな、もし。



彼女が「わかりました。すみませんでした。良いところみたいですね。」と言うまでずっと。



家でも外でもうっとおしいぞな、もし。
posted by かおる at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時代劇とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年12月08日

パーフェクト

私が一人くらい猪きり立ったからと言って現実は変わるわけではなく。



今日もくさくさした気持ちで帰宅したのであった。



くっそーっ。今一だ。いや、今二だ。いーーやああーーっ!今百だわ、わし!



てんで駄目!全然駄目!成ってない!



慣れない職場だったのは分かっているが、それを差し引いても駄目。あー、くさくさ。



帰宅してすぐ電話が鳴った。駄目よ、今は駄目。誰であろうと出ないわよ。無理!



が、着信窓を見ると気の置けない人間だったので気軽に出てしまう。以前一緒に働いていた同僚だ。



「おー!いたか!夜勤中?」



いいや、家だよ。実は12月から新しい部署に異動になったんだけど、ぜっんぜん駄目でさあ、あたし!



「あ、ほんとお〜。あんたが駄目とか、そんなことはどうでもいいんだけどさー。」



どうでもいい言うなっ!



「今日、映画観に行っちゃったのよ、ラスト・サムライ!」



ほっほう。。。。



「かおるも絶対観に行きな!もろ好みだよ、きっと。」



ふっふっふ・・・・。←不敵な笑い。



観に行ったのだよ。しかも初日に。



「なに?初日?あの面倒臭がりやが?!あの人混み嫌いが?!いつも行きたい行きたいって言いつつ、ぼけぼけして逃すのろまが?」



一瞬かなりむっとしたものの、互いに延々と話し込む。



二人共台詞にもうるさいので、あの時誰がこう言ったとか最後にあいつがこう言った、あー、素晴らしかったなと延々とリピートしている。反芻している。



話が終わりそうになると、また冒頭や途中に戻って、「しかし、小雪が傷を縫合してたな、その辺の外科医より素晴らしい!」とか「トムに小雪が鎧を着せるシーンがその辺のアダルトビデオの比じゃないくらいエロい!色っぽい!そそられる!その点、今の日本はゲスだ!恥を知れ!」などなど細部に渡る。



そんなふうにぎゃーぎゃー言いながら、ふと思った。



あーあ、私もサムライのように強くなりたいよ。



この国の民は素晴らしい。



朝 目覚めると共に



皆がそれぞれのパーフェクトを目指す。



「うむ。弓の稽古、刀での立合いの稽古、刀を精魂込めて作る人、座禅、静かな心で茶を立てる人。一人残らずストイックだったな。」



しかし、思うのだよ。



あの時代には鬱病ってものは存在しなかったのか?と。



「そりゃあっただろうよ。」



だけど、誰もがあんなにストイックだったらもっと無理が来て、今以上に大勢の人間が精神病になったと思うんだけどなあ。



「いいや。彼らは自分のパーフェクトを目指していたんだよ。どこ観てた?人と比べることもあったけど、それは自分を奮い立たせるときだけに使ったに違いない。だから、文武両道、秀でた他者を素直に認められた。でなければ各偉人たちの伝説が残っているはずがない。」



そうかあ。



「そうだよ。素晴らしきものは褒め称える。自分の力の限界を知ってもその日のパーフェクトを目指す!だから手放しで人を誉められたのさ。まっこと美しき日本人。坂本竜馬、堀部安兵衛、新撰組、信長!順不同、歴史を超えて認められる人間も素晴らしいけど、それを美しく語り継いで来られた人の心の美しさ!自分が自分のパーフェクトを頑張っていたからだろ。きっと。」



うん、何となくわかる気がする。



若干興奮気味の友の言葉に深く納得した。



自分がすべきことをストイックに頑張っている人間が他者を誉めるのと、権力を恐れ屈するのは全然違うように思う。「卑屈」は誇りを捨てるが「誉める」は誇りを捨てた人間には出来ない。その違い



今なんて自分が出来ないことをやっている人間を見ると慌てて引き摺り下ろし、絶対的な強さを誇る人間を見るととことん機嫌を取るような人間が多いような気がするもんな。それに引き換え、語り伝えた人の心の美しさも凄い。そこまで人々を魅了した英雄たちもやっぱり凄い。



「じゃあ、話を戻そうか。」



え?何に?



「新しい部署で何だって?」



・・・・・・・・・・・。途端に沈黙。覚えておいてくれてありがとう。涙がぶわあーーっと溢れて来た。ああ、もう、もう、私って駄目なやつだあ。



「そんなに絶望的なの?話してごらんよ。」



いいやあ・・・。全然そんなことはない。



私は朝起きて、その日のパーフェクトを目指す。そして、その結果を冷静に見て自分の問題点を探す。そしてそのデータ−を元に翌朝もまた目覚めると同時に自分のパーフェクトを目指す。



まだ、それが出来ていなかった。



それ以前の話だった。



うん、何だか、スッキリした。ありがとう。



「そ?じゃあ、私の方から折り入ってお願いが。」



え?何何?何か悩み事でも?



「もう1回、観に行かない?ラスト・サムライ。」



ぶっ!とワインを吹き出した。



大賛成だったのだ。あと五回くらいは観てもいい。
posted by かおる at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時代劇とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする